仁王像が当山に運搬されました

当山の仁王像は

明治期の目録によれば

享保3年(1718)に作仏され

津島弥十郎清春により

奉納されたものです。

 

修繕を終えた仁王像が

本日当山に運搬されました。

 

一部解体していただいて

大きな木箱に納めていただき

遠路秋田県湯沢市から当山まで

松本工務店の清水部長に

運搬していただきました。

 

明日は

修繕を手掛けて下さった

阿部正助商店の職人さんが

おいで下さり

安置場所にて

仁王像を組み立てて下さいます。

 

普賢院の“門番”である

仁王様が所定箇所に

再びお立ちになると

境内の雰囲気が

一段と“締まる”ものと想像しております。

 

▼旧 仁王門と仁王像(令和2年8月29日撮影)

 

▼仁王像の搬出(令和2年9月28日撮影)

 

▼修繕前の仁王像

 

▼修繕後の仁王像

 

▼新 仁王門の木材

 

▼修繕を終えた仁王像が積まれたトラック

 

▼境内の様子

 

▼新 仁王門の基礎と足場

仏像の劇的ビフォーアフター

修繕後の仏像の画像と

修繕前の様子を

見比べてみると

その変化を実感します。

 

どれも古いものですが

新たな息吹が吹き込まれ

威光倍増の

ありがたさが感じられます。

 

仁王像は

仁王門建設の関係で

早速お戻りになられます。

 

仁王門の建設に向け

使われる木材が

境内に運び込まれ

準備が進められていました。

 

仁王門は

以前と同等の大きさですが

使用される木材は

とても良質なものが用いられるので

立派に感じられると思います。

 

そこに

装い新たな仁王像が

ご安置されるわけですので

完成がとても楽しみです。

 

〈仁王像〉

▼修繕前

 

▼修繕後

 

〈愛染明王像〉

▼修繕前

 

▼修繕中(令和3年6月13日の様子)

 

▼修繕後

 

〈普賢菩薩像〉

▼修繕前

 

▼修繕後

 

〈本 七崎観音像〉

▼修繕前(向かって左の聖観音像)

 

▼修繕中(令和3年6月13日の様子)

 

▼修繕後(仏像本体は古式仕上げ)

観音堂の仏像配置を再考中です

旧本堂の観音堂の建具を

再利用する関係で

未定であった観音堂の内殿の

寸法が決められまして

祭壇スペースが

一気に形作られました。

 

スペースの大きさが

決まったことに伴い

観音堂内殿に安置する

お仏像の配置を

再考しております。

 

内殿の祭壇位置が

旧本堂よりかなり髙いうえ

奥行きがあるため

秘仏・現七崎観音を

中央の奥にご安置すると

ご開帳する際に

内殿に入り込まないといけないですし

もともと現七崎観音は

ご本体仏の本七崎観音の

御前立ちだったわけなので

内殿奥側に本七崎観音をお祀りして

その前に現七崎観音をお祀りすれば

ご開帳に際する懸念も解消されます。

 

そうした場合

中央に本七崎観音と現七崎観音が

縦に安置されることになり

向かって右側スペースが空くので

そこに学秀仏・千手観音坐像を

ご安置すればどうだろうかなどと

考えめぐらせております。

 

あくまでも思案段階です。

 

観音扉や飾り柱が設置されてから

安置スペースを実際に

確認してからの決定となるので

最終判断は

お仏像を配置してみてからとなります。

 

この類の決定は

今後の慣習に影響するものゆえ

責任重大です。

 

住職でしか

決定することの出来ないことなので

慎重に検討したいと思います。

 

絵本刊行イベントの動画を用意しました

4/10に八戸ブックセンターで開催された

絵本『龍になったおしょうさま』

刊行記念イベント

「十和田湖伝説と南祖法師」の

様子をお伝えする動画を用意しました。

 

ご覧いただき

当地に伝わる伝説と

ご縁を深めていただけると幸いです。

 

種市佳子さんによる

素晴らしい

絵本読み聞かせに始まり

絵本の原本である写本の紹介や

クラウドファンディングでの絵本づくり

にまつわるエピソード

さらに絵本づくりに込めた

メッセージについて

絵本の文と編集をご担当いただいた

こつひつじや小松美央さんと

お伝えさせていただきました。

 

