青空が広がる快晴の一日であり
大きな月が優しい光を
あまねく注いだ一日でもありました。
本日は旧暦1月17日大安にあたり
当山では秘仏・七崎観音をご開帳し
法要が行われました。
例年とは異なる形での厳修でしたが
とても素晴らしいひとときであったと
感じております。
法要の様子は後日
動画にてお伝えいたします。
ご一緒下さった皆様には
心より感謝申し上げます。







青空が広がる快晴の一日であり
大きな月が優しい光を
あまねく注いだ一日でもありました。
本日は旧暦1月17日大安にあたり
当山では秘仏・七崎観音をご開帳し
法要が行われました。
例年とは異なる形での厳修でしたが
とても素晴らしいひとときであったと
感じております。
法要の様子は後日
動画にてお伝えいたします。
ご一緒下さった皆様には
心より感謝申し上げます。







今月締切の原稿が
何とか仕上がりまして
久しぶりに
心の底から喜んでおります。
さて
明日は1年に1度の
尊い法要の日です。
気合を入れて
急ピッチで準備を
進めております。
考えてみると
仮本堂でのご開帳は
本年と来年だけの
希少価値ある機会となります。
それだけに
入念に準備を整え
お勤めさせていただきたいと思います。




28日に秘仏・七崎観音を
ご開帳して行われる行事に向け
本日は仮観音堂より主なお仏像を
仮本堂にお遷ししました。
準備をしていると
いつもお世話になっている
小泉電気店の小泉智英さんが
照明を持ってきて下さいました。
実際に照明を使ってテストすると
とても素晴らしい雰囲気となりました。
おかげさまで
幻想的な空間にて
法要を行うことが出来そうです。
▼28日の詳細はコチラをご参照下さい▼






2月28日は
旧暦1月17日大安にあたり
この日に
秘仏・七崎観音(ならさきかんのん)を
ご開帳して
法要が行われます。
この行事は
「おこもり」とよばれます。
例年ですと
午後8時より護摩を行いますが
仮本堂では消防法の関係で
護摩を修法できないため
別形式でご祈祷の法要を
行います。
当日の流れは次のようになります。
どなた様でも
ご参列いただけるので
年に1度の行事を
ぜひご一緒下さい。
おこもりの流れ
◆仮本堂にて受付(午後7時〜)
お布施、加持物(かじもつ)をお預かりします。
- 法要中、祈願者名を読み上げますので、読み上げてほしいお名前はお布施の袋にお書きいただくか、別紙ご持参下さい(読みがなを振っていただけると有り難いです)。
- 読み上げの名簿を作成する都合上、時間にゆとりをもって来ていただけると助かります。また、前日までに受付を済ませて頂いても構いません。メールでも受付いたします。
- 護摩の時は、加持物(かじもつ)を護摩の煙にあててお加持していましたが、今回はご宝前に設えてお加持いたします。加持物ですが、例えば愛用の服、メガネ、ノート、シャーペンなど、皆様ゆかりの物を風呂敷に包むか、カバンに入れてお持ち下さい。
◆法要(午後8時〜)
法要の中で、祈願者名を読み上げます。ご自身のお名前、あるいは有縁の方のお名前が読み上げられた際は、心願成就を願い、柏手(かしわで)を2度お打ちください(2拍手)。
◆ウイルス対策のため、本年は後席はありません。
◆数に限りがありますが、御護符(おごふ)として落雁(らくがん)をお渡しします。
◆法要後、授与品(お守、お札など)をお授けする授与所を用意するので、入用の方は、そちらでお求め下さい。
皆様のご参加
心よりお待ちしております。




