急遽の護摩に思う

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当山本堂は

本尊が祀られる内陣の隣に

観音堂が設えられております。

 

現在当山において

本尊の御宝前では

正月や彼岸やお盆の法要はじめ

重要な各種法会(ほうえ)や

ご供養が執り行われる一方で

観音堂では

御祈願を主とした法会や

札所巡礼のお参りが

なされております。

 

明治時代になるまでは

観音堂は現在の七崎神社の地に

建立されており

徳楽寺という寺号が

用いられていたのですが

神仏分離の処置を受け

旧観音堂(徳楽寺)は廃寺となり

七崎神社に改められ

七崎観音などの仏像は

当山本堂へ遷座されました。

 

先にお伝えした

本尊御宝前での修法と

観音堂での修法の

“意味合い”が異なるのは

本堂と観音堂の“性格の違い”と

いっても良いでしょう。

 

かつての本堂

(本堂のある境内地)は

「根本中堂」「根本道場」であり

得度(出家)した僧侶が

師匠(阿闍梨)より伝授を受けたり

講伝を受けたり

修行をするお堂でもあるので

一般参詣者が気軽かつ自由に

出入りをしたり

お参りが出来る場所

というわけではありませんでした。

 

今でもそうですが

出家僧でしか出仕できなかったり

様々な条件を満たさなければ

臨むことが許されない

法会や行事は多々あります。

 

本堂は“出家僧向けのお堂”と

いうことが出来るかもしれません。

 

補足ですが

本堂という言葉は

「根」の略であるとか

」の略であるという

いわれがございます。

 

ただ単に仏像が祀られているお堂が

本堂ということではありません。

 

専門性が高いかもしれませんが

本堂という言葉には

きちんとした意味があります。

 

本堂が主に出家僧の行事等が

催されていた道場である一方で

七崎の観音堂は

“稀代の古刹”と謳われる程に

藩よりの信仰が篤く

一般参詣者もすこぶる多く

お仕えしていた修験者・山伏も存在し

様々な祭事が行われておりました。

 

現在の当山における

本尊御宝前と観音堂における

法会等の主旨の違いは

かつての本堂と観音堂の

性格の違いの名残といえます。

 

この辺のことは

専門的に通じていなければ

中々分かりにくい所かもしれませんが

きちんと踏まえるべきことと思われます。

 

さて

ここまでは前置きでして

本日午前中に有縁の方より

護摩祈祷のお願いをされました。

 

お話によると

毎月28日(不動明王縁日)に

護摩をお願いしている御寺院様が

諸事情により護摩を休会する

ことになったようで

当山に問い合わせられたそうです。

 

拙僧(副住職)も

午後であれば都合がついたので

不動明王の護摩を

修法させて頂きました。

 

導師一人での護摩なので

数名で厳修する

厳かさとは趣が異なりますが

粛々とした護摩も心地よいものです。

 

普段の御祈願では

お願いされない限り

護摩を修法することは

ありませんでしたが

これを機に

毎月護摩を修法したり

定期的に修法するのも

良いかもしれないと感じた

お不動様の御縁日となりました。

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3/10命灯会(みょうとうえ)〜復興祈願・物故者供養と龍の特別授業〜

3.11から

もうすぐ8年が

経とうとしております。

 

震災復興への願い

物故者供養への思いを込め

気仙沼で作られた

命灯会(みょうとうえ)ロウソク

というロウソクがあります。

 

このロウソクを使い

3/10午後1時より

復興祈願・物故者供養の法要を

当山本堂にて行います。

 

また法要後には

「龍の特別授業」を開催します。

 

龍の特別授業は

昨年11月に続いて2回目の

開催となります。

 

今回も当山副住職に加え

“龍使い”ハーモニールイさんにも

お話頂きます。

 

ご都合のよろしい方

ご興味をお持ちの方は

是非ご一緒下さいませ。

 

日程:平成31年3月10日

時間:午後1時〜3時頃

会費:2000円

※会費の一部は国内の復興支援を

含めた国際協力活動への

寄付にあてさせて頂きます。

会場:普賢院本堂

 

 

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ふらりと港町へ仏像調査

調査研究の一環で

八戸市港町にございます

護国山十王院(浄土宗)を

訪ねさせて頂きました。

 