絵本刊行記念のイベントが行われました

八戸ブックセンターの

読書会ルームにて

絵本『龍になったおしょうさま』

刊行記念イベント

「十和田湖伝説と南祖法師」が

開催されました。

 

とても素敵な空間で

和やかな時間を

ご一緒させていただき

感謝しております。

 

ご一緒下さった皆様

ありがとうございました。

 

催事の様子をお伝えする動画を

編集したのですが

書き出しに時間がかかっているため

YouTubeチャンネルへのアップは

明日とさせていただきます。

 

新年度のフォトアルバムとして

現在進められている本堂建替事業では

本堂の建設に伴い境内整備も行われます。

 

今月以降、各種工事が

一層本格化するにあたり

現時点での各所について

記録を整えておきたいと思います。

 

以下

各所の写真画像を掲載いたします。

 

▼午前5時半頃の東の空

 

▼朝日に照らされる本堂

 

▼左官工事の様子

 

▼工事中の堂内の様子(お昼頃)

 

▼中央内陣

 

▼観音堂

 

▼地蔵堂

 

▼仁王門基礎と本堂

 

▼正午頃の様子

 

▼仮置している石造物各種

 

▼仮置している北沼観音の囲い屋根

 

▼歴代住職墓とこれから工事が始まる石造物の基礎

 

▼石造物の基礎各種

手前:合葬墓基礎

中央:会津斗南藩縁故者供養碑基礎

奥側:十和田湖青龍権現碑基礎

 

▼会津斗南藩縁故者墓石と当山縁故者墓石

厳しい時代背景と神童南祖丸という視点

 

▼イベント情報はコチラ

「十和田湖伝説と南祖法師」の詳細

 

令和4年4月10日午前10時から

八戸ブックセンターで開催される

絵本刊行イベント「十和田湖伝説と南祖法師」

は残席1となりました。

 

感染症対策の兼ね合いで

今回は定員10名での開催です。

 

当日のスライド資料を本日仕上げました。

 

短い時間ですが

有意義な時間を

ご一緒させていただきたいと思います。

 

クラウドファンディングで制作した

絵本『龍になったおしょうさま』の

“原作”は『十和田山神教記』

(とわださんじんきょうき)

という幕末の写本で

当山では2冊所蔵されております。

 

この写本は

その内容が

仏教説話的要素が色濃い点に

特徴があります。

 

現在

十和田湖の現地で「伝説」として

語られている内容は

様々な写本の要素が

組み合わされて成っていると

指摘することが出来ます。

 

近世以降(江戸期以降)

様々な写本が作られて

様々な形で様々に語られるわけですが

このバラエティーに富んだあり方への

向き合い方は

まだまだ未着手の部分があるように思います。

 

一つ例をあげるとすれば

時代背景的な部分でいえば

死生学で指摘される

死生観の転換を踏まえることも

出来ると思われます。

 

“神仏の申し子”であったり“神童”として

描かれる南祖法師が

最終的に神仏につながる存在になり

入定(にゅうじょう)して

十和田湖を介した

現世と“地続き的な常世”にあり続けるような

描かれ方に

その時代的死生観が反映されていると

想定するならば

これまで主に考えられてきた筋書き以外に

浮かび上がってくる「時代の声」が

聞こえてくるように思うのです。

 

本堂建替や住職交代という節目にあったため

改めて過去帳を見てみると

江戸〜昭和のある時期までは

とても多くの子どもが亡くなっていることに

気が付かされます。

 

子どもの成長にちなんだ行事を

大切にする伝統が

日本にはありますが

これは子どもが健やかに生育することが

いかに尊いものとして

捉えられていたのかということにも

通じる話とえいます。

 

江戸期の東北は

幾度も飢饉(ききん)に見舞われ

子どものみならず

多くの命が犠牲になっています。

 

当山の棟札(むなふだ)や文書の類を見ても

そういった時代において

切実に願いが捧げられた形跡が見られます。

 

このような視点から

南祖法師の伝説を眺めると

これまでとは少し異なった心情の持ち方による

伝説との向き合い方を

想定出来るように思います。

 

実は本年2月に

青森県津軽地方のある慣習を事例とした論文を

現代教化研究所という研究機関の研究員として

提出したのですが

これは死生観を手がかりとして

現代的供養の特徴について

述べさせていただいたものです。

 