昨日紹介した寺史資料に
江戸以前についても
情報を追記してみました。
江戸以前については
詳細な記述がないため
当山の過去帳を典拠にして
開創以降の先師について
追記しました。
長い歴史の中で
お名前が分からない先師様が
多くいらっしゃいますが
わずかであっても
お名前が現代に留められていることは
とても凄いことだと感じます。
また
弘法大師空海
興教大師覚鑁(かくばん)を
両祖大師(りょうそだいし)に関する
行事についても
一部追記しました。
両祖大師に関係する行事にあわせ
記念事業を行う傾向もあるので
様々な考察に有意義なためです。
分かっていることや
所蔵しているものを
文字に起こしてみると
案外情報量が多いことに
気づかされます。
歴史や伝承は
唯一無二のものゆえ
大切にしたいと思います。
※『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄、大正15年[1926])を典拠にしたものについては青字で記します。(※一部追記アリ。)
※伝説・伝承含め当山に関連する記述の見られる主な史料の年代等を緑字で記します。前回のものに追記したものがあります。
※弘法大師空海や興教大師覚鑁の両祖大師に関すること、寛永11年[1634]以降の御遠忌(ごおんき)を紫字で記します。
※近世以前(ここでは寛政12年[1625]以前)については、当山の過去帳を主な典拠として橙色で記します。(※一部追記アリ)












年代の判明している
近世以降の
仏像・仏具であったり
所蔵している棟札などを
ザックリと時系列に
箇条書きで並べたものを
以前こちらのブログで
紹介させていただきました。
今回はさらに主な史料と
当派で大切にされる
両祖大師の御遠忌(ごおんき)の
年次を加えてみます。
両祖大師とは
弘法大師・空海上人と
興教大師・覚鑁(かくばん)上人
のお二人を指します。
御遠忌を迎えるに当たり
記念事業を行うことが多いため
御遠忌の年次について
記載することにしました。
定期的に迎えられる
御遠忌という節目を
時間軸に落としていくことは
当山の歴史を紐解くうえで
とても有意義なことです。
当ブログは
研究メモとしても
活用しております。
今後お寺の寺史などを
作成するにあたっての
基礎資料作りでもあると捉え
取り組んでおります。
地道な作業な必要なことゆえ
一気に仕上げることは
難しいですが
コツコツ取り組みたいと思います。
それでは
以下に“研究メモ”を記して
本日は終えたいと思います。
※『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄、大正15年[1926])に掲載される神社所蔵の棟札については青字で記します。
※伝説・伝承含め当山に関連する記述の見られる主な史料(近世以降)の年代等を緑字で記します。
※弘法大師や興教大師の御遠忌(ごおんき)を紫字で記します。

