先日お迎えした
弘法大師像のお祀り方法を
模索しながら詰めています。
もともと祀られていたお堂では
御宝前に浄鏡が設置されており
その浄鏡もお像と一緒に託されたので
お像の前に設えました。
それと先代住職が作成した
「阿字本尊」という
観法で用いる法具も一緒に
設えてみました。
とても厳かに感じます。
▼before

▼after


先日お迎えした
弘法大師像のお祀り方法を
模索しながら詰めています。
もともと祀られていたお堂では
御宝前に浄鏡が設置されており
その浄鏡もお像と一緒に託されたので
お像の前に設えました。
それと先代住職が作成した
「阿字本尊」という
観法で用いる法具も一緒に
設えてみました。
とても厳かに感じます。
▼before

▼after


おてらおやつクラブの
発送作業を行いました。
お供物に加え
企業からの支援品を
箱詰めして
15箱を発送しました。
少しでも
お役だていただければ幸いです。


4月の不動護摩の
ご案内再掲です!
不動護摩
- 開催日:毎月28日
- 受付は午後6時30分から
- 法要は午後7時から
- まず、受付所で受付をしてください。そこでお布施をお納めください。会費等は設けませんが、お布施としてお気持ちの程お納めいただきますようお願いいたします。
- 受付所で受付用紙をお渡しするので、そちらにご記入し、ご提出ください。
- 授与所で授与品を用意するので、入用の方はお求めください。授与品は護摩木(1本500円)、供養護摩木(1本1,000円/供養護摩木用の申込用紙にご記入・ご提出してください)、お守り(一体1,000円)、不動経写経セット(2,000円)があります。
- 参加される方には、お経を記載した法要次第をお渡しします。よろしければご一緒にお唱えください。もちろん、お心静かにご参列いただいても構いません。法要次第はお持ち帰りいただいて結構です。
昨年より
供養のための護摩木である
供養護摩木を用意しています。
供養護摩木は
思いを捧げたい方の
お名前や戒名を
供養護摩木申し込み用紙に
お書きいただきまして
それを住職が護摩木に
したためます。
不動経写経セットも
昨年末から用意したので
ぜひお求めいただき
写経していただければと思います。
お納めいただいた浄財は
四大明王像の制作に
あてさせていただきます。
新年度最初の不動護摩です。
春を感じながら
護摩の時間を
ご一緒しませんか?
どなた様でも
ご参加いただけますので
ご興味をお持ちの方
ご都合よろしい方は
お気軽にお運びくださいませ。


昨年から
内々に進めている
本堂裏手の環境美化としての
アジサイプロジェクト。
アジサイの彩りを
境内に添えようと思ったのは
昨年ご逝去された
当山有縁の方との約束がきっかけです。
そういうこともあり
昨年夏頃から
アジサイプロジェクトを
内々に進めておりまして
親しい方や葬儀・法事で
ご一緒した方には
チラホラとこの件について
お話しておりました。
そういう経緯もあり
この件をご存知の方より
アジサイをいただきました。
いただいたアジサイにも
温かなご夫婦のエピソードが
込められています。
大切に守らせて
いただきたいと思います。


▼住職が昨年秋に挿し穂したアジサイの一部。
数年後に立派なアジサイになれば嬉しいです!


あなたが選ぶ
八戸の漢字一文字
を教えてください。
ご応募いただいた漢字を集計し
選考委員会にて選出された漢字を
京都清水寺・森清範貫主がライブ揮毫されます。
ぜひ皆さんが選ぶ漢字を
下記回答フォームから
ご回答いただければと思います。
▼「八戸の漢字一文字」回答フォーム
https://forms.gle/ugMzADSb8LhMbUhu8
森貫主は
6月11日にSG GROUPはちのへ(八戸市公会堂)で
開催される花まつりにて揮毫されます。
花まつりのチケットは
当日券もありますが
八戸仏教会の寺院または
事務局の常現寺(小中野)で
お求めいただけます(1枚1,000円)。
森貫主が八戸で揮毫される貴重な機会なので
多くの方に携わっていただければ幸いです。
「八戸の漢字一文字」のご応募へのご協力
何卒よろしくお願いいたします。
釈尊降誕花まつり
- 日程 令和7年6月11日(水)
- 受付 15時30分
- 開演 16時00分
- 会場 SG GROUPはちのへ(八戸市公会堂)
- チケット 1,000円(当日券アリ/八戸仏教会寺院または事務局・常現寺[小中野]でお求めいただけます)

