青春の歌

学生時代はカラオケで

親しい友人と

よく歌を歌ったものです。

 

皆様にとっての

青春の一曲は何ですか?

 

『嗚呼、青春の日々』(ゆず)

という有名な歌があります。

 

この歌は

高校時代から

親しい友人達と

よく歌った一曲です。

 

本当によく歌いました。

 

よく歌ったので

歌詞は今でも

しっかりと覚えています。

 

調べてみると

『嗚呼、青春の日々』

という歌は

亡くなった親友への

おもいを綴ったものなのだそうです。

 

最近になって

久しぶりに

この想い出に溢れた一曲を

聴いてみました。

 

想い出に溢れた一曲だけあって

色々と思い出されて

心に染み入りました。

 

以下

その歌詞の一部です。

 


そっちの世界は一体どんなだい?

俺もそのうち行くけどさ

 

その時までめーいっぱい

悩むこともあるけれど

自分なりに生きてゆくよ

 

この唄は聞こえているのかい

もし聞こえているのなら

下手くそな唄一緒に歌おうぜ

 

嗚呼 嗚呼 青春の日々よ

嗚呼 嗚呼 青春の日々よ

嗚呼 嗚呼 懐かしき町よ

嗚呼 嗚呼 素晴らしき友よ

嗚呼 嗚呼 美しき命よ

嗚呼 嗚呼 青春の日々よ


 

普段から拙僧(副住職)は

有縁の皆様と

葬儀や法事など

“命に向き合うひととき”を

ご一緒させて頂いております。

 

施主やそのご家族ご親族が

このひとときに

捧げられているおもいは

きちんと届いていますか?

このお経は聞こえていますか?

と自心の内で問いかけることがあります。

 

人の歩みは

唯一無二の「命の物語」です。

 

そして

ご供養にはご供養の

「物語」があり

「命の物語」の続きと

いえるかもしれません。

 

ご供養は

生きる私達が

施主となるものです。

 

先立った大切な方の

「命の物語」の続きを紡ぐのは

今を生きる私達なんだと思います。

 

人は誰しもが

命を全うする

その時を迎えます。

 

その時まで

“目一杯”“自分なりに”

歩みを進めて

自身の命を全うすることが

「仏道におけるご供養」において

大切なことなのだろうと

感じております。

 

はっちで出張法話トーク

八戸中心街にある

ポータルミュージアムはっち

開催された

アロマフェア八戸

出張法話トーク 香りとこころ

という一コマを担当させて頂きました。

 

いつもお世話になっている

アロマテラピストである

ひつじやの小松美央さんとの

ご縁でお引き受けした次第です。

 

お寺でのご法事を終えてから

会場に赴き

用意して頂いたスペースで

気ままにお話させて頂きました。

 

香りと仏道は

とても関わりの深いものです。

 

仏道と関わらせながら

「香りとこころ」について

伝えさせて頂いたつもりです。

 

アロマフェア八戸では

アロマに関する

様々な出店がされており

とても良い勉強になりましたし

今後に繋がるような

新たなご縁を結ばせて頂くことも叶い

充実した機会だったと感じております。

 

こういった場所で

お話をするという機会は

これまで無かったことなので

良い経験をさせて頂き

感謝しております。

 

不動明王の護摩を修法いたしました

28日は不動明王の縁日です。

 

ご縁があり

本年は毎月28日に

不動護摩(ふどうごま)を

修法しております。

 

今月のご縁日は

つい先日修復を終えたばかりの

不動明王像を本尊として

護摩(ごま)を修法させて頂きました。

 

護摩とは火の修法です。

 

立ち上がる炎は

仏の智慧であり

不動明王そのものでもあるとされます。

 

立ち上がる炎越しに見える

装い新たな不動明王のお姿は

何とも神々しいものがありました。

 

今月も無事に

お勤めさせて頂いたことを

ありがたく感じます。

 

御山 岩木山を拝む

津軽の名峰・岩木山(いわきさん)。

 

