命の躍動を感じる春。
境内に咲く花。
境内に咲こうとする花。
すっかり雪が融けた地面では
アリがせっせと仕事をしております。
蝶が舞っています。
鳥のさえずりがにぎやかです。
地元の小学校、中学校は
入学式を迎えました。
拙僧(副住職)の長女は
明日幼稚園に入園します。
その入園式で
拙僧(副住職)の長男には
歓迎の言葉を述べる大役が
あるんだそうです。
様々に新たな歩みを
見て取れるこの季節。
自身の心にも
新鮮な風が吹き通るかのようです。
命の躍動を感じる春に
“自身の命”も躍動させたいと思います。





先日、福島へ赴いた際に
仙台のIKEAに立ち寄りました。
今春より
当山の庫裡(くり)の一部を
リフォームします。
庫裡(くり)とは
住職やその家族が
住まわせて頂く場所で
当山の庫裡は
寺務所や応接所も兼ねております。
リフォームする建物は
それ程大きくはありませんが
居住スペースとしては勿論のこと
ワークショップに使用したり
込み入った相談を受けたり
多目的にも活用出来ればと
考えております。
庫裡の一部改装の視察も兼ねて
IKEAに立ち寄りました。
随所にきめ細やかに心配りがなされ
展示の順路や陳列にも
物語があるように感じました。

暖かさを通り越して
熱さを感じた本日。
八戸にも暖かな季節が
やって来たようです。
そんな好天の日にも
関わらず拙僧(副住職)は
体調不良でダウンしました。
しばらくの間
色々と立て込んでいたためか
はたまた
陽気に油断したためか。
本年は体調を崩してばかりの
ように感じております。
長引かせぬために
病院に駆け込むと
インフルエンザの疑いをかけられ
検査をしました。
明日からまた
しばらくの間
色々と立て込むので
ドキドキしましたが
インフルエンザでは
なかったようです。
「病」は仏道における
四苦(しく)の1つです。
「なぜこんな時に」と
思い通りにならぬのが
仏道の「苦」です。
この「苦」を“乗り越え”て
春の陽気を存分に
感じたいと願う1日でした。

学びを深めるべく
斗南(となみ)藩に関する
書籍を用意しました。
斗南藩の歴史は
わずか1年8ヶ月しかありません。
資料も決して多い訳ではありません。
当山境内には
斗南藩の方々の墓石が
16基ございます。
その歴史について
後世に伝えるためにも
学びを整えていきたいと思います。

4/3保護司の会合に
初めて出席させて頂きました。
当山副住職は
本年3月に保護司の任を
拝命いたしました。
総会での事業報告を拝察するに
1年を通して精力的に
ご尽力されていらっしゃる
ということが伝わって参りました。
色々と感じるものがありました。
総会の最後に
新任保護司として
挨拶する機会を頂きまして
皆様に自己紹介をさせて頂きました。
学ばせて頂きながら
励ませて頂こうと思います。


関東では
桜が開花しているという
花の便りが耳に入ります。
東京での
花見の時季が
懐かしく感じられます。
新年度を迎えます。
平成29年度が始まります。
気持ちも改まるものです。
節目節目を
しっかりと感じることは
“新鮮な気持ち”を保つこと
でもあろうかと思います。
節目節目を活かしながら
今年度も励ませて頂きます。

五戸町豊間内の志戸岸にて
建具屋を営まれる
小泉忠さんより
衝立(ついたて)を
御奉納頂きました。
衷心より御礼申し上げます。
御奉納頂いたのは
真言宗豊山派の宗紋(しゅうもん)
である輪違紋(わちがいもん)の
衝立です。
とても素晴らしい衝立です。
まさに職人技です。
細やかな匠の技には
温かな御心を感じます。
ありがたく活用させて頂きます。


岩手県二戸にございます
天台寺を訪ねました。
天台寺は
当山も所属しております
糠部(ぬかべ)三十三観音霊場の
第33番札所でもあります。
訪れた3/30の午後は
冷たく激しい雨が落ち
雷が轟いておりました。
「甘露(かんろ)の法雨(ほうう)」
「天鼓雷音(てんこらいおん)」
という仏道の言葉があります。
尊いみ教えが
雨の如くに注がれ
轟く雷の如くに
迷いから目覚めさせられる
ことを意味する言葉です。
“あいにく”の空模様でしたが
拙僧(副住職)の訪問を
“歓迎して下さっている”のだと
信じながら足を運ばせて頂きました。




まだまだ寒い日もありますが
春らしさを感じるように
なってまいりました。
晴れた日には
福寿草の花が黄色い彩りを
境内に添えております。
もうすぐ4月です。
新たな生活がスタートする方が
多い新年度の春。
福寿草は縁起の良い花で
その名の如く
「幸福」の象徴です。
春の訪れを告げ
福の訪れを予感させる
春の花に心が落ち着きます。

「あれから40年」という
フレーズでお馴染みの
綾小路きみまろ師。
「中高年」をテーマに
各地で大爆笑を巻き起こす
話の達人です。
その視点のあり方に
仏道でいう「苦」との
向き合い方の手がかりを感じます。
ありのままをありのままに受け入れ
歯切れの良い語りを通して
それらを共有しあうことで
その場の皆様と笑い合う。
「老いる」ことは
誰しもが向き合わなければ
ならないものであり
誰しもが避けられないものと
仏道では強く説かれます。
誰しもが向き合い
誰しもが避けらず
思い通りにすることが
出来ないことを
仏道では「苦」といいます。
仏道での「苦」とは
“苦しみ”といったニュアンスではなく
先に触れたように
“思い通りにならないこと”という
ニュアンスの言葉です。
綾小路きみまろ師の漫談は
自身の物事の捉え方ひとつで
薬にも毒にもなることの
端的な一例であろうかと思います。
落語や漫談は
歴史のある「伝統芸能」です。
「笑い」の力は
命を躍動させ、心を豊かにする
尊いものなのだと思います。
