マルチ文化人 小堀遠州

遠州流茶道の祖である

小堀遠州(こぼり えんしゅう)。

 

茶道は仏道にも通じる道です。

 

拙僧(副住職)は

茶道をたしなんでいる

わけではありませんが

小堀遠州に魅力を感じます。

 

「綺麗さび」という

小堀遠州の研ぎ澄まされた

世界観は今もなお

多くの人の心のより処と

なっております。

 

茶道は

日本の総合芸術とも

言われるそうです。

 

小堀遠州の歩みに触れると

そのことを実感させられます。

 

藤原定家の書を継承し

建築や庭園にも精通するなど

マルチな才能を

いかんなく発揮した

日本を代表する文化人。

 

今の時代において

その歩みに学ぶべきことが

多いように感じます。

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夏の写経カフェ

7/25は寺子屋ワークショップ

写経カフェが開催されました。

 

当山で開催しております

各種寺子屋ワークショップは

精進のひとときであると同時に

国際協力活動の一環でもあります。

 

自身のためとなることと

他者のためとなることが

一体となった行いを尊いとする

自利利他(じりりた)

大切な理念としております。

 

写経カフェでは

参加費の一部を

アーユス仏教国際協力ネットワーク

を通じて国際協力団体に

寄付させて頂いております。

 

写経カフェのカフェタイムでは

フェアトレード製品を

使用しております。

 

フェアトレードは

購買を通じてなされる

国際協力活動の1つです。

 

本日もご参加の皆様の

お陰様をもちまして

和やかな自利利他のひとときを

過ごすことが出来ました。

 

今回も

かわいいアロマひつじや

小松美央さんに

季節をイメージした香りを

ブレンドして頂き

見た目にも美しいアロマポッドを

ご用意頂きました。

 

カフェタイムでは

タンザニア産のコーヒーと

ブルーベリーマフィンで

一休みして頂きました。

 

初めて写経に励まれた方も

多数いらっしゃいましたが

ご参加の皆様全員が

それぞれの写経を書き上げられ

達成感を感じられていた様子でした。

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手引の必要性

ご供養について

まとまった資料を

作って欲しいという

ご要望がありました。

 

拙僧(副住職)も

かねてより

「ご供養の手引」の

必要性を感じておりました。

 

お寺にいつお参りすれば良いのか?

法事では何を準備すれば良いのか?

お布施はどのように考えれば良いのか?

などなどご供養の際には

様々な疑問がわくものです。

 

特に初めて“仏様を持つ”方は

不安や心配が多いのが

現実かと思います。

 

つい先日のお弔いの際にも

手引のようなものがあると

非常に助かるというご意見を

頂いたので早速制作に

とりかかろうかと思います。

 

当山の行事や地域の慣習など

スッキリとまとまった資料に

仕上げたいと思います。

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食の寺子屋が開催されました

7/23に八戸市類家の

なぎさカフェを会場に

食の寺子屋

開催されました。

 

当山の

寺子屋ワークショップと

なぎさカフェの

コラボ企画として

実現したワークショップでした。

 

メインテーマは「食」ですが

様々な話にも花が咲き

充実した時間となりました。

 

なぎさカフェのオーナーである

なぎさなおこさんが作られた

精進料理はとても美味しく

ありがたく頂戴しました。

 

拙僧(副住職)は料理教室に

参加したことがなかったのですが

レシピ通りに料理を作るだけではなく

ごく身近な所で大いに役立つような

工夫や知恵にあふれた

クッキングタイムでした。

 

確かな理念と経験に

裏付けられた

素晴らしい料理家であると

改めて感じた1日となりました。

 

食べることは生きることです。

 

忙しい中では

中々ゆっくりと食事について

考えることが出来ない中で

時折こうした時間を持つことは

とても尊いことであると

つくづく感じさせられました。

 

食の奥深さを

ゆっくりと味わうことが出来た

ワークショップとなりました。

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「大曲」に挑む

当山では御詠歌(ごえいか)を

お伝えしております。

 

お寺では第1、3金曜

NHK文化センターでは第3火曜に

御詠歌の稽古を

行っております。

 

御詠歌の講座を持ち

早いもので6年目です。

 

初期よりご一緒頂いている方も

随分と腕を上げていらっしゃいます。

 

お寺での講習では

同行(どうぎょう)

という御詠歌に

取り組んでおります。

 

この御詠歌は

当山でお伝えしている

豊山流御詠歌の代表曲であり

とても“唱えごたえ”のある曲です。

 

