新本堂での初めての南祖祭

法事や通夜などで

バタバタしていた中ではありましたが

現在の本堂で初めての

南祖祭を行うことが出来ました。

 

十分な準備の時間はありませんでしたが

とても良い具合に

落ち着いたように感じています。

 

今回の法式を叩き台として

来年はさらに良い時間になるよう

励みたいと思います。

 

本日の祭事は

友人の協力を得て

ライブ配信しました。

 

拙僧泰峻

9月以降は諸事猛烈に立て込んでおり

動画を編集する時間を

確保するのが難しくなっているため

ライブ配信で一部行事の様子を

お伝えしております。

 

ライブ配信なので

大小トラブルがあったりするのですが

大まかにでも様子を

把握していただければと思っています。

 

もしよろしければ

本日の南祖祭の様子を

ご覧くださいませ。

 

 

明日は南祖祭を行います

明日は午後3時から

南祖祭を行います。

 

手探りでの開催ではありますが

当山ならではの祭事として

今後続けていくことを

目指しております。

 

ご都合よろしい方

ご興味をお持ちの方は

ぜひご一緒くださいませ。

 

南祖祭の授与品のご案内

12/9は午後3時から

南祖祭を行います。

 

受付は午後2時30分からです。

 

本堂が新しくなって

初めての南祖祭となります。

 

授与品として

南祖法師の紙札を用意します。

 

それと

2年前にクラウドファンディングで制作した

絵本『龍になったおしょうさま』も

入用の方に頒布させていただきます。

 

絵本は残部が極少数なので

当日現地でのみの

頒布とさせていただきます。

 

絵本には

御朱印ページがあり

それ用の御朱印(押印式)もあるので

絵本をお持ちの方は

持参されて御朱印を

いただいてみてはいかがでしょう?

 

 

日に日に増してく年末感

明日が写経カフェなので

法事を終えてその準備に

全力を注ぐはずが

気晴らしに取り組んでしまった

年末年始の行事画像制作に精を出し

研究所の情報管理について

所長と主任にもご意見を伺ったりと

すっかり横道にそれてしまいました。

 

そもそも本日

やる予定ではなかったのですが

思いついてふと取り組んだもの

それぞれが良い形になったので

とても満足しています。

 

メインだったはずの

写経カフェの資料作りも

夜になって何とか終わりましたし

結果的には

とてもよく頑張った1日となりました(笑)

 

素敵な行事案内の画像が出来たので

本日はこちらに掲載させていただきます。

 

インスタ絵本を更新しています

2021年に

クラウドファンディングで制作した

絵本『龍になったおしょうさま』の

AIアート版「Nanso-Boy」を

インスタでアップしています。

 

本編が15話で構成されていまして

かなり不定期になってしまいましたが

本日までで9話分の画像を

公開しております。

 

ご興味をお持ちの方は

ご覧いただけると幸いです。

 

Nanso-Boyと表記したのは

実はきちんとした理由があり

南祖の持つNansoという

音の連なりに注目して

声字実相(しょうぎじっそう)という

考え方によって考えてみると

とても興味深い意味が

込められているのです。

 

修験者や語り部により

広く様々に語られてきた

十和田湖伝説ですが

そのコアな部分について

超専門的なものが実は踏まえられていると

推定することは可能と思いますし

伝説にもともと深く関わる

当山や関係寺院の諸事を踏まえてみると

可能性はかなり高いと思います。

 

12/9開催の南祖祭では

そういったことにも触れて

仏道的なアプローチで見る

伝説についてお話したいと思います。

 

 

 

本尊おとなりの普賢菩薩

本尊愛染明王に向かって

右側に祀られるのは

普賢菩薩(ふげんぼさつ)

という尊格です。

 

当山の普賢菩薩は

儀軌(ぎき)という

形式や方式がまとめられる

経典に見られる形相ではありません。

 

普賢菩薩として

祀られる尊格ですが

そのお姿は

菩薩形というより

弁財天や吉祥天といった

天部のお姿に近いように思います。

 

意図をもって

あえてこのような形相で

普賢菩薩を造仏した

可能性もあるのですが詳細は不明です。

 

とても柔らかな雰囲気の

素敵な尊格です。

 

以前は一部破損しており

全体的に塗料が剥げかかっていましたが

令和4年(2022)に修繕していただきました。

 

蓮を両手で執っており

その手にも印相(いんそう、意味のある手の形の意)

が見られるのが特徴のひとつです。

 

右手で蓮の茎の下方を執り

左手は頭指(ずし、人差し指の意)を立てて

残りの四指で蓮の茎を包むような形です。

 

右手は仏

左手は衆生を象徴することを踏まえると

この手の形に託された意味・願いが

浮かび上がってまいります。

 

この手の形や持物である蓮の形に

当山の普賢菩薩が宿す

本誓(ほんぜい)本願(ほんがん)の

一端を紐解く鍵があるといえます。

 