昨年夏に墓地周辺のオンコの木を
バッサリ選定したので
視界が開けたため
春には桜が見えるようになりました。
昨年より
住職家の墓地の整理に伴い
墓地整備を進めておりまして
心地よくお参り出来るような
環境にしていきたいと思います。
仏壇じまい
墓じまい
お堂じまい等々
ご相談の多い昨今です。
当山ベースで
言えることは
実行するか否かは別として
こういった類は
早いうちから相談したり
どういった内容かを確認するなど
しておいた方が良いと考えています。
合葬墓や永代供養は
各所によって内容や方針が異なります。
ご相談は随時受付しているので
お気軽にお問い合わせください。
▼普賢院の合葬墓について
https://mytera.jp/tera/fugenin55/ohaka/#tera_tab_block


前回触れた様に
「七崎山普賢院」と刻された
観音版木の“発見”により
七崎山普賢院徳楽寺が徳楽寺の
正式名称かもしれないことと
七崎観音別当・七崎山普賢院の号を
本坊永福寺自坊・宝照山普賢院の号と
併用していたかもしれないことを
新たな説として提示することが出来ました。
特に後者は
史料の記載内容を踏まえるに
可能性は高いと思われます。
当山観音堂に主尊として祀られる
聖観音は七崎観音と通称され
この呼び名は
「七崎(地名)+観音(尊格名)」
という構成となっています。
普賢院住職は歴代
七崎観音別当という
お役を受け継いでいるので
この七崎観音という
名称を手がかりに
仏道のみおしえに
触れていただけるような
紐解き方をご紹介できればと
かねてより考えていました。
地名としての七崎を
仏道的な解読方法で
アプローチすることは
普段あまりなじみがないであろう
文化に触れていただく
機会にもなると思うのです。
ということで
前回は七に関する用語に触れたり
na-ra-sa(ja)-kiの音による
字義釈を紹介してみました。
明治を迎えて
必要に迫られた
旧観音堂の神社化に関しても
当時の状況下において
旧来の慣習を極力温存しつつ
明治スタイルに適応した形に
落ち着かせるため
縁起の改変作業が行われたであろう
ことについても述べました。
また幕末における新政権の政策構想として
国学者の立場より奉呈された史料中にて
記紀神話の神々と
皇系につらなる方々や
国家に功績のあった方々を
国家的に祭祀するよう主張するものがあり
藤原氏は「皇系につらなる方々」でした。
この構想にそった形で
明治元年以降に
神社創建があいついぐわけですが
旧観音堂の神社化と藤原諸江譚への縁起改変は
軌を同じくした可能性もあることも
前回言及しました。
国づくりにおいて明治政府は
「日本神話」を必要としました。
近代化と王政復古という
論理上どこか
不思議な組み合わせな方針が
とても特徴的といえます。
「日本神話」を核とした
国づくりの徹底は
諸経緯を経ることになり
国家神道を国教化することは
ありませんでしたが
国家神道は宗教ではなく祭祀であるされ
各地の神社は「祭祀の場」となり
神社化推進は政治的意図によるものでした。
そういう時代背景において
旧来からの縁起を
“時代的なもの”に
改変せざるを得なかったわけです。
こういった経緯に
触れることすらも
憚られることもあったと思いますが
当地では旧来のことについても
忘れられることなく
むしろ留めようとしていたようにも
感じられるのです。
そう感じるのは
大正期に記念刊行された
旧修験家・小泉家の神官による
『神社誌』の記述において
旧観音堂時代のことが明記され
さらに
後世において改変が必要な場合は
改変するようにアドバイスしているとも
取れる記述が見られます。
そこに当地の“イズム”を
読み取ることが
出来るように思います。
明治に入って程なくの
『新撰陸奥国誌』(明治9年[1876])に
次のような報告があります。
当社は何の頃の草創にか
究て古代の御正体を祭りたり
旧より正観音と称し
観音堂と呼なして
近郷に陰れなき古刹なり
数丈なる杉樹
地疆に森立して空に聳ひ
青苔地に布て如何さま
物ふりたる所なり
去は里人の崇仰も大方ならす
四時の祭会は元より
南部旧藩尊敬も他の比にあらす
常に参詣も絶えす
廟堂の構界区の装置まて
昔を忍ふ種となる所なり
同書における七崎の報告では
当時の「新縁起」について
垣間見られる記述があり
その件については
以前触れているので
そちらもお読みいただければと思います。
「数丈なる杉樹」は
天にそびえる大きな杉の木々を指し
それらが「森立」し
青苔が広がる“苔むす”地であり
その空間は
物ふりたる所であると
報告者は記述しています。
この記述には
当地において旧来より
大切にされていた空間に対する
讃嘆の思い
「もののあはれ」の思いが
込められていると思います。
「物」は様々な意味があり
古事記・日本書紀でも
需要な語と言えると思いますが
「霊性」つまり「たま」
とも置き換えられます。
ものふりたる所は
たまふりたる所とも
言い換えが出来ます。
そして旧七崎観音堂は
近郷に隠(陰)れなき古刹であり
並大抵ではなく(大方ならす)
信仰されてきたと評されており
南部藩領においても
比類ない程に常時参詣されていたと
往時について記載されています。
神社化が進められても
廟堂の構えや境内の作りが
往時(かつての様子)を
偲ばせるような場所だとも
記載されております。
「廟堂の構え」に関してですが
史料の記述に基づいて解釈するに
観音堂であったお堂の
仏像・仏具・荘厳具などが
撤去・搬出されて
同堂が廟堂として使用されています。
幕末の安政10年(1863)に
七崎観音堂は修繕されており
お堂自体はしっかりしていたため
そのまま使用したと思われます。
こういった神社化への対応においても
出来る限りにおいて
旧来からの慣習や祈りを温存して
行政的神仏分離の求めに応じたことが
想像されるのです。
以上のような内容にも触れながら
また七崎観音について
紐解いていきたいと思います。
つづく