標高1625メートルの雄大な岩木山は

御山(おやま)として

親しまれ崇められてきました。

 

岩木山は山自体が“御神体”とされます。

 

弘前に赴いた際に

岩木山スカイラインを通り

八合目まで車で登り

さらにそこからリフトで登りました。

 

見下ろせば雲海が広がり

見上げれば山頂がそびえる光景は

とても神々しいものでした。

 

伝説とつながる南祖祭(なんそさい)

当山には

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)の御像である

南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)

がお祀りされます。

 

南祖坊(なんそのぼう)は

当山第2世の月法律師(がっぽうりっし)

の弟子として修行修学に

励まれたと伝えられます。

 

そういったご縁で

南祖坊の祭事と

伝説にまつわるお話を聞く

南祖祭(なんそさい)を

開催いたしました。

 

祭事では

開式にあたり

“お遍路ニスト”として

全国各地を巡られている

中野太陽さんに法螺貝を

吹いて頂いてお清め頂き

法要の中では巫女さんの

おときたさちこさんに

祝詞をあげて頂きました。

 

祭事の後は

ゲストスピーカーとして

髙山正道さんに

太陽信仰の観点から

南祖坊伝説について

お話頂きました。

 

髙山さんのお話は

実に興味深いもので

本当に素晴らしい内容でした。

 

様々なご縁のおかげで

短い時間でしたが

とても濃密な南祖祭となりました。

 

十和田湖の聖地覚書③ 占場(うらないば)

十和田湖屈指の聖地とされる

占場(うらないば)。

 

そこは

南祖坊(なんそのぼう)が

入定(にゅうじょう)し

青龍権現(せいりゅうごんげん)という

十和田湖の龍神と

化したとされる場所です。

 

占場へは

断崖絶壁にかけられている

とても長い鉄ハシゴで下るのですが

現在は通行禁止となっております。

 

今回は十和田湖自然ガイドクラブの

皆様が諸々を手配して下さり

占場へ赴くことが出来ました。

 

占場の水辺から水中を覗いてみると

断崖のようになっており

1〜2メートル先から

いきなり深くなっていました。

 

占場は

中山半島の東側位置し

中湖に面しております。

 

中湖は十和田湖の中で

最も水深があります。

 

視線の先には

御倉半島が見えます。

 

御倉半島は半島そのものが

神聖な場所とされています。

 

御倉半島が龍の頭で

中山半島が龍の尾にあたる

との言われもあるそうです。

 

占場(うらないば)という

名前が示す如く

こちらは卜占(ぼくせん)等が

行われていた場所です。

 

占場はオサゴ場とも呼ばれ

そちらで占いをすることは

「オサング打ち」

「サング打ち」等とも

呼ばれるそうです。

 

おより紙(御依紙)を湖水に放ち

その沈み具合により

“神意のおうかがい”が

なされたりしたようです。

 

占場は地形的に

風の影響があまりない

場所でもあるようです。

 

「サング」を漢字表記すると

おそらく「散供」という字が

あてはまるかと思います。

 

散供とは

神仏に“お供えを捧げる”ことで

修法の作法でもあります。

 

「打つ」というのは

“祈りを捧げる”といった意味合いです。

 

観音霊場を巡礼して祈りを捧げることを

「札を打つ」とか「札打ち」

と言うことがありますが

「サング打ち」の「打つ」も

同様の意味合いがあると思います。

 

占場の湖底からは

多くの古銭が引き揚げられており

多くの人により

祈りが捧げられていたことが分かります。

 

南祖坊は

当山第2世の月法律師(がっぽうりっし)の

弟子として当山で修行され

その後に全国を巡礼巡行した果てに

十和田湖に入定し

青龍権現となったとされます。

 

その伝説の

象徴的スポットの1つが占場ですし

南祖坊の“入水入定”は

とても重要な諸要素やテーマを

宿しているといえます。

 

この点については

また改めて伝えさせて頂きたいと思います。

 

十和田湖の聖地覚書② 自籠岩(じごもりいわ)

