光を当てて

最近は

“新しい生活様式”を強く意識した

設備の整備に力を入れております。

 

そのような取り組みの中で

新たに用意した照明器具を

本堂で試運転してみた所

これまでは

暗がりでぼんやりとしか

目に出来なかったものが

鮮明な光で照らし出され

改めて確認することが出来ました。

 

例えば観音堂の天井の

種字曼荼羅(しゅじまんだら)。

 

例えば内陣に掲げられている

獅子と天女の絵画。

 

昼間であっても

これまでは目視することが

難しかった部分に

“初めて”鮮明に

まみえることが出来

感慨深いものがありました。

 

凄みのある「声」

以前当地の「古代」について

当山の縁起にも触れながら

少しばかり書いたことがあります。

 

▼コチラがその記事です

古代の祈りの痕跡とお寺の起源

 

先の投稿記事にも触れていますが

当地には縄文後期の遺跡が

当山の近くで発掘されています。

 

その遺跡は

喉平(のどひら)遺跡と

いわれるものですが

祭祀に用いられたと見られる

土偶も出土しています。

 

縄文時代後期とは

4000年〜3000年前に

該当する時代区分です。

 

中国でいうと

“伝説”ともされる夏(か)

そして殷(商)の時代です。

 

色々なご縁があり

縄文時代について

学ばせていただく

きっかけがありまして

調べを重ねていくと

とても興味深いことが多く

かなり深いものを

感じさせられます。

 

縄文時代には

確かに当地に住人がいた

ということが明らかであることは

よくよく考えると

凄みのあることだと感じます。

 

その時間の連なりに

今があるという視点でもって

「歴史」を捉えてみることで

見えてくるものも

あるように思います。

 

御詠歌は引き続き休会します

今月から御詠歌(ごえいか)を

再開する予定でしたが

色々考えた結果

引き続き休会することにしました。

 

昨今の状況ですと

御詠歌については

これまで通りの開催は

難しいと考えています。

 

3月以降ずっと休会しているので

当面の間はいっそのこと

御詠歌の教典にそった

法話会という形にして

実際のお唱えはCD等で

ご自宅でお聴きいただく

形式にするなどの対応を

検討しております。

 

御詠歌を通じて

「仏道のこころ」に

触れていただくことを

一番に考えた催事でもあるので

その意義にかなうような

新しい形を模索したいと思います。

 

▼準備万端でしたが…

 

▼撤収しました…

確定的未来を考えてみる

数字から見える確定的未来

2040年になると

全国の自治体の半数近くが

「消滅」の危機にさらされる。

 

河合雅司2017『未来の年表』(講談社現代新書)より

 

今回は

現代に生きる者として

向き合わなければならない

地元の確定的未来について

考えてみたいと思います。

 

普賢院のある

八戸市豊崎町。

 

かつては

七崎(ならさき)と呼ばれ

古い歴史が残る

田園が広がる素敵な地域です。

 

現在は八戸ですが

古くは五戸でした。

 

何年も前から

人口減少や少子高齢化が

叫ばれていますが

実際の所の変化や見通しを

統計や推計を用いて

確認してみたいと思います。

 

目次

  1. 豊崎町の人口の変化

  2. 八戸市の人口の変化

  3. 描きたい「未来」へ

 

1.豊崎町の人口の変化

八戸市HPで公表されている

地区別の人口データのうち

豊崎町の各年4月末日時点のものを

経年比較してみます。

 

和暦(西暦)総人口[M(男性):F(女性)]

として以下のようにまとめられます。

 

  • 平成18年(2006)2,054人[M989:F1,065]
  • 平成23年(2011)1,954人[M929:F1,025]
  • 平成28年(2016)1,757人[M836:F921]
  • 令和2年  (2020)1,599人[M764:F835]

 

減少の要因は

転出や死亡など様々ですが

少子高齢化の影響が

大きいことは

言うまでもありません。

 

次に

同じ要領で

八戸市の総人口について

見ていきましょう。

 

2.八戸市の人口の変化

今度は八戸市の総人口は

次のようになります。

 

  • 平成18年(2006)249,559人
  • 平成23年(2011)241,427人
  • 平成28年(2016)234,774人
  • 令和2年  (2020)226,477人

 

「八戸市人口ビジョン」によれば

推計人口は次のようになります。

 

  • 令和12年(2030)197,421人
  • 令和22年(2040)172,744人
  • 令和32年(2050)147,016人
  • 令和42年(2060)122,031人

 

平成18年4月末日〜令和2年4月末日の

14年間で23,082人の人口減少ですが

推計人口では

減少のスピードが加速し

今後10年で約29,000人の

人口減少が見込まれています。

 

3.描きたい「未来」へ

数字で描かれる

確定的未来。

 

真正面から見つめた上で

どのような「未来」を

描いていくかを

私たちそれぞれが

それぞれの分野で

考えなければなりません。

 

すでに

めまぐるしい

大きな変化の中に

いる私たちですが

このような時こそ

(常に大切なことですが)

「意」(心)について

問われているように思います。

 

仏道の

唯識(ゆいしき)という

考え方では

「意」(心)により

あらゆるものが

生み出されるとされます。

 

皆さんは

どのような「未来」を

思い描きたいですか?

