桂昌院ゆかりの護国寺

拙僧(副住職)は

現代教化研究所研究員という

役につかせて頂いております。

 

現代教化研究所

(げんだいきょうかけんきゅうじょ)

略して現研(げんけん)。

 

当山が所属する

真言宗豊山派には

現研の他に

宗学(しゅうがく)研究所

(略して宗研(しゅうけん))

事相(じそう)研究所

(略して事研(じけん))

布教(ふきょう)研究所

(略して布研(ふけん))

という研究機関もあり

現研含めて各研究所に

十数名程の研究員の先生方が

所属されていらっしゃいます。

 

7/30は宗務所にて

各研究所より1名が登庁して

ご一緒に対応する仕事があり

上京してまいりました。

 

合間の時間の

他研究所の先生方との雑談がまた

刺激的で興味深いものばかりでした。

 

高知のお話

海洋深層水のお話

戦争のお話

大学のお話

ドイツのお話

荼枳尼天のお話

高野山のお話などなど

大変勉強になりました。

 

現研とのご縁により

一昨年より大本山の護国寺に

毎月お参りさせて頂いております。

 

護国寺は

拙僧(副住職)が得度式(とくどしき)という

入門の儀式をさせて頂いたお寺でもあります。

 

研究所で研鑽にも励ませて頂き

大本山もお参りさせて頂くとともに

境内散策をさせて頂けることは

拙僧(副住職)にとって

とても喜ばしいことと感謝しております。

 

護国寺境内の案内板には

縁起が記されております。

 

以下に紹介させて頂きます。

 


大本山護国寺の縁起

真言宗 豊山派 大本山 護国寺

 

當寺の創建は

天和元(一六八一)年二月七日

五代将軍徳川綱吉公の生母

桂昌院の発願により

上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当

大聖護国寺の亮賢僧正を招き開山とし

幕府所属の高田薬園の地を賜り

堂宇を建立し

桂昌院念持仏の

天然琥珀如意輪観世音菩薩(秘仏)を

本尊として

号を神齢山悉地院護国寺と称し

寺領三百石を賜ったことに始まる

 

現在の観音堂(本堂)国指定重要文化財は

元禄十(一六九七)年正月

観音堂建立の幕命があり

約半年余の工事日数で

この大造営が完成し

同年八月四日落慶式が挙行された

 

後に

六臂如意輪観世音菩薩(現本尊秘仏)が

安置される

 

元禄時代の建築技術の粋を

結集した大建造物で

その雄大さは都内随一と称賛される

 

もろもろの

くのうをすくう観世音

大悲の恵み

尊うとかりける

 

 

月光殿 国指定重要文化財は

近江(大津市)の三井寺の

塔頭日光院の客殿を移築した

桃山時代の建築で

書院様式を伝えるものとして

貴重な建造物である

 

平成二十五年十一月

月光殿文化財保存修理工事が完了する

 

 

護国寺の茶席

境内には月窓軒、化生庵、艸雷庵

不昧軒、円成庵、宗澄庵等々の八席

それぞれ数寄を凝らした茶室があり

その基を築かれたのは

明治から昭和初期にかけて

再興に寄与された高橋箒庵翁の

尽力の賜物である。


堂内と心を清める作務

少しづつ

お盆に向けた堂内清掃が

進んでまいりました。

 

急なお声がけにも関わらず

お手伝いに

駆けつけて下さった方の

ご協力もあり

着々と堂内が清められております。

 

お手伝い頂いた皆様

大変ありがとうございました。

 

内陣から物を運び出して

高いところからホコリを落として

掃き掃除をしてから

高いところから雑巾をかけて

細かい所や運び出した物も

入念に拭いて

再び物を運び入れて。

 

掃除のことを作務(さむ)とも言って

大切な修行とされますが

“無心”で取り組めたように思います。

 

あとは

位牌堂と客殿と境内の清掃と

最も時間のかかる仏器磨き。

 

順々に作務に取り組みたいと思います。

 

▼写真は7/29午前中の様子です。

戦争の記憶を留める木札

昭和22年(1947)に行われた

当山本堂の屋根葺替(ふきかえ)時に

記された木札があります。

 

その一部を

以下に記します。

 


昭和貳拾弐年拾弐月拾弐日

(昭和22年12月12日)

屋根葺替記事左ノ通リ

 

住職 品田晃雄(こうゆう)