7月はうだるような暑さの中

ご参加の皆様と共に

汗を流しながら

“大曲”と向き合いました。

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双極性障害(躁うつ病)と向き合う⑱

双極性障害(そうきょくせいしょうがい)

とは躁状態(そうじょうたい)と

うつ状態を繰り返す

脳の病気です。

 

このテーマで

久しぶりに投稿します。

 

当山住職は長年

双極性障害を患っており

東京の慈恵医大へ

通院しております。

 

昨年夏頃より

激しい躁状態となり

家族も健康を害するほど

心労を重ねましたが

現在はうつ状態にあります。

 

本年3月頃より

徐々に躁状態が終わり

少しずつうつ状態へ

変わっていきました。

 

躁状態のときは

傍若無人な言動

激しい浪費

日夜を問わず電話をかける

など“アクセル全開”でした。

 

一方で現在は

躁状態の時とは

ほぼ真逆な状態で

静かに過ごす時間が

多くなりました。

 

躁状態の時と

うつ状態の時では

処方される薬が異なります。

 

症状が変わり薬も変わったので

最近は月1回のペースで

東京へ通院しております。

 

今振り返ってみても

激しい躁状態の頃は

家族をはじめ周囲の者は

本当に苦労しましたし

いつまでこのような日が

続くのだろうかと

いつも感じておりました。

 

様々な書籍に目を通したり

専門的な方にお話を

お伺いしたりすると

双極性障害と向き合う

大きなポイントの1つは

いかに躁状態を抑えるか

という所にあるそうです。

 

双極性障害の治療は

躁状態とうつ状態の

振れ幅を小さくすることを

目標に継続されます。

 

当山住職は

うつ状態ではあるのですが

何年か前の“どん底状態”の頃と

比べると格段に健康的で

あるように感じております。

 

きちんと継続されている

通院による治療や

日々の薬物療法の効果が

間違いなく出ております。

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約束を交わして

7/18に開催された

クロストーク八戸で

ご一緒させて頂いた

杉浦恵一さんが

催事翌日に当山を

お訪ね下さいました。

 

新幹線に乗車される前に

こちらまで足を伸ばして

下さったので

当山を案内させて頂きました。

 

杉浦さんは気仙沼を拠点に

魅力的なことを

様々に手掛けていらっしゃいます。

 

杉浦さんの様々な

取り組みの原点にあるのが

東日本大震災です。

 

東日本大震災での復興支援が

大きなきっかけで

3.11へ思いをはせるプロジェクトや

人が集う空間を演出などの

現在の取り組みがあります。

 

多くの人を魅了する杉浦さんは

確かな理念の下に

歩まれていらっしゃると感じました。

 

今後、当山を会場に

何か企画しようとの約束を交わし

杉浦さんは八戸を

出発されました。

 

素敵なご縁を頂き

嬉しく思います。

 

▼杉浦恵一さんについて

http://greenz.jp/2014/02/14/co-ba-kesennuma/

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未来を描く クロストーク八戸

7/18の午後7時より

八戸市街にある

煮8というお店を会場に

クロストーク八戸が

開催されました。

 

この企画は

デーリー東北企画事業部の

下田智美さんにお声がけ頂き

実現したものです。

 

下田さんは拙僧(副住職)と

高校の同級生でもあります。

 

そのようなご縁もあり

今回はゲストスピーカーの

1人として赴いてまいりました。

 

「出張法話カフェ特別編」と

いった所でしょうか。

 

当山での取り組みや

それらを支える理念

これからの展望などなど

拙いながらお伝えさせて頂きました。

 

もうお一方の

ゲストスピーカーである

杉浦恵一さんは

気仙沼を拠点に

地域を元気にするような

魅力的な活動を様々に

展開されていらっしゃるので

対談も実り多いものでした。

 

今回の企画を通し

分野を超えて

同時代を共にする方々と

様々な意見交換を

させて頂きました。

 

このひとときから

何かを生み出すような

活力や可能性を感じました。

 

このような素敵な機会に

巡り合うことが出来たことを

とても嬉しく思います。

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おかげさまを感じながら

7/17は作務(さむ)を

行いました。

 

作務とは

単に清掃であるだけでなく

空間と心を清める

修行でもあります。

 

おてらサポーターの方や

お声がけに応じて下さった方に

お手伝い頂きまして

堂内の清掃を行いました。

 

拭き掃除

掃き掃除

仏器磨き。

 

多くの心温まるご協力に

とても感激いたしました。

 

本堂の窓は鏡のごとくに

境内の光景を映しております。

 

磨き込まれた仏器は

一層の輝きを放っております。

 

お手伝い下さった皆様に

心より感謝申し上げます。

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戒名と御布施について

仏事において

最も多く寄せられるご質問は

戒名(法名)と御布施についてです。

 

この戒名であれば

どれ位の御布施を

お渡しすればよいですか?