 

「このようにしたい」

「このようになりたい」

という思いもまた

時代を作る上で

求められるものです。

 

思い描きたい「未来」を思い描く

「意」(心)そのものを

ととのえながら

“現実”をしっかり踏まえ

思いを「未来」へはせながら

歩みを進めていく。

 

当山としても

出来ることを重ねながら

「未来」に向けても

思いをはせながら

これからを

過ごしていきたいと思います。

 

柔和な出で立ちの十一面観音像

昨年から

制作して頂いている

十一面観音。

 

本山の長谷寺(奈良県桜井市)と

同形式で作仏を

進めて頂いております。

 

制作を担って頂いているのは

弘前市の仏師・小堀寛治さんです。

 

当山は

現在の本尊は愛染明王ですが

もともとは十一面観音だったとの

いわれがあります。

 

一説には

坂上田村麻呂が

十一面観音を祀った

という伝説も残ります。

 

現在作仏を進めて頂いている

十一面観音と

脇侍(わきじ)の

難陀竜王(なんだりゅうおう)と

雨宝童子(うほうどうじ)が

大分出来てきた様子です。

 

柔和な出で立ちに

あふれんばかりの

慈悲を感じました。

 

十一面観音に託された除疫への願い

当山の本山は

奈良県桜井市の長谷寺(はせでら)です。

 

先日

本山より全国の豊山派寺院に

除疫札(じょえきふだ)

除疫守(じょえきまもり)

が送られました。

 

説明によると

かつて疫病が蔓延した時代

それを鎮めるために

仕立てられたもので

長谷寺に古来より伝わる版木を

基に復刻してお加持(かじ)

したものだそうです。

 

長谷寺の本尊は

十一面観音です。

 

十一面観音は

7世紀末に日本に伝えられ

8世紀になると十一面悔過(けか)

という作法が行われるようになり

広く信仰されるようになった尊格で

古い歴史を持ちます。

 

当山も

もとは十一面観音が

本尊であったと伝えられます。

 

先にご紹介した

御札と御守の袋に掲載されている

説明を再び参照すると

十一面観音には

十種の功徳があり

その第一番目に

離諸疾病(りしょしつびょう)が

謳われているのだそうです。

 

当山では現在

弘前の仏師さんにお願いして

新本堂の本尊脇仏として

お祀りされる十一面観音像を

本山と同じ三尊形式で

彫って頂いております。

 

十一面観音が

もともとの当山本尊との

伝えがあることを踏まえて

作仏をお願いしたのですが

昨今の世界的なウイルス蔓延が

一日も早く平穏な世になるように

との願いも添えて

お祀りさせて頂きたいと思います。

 

普賢院の様々なご縁のあり方

「様々なご縁のあり方」により普賢院は支えられております

「お寺と檀家」という寺檀(じだん)関係に限らず、普賢院では様々な形でご縁をお結び頂いた多くの有縁者により、お寺が護持されてまいりました。現在も檀家の皆様をはじめ多種多様なご縁に彩られていることに心より感謝しております。色とりどりのご縁のお力をお借りしながら、これからの普賢院の歴史を紡がせて頂き、力強く歩みを進めさせて頂きたいと思います。

 

檀家(だんか)

位牌堂に位牌壇をご用意頂いた方を寺院規則上の「檀家」としております。位牌堂の位牌壇にお祀りされる各家位牌は、普賢院にて永代守らせて頂き、諸霊位を永代に渡りご供養させて頂きます。檀家各家には、毎年4000円の運営費・斎米料(ときまいりょう)をお納め頂き、護持運営にお力添え頂いております。

 

信徒(しんと)

檀家以外で普賢院に葬儀、法事、ご祈祷等をご依頼される方は、寺院規則上「信徒」の名称が用いられ、檀家とは区別されます。あくまでも規則上の名称です。仏事の読経や作法において、檀家との差別はありません。

 

おてらサポーター

境内堂内清掃をお手伝い頂ける方を、おてらサポーター(略して「てらさぽ」)として随時募集しております。年に何度か作務(掃き掃除、拭き掃除、仏器磨き)を行います。老若男女問わずどなた様も大歓迎です!

