会津斗南藩縁故者供養所が整ってまいりました

普賢院には

会津斗南藩(あいずとなみはん)の

方々の墓石が16基あります。

 

大部分は明治4〜5年に

亡くなられた方々のものです。

 

本堂建替事業の境内整備の一環で

供養所(くようしょ)を

整えることとなっております。

 

根城の番地石材店さんの

丁寧なお仕事により

とても良い具合に

完成してまいりました。

 

 

▼本日は夕焼け空が

とてもきれいでした。

仏像が新本堂に勢揃いしました

本尊像ほか修繕中だったものや

奉納いただいたものを含め

新本堂に全ての仏像が

各祭壇に安置されました。

 

掲げれる予定だった額類も

おおむね掲げていただきました。

 

仮本堂として使用していた会館には

脱活乾漆(だっかつかんしつ)の

薬師如来像が新本尊として祀られ

こちらの空間も

素晴らしいものとなりました。

 

経机や線香立てや

細かな仏具や備品などを

搬入すれば

引越し作業も

とりあえずは一段落

という所まで

来ることが出来ました。

 

堂内の様子などは

後日改めて

ご紹介させていただきます。

 

祖先の地にて修行してまいりました

新潟県柏崎刈羽の善照寺にて

便壇灌頂(かんじょう)という

阿闍梨(あじゃり)となるための

儀式に臨ませていただき

無事に終えてまいりました。

 

刈羽は

普賢院の現住職家である品田家の

祖先の地でもあり

今回修行道場であった善照寺は

祖先と有縁の古刹です。

 

そういったご縁があり

便壇灌頂は善照寺にて

修行させていただきたいと

思い至りました。

 

また

便壇灌頂をきちんと修行することは

先代との約束でもありました。

 

さらにいえば

新しい本堂が完成するという

歴史的な節目であったことも

便壇灌頂に臨もうという思いに

拍車をかけました。

 

色々な思いが重なり

挑ませていただいた

修行でしたが

滞りなく成満(じょうまん)

することが出来

安心しております。

 

それとともに

一層励まなければならないという

心持ちを新たにいたしました。

 

日々を大切にしつつ

精進してまいりたいと思います。

 

八体仏が久しぶりに勢揃いしました

昨日弘前より

お帰りになられた

6体の仏像の開眼供養など

諸作法を仮本堂にて

今朝お勤めした後

仮観音堂にお祀りいたしました。

 

久しぶりに

八体仏(はったいぶつ)全てが

勢揃いしたわけですが

威光倍増し

大変ありがたさが

感じられる雰囲気と

なったように思います。

 

お盆前に

八体仏が再集結したので

お参りの際は

ぜひご参拝下さいませ。

 

修繕を終えた八体仏のお迎えに行ってまいりました

八体仏(はったいぶつ)という

干支の守り本尊の仏像8体のうち

6体の修繕をお願いしていた

弘前の仏師・小堀寛治さんから

仕上がったとのご連絡をいただきまして

弘前へ仏像のお迎えに

行ってまいりました。

 

普賢院の八体仏は

弘化年間(1844〜48)のものです。

 

破損箇所が

とても多いのが

長年気になっていましたが

小堀さんのおかげで

原状をしっかりと留めた

素晴らしい状態にしていただき

心から安心いたしました。

 

▼修繕を終えた仏像

 

▼修繕前の仏像

 

▼仏師の小堀さんと

十和田湖伝説をモチーフにした懸仏

少し前に

ご奉納された懸仏(かけぼとけ)。

 

この懸仏は

拙僧泰峻の弟子である

中野太陽さんの発願を契機に

ご縁が整い

造立・奉納されたものです。

 

本日、懸仏を仮本堂に安置して

太陽さんにご一緒いただき

祈りをお捧げいたしました。

 

その時の様子を

お伝えする動画を用意したので

ご覧いただけると幸いです。

 

祖先の地へ

現在普賢院の寺族(じぞく)

である品田家は

現在の住職泰峻の曽祖父

品田長峻(ちょうしゅん)が

普賢院第61世住職に

任命されたことを端緒とし

現在に至っております。

 

その長峻大和尚の出身地は

現在の新潟県刈羽郡刈羽村です。

 

この刈羽村が

現在の普賢院の寺族である品田家の

祖先の地ということになります。

 

刈羽村には

善照寺(ぜんしょうじ)という

古いお寺があり

そこは真言宗豊山派の

修行道場のひとつでもあり

品田家の菩提寺でもあります。

 

拙僧泰峻の祖先ゆかりのお寺ということで

この善照寺にて便壇灌頂(びんだんかんじょう)

という阿闍梨になる儀式に

臨ませていただくことにいたしました。

 

昨日は

事前の伝授(講習)のため

善照寺へ行ってまいりました。

 

祖先の地にて

有意義な時間を過ごさせていただけたことを

大変うれしく思いました。

 

充実した建設会議と総代会でした

本堂建設委員会の施工部会に続き

総代会が開催されました。

 

いずれの会議も

役員の皆様のおかげで

とても充実したものとなり

今後の方針を

かなり鮮明にしていただきました。

 

モヤモヤと

考え悩んでいたことが

多々あったのですが

おかげさまで

視界が良好となり

今後の準備に

一層注力することが出来そうです。

 

大きな決定もいくつかあったのですが

おいおい有縁の皆様にも

お伝えしてまいりたいと思います。

 

【本日の境内アルバム】

 

【脇玄関の外観と内部】

八体仏コードを読み解く

八体仏(はったいぶつ)と呼ばれる

十二支の守り本尊が

当山には祀られています。

 

これらの仏像は

弘化年間(1844〜1848)に

奉納されたものです。

 

約180年前のものなので

それ相応の傷みは把握していたのですが

旧本堂から現在の仮観音堂へ

引っ越しする際に

改めて行った観察や

最近行った再観察により

浮かび上がってきたことがあります。

 

8体のうち3体は

台座の保存状態が良いのですが

他の5体については

何らかの理由で

程度の大きい破損や欠損が発生し

応急処置による修繕が

なされたと思われます。

 

特に大きな破損を被っているのは

文殊菩薩像です。

 

おそらく

地震などで落下・被災して

破損してしまい

散らばってしまった部材を

回収して接着したと思われます。

 

破損が見られる他の仏像についても

不足パーツが多く見られるので

同じような状況があったと

推測しています。

 

本堂建替事業の

関連事業として

八体仏の修繕にも

取り組みたいと考えております。

 

本堂建替事業では

本尊像や仁王像など

主だった仏像の修繕を

行うことが出来ましたが

八体仏の修繕までは

手が回りませんでした。

 

なので

八体仏の修繕など

本堂建替事業では手の回らなかった

事柄については

今後何らかの形で

取り組みたいと思います。

 

ご縁を深めていただいたり

歴史や文化や祈りに

触れていただけるような形で

取り組ませていただきたいと思うので

こちらの事業についても

しっかりと準備を

進めたいと思います。