アジサイの季節

山アジサイが

梅雨の境内に

彩りをそえています。

 

寺務室の窓から見える範囲に

山アジサイが植わっているので

近頃は意図せずとも

視界に山アジサイが入ります。

 

令和2年も半分が終わります。

 

上半期をふりかえると

様々な部分で変化が著しく

それらへの対応に

心血注いだことが

印象に残っています。

 

このような中でも

いつも通りに花咲くアジサイが

いつも以上に

たくましく

そして美しく感じられます。

 

下半期は

お盆にお彼岸に本堂建替事業にと

序盤から“待ったなし”で

大切な予定が控えています。

 

お寺の行事は

季節とともにあります。

 

本堂建替に向けて

解体工事を控えていますが

いつも通りに

季節の移ろいを感じながら

行事等が行われるよう

諸事滞りなく

進展することを切願しています。

 

心にしみる

本日は

静かで穏やかな時間が

流れた一日でした。

 

午前中は調べものに性を出し

早めのお昼を済ませて

午後の打ち合わせの

準備をしていると

ピンポーンと来客が。

 

いらしたのは

市内のとある葬儀会館の

スタッフの方でした。

 

お話によると

もうすぐ退職なさるとのこと。

 

とてもお世話になった方で

心休まるご対応と優しさが

印象的な方でした。

 

わざわざ

ご挨拶においで下さった

そのお心遣いが

とても身にしみました。

 

その後ほどなくして

本堂建替にあたっての

仏像や仏具の修繕の打ち合わせを

業者さんと行いました。

 

良い方向に話がまとまり

一安心しております。

 

修繕していただく

仏像や仏具は

本年の秋彼岸後に

搬出される予定です。

 

10月頃に現本堂は

解体される予定ですが

仁王門については

仁王像搬出のため

秋彼岸後に仁王門の一部を

解体するそうです。

 

仁王像は修繕にあたり

現色が落とされ

新たに彩色されるため

現在のお姿を見られるのも

あとわずかとなります。

 

一時的とはいえ

しばらくのあいだ

当山の“門番”である仁王尊が

不在になると思うと

どこかさみしさのような

思いがいたします。

 

上半期最後の土日

6月最後の

土日が終わりました。

 

本年3月以降毎週土日は

お弟子さんが来て下さるので

これまで以上に

様々なことが

はかどっております。

 

特に今月は

デスクワークに多くの時間を

さくことが出来たので

これまで手をつけられなかった

作業も一気に進めることが出来ました。

 

来月からは

ウイルス対策に留意しながら

少しづつ催事も再開したいと思います。

 

お盆に向けての準備も

来月からは始まりますし

本堂建替に向けての

建設委員会の会議も

来月以降開催が頻繁に

重ねられることになります。

 

ひとつひとつ丁寧に

向き合わせていただきます。

 

初のオンラインWS

オンラインでの

寺子屋ワークショップ

お寺ヨガ。

 

これまでと

変わらぬメンバーですが

とても新鮮な心持ちでの

ワークショップとなりました。

 

実際に開催してみて

分かることが沢山あり

とても意義深い

お寺ヨガとなりました。

 

オンラインの良い部分は

何といっても

場所をえらばず

どこからでも

同じ時間を

共有出来ることだと思います。

 

試験的意味合いの強い

今回の開催でしたが

ありがたいことに

東京からご参加された方も

いらっしゃいました。

 

東京から

ご参加いただいたことは

我々一同とても嬉く思いました。

 

また

同じ地域にいながらも

昨今の状況で

しばらく会えなかった方と

会うことが出来たことも

嬉しく思いました。

 

そういえば

お寺ヨガのメンバーも

4ヶ月ぶりの集合でした。

 

今回は

オンラインという形での

開催でしたが

同じ時間を共有出来ることの

尊さが身にしみて

感じられました。

 

まだ以前と同じ様には

出来ないと思いますが

出来る形での開催を

重ねたいと思います。

 

記念すべき初オンラインwsを

ご一緒下さった皆様

ありがとうございました!