市内のとあるお宅のお堂で
長きに渡り丁重に
祈り守られてきた弘法大師像。
そのお堂の整理にあたり
堂内仏像の引き受けの相談があり
当山にて祈り継がせて
いただくことにいたしました。
お堂に伺わせていただき
そのお宅の皆様のご参列のもと
遷座にあたる読経をして
搬出作業を行いました。
想定以上に大きな弘法大師像でして
とても立派な厨子で
お祀りされていました。
色々な経緯があって
祀られるようになったそうで
剣吉の方に祀られていたものが
こちらに移ってきたようです。
詳細は不明ですが
どうやら古い弘法大師像っぽいです。
尊顔は玉眼となっており
本格的なお像です。
本日お伺いしたお堂は
とても丁寧に祈りが捧げられてきたことが
伝わってくる空間でした。
様々な祈りが込められてきたものなので
きちんと祈り継がせて
いただきたいと思います。


▼お迎えした弘法大師像

新学期を迎えて
新しい日々に臨んでいる
子ども達の様子に
刺激をもらっています。
新生活にも
徐々に慣れてきたようで
いきいき前向きに
励んでいるように見えます。
まだ1ヶ月も経っていませんが
これからが楽しみです。

本日は
春の終活カフェでした。
これまで通りの慣習の維持の
難易度が高まるなか
これからのことを
考えることは
後の安心につながります。
これからのことを考える
何かしらのきっかけに
なればとの思いで
開催を重ねています。
短い時間でしたが
あれこれと共有できた
時間となりました。