当山では本堂建替事業の
第5年目を迎え
本年より新本堂の建設が始まり
来年秋頃に完成する予定です。
この機会に
普賢院の寺史を
作成したいと考えています。
新本堂が完成すると
棟札や古い文書は
再び丁重にしまうことになるので
このタイミングでしか
行うことが出来ないので
当ブログの投稿も活かしつつ
まとめていこうと思います。
次第をはじめ文書については
除きますが
当山所蔵の棟札ほか
年代が判明している(一部推定)
江戸期以降の
主な仏像や灯籠などを
あげると以下のようになります。
※『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄、大正15年[1926])に掲載される神社所蔵の棟札については青字で記します。
先に少しだけ触れている
大正15年(1926)の
『郷社七崎神社誌』は
当時の社司・小泉幸雄氏が
編纂したもので
結びとして書かれた自序に
次のように記されてあります。
神社誌の編纂に志すこと多年。即ち明治37年より大正6年3月に至る14年を以て、漸く完成を見るに至れり。此間資料蒐集に務め、特に盛岡藩南部伯爵家及遠野南部男爵家の古文書の拝見を許され、之れに力を得て多大の成果を収めたり。御両家に対し甚深なる敬意と感謝の誠意を表するものなり。
本誌編纂に当り参考資料は、盛藩旧事記、南部男爵家の御邦内郷村誌、東北太平記、七崎観世音伝話記、其他棟札、不肖幸雄保存せる南部五世伝、南部地雷復、霊験縁起、小泉家系図、言ひ伝並に明治維新に至るまでの事績等の参酌に依るものなるを以て、地方の史実に関するものあるべきも、多少とも本社に関係あるものは或は重複の嫌あるも之を記載せり。
大正6年以降現在までの事績にして、将来記録すべきは之れを記載し且つ新事実の発見する毎に訂正したり。
本年は皇輝ある紀元2600年を迎え奉祝記念として、本誌を印刷に附し広く有志に分ち永久に伝え、以て御神徳発揚の資に供せんとす。
当山近くの七崎神社は
明治になるまでは
当山が管理していた
旧観音堂(寺号・徳楽寺)でした。
小泉家は
明治まで修験家でもあり
旧観音堂に深く関わりがありました。
参考資料にある
七崎観世音伝話記は
幸雄氏の曽祖父にあたる
大学院泰道などが
「古老の伝説」を文政年中に
編纂したものと説明されおり
参詣人の案内役をすることもあった
修験の方々が
一種の手引のような形で
七崎観音にまつわるお話を
まとめられていたことがうかがえます。
引用した自序をみると分かるように
神社誌は参考文献をもとにしつつ
神社所蔵の棟札や
当地での言い伝えを踏まえて編集された
力作といえます。
当時の状況を考えると
大変なご労力があったと思うのです。
この神社誌で
挙げられている棟札と
当山が所蔵する棟札や
一部仏像や仏具などについて
寛永2年(1625)以降のものを
先に列挙してみました。
青字で示したのが神社誌で
触れられているものですが
全体からすると
ごく一部のものですし
お寺の歴史を紐解くうえで
ある意味最も尊い古文書たる
過去帳にも触れられていないので
明治以前のことを述べるには
やはり限界があるように感じます。
当地の大先輩であり
旧観音堂に仕えていただいた
修験の流れを組むお家の
小泉幸雄氏の労作にて
語られるお寺の歴史を
さらに厚みのあるものに
したいと考えております。
また本山の長谷寺や仁和寺や
当時の本坊・盛岡永福寺や
その他多くの関係寺院との
関わりであったり
宗派における節目の行事などを
踏まえると
意義が浮かび上がるものもあるので
そういったことも押さえながら
後世に託すべく『寺史』を
作成したいと思います。
ここでようやく
棟札の本題に入らせていただきます。
ここに至るまでで
かなりの分量をさいたので
今回の棟札の紹介は
少しだけにします。
本堂建替事業まっただ中なので
旧本堂の棟札について見ています。
次の画像資料の通り
この棟札は結構大きく
形は剣形(けんがた)で
表裏に文言が見られます。

幅についてですが
底が21cmで
上に向かって多少
幅が広がっていまして
一番広い所が22cmです。
文言については次回以降
紐解いてまいります。
少しづつ
懐かしさが増してきた旧本堂。
本年から
いよいよ新本堂の建設です。
今回は一昨年から
ピタッと更新が止まっていた
「棟札に耳を傾ける」の
第3稿をアップいたします。
▼以前のものはコチラ
当山は
開創以来1200年もの
歴史が積み上げられた古刹で
これまでも様々な節目にあたり
縁起や由緒が
改めて有縁の方や
ご参詣の方に説かれてきました。
平成令和の本堂建替においても
所蔵される文書や棟札を踏まえ
近世の史料の記述や
最近の諸資料を見直して
普賢院の寺史を
作成したいと思います。
現在発行されている書籍含め
近世の史料がもとになり
当山が紹介されているのですが
近世の史料は
寺史を紐解く上で重要になる
当山の過去帳に触れられていません。
過去帳は他見厳禁ゆえ
公開するようなものではありませんが
住職をつとめられた
先師の御名が記された
尊い古文書でもあります。
近世の史料に目を通してみると
お寺の創建について
諸開山上人の没年齢が
創建年代や中興年代になっていたり
記載される棟札の文言に
誤植が見られるなど
注意を払うべき所が多くあります。
それらをのみ
典拠としてしまうと
当然のことながら
不十分な説明にならざるをえません。
専門性が高く
いわゆる郷土史という
枠組みだけでは
紐解けない部分もあるので
個々の課題を明らかにしつつ
出来る形で
整えていきたいと考えております。
これまでも
当山について
様々なことを紹介して
まいりましたが
最近は資料を添付しつつ
投稿を重ねております。
特に棟札については
文字ばかりよりも
添付した図のような形の方が
断然分かりやすいと思うので
資料を示しつつ
お話を進めていきたいと思います。
ここしばらくは
文化8年(1811)の旧本堂棟札について
お寺の歴史に触れながら
見ていきたいと思います。
資料が現時点で
13枚あるので
投稿を重ねる中で
説明を補足する形式で
「棟札に耳を傾ける」シリーズを
進めていきたいと思います。
▼旧本堂(令和元年お盆の様子)