 

御詠歌の会 会員

御詠歌(ごえいか)は五七調の詩、又は三十一文字(みそひともじ)の和歌に節をつけてお唱えします。豊山流(ぶざんりゅう)御詠歌をお伝えしています。毎月2回、1時間半、参加費500円で開催しています。また、年会費として毎年2000円をお納め頂いております。

 

その他

季節の行事や寺子屋ワークショップ等にはどなた様でもご参加頂けます。(催事によってはお申し込みが必要なものがあります。)

 

 

運営費・斎米料(ときまいりょう)について

年会費(運営費・斎米料)として檀家の皆様には年間6,000円をお納め頂き、普賢院の護持運営にご協力頂いております。このうち1,000円は斎米料として普賢院に納められ、5,000円は運営費として普賢院役員の皆様により管理されます。1月1日より12月31日を会計年度とし、会計決算報告書を檀家の皆様には毎年1月にお届けしております。

 

寄付について

寄付のことを勧募(かんぼ)ともいいます。勧募金とは心や「おもい」を託して捧げられる浄財といえます。心や「おもい」を託すことなくしては、仏道としての布施・勧募とはなりません。普賢院では「仏道として」ということを大切に考えておりますので、強制はいたしません。寄付のお願いにあたっては趣意等を事前にお伝えし、ご協力をお願いさせて頂きます。寄付額の多寡に関わらず、お心を込めて頂くことを切にお願いいたします。

 

〜檀信徒をご希望される方へ〜

檀家となられる方は、位牌堂の位牌壇を用意して頂く際に、30万円の御浄財を当山の指定口座にお納め頂いております。位牌壇の大きさは全て同じです。位牌壇に納められる位牌や仏具は各家にて、仏具屋さんにお問い合わせ頂きご用意下さい。当山は檀家のみならず、様々な形で多くの方とご縁を結ばせて頂いております。歴代数多くの有縁の皆様のおかげで、当山は永きに渡り守られ、今に伝えられたものと思います。これからも有縁の皆様と共に歴史を紡いでいきたいと思いますし、有縁の皆様のお心に寄り添えるようなお寺でありたいと願っております。当山とご縁をお結び頂ける方は、お気軽にご連絡下さい。お問い合わせもお気軽にお寄せ下さいませ。

 

▼位牌堂についてはコチラをご参照下さい。

https://fugenin643.com/category/位牌堂について/

 

▼こちらのサイト(まいてら)もご覧下さい♪

https://mytera.jp/tera/fugenin55/member/#tera_tab_block

普賢院の行事・活動

祈る・願う 触れる・感じる

仏道とは生き方です。仏道における修行とは、「今」を大切にしながら、しっかりと歩みを進めることともいえます。「今」には「過去」も「未来」も、融通無碍(ゆうずうむげ)にとけあっています。仏道としてのご供養、仏道としてのご祈願、仏道としての精進。「今」と改めてお向き合い頂き、そのひとときにお心を通わせて頂き、お時間をお過ごし頂ければと思います。

 

《普賢院の行事・活動》

①季節の法要

小正月(1月16日)、春秋の彼岸中日、お盆(8月16日)の法要は、各日午後1時より本堂にて執り行われます。先祖の安らかなることを願い、「今」を生きる私達の健やかなることを願います。

 

②護摩(ごま)法要

護摩(ごま)は、古代より伝わる「火の修法」で、願いを清め、その成就を願うものです。心に抱く願いの成就を祈るとともに、その願いを成就させるために歩みを進める志を立てる尊いひとときです。

 

③除夜の鐘

去る年への感謝、来る年への願いを込め、大晦日午後11時半より除夜の鐘が撞かれます。その後、元日午前0時より本堂にて年頭祈祷法要(ねんとうきとうほうよう)が厳修されます。

 

④国際協力の寺 〜寺子屋×国際協力〜

「気軽に、楽しく、和やかに」仏道に触れて頂く寺子屋ワークショップや御詠歌の会を開催しております。当山では自利利他の理念のもと、寺子屋の催事でお納め頂く会費の一部は国際協力活動への寄付にあてております。

 

⑤おてらおやつクラブ

「おそなえ」を「おさがり」として「おすそわけ」する活動です。お寺に捧げられたお供物に通わされた真心が、広く振り廻らされることを願い、普賢院でも取り組ませて頂いております。

 

