畳も撤収されました

ガレキが取り除かれ

畳も撤収され

本堂は大分スッキリしました。

 

現在解体している本堂は

文化7年(1810)の火災をうけ

翌年2月に再建されたものです。

 

2月に再建されたというのは

現本堂再建の棟札に

文化八歳次辛未天閏二月と

あることから分かります。

 

堂内には

ケヤキの柱や梁が

わずかながらあるのですが

よく見ると

かなり虫にくわれております。

 

木材は

十分に乾燥させ

十分に加工しないと

虫がつくんだそうです。

 

早急な再建だったゆえ

木材の加工も

十分に行うことが

出来なかったのでは

推測しております。