八戸は早朝に雪がふりました

八戸で雪を目にしたのは

今年度初めてだと思います。

 

寒暖差のある時季となり

体調を崩される方も

多いのではないでしょうか。

 

本堂解体の進捗状況ですが

業者さんには

廃材を搬出していただいております。

 

プロの技は流石です。

 

きれいに整えながら

次々と廃材が積み出され

山のように積み上げられていた廃材も

ほとんどなくなりました。

 

年末にむけた

デスクワークがたまっている関係で

作業現場に

あまり立ち会うことが

なかなか出来ませんが

進捗状況についての報告は

出来る限り行わせていただきます。

 

本日も動画を1つ用意いたしました。

 

お寺の歴史に触れていただきつつ

どのような様子であるかを

ご覧いただければ幸いです。

 

 

窓のような門

窓の外を眺めると

青空が広がることがあるように

仁王門を階段下から眺めると

青空が広がるようになりました。

 

本堂は土台を残すだけ

といった状態です。

 

宮建築独特の部材が

あちらこちらに見られ

ある意味大変

勉強させていただいております。

 

本日も

解体の様子を短い動画に

編集いたしました。

 

解体中の本堂の棟札の

読み解きも交えながら

編集しましたので

ご覧いただけると幸いです。

 

▼動画(youtube)

https://www.youtube.com/watch?v=mnL1JoiI-p0

 

209年前の息吹を感じて

209年前の本堂再建をてがけた

大工さんが記した文字や

施した細工が

材木の各所に見られます。

 

時を超えた息吹を感じ

感慨深いものがあります。

 

伝えたいことが沢山あるので

本日も短く編集した動画を

用意しました。

 

ご覧頂ければ幸いです。

 

平安期の先師がお一人発見されました

調べ物があり

江戸期の過去帳と

向き合っていたところ

当山先師のお名前が

たまたま発見されました。

 

先師とは

かつての住職という意味です。

 

発見されたのは

日照法師という方で

何と平安時代の先師様です。

 

ご命日は

仁和3年(887)7月23日。

 

当山は

弘仁初期(810頃)開創ですが

火災による文書焼失の影響もあり

多くの先師名が不明です。

 

そのような状況の中

平安期の先師名が

ふと明らかになったことは

とても尊いことだと感じます。

 

まさに大発見です。

 

おそらく

多くの方には

伝わらないと思いますが

とんでもなくすごい発見です。

 

普賢院第2世

月法律師は天長8年(831)が没年であり

この方は

十和田湖伝説に登場する

南祖法師(坊)の師とされる先師様です。

 

日照法師もまた

その法名との関連(月と日)が

師弟関係としてあるのであれば

月法律師の弟子だっかもしれませんし

もしかしたら南祖坊の

モデルとなった方かもしれません。

 

経歴は不明ですが

江戸期にまでその法名が

しっかりと残っているということは

何かしら特筆すべきことが

あったのではないでしょうか。

 

南祖坊は幼少期に

当山に弟子入りしたとされるので

月法(831)・日照(887)両師の

没年の差を踏まえると

違和感はないように感じます。

 

直弟子であったか

どうかは分かりませんが

当山の法脈として

月法律師を

日照法師が継いでいることは

間違いないことであり

その流れは現在に

至っているわけです。

 

悠久の昔から

今に至るまでの

流れというものを

あらためて感じさせられ

気持ちが引き締まった

思い出深い一日となりました。

 

 

▼本日の本堂解体の様子

バックホーが投入されました

本日は早朝からお弔いがあり

湊高台のセレモニーホールへ。

 

西高東低の冬型の

気圧配置ということで

冷たい風が身にしみつつ

生前とてもほがらかであった

故人様をご遺族の皆様とともに

丁重にご供養させていただきました。

 

葬儀と納骨を終えて

午後お寺に戻ると

バックホーが投入されての

解体が進められていました。

 

すごい瞬間に

立ち会わせていただいていると

感じています。

 

解体の様子に限らず

今後は本堂建替事業の模様を

ときおり動画でも

お伝えしたいと思います。

 

動画の編集が出来ましたら

こちらのブログでも

お知らせいたしますので

ぜひご覧下さいませ。

 

▼今朝の本堂

 

▼夕方の様子

畳も撤収されました

ガレキが取り除かれ

畳も撤収され

本堂は大分スッキリしました。

 

現在解体している本堂は

文化7年(1810)の火災をうけ

翌年2月に再建されたものです。

 

2月に再建されたというのは

現本堂再建の棟札に

文化八歳次辛未天閏二月と

あることから分かります。

 

堂内には

ケヤキの柱や梁が

わずかながらあるのですが

よく見ると

かなり虫にくわれております。

 