〜行事等へおいでになる方へ〜

年4回の「季節の法要」(小正月、春秋彼岸中日、お盆)は、檀家でない方もご参列頂けます。菩提寺をお持ちでない方や菩提寺が遠い方も、お気軽にご参列下さい。護摩法要や除夜の鐘・年頭祈祷法要もどなた様でもご参列頂けます。個別に護摩祈祷をご希望の方もお気軽にご相談下さい。寺子屋の各催事の多くは不定期に開催しております。ご興味をお持ちのものがありましたら、是非ご一緒下さいませ。各催事の詳細は普賢院のフェイスブックページやホームページをご参照下さるか、直接ご連絡下さい。

 

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普賢院の見どころ

悠久の歴史と祈り継がれ託されてきた「おもい」

当山は万人の平安を願うお寺として、平安初期に開創されました。以来約1200年もの歴史を誇り、十和田湖伝説や七崎姫伝説などの伝承にも彩られた古刹です。永きに渡り有縁の方々と共に歩み、有縁の方々により守られて参りました。宗祖弘法大師は「今」を生きる者の尊さを説き、生きるものの安寧を願い、万人の心に寄り添われた方です。その御心を受け継ぎ、これからも歩みを進めてまいります。どなた様もお気軽にお参り下さい。

 

《普賢院の主な見どころ》

①本尊・愛染明王(あいぜんみょうおう)

宥瑗(ゆうえん)により奉納(文化7年(1810))

 

②七崎観音(ならさきかんのん)【秘仏】

糠部三十三観音霊場15番札所の観音様、年1度御開帳

 

③南祖法師(なんそほっし)尊像

十和田湖伝説の南祖坊(なんそのぼう)の御像

 

④“青森円空(えんくう)”の彫った千手観音坐像

奇峯学秀(きほうがくしゅう)御作の観音像

 

⑤会津斗南藩(となみはん)の墓石

斗南藩の方々の墓石16基は激動の歴史を今に伝えます

 

⑥お寺から真東にのびるメインロード

豊かな土と伝説のふるさと豊崎町の歴史を感じる風景

 

《普賢院の主な施設・設備》

①本堂

祈り継がれ祈り込まれてきた最も神聖な空間です

 

②観音堂

七崎観音はじめ多くの尊格が祀られます

 

③位牌堂(いはいどう)

当山歴代先師と檀家各家の位牌が祀られます

 

④客殿(きゃくでん)

通夜、会食、会議、寺子屋など多目的に使用されます

 

⑤鐘楼堂(しょうろうどう)

先祖の安寧、世の平和への願いが託されております

 

⑥ハナレ

憩い・集い・学びの場として多目的に使用出来ます

 

《歴史》

いにしえよりの“おもい”つぐ古刹(こさつ)

弘仁初期(810年頃)に圓鏡(えんきょう)上人により開創され、承安元年(1171)に行海(ぎょうかい)上人により開基されたお寺です。鎌倉〜江戸時代初期までは永福寺という寺号が用いられていました。

 

「稀代(きだい)の古刹(こさつ)」と謳(うた)われた七崎観音(ならさきかんのん)

七崎観音(ならさきかんのん)は旧観音堂(寺号・徳楽寺、現在の七崎神社)本尊で、明治になり遷座されました。現在の聖観音像は南部氏29代・藩主南部重信公が貞享4年(1687)4月に奉納されたものです。

 

十和田湖龍神伝説 南祖坊修行のお寺

南祖坊(なんそのぼう)は当山2世・月法律師(がっぽうりっし)に弟子入りし、全国の霊山霊跡を巡った果てに十和田湖に結縁入定して、青龍権現(せいりゅうごんげん)という十和田湖の龍神になったと伝えられます。

 

飢饉を乗り越えての中興開山

飢饉により当地域も当山も疲弊していた所、快傅(かいでん)上人のご尽力により、享保年間(1716〜1736)に当山は中興されました。

 

 

〜お参りの方へ〜

本堂や位牌堂へはいつでもお参り頂けますが、葬儀等仏事中の本堂へのお参りはご遠慮願います。お寺にご用の方は、本堂右手の庫裏にお声がけ下さい。御朱印や授与品をお求めの方も、本堂右手の庫裏にお声がけ下さい。御朱印は本尊、七崎観音、南祖坊など幾つか種類がございます。書き手がいる場合は御朱印帳にしたためますが、不在時はあらかじめ墨書されたものをお渡しいたします。本堂内の観音堂前に、糠部三十三霊場のスタンプ式御朱印が置いてありますので、入用の方はお使い下さい。御朱印代は定めておりませんので、お気持ちの程をお納め下さい。ご希望があればお寺をご案内いたしますので、お気軽にご相談下さい。

 

▼こちらのサイト(まいてら)もご覧下さい♪

https://mytera.jp/tera/fugenin55/place/#tera_tab_block