サハリンへ行ってまいります

8月26日から29日まで

拙僧(副住職)はサハリン(旧樺太)へ

行ってまいります。

 

サハリンは北海道の

さらに北に位置する

巨大な島です。

 

旭川の成田山大聖寺ご住職で

拙僧(副住職)と同じ

現代教化研究所の研究員でもある

伊藤聖健師にお声がけ頂き

第53回サハリン平和の翼へ一僧侶として

参加させて頂くことになりました。

 

参加者名簿を見ると今回の旅団は21名で

そのうち僧侶は拙僧(副住職)含め4名です。

 

多くは北海道の方で

旧樺太で出生された方など

旧樺太とゆかりのある方のようです。

 

拙僧(副住職)にお声がけ下さった

伊藤聖健師も先代住職である

ご尊父様が旧樺太出身です。

 

慰霊追悼の式典の他

郷土博物館やロシア正教会にも

立ち寄る予定となっております。

 

拙僧(副住職)はサハリンについて

ほとんど知らないので

下調べをしてみましたが

とてもデリケートな問題もあり

色々と考えさせられます。

 

自身の役目を果たしつつも

多くを学び多くを感じてきたいと思います。

 

大発見かもしれません〜早稲田観音と普賢院聖観音〜

滝尻善英氏の

『奥州南部糠部三十三カ所霊場めぐり』

(デーリー東北社、平成15年)に

掲載される第23番札所・早稲田観音の

十一面観音像の写真。

 

下から見上げるなアングルで

全体像が写真に納められ

仏像の特徴が捉えられています。

 

こちらがその写真です。

 

調べ物をしていて

それとなしに早稲田観音の

お姿を確認しようと思い

前掲の書籍を見たところ

早稲田十一面観音と

当山の聖観音(しょうかんのん)が

とても似ていることに気が付きました。

 

今話題にあがっている

当山の聖観音は観音堂内陣内殿の

七崎観音の脇仏として

向かって右側に祀られる観音像です。

 

古くから当山に祀られているようですが

その詳細は不明でした。

 

当山では本堂建替を控えており

来年春までには現在の本堂を

解体しなければならないため

本年の七崎観音御開帳の際に

内殿の観音像を細かく観察して

その特徴を確認しております。

 

そういった経緯があっての

今回の「気づき」です。

 

早稲田観音は

当山ととても関わりのある観音様で

かつて早稲田観音の別当を勤めていた

嶺松院(れいしょういん)は当山同様

江戸期に盛岡永福寺を本坊とする

関連寺院でした(現在は廃寺)。

 

普賢院と嶺松院は

いずれも永福寺の旧地ということで

自坊という形で庇護されました。

 

そういった歴史的関係性が

大いにある2所なので

同じ仏師が作仏された仏像が

祀られていたとしても

何ら不思議はありません。

 

それでは実際に

2体の観音像の類似点を

見ていきたいと思います。

 


【蓮台】

▼早稲田観音

▼普賢院聖観音

蓮台後方の“魚のヒレ”のようなものが

左右に施されており

これは早稲田観音の写真でも

この特徴的な部分が

当山同様左右両方に

施されていることが

はっきりと分かります。

 

また蓮台下の敷茄子(しきなす)と

呼ばれる箇所の作りや

その下にある蓮台もまた

作風がとても似ています。

 

【仏頭と上半身】

▼早稲田観音

▼普賢院聖観音

共通する点として

大きな耳たぶ

左手の形

左手に持たれている蓮の作風

装身具がない如来形

などが挙げられます。


 

前掲書より

以下を引用させて頂きます。

 

万治2年(1659)の

棟札(むなふだ)によると

二十年程前の寛永17年(1640)3月

門前の焚き火が飛び火して焼失し

宥鏡(ゆうきょう)法印の代に再興し

ご本尊の観音像も修復したと

記されています。(前掲書、p.92。)

 

寛永17年(1640)に

早稲田観音は火災に見舞われたことが

棟札に記されているとありますが

別の史料では

寛文年間(1661〜1673)にも

嶺松院が火災に見舞われていることが

記されております。

 

余談ですが

この宥鏡という方は

当山の先師でもありますが

その晩年の延宝8年(1680)に

本坊・盛岡永福寺も大火災に

見舞われております。

 

前掲書にも記されておりますが

早稲田観音の観音像は

棟札に記される万治2年(1659)

以前からある仏像ということになります。

 

当山の聖観音像もまた

同時期のものであれば

少なくとも三百数十年

当山にお祀りされていたことになります。

 

“真実”は

早稲田観音と当山の聖観音のみ知るわけですが

新たな仮説として

決して無理のないものかと思います。

 

さて

こういったことはどなたに

相談や問い合わせすれば

良いのでしょうか?