 

オンラインお寺ヨガの参加者募集中です

6/27午後7時より

寺子屋ワークショップ

お寺ヨガ

オンラインで開催します。

 

参加者を募集していますので

ご都合のよろしい方は

ぜひご一緒下さい。

 

詳細とお申込み方法は

以下のサイトに

掲載しております。

 

それぞれの場所から

同じ時間を過ごす

オンラインお寺ヨガ。

 

画面ごしではありますが

ご参加される方と

お会いするのを

楽しみにしております。

 

▼詳細&お申し込みはコチラ

https://terakoya-ws-terayoga.peatix.com/view

 

写仏のワークショップが行われました

本日は

かなえるデイサービスまる

の皆さんが写仏に

おいで下さいました。

 

当山では久しぶりの

ワークショップでした。

 

ウイルス感染予防をした上での

初開催となりましたが

和やかに仏道に触れていただき

ほほえましい時間を

ご一緒させていただいた

素敵な一日となりました。

 

孔子について

論語について深くは知りませんが…

孔子と論語という

フレーズは大部分の人が

聞いたことがあるでしょう。

 

また

「孔子はどのような人なの?」

「論語はなにがどのように書かれているの?」

と聞かれると困ってしまう

という方も多いと思います。

 

拙僧(副住職)もその一人です。

 

普賢院では

ご縁あって論語をテーマにした

取り組みを平成30年より

行っています。

 

本年は

取り組みにあたって

関係者一同で

論語についてきちんと

学びましょうということに。

 

この機会に

おてらブログでも

論語の基礎的なことを

まとめていきたいと思います。

 

目次

  1. 孔子ってどんな人?

  2. 「三聖」という“くくり方”

  3. まとめ

1.孔子ってどんな人?

孔子という人は

どのような境遇に生まれ

どのような時代を生きたのかは

論語をひもとく上で

重要な意味をもちます。

 

孔子は今から約2500年前の

紀元前552年に

中国山東省・曲阜(きょくふ)の

昌平郷という村で生まれました。

 

父を3才の時に亡くし

母を15才の時に亡くしています。

 

そのような境遇のなか

若き孔子は学問を志しました。

 

そのような

生い立ちを踏まえたうえで

“孔子のダイジェスト”について

まとめられた文章を引用します。

 

孔子は、二千五百年前の春秋時代、中国の魯の国に生まれた大思想家・学者・教育者です。

魯の国の下級役人となり、長い努力の末に五十代で、司法と警察を司る長官になります。

その間、若い弟子たちの教育にも力を注ぎました。

 

戦乱の世に生まれ、理想の政治を実現するためには、よき人物を育てなければならないと考えていた孔子は長官になった後、失脚させられ、そこから苦難の旅を弟子たちと共に十数年間続けます。

 

孔子の考え方の根本は、まず自分の身を修めることです。

特に「仁」ー思いやりの心が大切であると説きました。自分にも人にも、偽りのない誠実さが大事だといっています。しかし戦乱の世では、孔子の考えは、なかなか聞き入れてはもらえません。

晩年はようやく故郷の魯に帰って、書物の編纂をしながら、若い弟子たちの教育に力を尽くしました。

 

気難しく、堅苦しい道徳や倫理ばかりを説いている人物のように思われがちですが、けっしてそのようなことはなく、かなりの苦労人でもあり、人間味豊かでユーモアもある人物像はとても魅力的です。

 

(安岡定子・田部井文雄『心を育てる こども論語塾』ポプラ社、pp.10-11。)

 

孔子は

74年の人生を

送ったとされます。

 

孔子の生きた時代は

まさに戦乱の世・混乱の世。

 

「仁」の大切さを説いた孔子には

約3000人もの弟子がいたそうです。

 