このことについては

機会を改めて

ご紹介してみたいと思います。

 

南祖祭のご案内

12月9日に

南祖祭(なんそさい)を行います。

 

南祖祭とは

十和田湖伝説の南祖坊で有名な

南祖法師(なんそほっし)に

祈りを捧げるひとときです。

 

法要と法話を行います。

 

南祖法師は

当山第2世・月法律師(がっぽうりっし)の

弟子とされます。

 

当山にはそのお像である

南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)が

祀られています。

 

また本年春に

南祖法師の御影(みえい、お姿の意)の軸を

新調いたしました。

 

今回の南祖祭では

御影軸の開眼も行います。

 

ご参列の方には

法要の途中で内陣にお入りいただき

御影軸と南祖法師尊像に

お参りいただきたいと思います。

 

 

南祖祭〜伝説に思いをはせつつ祈りを捧ぐ〜

日程 2023年12月9日

内容 法要と法話

時間 法要15時〜(受付は14時30分〜)終了後、法話【終了は16時頃】

会費 お気持ちの程、お布施としてお納め下さい。

会場 普賢院本堂

※申込は不要です。

 

法話は

「南祖法師の物語に見る仏道アラカルト」

と題して行わせていただきます。

 

十和田湖伝説は

現在も様々に語られていますが

仏道の観点からの紐解きは

管見する限り見られません。

 

仏教的解釈の試みをしようとしても

仏教学や真言学といった超専門的な

教相(きょうそう)と事相(じそう)に

通じていなければ

なかなか難しいのが実際だと感じます。

 

史料・資料を読み解くだけでは

なかなか浮かび上がってこない

躍動的な部分の照射は

仏道的観点が必要です。

 

そのような観点により

再検討してみることは

これまでとは違った角度から

光を当てることなので

新鮮な印象を

抱いていただけるように思います。

 

ちょっと余談ですが

ここ数年で

当山が所蔵する

文書や仏像などについての情報が

“大幅にアップデート”され

以前まで分からなかったことが

多く判明しています。

 

そういったことにも

触れながら今後は

様々な機会に

発信したいと考えています。

 

仏道は歩み方です。

 

では

十和田湖伝説が宿す「光」は

どのように歩み方を

照らしてくれるのでしょうか?

 

そんなことを

南祖法師ゆかりのお寺の住職として

さらには法燈を継承する

傳燈大阿闍梨として

お伝えすることが

役目のひとつと捉えています。

 

拙僧泰峻は現在

真言宗豊山派総合研究院

現代教化研究所常勤研究員という

お役目も預る身でもあるので

一研究者という立場からも

述べさせていただきたいと思います。

 

当日は時間の関係上

多くを語ることは難しいでしょうが

その一端をお伝え出来ればと思います。

 

伝説に思いをはせながら

祈りを捧げるひととき南祖祭。

 

どなた様もご参加いただけるので

ご都合のよろしい方

ご興味をお持ちの方は

ぜひご一緒くださいませ。

 

普賢院本尊の愛染明王③

各お寺の本尊と呼ばれる尊格(仏様)は

そのお寺の中心となるもので

とても重要な意味を持ちます。

 

普賢院の場合は

愛染明王が諸仏中において

最も重要な意味が託されています。

 

真言宗の本尊は大日如来という

色々な意味で

とんでもないスケールの尊格で

諸尊のみならず森羅万象の

本質や本地であると捉えます。

 

尊格でいえば

愛染明王も不動明王も観音菩薩も

大日如来の応身(おうじん)つまり

お姿のひとつのあり方であり

弁財天や大黒天などの諸天も諸神も

しかりというわけです。

 

木の幹と枝の関係で例えると

幹が大日如来で

枝が諸尊ともいえます。

 

こうした考え方は

真言宗でとても重要な曼荼羅(まんだら)を

理解するために欠かせないものです。

 

根本を同じくしながらも

諸尊はそれぞれ特徴的なお姿をしており

その違いは強調される御教えによるといえます。

 

根本的な意味を持ちながら

諸尊の差異により

一層躍動的に御教えを示すような

イメージを拙僧は抱いています。

 

大日如来が宿す御教えは

あらゆる諸尊にも通じている

といった方が分かりやすいかもしれません。

 

愛染明王には具体的に

どのような御教えが

託されているのかを

前回も引用した文章を

手がかりに見てみたいと思います。

 

今回は

下記1の赤い部分について

ご紹介いたします。

 

  1. 梵語羅誐(らぎゃ)は彩色・赤色・情欲等の義なり、故にその愛欲染着(あいよくせんじゃく)の義を取りて愛染王または染愛王という。この尊は愛欲貪染をそのまま浄菩提心とする三昧にして、瑜祇経(ゆぎきょう、金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経のこと)を本軌とす。(中略)衆生の本有倶生(ほんぬぐしょう)の欲染(よくせん)を直に浄菩提心の金剛薩埵(こんごうさった)の染愛三昧の化身とし、これを愛染明王とす。

