法衣の準備三昧な1日でした

本年12月11日には

先代住職本葬と

現住職晋山式(しんざんしき)

翌12日には

本堂落慶式(らっけいしき)

を厳修いたします。

 

法要は17名の御寺院方に

お手伝いいただく予定です。

 

東北有縁の御寺院方や

拙僧泰峻の修行同期の御寺院方に

おいでいただいての

大きな法要となります。

 

おいでいただく御寺院方には

晋山と落慶の記念品として

法衣(ほうえ)を

仕立てさせていただきます。

 

昨日に法衣店との打ち合わせがあり

どのような形の法衣を

用意させていただくか

方針が定まったので

本日は各御寺院様方に

寸法をお尋ねするための資料を作成して

連絡させていただきました。

 

結局この作業に

本日は丸一日

費やすことになりました。

 

晋山式は

住職1代につき1度限りのことですし

本堂落慶式は

何百年に1度という稀有な機会となります。

 

そのようなタイミングゆえ

出来る限り

細部に至るまで

しっかりと整えたいと思います。

 

道筋が見えてきました

本日は午後1時より

本堂建設の施工部会が開催され

午後4時からは

法衣店との打ち合わせがありました。

 

施工部会は

これまで月に1度の開催を

重ねてまいりましたが

会議の内容も最終段階であると

感じています。

 

役員の皆様はじめ

有縁の皆様のおかげと

いつも感謝しております。

 

法衣店との打ち合わせでは

晋山・落慶記念として

有縁の御寺院さまへ

お渡しする記念品の検討や

儀式で用いれれる衣や袈裟の

相談をさせていただき

話がうまくまとまり

とても安心しました。

 

ざっくり曖昧なものが

はっきり明確になり

進むべき方向の道筋が

徐々に見えてきたように思います。

 

きれいな仁王門

本日

仁王門の足場が外されました。

 

足場があるのとないのとでは

見栄えが全く異なり

一層立派に感じられます。

 

仁王門に祀られる仁王様も

喜んでおられるものと

思いを馳せております。

 

さて

本年7月以降は

大きな儀式が

いくつも控えております。

 

どれも

周到な準備が必要なうえ

拙僧泰峻自身の

修行が求められるものもあります。

 

諸々の儀式に向け

6月から本腰を入れて

修行・研鑽に励ませていただきながら

準備に取り組みたいと思います。

 

▼before

 

▼after

賽銭箱をご奉納いただけることになりました

現在仮本堂として

使用している会館1階を

薬師如来を本尊とする「薬師堂」

として第2本堂のように

空間を整えるべく

あれこれ思案していた所に

五戸木工の社長さんから

お電話をいただきました。

 

お話しを伺いますと

ありがたいことに

賽銭箱を新たに製作して

奉納していただけることになりました。

 

五戸木工さんは

須弥壇の修繕や

導師まわりの仏具修繕ほか

色々と手掛けていただいております。

 

とてもありがたいお話しで

心より感謝いたします。

 

“薬師堂整備”のため

いくつか五戸木工さんに

相談したいことが発生した

というタイミングで

お電話をいただいたのもまた

不思議な巡り合わせと感じます。

 

本日夕方に

五戸木工社長である中野久男さんが

おいで下さいまして

賽銭箱ご奉納のお話しを

改めて伺わせていただいたうえ

思案していることについても

相談させていただきました。

 

気がかりであったことを

相談させていただけて

少しホッとしたように思います。

 

今週日曜には

建設委員会の会議があるので

その時に

今回の件についても

皆様に改めて相談させて

いただきたいと考えております。

 

総代さんの葬儀でした

本日は

普賢院の総代を担っていただいた方の

葬儀が執り行われました。

 

口数は多くはなく

誠実に黙々と

諸事ご尽力下さった

生前のお姿が

鮮やかに思い出されます。

 

とても穏やかなお顔のご遺影で

今も安らかな境地から

お見守り下さっているように

思われました。

 