大東亜戦争ノ為メ

出征中ニシテ未復員

生死不明

 

(中略)

 

當時ノ物價相場及各種賃金

一、精米 壱俵

供出價格 八百円

闇價格 四千円位

一、大豆 壱俵

供出價格 七百円

闇價格 参千五百円

一、リンゴ壱箱

統制ナシ 八百円

一、給料

普通壱ケ月 千五百円

一、田地小作料

壱反歩 壱百円

畑地小作料

壱反歩 四拾円

 

太平洋戦争終戦

二週(周)年ニシテ

米国ノ占領下二在リ

統制経済中ニシテ

闇ノ甚ダシキ時ナリ


 

品田晃雄(こうゆう)和尚は

当山62世住職で

晋山(しんざん)して

間もなく出征しました。

 

晋山とは

住職に正式に就任することです。

 

晃雄和尚は拙僧(副住職)の

大叔父にあたり

祖母の兄にあたります。

 

晃雄和尚の

切割(かっせつ)という袈裟が

残っており袈裟の裏地には

昭和18年(1943)11月 晃雄

と墨書きされています。

 

今回採り上げた

当時の一端が

伺えるこの木札は

激動の時代を乗り越え

今があることを

私達に伝えているように思います。

 

戦争に関連して

当山境内には昭和37年(1962)11月に

建立された戦没者慰霊碑があります。

 

慰霊碑には

建立にあたっての言葉や

豊崎町出身者の戦没者名

建立賛助者名などが記されており

今回触れた晃雄和尚の名前と

その弟・高明(こうめい)の名前も

連ねられております。

 

以下に

慰霊碑に記される

「建立の心」と題された

建立趣意書を紹介させて頂き

結びとさせて頂きます。

 


建立の心

 

戦争は私たちの子弟を

異国の土に化しました。

 

元気な姿でお国のためにと

旅だって行ったこれらの人々が

その輝く瞳で

再び故郷の山河を見ることは

できなかったのです。

 

そして

白木の箱に萬感の思いを

こめながらも

言葉なく私たちの胸に

帰ってきました。

 

戦爭の厳しさと

愛しい肉親を失った悲しみは

私たちの心を深くえぐりました。

 

しかし

戦いの目的がどこにあれ

私たちの子弟の一人一人が

純な心から唯一途に

お国のためにと

その身を捧げた姿は

私たちにとっては

せめてもの慰めでした。

 

そして

この献身の姿を留め

二度とこのような悲しみを

繰り返さないよう碑文を刻んで

とどめることにしました。

 

国の繁栄を願って

散っていった魂と

その心を受けて

平和な郷土の建設を希う

私ども遺族の魂とを留めて

留魂といたしました。

 

昭和三十七年十一月

豊崎町遺族会会長 白石寒能象

 

様々なおもいを捧げる場としてのお寺

28日は

不動明王のご縁日です。

 

本年はご縁がありまして

2月より毎月28日に

護摩祈祷を修法しております。

 

先の7月8日に

修復を終えて

お戻りになられたばかりの

お不動様が迎えられる

最初のご縁日ということもあり

その不動明王像を本尊に

護摩祈祷を行いました。

 

本日の護摩は

炎が綺麗に燃え上がり

捧げられた願いが

清められていたように感じました。

 

本日は早朝より

法事→祈祷→法事→護摩→掃除

といった具合で

多くの方とご一緒させて頂きました。

 

余談ですが

最近はご祈祷をお願いされることが

増えたように思います。

 

お寺は様々なおもいを

捧げる場でもあるということを

つくづく感じさせられます。

 

様々なおもいを捧げて頂くにおいて

しかるべき環境を

しっかりと整えるのは

お寺を預かる僧侶のつとめと

心得て日々励ませて頂きます。

 

止まらぬ汗をかきながら

高温多湿のため

ここ2、3日は凄まじい量の汗を

かきながらお勤めさせて頂いております。

 

つい先日まで

もしかしたら

冷夏になるかもと

囁かれていましたが

どうやら本年は猛暑のようです。

 

暑さが落ち着く

夕方になるとほっとします。

 

相変わらずバタバタと

慌ただしく過ごしていますが

気がつけばもうすぐお盆となりました。

 

お盆の準備で

最も時間がかかるのは

何と言っても掃除です。

 

本腰を入れて

空き時間を有効に使いつつ

掃き清め

磨き清めたいと思います。

 