お忙しいにも関わらず

十王院副住職様の

ご丁寧なご案内とご厚意の

おかげもあり

満足のいく調査が出来ました。

 

ちなみにですが

現在拙僧(副住職)は

江戸中期の

津要玄梁(しんようげんりょう)

という僧侶について

調査しております。

 

特にこの方が造られた

仏像について調べておりまして

津要玄梁の御作である

地蔵菩薩像(市指定文化財)を

拝見させて頂くべく

港町まで足を伸ばした次第です。

 

当山には十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)の御像である

南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)

がお祀りされておりますが

とても特徴ある風貌をしており

独特の「刀痕」が見られます。

 

この御像が

津要玄梁の仏像の作風と

似ているように思われるのです。

 

拙僧(副住職)が

調べた範囲での推測ですが

南祖法師尊像は津要玄梁が

晩年(亡くなる当年〜2年前)に

彫られた可能性があります。

 

津要玄梁は晩年

右手が不自由となり

左手で作業をしていたそうです。

 

津要玄梁御作と推測される

根拠について整理を行いつつ

調査を進めたいと思います。

 

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▼南祖法師尊像(普賢院)

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青森の円空 奇峯学秀(きほうがくしゅう)②

当山観音堂に

奇峯学秀(きほうがくしゅう)御作の

千手観音像が祀られていることが

先日確認されました。

 

ご確認頂いたのは

ごのへ郷土館館長の木村明彦館長と

奇峯学秀の末裔でもある釜渕嘉内氏の

お二人です。

 

2月22日に地元紙の

デーリー東北と東奥日報の各記者と

先のお二人に当山へおいで頂き

取材して頂いた際に

木村館長が奇峯学秀についての

資料を作成して下さいました。

 

奇峯学秀は田子町の

釜渕家出身の高僧で

名久井の法光寺に入門し

後に九戸の長興寺

八戸の大慈寺の住職を

務めた方です。

 

出生年代は不明ですが

元文4年(1739)に名久井の

顧養庵(こようあん)にて

82歳頃で入滅されたそうです。

 

行年が82歳として

没年の1732年から82を引くと

1657となります。

 

1657年は明暦3年です。

 

明暦前後の年号は明暦含め

承応(1652〜1655)

明暦(1655〜1658)

万治(1658〜1661)ですので

この辺りの生まれとなるようです。

 

この時期の

当山の歴史と学秀出生を

重ねてみると

当山では観音堂と末社十二宮が

再興されております。

 

落雷により観音堂が

焼失してしまったため

28代藩主・南部重直公により

御再興頂いております。

 

この観音堂は

現在の七崎神社の地に

建立されていたもので

七崎山 徳楽寺という

寺号が用いられておりましたが

明治になって廃寺となりました。

 

学秀の出生と同時期の

観音堂と末社十二宮の

再興棟札には

承応3年(1654)2月に事始

明暦元年(1655)9月に遷宮畢

と記されております。

 

当山の前身である永福寺は

南部盛岡藩が盛岡に

居城するにあたり

不来方城(盛岡城)の

鬼門の位置に

本坊が構えられます。

 

寛永2年(1625)12月には

27代藩主・南部利直公により

永福寺自坊でもある普賢院は

祈願所とされております。

 

寺院の本末関係や

藩領における統制が

整えられる中で

南部藩の祈願所である

七崎永福寺を“正式な形”で

(自坊という形ではありますが)

普賢院が引き継いだことになります。

 

当山を祈願所と定めた

南部利直公は十和田湖伝説に

登場する南祖坊(なんそのぼう)の

生まれ替わりであるとの

いわれがある藩主です。

 

南祖坊は

当山2世の月法律師に

弟子入りしたとされます。

 

また学秀が住職を務めた

大慈寺は最初

八戸の松館に建立されますが

利直公が開基されたお寺です。

 

この利直公も

学秀と同じく田子の出身です。

 

こういったことも

当山と学秀を結びつける

重要な要素といえるでしょう。

 

高僧・奇峯学秀の生きた時代を

当山の歴史や

仏道的視点を踏まえながら

「青森の円空 奇峯学秀」

と銘打ち何回か投稿したいと思います。

 

なぜ当山に学秀仏がお祀りされたのか

ということをテーマの1つとして

拙僧(副住職)なりの考察を交えつつ

試論として記してみたいと思います。

 