 

この問いには

明確な金額を伴う答えは

ありません。

 

実際の所では位号(いごう)と

言われる部分を1つの基準として

納める御布施を

決められる方が

多いようですが

本質的な意味からすれば

微妙な所です。

 

お寺によっては

戒名料という形で

御布施とは別に御浄財を

お納め頂いたり

戒名別に御布施の目安を

定めている所もあります。

 

それらは多くの場合

お寺の運営や護持において

採用されている方法なので

本質的にどうこうという話とは

少し異なります。

 

話がそれましたが

位号(いごう)とは

孩児(がいじ)、孩女(がいにょ)

童子(どうじ)、童女(どうにょ)

信士(しんじ)、信女(しんにょ)

居士(こじ)、大姉(だいし)など

戒名(法名)の最後に添えられる

部分のことです。

 

次のような

ご要望もよく耳にします。

 

御布施の額に失礼があっては

ならないので戒名は

居士や大姉ではなく

信士や信女でお願いします。

 

こういったご要望は

珍しいことではありませんし

お気持ちも分かります。

 

しかし当山において

歴代住職が守り伝えてきた

志や姿勢からすれば

こういったご要望通りに

戒名を調整することは

出来かねます。

 

戒名は商品ではありません。

 

しかるべき戒名を

しかるべき方に

お授けさせて頂いております。

 

そもそも戒名は

位号によって

良いとか悪いとか

位が高い低いなどという

次元のものではありません。

 

仏弟子として

悠久の昔より受け継がれる

尊いお諭しである戒律を

正式に授かり

御教え(法)を担う者である

あかしが戒名(法名)です。

 

葬儀における戒名(法名)は

その方の歩みを讃えるものであり

現世的ものさし

金銭的ものさしにより

左右されるものではありません。

 

尊い命を授かり

立派に尽くされ

生涯を全うされた方の

お弔いに際し

御布施の事をはじめ

金銭的な不安を要因に

“違和感のある戒名”を

授けることは感心しません。

 

信士の戒名が”安い・平凡”

居士の戒名が”高い・偉い”など

いう考えは間違いです。

 

そういった「目」でもって

多くの戒名を見ることは

これまでに戒名を授かった方に

対しても大変に失礼なことです。

 

お気持ちは良く分かるのですが

僧侶としては

この点をしっかりと

お伝えしなければなりません。

 

有縁の方々に

儀式を執り行って頂き

お心をお運び頂き

新たな歩みの志を

お捧げすることこそが

最も大切です。

 

葬儀や仏事は

お弔いであると同時に

今を生きる方々の

心の修養の場でもあるのです。

 

それが本義であり

その部分がないがしろにされれば

古い祈りの形を受け継ぎ

諸々の作法をなすことを許された

僧侶が儀式を執り行う必要は

ないように感じます。

 

葬儀や法事のみが

ご供養ではありません。

 

それらはご供養の節目であり

自身ともお向き合い頂く

尊い機会です。

 

金額の価値は

尊い命の価値ではありません。

 

お金の価値は

相対的なものであり

日々刻々激しく変化しうるものですが

命の尊さははかり知れないものです。

 

尊い命の歩みを

讃えるものである戒名を

そのような「金額としての御布施」で

もって向き合うようなことは

仏道にはそぐいません。

 

どのように御布施を納めるか

明確に提示して頂きたいという

お声も寄せられますが

それでは御布施の本来の意味が

失われてしまいます。

 

時間の経過の中で

故人をお偲び頂きながら

どうするかをお考え頂いて

思いを通わせて頂いた上で

御布施をお納め頂きたく存じます。

 

先にも触れましたが

お気持ちは痛いほど

良く分かるのです。

 

当山では本義にのっとり

謹んで全ての儀式を

“全力で”執り行っております。

 

命に優劣がないゆえに

お弔いの儀式そのものにも

差別はありません。

 

有縁の方には

是非ともご理解頂きたい次第です。

 

▼【参考拙稿】お葬式について

https://fugenin643.com/blog/道を示すお葬式/

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