お盆のおすそわけ〜おてらおやつクラブの発送作業〜

毎年1月23日と8月23日は

子安様(こやすさま)という行事が

当山本堂にて行われます。

 

地元の永福寺町内会が

各班もちまわりで

毎年行われております。

 

子安様は

子安地蔵菩薩というお地蔵様で

当地ではとても大切にされております。

 

この子安様の行事の良き日に

おてらおやつクラブの発送作業をしました。

 

おてらおやつクラブは

お寺にあがった「おそなえ」を

「おさがり」として

「おすそわけ」する活動です。

 

▼おてらおやつクラブについて

https://otera-oyatsu.club

 

今回はお盆の期間中に

位牌堂へのお参りや

ご法事の際に捧げられた

「おそなえ」を「おさがり」として

箱詰めさせて頂きました。

 

お供物には

数々の“おもい”が託され

「おそなえ」されます。

 

その“おもい”が更に廻らされ

「おすそわけ」を必要としている所で

お役立て頂けることを願い

今月も発送させて頂きました。

 

青森市油川の熊野社と十和田湖十湾寺

享保年間の『津軽一統志』は

外ヶ浜(青森市)油川の

熊野十二所権現社に

永禄2年(1559)の再興の棟札があり

その裏書には

十湾寺(とうわんじ)南蔵坊

於いて勧請(かんじょう)

と記されていると伝えております。

 

この十湾寺は永福寺の別院で

熊野山の山号を用いていたとされます。

 

史料によっては

十涯寺や十瀧寺とも記されます。

 

永禄2年の棟札に見られる

南蔵坊というのは

十湾寺に所属する坊と見られます。

 

当山付近にも

南宗坊という地名があり

かつて当山に所属する坊が

あったと言われております。

 

南蔵坊も南宗坊も

十和田湖伝説の南祖坊(なんそのぼう)に

連なるものと考えて

差し支えないかと思います。

 

十和田湖伝説に関係なくとも

「南蔵」や「南宗」の文言は

寺院に用いられることがあるのですが

今回見ているものについては

関係性が十分にあるものなので

南祖坊伝説の「ナンソ」が

踏まえられていると捉えて良いと思います。

 

南祖坊伝説において

熊野信仰は重要な要素の一つといえます。

 

現存するか否かは分かりませんが

『津軽一統志』が伝える永禄2年の棟札は

十湾寺の名が見られる

とても貴重なものといえます。

 

十湾寺については

またの機会に

こちらで紹介させて頂きます。

 

▼油川の熊野宮

▼油川の熊野神社(十三森熊野宮)

鰺ヶ沢(あじがさわ)の魅力に触れる

わさお

イカのカーテン

舞の海はじめ多くの力士で有名な

青森県鰺ヶ沢(あじがさわ)。

 

鰺ヶ沢の

北西にある種里(たねさと)は

津軽藩始祖である

大浦光信公ゆかりの地とされ

“津軽藩発祥の地”とされます。

 

また鰺ヶ沢は

江戸時代から明治時代に至るまで

北前船(きたまえぶね)が

出入りをした海港を持ち

津軽藩における

海運の拠点でした。

 

江戸期の津軽藩(弘前藩)では

青森

鰺ヶ沢

深浦

十三

蟹田

今別

碇ヶ関

大間越

野内

を九浦といいます。

 

この九浦のうち

青森

鰺ヶ沢

深浦

十三

は四浦と呼ばれ

町奉行が置かれたそうです。

 

北前船の寄港地には

航海の無魔安全を願い

寺社仏閣に奉納された

船絵馬(ふなえま)が多く見られます。

 

余談ですが

当山にも江戸期の

“船祈祷”の次第や札がございます。

 

今回は参詣出来ませんでしたが

鰺ヶ沢の“総鎮守”白八幡宮には

多くの船絵馬が

奉納されているそうです。

 

他にも赴いてみたい場所が

いくつかありましたが

時間の関係で叶わなかったので

また足を運びたいと思います。

 

9/7『親子で学ぶ 子ども論語塾』にいらっしゃいませんか?