2年越しの執筆だったので

当初の予定よりも

掘り下げた形で仕上げることが出来まして

その一連の研究の中で

近世の東北の状況が

いかに過酷なものであったのかを

改めて確認させられました。

 

という伏線があり

十和田湖伝説を死生観という観点を踏まえて

眺めてみることの可能性に思い至ったわけです。

 

 

 

 

少し話は変わりますが

当山は南祖法師が修行したとされるご縁で

十和田湖伝説が語られる際に

触れられることが多くあります。

 

十和田湖において

伝説は観光資源として大切にされており

それをもとにした取り組みが盛んであるのは

とてもよろしいことだと思いますが

当山の由緒や縁起について

当山が所蔵する棟札(むなふだ)や過去帳を含む文書の記述や

当山・当地にて語り継がれている内容とは全く異なる様々な形で

断定的に語っている方もいらっしゃる様です。

 

十和田信仰の関連寺社は

少ないため

そういったお話を現地等で耳にされた方が

当山においでになられて

色々と質問いただく場合が多いのですが

中には完全な事実誤認を

引き起こされているケースも見られ

これはちょっと…と

思わされることもありました。

 

関連寺社のひとつである

当山が把握する内容とは全く異なる

当山についての言説がなされているわけですから

当山・当地として

歓迎するものであるわけがありません。

 

観光目的としての語りということで

関連地各所にて語り継がれる

寺社の縁起の尊さは

関係ないのかもしれませんが

明らかに配慮に欠けているように感じます。

 

せっかくのご縁があっても

こういったことが続けば有縁各所が

疎遠になってしまうのではないでしょうか…

 

少なくとも

現在の当山としましては

何かご相談されたとしても

お力になれることは

あまりないと考えています。

 

それはそれとして

これまで拙僧泰峻は

お堂内陣にお入りいただき

各仏像を近くでじっくり

ご覧いただくことに対して

あまりに無警戒な部分があったうえ

縁起等の根拠となりうる

所蔵文書等の内容の公開が

最近まで少なかったということもあり

今回話題としているような状況を

ある意味助長していたとも感じられるので

この点は方針を改めたいと思います。

 

普賢院住職には

七崎観音別当という肩書もあり

現在は内御堂となっている

七崎観音堂を司る役目もあります。

 

普賢院(七崎永福寺)と

七崎観音堂(七崎山徳楽寺)の

縁起を守り伝えるのも当山住職の勤めです。

 

そもそも当山は

十和田湖伝説ゆかりのお寺ではありますが

観光のためのお寺ではありません。

 

当山は

檀信徒の皆さんや有縁の皆様により

お支えいただき

お守りされてきた寺院であり

代々「祈り」(供養・祈願など)に

力を入れてきたお寺です。

 

歴代数えられない程

沢山の方々に

携わっていただいてきて

今の普賢院があるということを

お踏まえいただいたうえで

諸事ご対応いただきたいものです。

南祖法師伝説の読み聞かせテキストが届きました

▼イベント情報はコチラ

「十和田湖伝説と南祖法師」の詳細

 

令和4年4月10日に

八戸ブックセンターで行われる

絵本刊行イベント

「十和田湖伝説と南祖法師」に向け

読み聞かせようにオリジナル冊子を

用意いたしました。

 

ソフトカバーで使いやすい仕様となっています。

 

イベント参加者に

資料としてお渡しいたします。

 

残席があとわずかとなっておりますので

ご関心をお持ちの方は

お早めにお申し込みいただきますよう

お願いいたします。

 

お申込み先は

先に記したURL先のイベント情報に

掲載しております。

 

十和田湖伝説ついでの

ご報告ですが

拙僧のお弟子さんである

中野太陽さんが

クラウドファンディングで

三湖伝説に思いをはせる

龍王龍女像の造立を

見事に達成されました。

 

龍王像一体と龍女像一体を

弘前市在住の仏師・小堀寛治さんに

彫っていただき

先日その御像を受け取られ

現在当山にお迎えされております。

 

龍王像は八郎

龍女像は辰子姫を

モチーフに造立されています。

 

御像を正式にお祀りするための

開眼作法(かいげんさほう)は

後日改めてお勤めいたします。

 

