本日は“納めの地蔵”でした

毎月24日は

お地蔵様のご縁日です。

 

当日だけでなく

宵宮のように前日も

“ご縁日”に含めることもあります。

 

普賢院本堂は

主に3つのお堂から成っています。

 

その3つとは

愛染堂(あいぜんどう)

観音堂(かんのんどう)

地蔵堂(じぞうどう)です。

 

現在の本堂建立の際に

用意した棟札(むなふだ)も

3枚したためさせていただきました。

 

愛染堂は本尊の愛染明王が

祀られる中央の内陣のことです。

 

観音堂は

中央内陣に向かって左側のスペースで

七崎観音(ならさきかんのん)はじめ

多くの仏像が祀られています。

 

中央内陣に向かって右側のスペースが

地蔵堂になるわけですが

この中央に子安地蔵(こやすじぞう)が

主尊として祀られています。

 

子安地蔵は

当地域では子安様(こやすさま)と呼ばれ

子どもと特に縁が深いとされます。

 

子安様は

子どもを胸に抱いたお姿をしており

とても柔らかな雰囲気のお地蔵様です。

 

子安様には

子宝祈願や安産祈願や成長祈願に加え

先立った子どもたちのご供養への思いなど

様々な願いが託されております。

 

それらの願いが結ばれるよう

本年最後のご縁日にあたり

祈りをお捧げいたしました。

 

十和田湖青龍大権現碑が建立されました

本堂裏手にある

境内墓地の一隅に

十和田湖青龍大権現碑が

建立されました。

 

こちらは

根城の番地石材店さんが

ご奉納くださったものです。

 

当山は

南祖坊(なんそのぼう)として

当地で知られる僧侶

南祖法師(なんそほっし)が

修行したと伝えられます。

 

南祖法師は

全国を行脚したのちに

十和田湖に結縁(けちえん)し

十和田湖の龍神である

青龍大権現となったと

伝説では伝えられます。

 

そのようなご縁もあり

十和田湖の方に

手を合わせられるよう位置取りをして

十和田湖青龍大権現碑を

建立していただきました。

 

当山をご参詣の際は

本堂内の南祖堂とあわせて

こちらの青龍大権現碑も

お参りいただき

十和田湖伝説に思いを

はせていただければと思います。

 

 

▼本堂内の南祖堂

 

▼夜のライトアップのテストをしてみました。

 

とても幻想的です。

今後のご祈祷について検討中です

毎月8日は薬師如来のご縁日。

 

毎月18日は観音菩薩のご縁日。

 

毎月28日は不動明王のご縁日。

 

真言宗寺院では

毎月8のつく日に

ご祈祷を行う寺院が多いのですが

それはご縁日と関係があります。

 

お薬師様も観音様もお不動様も

ご祈祷と関わりの深い尊格とされます。

 

当山ではご供養のみならず

伝統的にご祈祷も行われます。

 

法事と同じ様に

ご祈祷も事前に日時を決めさせていただき

観音堂でお勤めしております。

 

観音堂では

護摩(ごま)も修法されます。

 

3年前には

毎月28日に有志で集まり

不動明王を本尊とした護摩を

修法したこともありました。

 

本堂が改まり

会館にはお薬師様がお祀りされ

さらに大般若経も改められたので

ご祈祷について

色々と検討したいと考えています。

 

当山は

祈願寺(祈祷寺)としての歴史が長く

様々な種類のご祈祷が

歴代行われてまいりました。

 

様々なご祈祷の機会を設けることは

そういった歴史に

触れていただくことでもありますし

当山に祀られる様々な尊格と

ご縁を深めていただく機会であったり

各尊格や諸作法が宿す意味に

触れていただく機会でもあります。

 

また

間もなく終了する

本堂建替事業で

手が回らなかった事と

関連づけて

催事の開催を重ねることも

一案として抱いております。

 