【関連記事】

▼糠部五郡小史に見る普賢院

https://fugenin643.com/blog/糠部五郡小史に見る普賢院/

 

▼稀代の古刹 七崎観音③

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/十和田湖南祖坊について/稀代の古刹七崎観音参/

 

▼稀代の古刹 七崎観音⑦

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/十和田湖南祖坊について/稀代の古刹七崎観音七/

 

▼南祖坊伝説の諸相⑧

https://fugenin643.com/blog/南祖坊伝説の諸相⑧/

 

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おすそわけ

今月も「おそなえ」を

「おさがり」として

「おすそわけ」させて頂きました。

 

おてらおやつクラブの活動として

当山では月に一度

発送作業を行っております。

 

お供物に通わされ捧げられた

お心そのものが巡らされる

尊い活動であると捉えて

活動に取り組んでおります。

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学秀仏の千手観音像が記事で紹介されました

先日“発見”された

奇峯学秀(きほうがくしゅう)御作の

千手観音像について

地元紙である

デーリー東北と東奥日報で

紹介されました。

 

奇峯学秀は田子町の釜渕家出身とされ

八戸大慈寺の住職も務めた高僧です。

 

「東北の円空」

「青森の円空」とも呼ばれます。

 

当山と奇峯学秀の関係を考察すると

様々なことを指摘出来そうです。

 

この点については

少しづつ深めたいと思います。

 

“埋もれていた歴史”が

現在このタイミングで

再び掘り起こされるに至るまでには

様々なご縁の巡り合わせがありました。

 

そういった尊いご縁が

発見へと導いてくれた

学秀仏・千手観音。

 

伝えるべき「物語」が

また1つ当山に加えられたことを

心より光栄に思います。

 

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七崎聖観音おこもり護摩法要アーカイブ2019

平成31年2月21日

(旧暦1月17日)午後8時より

厳修された

七崎観音(ならさきかんのん)

おこもり護摩法要。

 

沢山のご縁が交差して

とても尊い時間となりました。

 

本年も拙僧(副住職)が

奈良県の総本山長谷寺での

修行時代を共にした

お三方に遠方より

かけつけて頂きました。

 

愛媛県松山市別府町の

飯岡山浄明院より

森脇宥海(ゆうかい)師。

 

東京都江戸川区小岩の

星住山善養寺より

名取玄喜(げんき)師。

 

東京都足立区江北の

草堂山地福寺より

石井文教(ぶんきょう)師。

 

お三方のおかげで

とても厳かな護摩法要となりました。

 

また本年も方々より

とても多くの方にご参会頂き

盛況に結ばれたことを

心より喜んでおります。

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願いを清め成就を祈る

年に一度の

七崎観音(ならさきかんのん)

おこもり護摩法要が厳修され

本年も多くの方に

おいで頂きました。

 

現在の本堂は

近い将来建替のため

取り壊される予定なので

今回が現在の本堂での

最後の護摩法要となる

可能性が大いにあります。

 

そういった中での

賑やかな護摩法要だったので

色々と感慨深いものがありました。

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年に一度の「観音祭」

当山本堂内の観音堂内殿中央に

祀られる聖観音(しょうかんのん)は

七崎観音(ならさきかんのん)と呼ばれ

平安時代より大切にされてきました。

 

現在は年に一度

旧暦1月17日にのみ

御開帳されます。

 

御開帳当日(本年は2/21)は

御宝前にて

護摩法要(ごまほうよう)が

厳修されます。

 

本堂の設えが厳かな

護摩法要仕様に整いました。

 

本年も無事に

年に一度の“お祭り”を

迎えられそうです。

 

▼護摩法要の詳細はコチラ

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

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怒涛の2日間

2/18は始発の新幹線で上京し

大本山護国寺に隣接する

宗務所での

御詠歌研修会に臨み

同日午後は

現代教化研究所の

所内会に出席し

所内会終了後に

金沢への有志研修ということで

金沢入りして一泊し

翌日は金沢21世紀美術館にて

「DeathLAB:死を民主化せよ」

という展覧会へ赴き

更に鈴木大拙館を見学させて頂き

昼食後に一路八戸を目指し

無事に八戸に戻りました。

 

目まぐるしくも

学びに満ちた2日間でした。

 

▼DeathLAB:死を民主化せよ

https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1763

 

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