▼以下、資料画像になります。













以上が、現時点で
用意した画像になります。
まだ未完ですが
とりあえずアップいたします。
ブログの文章よりも
ビジュアル的なので
ストーリーが分かりやすい
のではないでしょうか。
これらの資料をたたき台に
棟札について紐解きつつ
お寺の歴史や伝説についても
紹介させていただきたいと思います。

当山に
七崎観音(ならさきかんのん)として
お祀りされる観音様は秘仏で
旧暦1月17日にのみご開帳されます。
本年は2月28日が
ご開帳にあたり
ご宝前にて
午後8時より法要が行われます。
ということもあり
今月は当山の観音様に関連した
投稿が多めになっております。
これまでも何度か
とりあげてきましたが
現在、七崎観音として祀られる
聖観音像はもともと
御前立(おまえだち)であり
本来秘仏として祀られていたのは
別の聖観音像であるということが
最近になって判明しました。
御前立と秘仏が入れ替わったのは
明治になってからの
神仏分離における諸対応であったり
明治から昭和にかけての
諸住職が交代されるときに
十分な申し渡しがなされなかったり
戦争期に一時住職が不在となったり
様々な要因が重なって
引き起こされたと思われます。
ある意味
歴史に翻弄された結果と
いえるのではないでしょうか。
もともとの形と
現状との違いは
“激動の歴史”を背景としているので
この部分も
語り継いでいくべき
エピソードだと感じています。
今後は江戸期までの秘仏を
本七崎観音(もとならさきかんのん)
と呼ばせていただきます。
さて
本日はこの本七崎観音と
三戸沖田面の早稲田観音について
とりあげたいと思います。
今回も
画像資料を用意したので
そちらをご覧いただきながら
お読みいただければと思います。
画像資料は要点を
まとめているので
かえって分かりやすい
かもしれません。
七崎観音と早稲田観音は
歴史的に深く関わっており
いずれの別当も
「永福寺自坊」でした。
当地には
永福寺の地名が残りますが
これはかつて当山が
永福寺と呼ばれていたためです。
当山は
延暦弘仁年間(8C末〜9C初頭)に
圓鏡上人により開創され
承安元年(1171)に
行海上人により
開基(過去帳には中興とある)
されたお寺です。
また鎌倉〜江戸時代初期には
永福寺の寺号が用いられました。
永福寺(えいふくじ)は
鎌倉二階堂の永福寺(ようふくじ)の
僧侶である宥玄を開祖として
建久2年(1191)に三戸に
建立されたとされます。
この建立には経緯があり
そのことについては
以前も何度か紹介しておりますので
そちらをご参照下さい。
要するに
三戸に建立された永福寺が
当山も管理することとなり
次第に当山も
永福寺と呼ばれるように
なっていったとされるわけです。
三戸の永福寺と
七崎の永福寺は
元和3年(1617)盛岡に
永福寺が建立されるに伴い
自坊と位置づけられました。
盛岡を本坊とし
旧地である三戸と七崎の永福寺は
自坊・嶺松院(れいしょういん、三戸永福寺)
自坊・普賢院(ふげんいん、七崎永福寺)
という関係になります。
前置きがとても長くなりましたが
早稲田観音は嶺松院が別当寺で
七崎観音は普賢院が別当寺なので
両観音は関わりがとても深いのです。
本堂建替という
歴史的節目ということもあり
ここ数年
これまでにも増して
本格的に様々な調査を
進めてまいりましたが
早稲田観音の観音像と
本七崎観音の観音像について
次のような可能性が
浮上いたしました。