龍王龍女については

これまでの経緯も紹介しつつ

改めてお知らせいたします。

 

更地となった北沼観音

仁王門裏に祀られていた

北沼観音(きたぬまかんのん)は

本堂建替事業にて行う

外構工事の一環で

別所に移設いたします。

 

新たな奉斎地への安置は

まだしばらく先になりますが

4月より仁王門の建設工事が

始まる関係もあり

北沼観音のお社は一旦解体され

境内に仮置きしまして

これまでの奉斎地は

完全に更地となりました。

 

北沼観音は

七崎姫(ならさきひめ)伝説と

関わりのある観音様で

もともとは八戸市八太郎に

鎮座していたものです。

 

旧奉斎地である

蓮沼(はすぬま)が

埋め立てられることになったため

当山に遷座され現在に至っております。

 

北沼観音の祭事については

ここしばらく現住職のみで

参拝・作法するに留まっているので

きちんとした形で

祈りを捧げるべく

色々と思案しております。

 

今後新たに奉斎する場所は

本堂前方のスペースで

会館と本堂をつなぐスロープに

並行する位置となります。

 

これまでに比べて

格段に参詣しやすい場所になるので

きちんと荘厳させていただき

祈りを捧げるとともに

その縁起・由来を後世に

伝えられるよう

環境を整えられればと

考えております。

 

八太郎の蓮沼から当地への遷座に

当時携わった方々の

お気持ちを想像するに

切なるものがあったようにも

思われるのです。

 

蓮沼で祭事が行われていた頃の

写真が残っていますが

盛大に祈りが捧げられていたことを

窺い知ることが出来ます。

 

行事を行うことが

目的というわけではありませんで

拙僧として大切にしたいのは

自身の出来る丁寧な形で

祈りを捧げるということに尽きます。

 

この点は

拙僧が法務の全てにおいて

心がけていることでもあります。

 

北沼観音につきましても

丁寧にお祀りするために

出来ることを出来る形で

勤めさせていただきたいと思います。

 

 

▼祈りの“痕跡”

 

▼蓮沼時代の記録

 

▼北沼観音について

200有余年ぶりに蘇った大般若

文化7年(1810)に

当山の本堂は火災に遭ったため

仏像仏具や古文書の多くが

焼失したとされております。

 

焼失したもののなかに

大般若経(だいはんにゃきょう)

という600巻にも及ぶ

経典があったとされます。

 

この大般若という経典は

転読(てんどく)という

作法をもって

祈りが捧げられるものでもあります。

 

大般若は

西遊記のモデルとされる

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が

天竺から「中国」に

持ち帰られたとされます。

 

本堂建替という歴史的節目にあたり

大般若も新調いたしました。

 

つきましては

本堂落慶法要は

大般若転読会(だいはんやてんどくえ)

という大般若を用いた法要を

厳修いたします。

 

当山で大般若を行うのは

実に200有余年ぶりとなります。

 

大般若は

600巻よりなる経典です。

 

以前にも記しましたが

折角の機会ですので

今後は1巻1巻に施主さんを

募集させていただき

各巻末に施主名と願目を

記載させていただきたいと

考えております。

 

施主となっていただいた方には

その証として

各巻毎に用意した祈祷札を

お渡し出来ればと思案中です。

 

この「大般若奉納祈願」(仮称)

に際してお納めいただいたご浄財は

伐採・製材したイチョウの

仏像加工であったり

本堂建替事業の中では

着手出来なかった部分の

修繕や整備などにあて

祈りの環境を整えることに

繋げさせていただきたいと

思いをめぐらせております。

 

大般若600巻の膨大な経典の

心髄・精髄が記されたお経が

般若心経とされます。

 

また

真言宗で最重要視され

法事や葬儀などで

必ず読誦される

般若理趣経(はんにゃりしゅきょう)

というお経もまた

大般若や般若心経と同じく

般若経典というグループに属する

経典となります。

 

般若とは智慧(ちえ)を指し

空の思想につながるものです。

 

そういったことも

お伝えしつつ

ご縁をお結びいただいた方々や

祈りをお捧げされる方々の

思いが廻らされるような

環境をしっかりと整えるのは

住職としての

重要な責務と常々捉えています。