  2. また金剛王秘密儀軌にこの尊の真言を説きて金剛王の真言とせり。王に鉤召(こうしょう)の徳ありて海内の民みな王に帰するが如く、愛染よく衆生を鉤召するが故に愛染王と名づけ、金剛王菩薩の化身とす。

  3. また菩薩の大悲は衆生を愛念したまうこと世間の恩愛の如く、この尊は敬愛の三昧にして、衆生をして仏の妙法を愛着せしめ、煩悩即菩提の理に入らしむ、これ金剛愛菩薩の化身なりとす。

  4. ただし金剛王菩薩とは、金剛薩埵の異名なるのみならず、薩・王・愛・喜の四菩薩は共に東方大圓鏡智(だいえんきょうち)菩提心門の尊にして体同義別なるが故に、結局本身は金剛薩埵なり、従って金剛薩埵の十七尊を眷属(けんぞく)とすることあり。

  5. また薩埵(金剛薩埵のこと)即大日の故にこの尊を直ちに大日如来とし、三十七尊を眷属とすることあり。あるいは瑜祇経の大勝金剛心瑜伽成就品第七に愛染王根本一字心明を説けるが故に、大勝金剛は愛染と同体なりとす。覚禅鈔には平等王・咤枳王等の異名を挙ぐれども本拠未審。

  6. 密号を離愛金剛といい、白寳口鈔に離は生死の業因を離れ、愛は菩提の妙果を愛する義にして、離染即愛染なりと釈せり。

『密教大辞典』より引用(※一部ひらがな・簡体字に改めています。一部送りがな・説明を捕捉しています。番号は筆者住職によります。)

 

改めて赤字にした部分を見てみましょう。

この尊は愛欲貪染をそのまま浄菩提心とする三昧にして

愛染明王の愛は

平たくいえば煩悩を指しており

愛染明王が司る

代表的な御教えは

煩悩即菩提というものです。

 

誰しも抱く煩悩は

本質的には穢れないものであるという

御教えが託されております。

 

ただし

この御教えは注意深く捉える必要があり

煩悩がそのまま尊いとしているわけではなく

“本質的に”という部分が大切ですし

仏道において煩悩がどのように捉えられているかを

前提として空(般若の思想)の視点に立って

煩悩即菩提であるとしなければなりません。

 

愛染明王は

むやみに祀ってはならないとされた尊格で

時代によっては特別な許可や

格式がなければ

お寺の本尊にすることが出来なかった尊格です。

 

それは

生半可に御教えを解釈すると

危険とされたからでもあります。

 

論理的に説明するのであれば

多くの説明事項があるので

ここではしませんが

愛染明王には

私たちの生き方を

強く後押ししてくれるような

メッセージが込められています。

 

真言宗で重要視される経典に

『般若理趣教』というお経があり

その教主は愛染明王ともされ

愛染明王に託された御教えに通じています。

 

『般若理趣教』は

法事や葬儀でよく唱えられるものですが

かつてはかなり修行を積んだ僧侶でなければ

扱うことが許されなかったお経です。

 

その理由は

先程と同様で

生半可な状態で取り扱うと

誤った解釈になりかねないためです。

 

そのため

拙僧も愛染明王や般若理趣教について

お伝えするにあたり

注意しながらご紹介したいと思います。

 

煩悩即菩提

という御教えが

代表的なものとして

託されているということを

今回のまとめとしまして

また次回につづけたいと思います。

 

つづく

 

 

 

普賢院本尊の愛染明王②

普賢院の本尊である

愛染明王について

何回かにわたっての紹介いたします。

 

そういえば修行時代に

お世話になった先生が

「住職は本尊のスポークスマンでもある」

とおっしゃられていました。

 

つまりは

本尊の代弁者ということです。

 

当山諸仏の中心として

祀られる本尊愛染明王について

本シリーズは

やや専門的な話題も交えつつ

進めていきたいと思います。

 

『密教大辞典』という

超専門的辞典があり

愛染明王の項冒頭に

以下のように記述されます。

 