9/7午前10時より

親子で学ぶ 子ども論語塾

開催されます。

 

子ども論語塾では

福島の川崎葉子さんに

講師としておいで頂き

素読を通じて論語の響きに

触れて頂いております。

 

論語は

2500年前の戦乱の世を生きた

孔子の言行録です。

 

時代は違えども

論語の言葉は

今もなお私たちが生きる上で

大切なことを示しております。

 

1時間という短い時間ですが

子どもたちと一緒に

論語と向き合うことは

とても有意義かと思います。

 

参加者を募集しておりますので

ご興味をお持ちの方は

お気軽にお問い合わせ下さい。

 

※担当者が不在の場合が多いため

ご連絡の際はメールでお願いいたします。

 

メール fugenin643@gmail.com

 

日程:令和元年9月7日(土)

時間:午前10時〜11時

会場:普賢院ふれあい豊山館

会費:500円(テキスト代別途)

令和元年夏の動画日記

本年は行事等の動画を

これまでよりも多く

youtubeにあげております。

 

ここしばらくは

中々手が回りませんでしたが

久しぶりに動画をアップしました。

 

拙僧(副住職)は

機械にそれ程強くないので

動画編集は主に

携帯電話(アイフォン)で

行っています。

 

行事等の様子を伝えるための動画なので

作り込んでいるわけではありませんが

携帯電話で手軽に動画を

編集出来るので

すごい時代だと感じます。

 

ものすごい暑さとなった

令和元年の7月と8月の

作務と寺子屋ワークショップとお盆の

“動画日記”をご笑覧頂ければ幸いです。

 

 

▼作務の様子(2019夏)

https://www.youtube.com/watch?v=ZwriiwrmZOs&t=10s

 

▼写経カフェ(2019/7/25)の様子

https://www.youtube.com/watch?v=C5bojEpebbM

 

▼お寺ヨガ(2019/8/10)の様子

https://www.youtube.com/watch?v=zsMWk__g9bM&t=9s

 

▼お盆法要(2019/8/16)の様子

https://www.youtube.com/watch?v=0YGK8AbCPrs

八甲田雪中行軍の足跡に触れる

8/17に当山を出発し

八甲田経由で青森に入り

鰺ヶ沢へ向かい

8/18に帰山しました。

 

毎度のことではありますが

道中に各所へ立ち寄りながら

学びを深めさせて頂きました。

 

まずは八甲田雪中行軍資料館に

立ち寄りました。

 

明治35年(1902)1月下旬

ロシアとの戦争に向けて

八甲田で行われた雪中行軍は

結果として

山岳史上最悪の遭難事故となり

青森を出発した将兵210名のうち

199名が亡くなりました。

 

記録的な大寒波に見舞われ

体感気温は何と−50℃。

 

知れば知るほど

恐ろしい事故であったと

痛感させられます。

 

お盆の後

多くの人が

おいでになられたお盆が終わり

境内や堂内の静けさが

際立って感じられます。

 

当地も心なしか

静かになったように感じます。

 

当山から

真東にズバッと伸びる道には

人影や車がほとんど見られません。

 

それにしても

山門からのこの景色は

いつ見ても素晴らしいです。

 

まだ暑い日が続きそうです。

 

小休止をはさんで

お盆の片付けをしたいと思います。

 

16日はお盆法要が厳修されます

8月16日は午後1時より

本堂にてお盆法要を厳修します。

 

現在の本堂での

最後のお盆法要なので

いつも以上に丁寧に

お勤めさせて頂きたいと思います。

 

当地では

8月16日にお寺参りをする慣習があり

早朝より多くの方が

いらっしゃいます。

 

お参りの際は

お気をつけてお越しください。

 

お盆の冊子や各リーフレットも

用意しておりますので

お参りの方は

是非お取り下さい。

 

本堂とふれあい豊山館玄関に

本堂建替事業の今後の計画について

掲示しておりますので

そちらにもお目通しして

頂ければと思います。

 

設計前のプランではありますが

新本堂の間取りも

資料として掲示されていますので

是非御覧下さいませ。