長い間

お力添え下さったことへの

感謝の思いも重ね

つつしんでお弔いの儀式を

ご一緒させていただきました。

 

新しい本堂の完成を

その目でご覧になって

いただきたかったという

思いが正直あります。

 

本堂建替は

議事として取り上げられてから

今日に至るまで約10年の

月日が経過しています。

 

その間には

沢山の出会いがある一方で

沢山のお別れがありました。

 

これまで

何度もお伝えしたように

今進められている本堂建替は

単に建物を建替えるという

意味に留まるものではありません。

 

深い意味のある

仏道としての浄行であると

拙僧泰峻は捉えております。

 

仏道としての浄行であるということは

供養や祈願といった意味合いも

含まれたものということです。

 

現在

進められている大事業が

無事に結ばれることが

世の平安への願いや

有縁の方々の諸願成就

さらには

有縁各家各人の菩提安寧に

つながると心から信じています。

 

 

 

境内整備も少しずつ進められています

 

▼歴代住職墓建立碑の移設が完了しました。

 

▼階段に庭園灯を2基設置します。

 

▼修行法師周辺の石碑を整理・再配置しました。

青空広がる快晴のひとときの写経カフェ

寺子屋ワークショップ

写経カフェが開催されました。

 

ご一緒下さった皆様

大変おつかれさまでした。

 

本日の様子をお伝えする

映像を用意したので

ぜひご覧下さい。

 

写経カフェは

奇数月25日に開催しております。

 

ここ2年は

小規模での開催を重ねてまいりましたが

次回位からは以前のように

開催日時をお知らせして

参加をご希望の方にも

ご参加いただけるようにしようと

考えております。

 

本堂内部の工事も順調です

本堂内部では

左官工事が順調に進められ

壁の漆喰(しっくい)も

徐々に仕上がってまいりました。

 

また

クロスを貼る作業も

一気に進みまして

堂内の様子を拝見すると

完成が近づいていることを

実感させられます。

 

堂内の様子をお伝えする

映像を用意したので

ご覧いただいて

進捗状況をご確認いただけると幸いです。

 

仏像の修繕と造立を振り返る

平成29年より6年計画で

本格的に始動した本堂建替事業では

多くのご協力のおかげで

主要なお仏像の修繕や造立も

行うことが叶いました。

 

当山は歴史が古いということもあり

とても多くの由緒ある

お仏像がお祀りされており

“見どころ”でもあります。

 

振り返りの意味もあり

お仏像の修繕や造立について

以下に簡単にまとめてみました。

 

今回は紹介出来ませんが

ひとつひとつに

エピソードがあります。

 

色々な方の

切実な願いが込められているものもあり

これまでの経緯を振り返ることで

そういったお心と

また向き合わせていただいたように思います。

 

①本尊・愛染明王

  • 江戸期の当山本坊(宝珠盛岡山永福寺)住職・宥瑗(ゆうえん)により文化7年(1810)奉納
  • 故・哘啓造(さそうけいぞう)氏のご寄進により、この度修繕

 

 

②普賢菩薩

  • 造立年代不明
  • 昭和4年(1929)に修繕し彩色が改められるも、経年劣化が著しかったため、この度修繕
  • 新本堂では本尊脇侍(わきじ)として安置

 

 

③十一面観音三尊(長谷式)

  • 造立施主(匿名希望)のご寄進により作仏
  • 当山の本尊はもともと十一面観音とされる
  • 総本山長谷寺の本尊と同形式で作仏
  • 新本堂では本尊脇侍として安置

 

 

④本 七崎観音(もとならさきかんのん)

  • 明暦元年(1655)南部重直公により奉納
  • こちらの観音像の御前立ちが現在秘仏として祀られる七崎観音(ならさきかんのん、「現 七崎観音」)
  • 破損箇所が多く、各所傷みも激しかったため修繕
  • 新本堂では観音堂内殿に安置

 

 