  1. 梵語羅誐(らぎゃ)は彩色・赤色・情欲等の義なり、故にその愛欲染着(あいよくせんじゃく)の義を取りて愛染王または染愛王という。この尊は愛欲貪染をそのまま浄菩提心とする三昧にして、瑜祇経(ゆぎきょう、金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経のこと)を本軌とす。(中略)衆生の本有倶生(ほんぬぐしょう)の欲染(よくせん)を直に浄菩提心の金剛薩埵(こんごうさった)の染愛三昧の化身とし、これを愛染明王とす。
  2. また金剛王秘密儀軌にこの尊の真言を説きて金剛王の真言とせり。王に鉤召(こうしょう)の徳ありて海内の民みな王に帰するが如く、愛染よく衆生を鉤召するが故に愛染王と名づけ、金剛王菩薩の化身とす。
  3. また菩薩の大悲は衆生を愛念したまうこと世間の恩愛の如く、この尊は敬愛の三昧にして、衆生をして仏の妙法を愛着せしめ、煩悩即菩提の理に入らしむ、これ金剛愛菩薩の化身なりとす。
  4. ただし金剛王菩薩とは、金剛薩埵の異名なるのみならず、薩・王・愛・喜の四菩薩は共に東方大圓鏡智(だいえんきょうち)菩提心門の尊にして体同義別なるが故に、結局本身は金剛薩埵なり、従って金剛薩埵の十七尊を眷属(けんぞく)とすることあり。
  5. また薩埵(金剛薩埵のこと)即大日の故にこの尊を直ちに大日如来とし、三十七尊を眷属とすることあり。あるいは瑜祇経の大勝金剛心瑜伽成就品第七に愛染王根本一字心明を説けるが故に、大勝金剛は愛染と同体なりとす。覚禅鈔には平等王・咤枳王等の異名を挙ぐれども本拠未審。
  6. 密号を離愛金剛といい、白寳口鈔に離は生死の業因を離れ、愛は菩提の妙果を愛する義にして、離染即愛染なりと釈せり。

『密教大辞典』より引用(※一部ひらがな・簡体字に改めています。一部送りがな・説明を捕捉しています。番号は筆者住職によります。)

 

冒頭部分のみの記述ですが

様々なことが踏まえられてのものゆえ

専門的で分かりにくいと思いますので

捕捉説明を加えつつ

少しずつ読み進めてまいりましょう。

 

まず愛染明王には

様々な名称があります。

 

引用には

羅誐(らぎゃ)、愛染王、染愛王

といった名称が見られます。

 

主要な尊格には

密号(みつごう)というお名前もあり

愛染明王は離愛金剛(りあいこんごう)が

その名となっています。

 

ちなみに

大日如来の密号は

遍照金剛(へんじょうこんごう)です。

 

真言宗では宗祖宝号として

南無大師遍照金剛と

お唱えすることが通例ですが

この遍照金剛は大日如来を指します。

 

これには理由がありまして

弘法大師が唐で入壇した

灌頂(かんじょう)という儀式の

投華得仏(とうけとくぶつ)という作法にて

両部曼荼羅ともに大日如来と結縁したため

弘法大師と大日如来(遍照金剛)が

ひとつの文言に連ねられています。

 

真言宗の本尊である大日如来は

「総体の仏」とされ

あらゆる尊格の本体は大日如来とされます。

 

あらゆる尊格の本体は大日如来とされますが

尊格と尊格の対応関係には

個別具体的に

伝統的に重んじられてきたものや

信仰されてきたものが多くあります。

 

引用文に見られる

愛染明王と同体とされる尊格は

大日如来、金剛薩埵、金剛王菩薩、

金剛愛菩薩、大勝金剛が

挙げられています。

 

このほかにも

愛染明王は不動明王と一体であるとされるなど

様々な関係性が伝えられます。

 

一見複雑な関係に見えますが

これらは修法における

趣旨の違いによっていたり

法流という系譜の違いによっていたり

阿闍梨の意図によっていたりと

色々なことに起因しています。

 

深い御教えが託されているがゆえに

さまざまな対応関係が説かれ

特徴的なお姿をされているといえます。

 

今回はここまでといたします。

つづく

 

普賢院本尊の愛染明王①

普賢院には多くの尊格(仏さま)が

お祀りされますが

当山においてそれら全てを統括するのは

本尊・愛染明王(あいぜんみょうおう)です。

 

本堂という名前は

本尊堂(ほんぞんどう)

または根本中堂(こんぽんちゅうどう)を

略したものとされますが

本尊が祀られる

お山の最も大切なお堂という意味があります。

 

愛染明王という御仏は

最極深秘(さいごくじんぴ)の仏とされ

時代によっては

認可なく本尊にすることが

出来なかった尊格です。

 

八戸で

愛染明王を本尊とする寺院は

普賢院のみです。

 

高野山金剛峯寺を

ご存知の方は多いと思いますが

金剛峯寺の寺号(じごう、お寺の名前の意)の

「金剛峯」という文言は

愛染明王が説かれる

『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』という

お経に由来します。

 

インパクトあるお姿をしている

愛染明王ですが

とても深い御教えを宿した仏さまです。

 

本尊さまについて

これまでご紹介する機会が

なかったように思うので

歴史的なことにも触れながら

何回かに分けて

当山の愛染明王について

記してみたいと思います。

 

 

▼修繕前