吉田初三郎の鳥瞰図

新幹線で読むことができる

フリーマガジン『トランヴェール』。

 

2019年7月号では

“大正の広重”ともいわれた

吉田初三郎の特集が組まれていました。

 

吉田初三郎は八戸とゆかりのある方で

多くの鳥瞰図(ちょうかんず)を

手がけられました。

 

吉田初三郎の

『十和田湖鳥瞰図』(昭和8年)には

大きな十和田湖が山頂に描かれ

県内各所が周囲に配置されています。

 

デフォルメされ

印象的なタッチで描かれる

吉田初三郎の鳥瞰図。

 

その中に当山も描かれています。

 

このことについては

以前にもブログで触れておりますので

そちらもご参照頂ければと思います↓

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/十和田湖南祖坊について/稀代の古刹七崎観音十二/

 

『十和田湖鳥瞰図』には

当山は「永福寺」の名で

記載されています。

 

「永福寺」の隣に

「七崎神社」と記され

鳥瞰図にバッチリ登場しております。

 

七崎神社は

明治時代まで観音堂で

徳楽寺の寺号が用いられております。

 

徳楽寺の名が記された

木札が当山には残っております。

 

そのような歴史や

十和田湖伝説なども

この鳥瞰図には

落とし込まれているように思います。

 

蒸し暑さを感じながらの写経カフェ

寺子屋ワークショップ

『写経カフェ』が

盛況に行われました。

 

八戸は2、3日前より

一気に蒸し暑くなり

写経カフェ当日も

“まとわりつくような”暑さに。

 

その中にあって

毎回季節をイメージして

ひつじや美央さんに

調合して頂いている

アロマポッドの爽やかな香りが

とても心地よく感じました。

 

当山の『写経カフェ』では

『般若心経』に

お向き合い頂いております。

 

いつもおいでの方も

初めての方も

久しぶりの方も

それぞれのペースで

写経修行にお励み頂き

全ての方が書き上げられました。

 

写経後は

フェアトレードのコーヒーと

寺子屋スイーツでご一服。

 

本日お集まりの皆様と

有意義な時間を

お供させて頂いたことに

感謝いたします。

 

▼寺子屋ワークショップのご紹介

https://fugenin643.com/blog/寺子屋ワークショップについて/

 

学んで学んで

7/22は朝一の新幹線で上京し

真言宗豊山派総合研究院

現代教化研究所の所内会へ。

 

現代教化研究所に所属される

先生方はそれぞれに

様々な専門分野をお持ちなので

いつも良い刺激があります。

 

今回はとてもグローバルな

研究発表を拝聴させて頂きました。

 

現代教化研究所の所内会翌日は

神谷町の光明寺にて開催された

未来の住職塾NEXTの勉強会へ。

 

今回は

クラウドファンディングについて

学ばせて頂きました。

 

以前より当地域で

クラウドファンディングによる

取り組みをしたいと考えていたので

とても良い時間となりました。

 

光明寺本堂内に

万延2年(1861)の愛宕下の地図が

掲示されていたので

ついでながら触れさせて頂きます。

 

真言宗の触頭(ふれがしら)という

重要なポストにあった寺院や

南部藩を含む諸藩の藩邸などが

掲載される貴重な史料です。

家内安全のご祈祷

有縁の方が

当地で売りに出されていた古屋に

引っ越されることになり

家内安全のご祈祷をお願いされ

お勤めしてまいりました。

 

ご祈祷の御本尊として

不動明王象をお連れして

机と燭台などの道具を整え

ご当家にお邪魔いたしました。

 

そこは当地においても

古い歴史をもつお家です。

 

これから新たな時間が

積み上げられるにあたり

謹んで家内安全を願い

ご祈祷させて頂きました。

 

弘法大師ご縁日に発送作業

21日は弘法大師空海上人のご縁日です。

 

7月21日のご縁日に

おてらおやつクラブの発送作業を行いました。

 

夏休みに入った

拙僧(副住職)の長男と

もうすぐ夏休みに入る

拙僧(副住職)の長女も

発送作業のお手伝い。

 

当山にて捧げられた「おそなえ」が

「おさがり」として「おすそわけ」され

夏休みのおやつとして

一人でも多くの

子どもたちに笑顔を

もたらして頂ければと願います。

 

▼おてらおやつクラブHP

https://otera-oyatsu.club