歴史的背景と
棟札などの史料を踏まえると
この2つの観音像は
かなり高い可能性で
同じ時期に同じ仏師あるいは仏所で
作仏されたものと思われます。
いずれも
南部重直公の奉納で
宥鏡上人が本坊住職の時期です。
宥鏡上人は
本山の長谷寺(奈良県桜井市)から
おいでになり
本坊住職となられた方です。
長谷寺の本尊は
十一面観音であり
また長谷寺は西国三十三観音霊場の
草創に深く関わるお寺で
“観音信仰の拠点”ともいうべき所です。
長谷寺からいらした宥鏡上人は
観音様とご縁の深い方であり
自坊(普賢院と嶺松院)観音堂の
再興にご尽力されていたことは
後世に伝えたい事績といえます。
仏像の造形においても
とても多くの共通点を
見い出すことが出来ます。
本七崎観音は
所々かなり傷んでいたため
本堂建替事業のなかで
修繕することにし
現在修繕に取り掛かっております。
修繕を決めた当初は
まだ由緒も判明していませんでしたが
不思議なもので
最近になって点と点が一気につながり
色々と浮かび上がってきました。
これまで本七崎観音は
旧本堂の観音堂の内殿に
安置されており
内殿の観音扉が開かれるのは
年に1回のみだったので
そもそも調査する機会が
ありませんでした。
本堂建替という大きな取り組みが
本七崎観音の由緒を
明らかにしてくれたように
感じています。





普賢院は
糠部三十三観音霊場
第十五番札所でもあります。
札所の観音様である
七崎観音(ならさきかんのん)は
旧暦1月17日にのみ
ご開帳されます。
本年は2月28日が
ご開帳にあたり
ご宝前にて法要が行われます。
本年は仮本堂で行う
はじめてのご開帳でして
次の写真のように
主な仏像を仮観音堂から
お遷しいたします。

現在、七崎観音として祀られている
聖観音像は貞享4年(1687)に
当時の藩主・南部重信公により
奉納されたもので
これは御前立(おまえだち)として
納められております。
七崎観音として祀られていたのは
明暦元年(1655)に
南部重直公ご奉納の
「金色の聖観音」(本七崎観音)ですが
江戸から明治に変わる際の
神仏分離への対応に追われた
“ゴタゴタ”の中で
もともとの秘仏(本七崎観音)と
御前立が入れ替わったと思われます。
本七崎観音については
史料的根拠の確認が出来たため
先日その由緒が判明しました。
本七崎観音は
現在修繕中でして
お戻りは来年の予定です。
本年のご開帳の際
現・七崎観音のほかに
仮本堂にお祀りする観音像のひとつは
千手観音坐像です。
この千手観音坐像は
田子町出身の高僧である
奇峯学秀(きほうがくしゅう)が
作仏されたもので
諸事踏まえるに
当山の中興期である
享保年間(1716〜1736)に請来され
千手観音堂に祀られたと思われます。
「青森の円空」といわれる
学秀和尚の仏像は
学秀仏(がくしゅうぶつ)と
いわれています。
本堂建替事業が開始される
少し前より着手していた
仏像・仏具・文書の調査を契機として
千手観音坐像が学秀仏であると
平成31年2月に確認されました。
凶作や飢饉が立て続いた
難しい時代において
切実な祈りが込められ
納められたものと思われます。
独特の雰囲気の
千手観音坐像がまとう
穏やかな雰囲気は
世の穏やかなることへの
願いが重ねられていると感じます。