沢山のエピソードが

伝えられているので

事細かに紹介することは

しませんが

生きた時代という点について

一点だけ紹介させて下さい。

 

2.「三聖」という“くくり方”

3人の偉人・聖人を

三聖(さんせい)として

くくって言い表すことがあります。

 

三聖のひとりとして

孔子はしばしば

その名を連ねられます。

 

今回は紹介するのは

様々な「三聖」のうちの1つです。

 

それは

ほぼ同時代を生きた

 

  • 孔子
  • 釈尊
  • ソクラテス

 

という“くくり方”です。

 

くりかえしますが

“ほぼ”同時代です。

 

伝えられる所の

生没年と照らし合わせると

“ほぼ”という意味合いを

ご理解いただけるかと思います。

 

哲学者でもあるヤスパースの

「枢軸時代」という

考え方に通じるものを感じますが

とても有意義な“くくり方”

だと思いますので

紹介させていただきました。

 

3.まとめ

最後に孔子について

簡単におさらいします。

 

  • 故郷は中国山東省
  • 紀元前552年生まれ
  • 早くに父母を亡くし学問を志した
  • 戦乱の世・混乱の世を生きた
  • 74年の生涯だった
  • 根本的考え方は「仁」
  • 弟子は約3000人もいた

 

ザックリですが

孔子について

主なトピックを

挙げてみました。

 

拙僧(副住職)自身は

中国の古典や歴史について

多くの専門的知識を

もちあわせていません。

 

だからこそ

学ばせていただきながら

仏道の観点とも

関係させつつ

孔子や論語とご縁を

深めていきたいと思います。

 

確定的未来を考えてみる

数字から見える確定的未来

2040年になると

全国の自治体の半数近くが

「消滅」の危機にさらされる。

 

河合雅司2017『未来の年表』(講談社現代新書)より

 

今回は

現代に生きる者として

向き合わなければならない

地元の確定的未来について

考えてみたいと思います。

 

普賢院のある

八戸市豊崎町。

 

かつては

七崎(ならさき)と呼ばれ

古い歴史が残る

田園が広がる素敵な地域です。

 

現在は八戸ですが

古くは五戸でした。

 

何年も前から

人口減少や少子高齢化が

叫ばれていますが

実際の所の変化や見通しを

統計や推計を用いて

確認してみたいと思います。

 

目次

  1. 豊崎町の人口の変化

  2. 八戸市の人口の変化

  3. 描きたい「未来」へ

 

1.豊崎町の人口の変化

八戸市HPで公表されている

地区別の人口データのうち

豊崎町の各年4月末日時点のものを

経年比較してみます。

 

和暦(西暦)総人口[M(男性):F(女性)]

として以下のようにまとめられます。

 

  • 平成18年(2006)2,054人[M989:F1,065]
  • 平成23年(2011)1,954人[M929:F1,025]
  • 平成28年(2016)1,757人[M836:F921]
  • 令和2年  (2020)1,599人[M764:F835]

 

減少の要因は

転出や死亡など様々ですが

少子高齢化の影響が

大きいことは

言うまでもありません。

 

次に

同じ要領で

八戸市の総人口について

見ていきましょう。

 

2.八戸市の人口の変化

今度は八戸市の総人口は

次のようになります。

 

  • 平成18年(2006)249,559人
  • 平成23年(2011)241,427人
  • 平成28年(2016)234,774人
  • 令和2年  (2020)226,477人

 

「八戸市人口ビジョン」によれば

推計人口は次のようになります。

 

  • 令和12年(2030)197,421人
  • 令和22年(2040)172,744人
  • 令和32年(2050)147,016人
  • 令和42年(2060)122,031人

 

平成18年4月末日〜令和2年4月末日の

14年間で23,082人の人口減少ですが

推計人口では

減少のスピードが加速し

今後10年で約29,000人の

人口減少が見込まれています。

 

3.描きたい「未来」へ

数字で描かれる

確定的未来。

 

真正面から見つめた上で

どのような「未来」を

描いていくかを

私たちそれぞれが

それぞれの分野で

考えなければなりません。

 

すでに

めまぐるしい

大きな変化の中に

いる私たちですが

このような時こそ

(常に大切なことですが)

「意」(心)について

問われているように思います。

 

仏道の

唯識(ゆいしき)という

考え方では

「意」(心)により

あらゆるものが

生み出されるとされます。

 

皆さんは

どのような「未来」を

思い描きたいですか?