⑤大日如来

  • 年代不明
  • 蓮台・光背がなかったため、新たに制作
  • 厨子を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置予定

 

 

⑥不動明王三尊

  • 年代不明
  • 近世の文書によると、江戸期は本尊愛染明王の脇侍として祀られていた
  • 全体的に焼け焦げていた(文化7年[1810]の火災によるもの)
  • 本体の大きさにあわせ台座・光背・持物を新調
  • 脇侍の二童子を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置

 

 

⑦不動明王

  • 年代不明
  • 近世の文書によると、江戸期は本尊愛染明王の脇侍として祀られていた
  • こちらも全体的に焼け焦げていた(文化7年[1810]の火災によるもの)
  • 本体の大きさにあわせ台座・光背・持物を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置

 

 

⑧聖徳太子

  • 年代不明
  • 鋳造仏
  • 台座がなく自立出来なかったため、台座を新調

 

 

⑨子安地蔵

  • おいらせ町の旧家より奉納された子安さま
  • 破損箇所が多かったため修繕

 

 

⑩地蔵菩薩

  • 年代不明
  • 仏像のお足元にホゾ穴があり、もともとは台座があったと思われるが本体のみ祀られ、自立出来ない状態だったため台座を新調

 

 

⑪仁王

  • 享保3年(1718)9月に津嶋弥十郎清春が奉納
  • 材質は青森ヒバ
  • 仁王門建替・仁王像修繕・台座新調

薬師如来のおはなし①

これまでも

何度かお伝えしたように

薬師如来を新たに

お迎えすることになりました。

 

当山には

位牌堂中央祭壇に

十三仏が祀られており

その中に薬師如来も

いらっしゃいますが

単独の尊格として

祭祀される薬師如来は

ございませんでした。

 

そのため

薬師如来について

当ブログで取り上げることは

稀でありましたので

何回かにわたり

紹介させていただきたと思います。

 

観音菩薩は「観音さま」

地蔵菩薩は「お地蔵様さま」

不動明王は「お不動さま」

と呼ばれるように

薬師如来も「お薬師さま」

と呼ばれ親しまれてきた尊格です。

 

薬師如来は

日光菩薩(にっこうぼさつ)

月光菩薩(がっこうぼさつ)

を脇侍(わきじ)としており

さらに

十二神将(じゅうにしんしょう)という

武神をしたがえるとされます。

 

薬師如来と日光菩薩・月光菩薩を

あわせて薬師三尊(やくしさんぞん)

と称します。

 

もともとは

薬師如来が祀られていた

お堂(薬師堂)が

明治以降神社になったケースが

日本国内で多数ありますが

日月(にちがつ)社という感じで

脇侍仏の名が残ったケースが

見られます。

 

十二神将については

経典により名称が異なりますが

参考までに玄奘訳の

『薬師瑠璃光如来本願功徳経』

(通称『薬師本願経』)

に記されるものを紹介します。

 

  1. 宮毘羅(くびら)
  2. 伐折羅(ばさら)
  3. 迷企羅(めきら)
  4. 安底羅(あんちら)
  5. 頞儞羅(あじら)
  6. 珊底羅(さんちら)
  7. 因達羅(いんだら)
  8. 波夷羅(はいら)
  9. 摩虎羅(まこら)
  10. 眞達羅(しんだら)
  11. 招杜羅(しょうとら)
  12. 毗羯羅(びから)

 

梵字の音写ゆえ

聞き慣れない音の並びであるだけでなく

迫力ある漢字の羅列と

感じられるかもしれません。

 

十二神将は

それぞれの体の色や持ち物

さらには本地仏(ほんじぶつ)も

経典に記されております。

 

日光・月光両菩薩と十二神将は

とてもインパクトの強い特徴ですが

薬師如来といえば

十二大願(じゅうにだいがん)という

十二の大悲誓願(だいひせいがん)が

とても重要な意味を持ちます。

 

次回は

十二大願について

紹介させていただきます。