南祖坊(なんそのぼう)が

座って修行したとの伝えがある

自籠岩(じごもりいわ)。

 

十和田湖の聖地の1つとして

神聖視されているそうです。

 

自籠岩へ行くべく

西湖側からボートで

中山半島へ上陸しました。

 

ボートをつけて頂いた所には

「正福龍神大神」と記された

鳥居があり

その奥には祠がありました。

 

『十和田湖歴史散策マップ』によると

ここには夫婦の龍神が

お祀りされているとのいわれが

あるそうです。

 

この祠から

険しい“道なき道“を進み

岩石に取り付けられた

鉄のハシゴをのぼり

ようやく目的地に

たどり着くことが出来ました。

 

自籠岩は

地元の地勢を熟知している

十和田湖自然ガイドクラブの

皆様のご案内がなければ

たどり着くことが

出来ないような

難易度の高い場所にあります。

 

ただ自籠岩への道程は

山岳修行を“体感”して頂けるような

“充実感”があるように思いました。

 

多くの修験者が山岳修行に

励んでいたとされる十和田湖。

 

自籠岩への道のりは

かつての修験者が

辿ったであろう道

眺めたであろう光景などに

触れることを通じて

“歴史を感じる”ことが出来る

尊い道のりだと感じました。

 

 

▼天高(狗)森岩

自籠は地高森とも記されていたようです。

 

自籠岩の岩上から東を眺めると

一層高い岩山がそびえ

天高森あるいは天狗森と呼ばれるそうです。

 

▼自籠岩岩上からみた十和田湖(西湖)

千手観音のお身拭い

「青森の円空」とも呼ばれる

奇峯学秀(きほうがくしゅう、以下「学秀」)

御作の千手観音像の

お身拭いを行い

安置方法を改めました。

 

何年分か不明ですが

相当量の汚れをまとっていたので

筆を用いて塵を落としました。

 

大量の塵が払われ

千手観音像の表情も

心なしか一層穏やかに感じられます。

 

こちらの仏像は本年初頭に

学秀仏(学秀が彫った仏像の意)

であることが判明したばかりです。

 

さらに当山では

本堂の建替を予定しているということもあり

この千手観音像を今後どのように

お祀りするかを様々に

検討しております。

 

学秀御作の千手観音の

安置場所や安置方法は

大方定まったので

細かな部分については

本堂建替事業の推進と共に

進めていければと思います。

 

現在は学秀千手観音を観音堂の

八体仏(十二支守護尊)が

お祀りされている

脇堂上段中央に

お祀りしております。

 

千手観音は蓮華王とも称される

とても尊い観音様なので

お参りの際は

是非祈りをお捧げ下さいませ。

十和田湖の聖地覚書① 奥の院(御室)

当山は

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)が

修行したと伝えられるお寺です。

 

6/26は南祖坊の祭事を行います。

 

「祭」は伝承や伝説などの“物語”と

向き合う場であり

“つながる”場です。

 

十和田湖伝説と向き合うひとときを

ご一緒してみませんか?

▼6/26南祖祭のご案内

https://fugenin643.com/blog/626南祖祭を開催します/

 

十和田湖とその周辺には

南祖坊伝説を今に伝える場所や

十和田信仰の祈りの痕跡や

山岳修行の行場と思われる場所が

多く存在します。

 

6/19に十和田湖自然ガイドクラブの

皆様に“十和田湖三大聖地”を

ご案内頂きました。

 

その際の記録を

覚書という形で

簡単にお伝えいたします。

 

まずは御倉半島にある

奥の院についてです。

 

奥の院は

御室(おむろ)とも呼ばれています。

 

その場所には

ボートで向かいました。

 

▼奥の院入口

奥の院入口には

ハシゴが架けられています。

 

ちょっと前(2〜30年前?)までは

例祭の前夜祭の時に

ボートに数名でこちらへ

参詣されていたそうです。

 

その際は

奥の院に“上陸”するために

ボートにハシゴを積んでいたそうです。

 