木材は

十分に乾燥させ

十分に加工しないと

虫がつくんだそうです。

 

早急な再建だったゆえ

木材の加工も

十分に行うことが

出来なかったのでは

推測しております。

 

お地蔵さまのご縁日

24日はお地蔵さまのご縁日です。

 

お地蔵さまは

正式には地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

というお名前です。

 

通常ですと

菩薩のお姿は

多くの装飾を身に着けた

菩薩形(ぼさつぎょう)という

形態なのですが

地蔵菩薩は菩薩でありながら

質素な僧形(そうぎょう)という

お姿をしております。

 

子どもとご縁のある

仏さまとしても有名です。

 

普賢院にも

お地蔵さまは

いくつか祀られており

古くから篤く信仰されてきました。

 

少し前に

身の丈20cm弱の

古いお地蔵さまを

弘前の仏師・小堀寛治さんに

修復していただきました。

 

小さいながら

とても丁寧に作仏された

端正なお地蔵さまです。

 

そのお地蔵さまには厨子がなく

お仏像のみでお祀りされていたので

版木入れとして使っていた

古い木箱に

地蔵堂で使われていた戸帳を

裁断したものを設え

その中にご安置いたしました。

 

現本堂の地蔵堂で

飾られていた戸帳は

新本堂で使う予定が

なかったのですが

このような形で

使うことが出来て

とても良かったと感じます。

 

さらに小型須弥壇に

厨子を安置しまして

とても厳かになりました。

 

こちらのお地蔵さまは

新本堂の地蔵堂で

子安さま(子安地蔵)の隣に

お祀りする予定です。

 

 

▼仮地蔵堂(位牌堂)の子安地蔵

新本堂の地蔵堂では

主尊としてお祀りされます。

たくさんの思い出を胸に

本堂での行事などを

振り返ってみると

ここ数年だけでも

とてもたくさんの事が

あったということを

実感させられます。

 

文化8年(1811)以来

多くのひとときが積み上げられた

本堂の最後の姿を

映像として残したいと思い

最近の行事などの映像も交えて

短い動画に編集しました。

 

思い出多き風景は

大きく変わろうとしております。

 

移ろいゆくなかにあっても

この風景は

心にとどめ続けたいと思います。

 

令和3年がチラついてきました

この時季になると

年末のことがチラつきはじめます。

 

年末年始は

色々大変な時季なうえ

年が明けると

春彼岸まで行事が立て込みます。

 

毎年毎年

年が明けると

4月まで一気に過ぎていくような

イメージがあります。

 

仮本堂となってから

初めての年末年始ですし

来年の行事は

これまでとは違った形となるので

まさに心機一転です。

 

普賢院は

平安初期(810年頃)に開創され

承安元年(1171年)に開基された

古いお寺です。

 

令和3年(2021)は

開基の承安元年(1171)から

850年というメモリアルイヤー

でもあります。

 

「開基850年忌」として

開基上人の行海大和尚のご供養を

特別に行うという予定は

今の所ないのですが

こういった歴史的節目は

大切にしたいと考えております。

 

来年の歴史的な行事としては

本堂建替に伴う地鎮式なども

控えておりますが

開基850年に当たる年に

そういった儀式が

重なっていることは

きちんと心に

留めておきたい所です。

 

模索しながら

本日は

論語勉強会が行われました。

 

仮本堂として

以前とは仕様が一変した会館ですが

特段問題なく

皆様と学びの時間を

ご一緒させていただくことが出来ました。

 

論語勉強会のあと間もなくして

仮本堂にて法事の予定もありましたが

こちらも問題なく終えることが出来ました。

 

ただ

堂内の案内掲示に

今以上の配慮と工夫が必要だとも感じたので

早速改善を図りたいと思います。

 

お寺の宝物(ほうもつ)の

整理の関係で

客殿に棟札(むなふだ)などを

並べております。

 

当山は

南部藩祈願所(きがんしょ)

という位置づけのお寺だったため

棟札が作られた当時の藩主の名が

アチラコチラに見られます。

 

文化7年の火災により

多くの宝物(ほうもつ)が

焼失したとされる中で

難を逃れたものが

今に残っていることは

とても尊いことだと感じます。

 

現存する棟札で

年号が確認出来るものの中では

承應3年(1654)の観音堂再建の棟札が

最も古いものとなります。

 

当時の住職がしたためたものなのですが

芸術的な筆跡は見事なものです。

 

新本堂では

こういった宝物(ほうもつ)の

保存であったり展示ということも

一つの課題にあげられております。

 

今月からは

建設工事の会議である

施工部会で詳細をつめるので

この点についても

委員の皆様と

熟考させていただきます。