 

「このようにしたい」

「このようになりたい」

という思いもまた

時代を作る上で

求められるものです。

 

思い描きたい「未来」を思い描く

「意」(心)そのものを

ととのえながら

“現実”をしっかり踏まえ

思いを「未来」へはせながら

歩みを進めていく。

 

当山としても

出来ることを重ねながら

「未来」に向けても

思いをはせながら

これからを

過ごしていきたいと思います。

 

安心の合葬墓とは?

安心の合葬墓とは何か?

「将来のために、永代供養を今のうちから考えないと…」

「跡継ぎがいない人は、お墓をどうすればいいのか…」

 

そのようなお悩みを

多くの方がお持ちです。

 

普賢院では

このようなお悩みを

少しでも解消すべく

合葬墓(がっそうぼ)を

建立する予定です。

 

合葬墓は

様々な不安を抱かれる方に

安心を与えられる

ひとつの方法として

最近全国各所で

需要が高まっています。

 

今回は合葬墓について

簡単にまとめてみようと思います。

 

 目次
  1. 合葬墓とは何か?
  2. 場所によって異なる内容
  3. 普賢院の考える合葬墓
  4. まとめ

1.合葬墓とは何か?

合葬墓は「合同で使用するお墓」です。

 

管理者はケース・バイ・ケースで

お寺が管理する場合もあれば

自治体が管理する場合もあります。

 

八戸において

合葬墓あるいは永代供養墓を

用意しているお寺は

全体の9割にのぼるそうです。

 

その一方で普賢院には

まだ用意がありません

(令和2年6月21日時点)。

 

2.場所によって異なる内容

合葬墓と言っても

どのように管理運営されているかは

千差万別です。

 

最近はインターネットで

合葬墓や永代供養について

まとめられている

サイトも多くあります。

 

ですが

合葬墓や永代供養を

ご検討の方は

インターネットの情報のみではなく

専門家にお話を聞いてみたり

実際にどのような場所で

どのような管理者により

どのような形で

ご供養されるのかを

確かめることをお勧めします。

 

3.普賢院の考える合葬墓

普賢院では合葬墓を

歴代住職墓の隣に建立します。

 

合葬墓本尊としては

不動明王を安置いたします。

 

合葬墓へは

専用の布袋を用いて

納骨します。

 

位牌堂に納骨棚も設置したので

納骨棚と連携させた形での

ご供養も可能です。

 

要するに一定期間

納骨棚に安置した後の

合葬墓への納骨が

出来るということです。

 

普賢院では

合葬墓ご使用にあたり

当山の理念・護持・運営に

ご賛同いただきたいと

考えています。

 

規約や使用料については

有縁の方々にご意見を

うかがいながら

内容を詰めている所です。

 

※当山の合葬墓の

ご使用をご検討の方は

お気軽にご相談下さい。

 

4.まとめ

今回の記事には

「安心の合葬墓」という

タイトルをつけましたが

安心するために

大切なポイントは

 

  • 調べること
  • 確かめること

 

だと言えます。

 

特に「確かめること」が重要です。

 

この2点の大切さは

合葬墓や永代供養のみならず

お寺をお探しの場合も

あてはまることだと思います。

 

以上

今回は合葬墓をテーマに

記させていただきました。

 

▼合葬墓本尊

 

▼納骨棚(位牌堂脇祭壇の地袋に設置)