▼奥の院の中

 

▼木札には「熊野」の文字

 

▼入って正面に広がる同心円状紋

同心円状紋は「龍の眼」とも

捉えられているそうです。

 

とても神秘的です。

 

この空間は手掘りで

作られたようで

修験窟としても使われていたと

考えられているそうです。

 

▼祠に向かって右奥の窟

▼祠に向かって左奥の窟

いずれも一説によると

20間(約36メートル)の深さがあるそうです。

 

コウモリが棲んでいるようで

私達が奥の院に入った時

奥に飛んでいくのが見えました。

 

“龍の棲家”とのいわれもあるとか。

 

ついでですが

当山にも写本が残る

『十和田山神教記』(とわださんじんきょうき)

という十和田湖伝説が記された書物冒頭で

廿尋(約36メートル)余りの青龍

忽然と顕れる場面があります。

 

この場面に登場する

具体的なスケールは

“奥の院の龍穴(りゅうけつ)”を

踏まえての描写である可能性が

あるかもしれません。

 

▼内側より見た奥の院入口

西を向いているため

午後は日が差し込み

日没も拝めるとのこと。

 

奥の院から西には

十和田湖の中湖が広がり

その先には十和田神社のある

中山半島が位置します。

 

各所の

「位置」や「方向」についても

沢山触れたいことがあるのですが

またの機会にしたいと思います。

 

この奥の院の空間は

室戸岬における弘法大師の

明けの明星伝説を思わせるような

空間だと感じました。

 

弘法大師空海上人は

真言宗の宗祖で

全国各地に伝説が残ります。

 

十和田湖伝説を伝える際に

南祖坊は十和田湖に

入定(にゅうじょう)した

という言い回しがよくされますが

この入定信仰(にゅうじょうしんこう)

は十和田湖伝説を

紐解く重要なキーワードといえます。

 

この点についても

記し始めると

終わらなくなってしまうので

またの機会に触れさせて頂きます。

 

奥の院は

御室(おむろ)とも呼ばれますが

この名称は真言宗と

とても関わりのあるものです。

 

具体的には

京都の仁和寺と関わる名称です。

 

仁和寺は

真言宗御室派の本山でもあります。

 

当山の前身である永福寺では

仁和寺の皆明院から

住職が迎えられることもありました。

 

専門用語で

院家兼帯(いんげけんたい)という形で

永福寺と仁和寺皆明院は

深く関わっております。

 

こういった歴史的背景が

十和田湖に見られる御室

という名称の根拠となっている

可能性が考えられます。

 

御室のみならず

十和田湖に関係する用語には

真言宗ゆかりのものが

チラホラ見られます。

 

その点についても

折に触れて紹介させて頂きます。

 

まとまりに欠けますが

こんな感じで「6/19の覚書」を

“気まぐれに”

数回に分けて投稿したいと思います。

如来のいのちを生きる

当山では月に2回

御詠歌(ごえいか)を

お伝えしております。

 

御詠歌とは

七五調の詩

あるいは

五七五七七の

三十一文字(みそひともじ)の

和歌に節をつけてお唱えする

“仏讃歌”です。

 

御詠歌には流派があり

当山では豊山流(ぶざんりゅう)

という流派の御詠歌を

お伝えしております。

 

豊山というのは

奈良県桜井市にある

当山の本山である長谷寺の

山号(さんごう)であり

真言宗豊山派という派の名の

由緒となっております。

 

拙僧(副住職)にとって

御詠歌はとても大切なもので

強い思いをもって

向き合わせて頂いております。

 

豊山流御詠歌の中に

不動明王和讃(ふどうみょうおうわさん)

という曲があります。

 

如来のいのち

生きる身の

まことの幸せ守(も)りたもう

誓いたのもし不動尊

(不動明王和讃 第一節)

 

人は誰もが

仏であると説かれます。

 

仏としてのいのちを

私達は生きており

その歩みを守る誓いを

不動明王は宿していることを

この和讃の一説は伝えております。