数年ごしの解読

当山を中興開山された

快傳(かいでん)上人は

当山に屋敷(庫裡)を建立されたことが

享保18年(1733)の棟札(むなふだ)に

したためられております。

 

当山には

古い棟札や木札や版木が

所蔵されておりますが

数ある中で最も“難解”だったのが

この享保18年の棟札です。

 

300年近く前のものゆえ

墨書がとても見えにくく

判読が難しいのもありますが

何といっても

かなり崩された字体が

解読のハードルを

グーンと高めておりました。

 

解読に挑むこと数年。

 

書かれてあることの

大部分は読み解けていたのですが

どうしても判読できない箇所がありました。

 

現在進められている

本堂建替事業で

仏像修繕をご担当いただいている

壺中堂(こちゅうどう)さんには

古文書解読に明るい方が

いらっしゃるので

ご協力いただいた所

長年解読出来なかった箇所の

解読に成功いたしました。

 

まず

本日話題としている

棟札(むなふだ)は

次のものです。

 

全体の内容については

別の機会に

紹介いたします。

 

字がかなり薄れていることもあり

長年解読出来ずにいた箇所ですが

古い位牌の判読の経験が豊富な

住職の智慧を借りて

字の輪郭を捉えて映像におさめ

その映像を専門家に

再度見ていただいて

解読に成功しました。

 

「再度」というのは

実は少し前に

同業者さんに棟札を

持っていっていただき

解読を依頼したのですが

解読がうまくいかず

今回が2度目のお願いだったのです。

 

解読出来なかった部分は

次の箇所です。

 

この写真は

棟札をそのまま写したものですが

ご覧の通り墨書はほぼ見えません。

 

ですが住職の経験を踏まえた

アドバイスにより

どのような字が書かれていたのかを

明らかにすることが出来

さらに専門家のお力を借り

解読することが出来ました。

 

ここには

両向旦中相談

五十貫取立也

と書かれていました。

 

「両向」とは両方のという意味ですが

これは現在の豊崎を指しており

江戸期の過去帳では

浅水側の南側を當村

浅水川の北側を向村

と書かれており

両方というのは

當村と向村のいずれもということを

指していると思われます。

 

「旦中」というのは

「檀家」を指します。

 

要するに

当時の檀家の方々が話し合われ

50貫を集めた

ということが書かれております。

 

50貫(かん)というのは金額です。

 

一文銭(いちもんせん)が

1000枚で1貫となります。

 

寛永通宝(かんえいつうほう)

という通貨を

ご存じの方は多いかと思います。

 

中央に四角い穴があり

そこに紐を通し束にして

扱うことがあったそうです。

 

寛永通宝一枚を

一文銭(いちもんせん)といいます。

 

一貫は千文。

 

ということは

五十貫だと五万文。

 

その価値が

現在ではいかほどになるかは

分かりませんが

当時の建設事業の一旦を

垣間見ることが

出来たことを嬉しく思います。

 

▼仁王門解体時に取り出された古銭。

寛永通宝(一枚が一文[いちもん])