例えば

伐採したイチョウの木を

どのようにするかであったり

老朽化しつつある裏手の

稲荷大明神のお社の修繕であったり

本堂の欄間の準備であったりなどと

ご祈祷に関わる催事を関係付け

環境整備にもつなげていくといった

流れを一案としてイメージしています。

 

催事については今後の話ですが

ご縁日は毎月必ず訪れるもので

当山では朝のお勤めが

ご縁日によって内容を

若干変えて行っております。

 

明日は観音様のご縁日なので

“観音様仕様”の朝勤行となります。

 

拙僧泰峻は

かねてより各ご縁日を

大切なものとして捉えておりまして

とても深いものだと感じています。

 

明日のご縁日も

秋を感じながら

祈りを捧げたいと思います。

 

素晴らしい記念誌になりそうです

本堂建設にあたり

ご協力いただいた有縁の皆様へ

記念品としてお渡しする

記念誌の作成に

取り組んでまいりましたが

何とか最終決定稿に至り

入稿することが出来ました。

 

制作は

昨年クラウドファンディングで

絵本『龍になったおしょうさま』を

手掛けさせていただいた

チーム「かたり部(ぶ)」で

取り組ませていただきました。

 

便壇灌頂(びんだんかんじょう)や

法務(葬儀や法事や祈祷)や

彼岸や引っ越しと

バタバタしている中で

10月上旬がタイムリミットという

かなり限られた時間内での

制作作業でしたが

頼もしい仲間に支えられ

入稿することが出来ました。

 

本堂落慶という

歴史的節目の記念誌として

お喜びいただけるものが

出来たのではないかと思います。

 

この度の

本堂建替事業は

当山に祀られる

仏像や仏具の由緒を再確認する

機会であると同時に

当山が所蔵する

棟札(むなふだ)や版木(はんぎ)

古次第を含む古文書などを

総整理することが出来た

尊い機会でもありました。

 

これらのことは

大変大きな意義あることでして

ある意味“歴史的大発見”になったことや

巷で伝えられてきた

いわば“定説”が

書き換えられるような

確認がなされたりですとか

誤って流布されている情報が

やはり誤植であることの

裏付けとなることの

確認がなされたりですとか

とにかく意味ある機会となりました。

 

そういったことも踏まえて

記念誌が作成されており

過去帳も含めた当山所蔵の諸史料の

内容を反映した形で

大まかな由緒の紹介にも

触れられておりますので

有縁の皆様には

当山・当地とのご縁を

一層お深めいただけるものと

期待しております。

 

有縁の皆様

ご寄進下さった皆様には

12月の落慶式の際に

お渡しいたしますので

もうしばらくお待ち下さい。

 

記念誌のお渡しに関してですが

原則として

当山にてお受け取りいただきたく存じます。

 

県外など遠方にお住まいの方には

郵送にてお届けしますが

圧倒的に市内近辺に

お住まいの方が多いため

原則としては

落慶式にてお受け取りか

落慶式以後に当山にて

お受け取りとさせて

いただきたいと考えております。

 

新たな本堂を

実際にご覧いただきたいという

思いもありますし

追加工事などが発生して

予算的に厳しい部分もあるという

会計的な理由も

少なからずございます。

 

11月中頃に

12月11日の本葬・晋山式のご案内と

12月12日の本堂落慶式のご案内を

有縁の皆様にお届けいたしますが

その際に返信ハガキを同封いたします。

 

返信ハガキには

両日の行事への出欠と

住所・氏名をお書きいただき

ご返信いただきたく存じます。

 

ご案内にも記載しますが

遠方にお住まいの方で

記念誌の郵送をご希望の場合は

その返信ハガキの余白に

その旨を

ご記入いただこうと考えております。

 

ちなみにですが

記念誌の作成を終え

これから

本葬・晋山式と本堂落慶式の

ご案内などの諸書類の

作成に取り掛かります。

 

これまで

述べさせていただいたことを

体裁を整えつつ

文字にしていく所です。

 

それと同時並行で

各日の当日用の

パンフレットの作成も

そろそろ取り掛かりたいと

考えております。

 

頑張ります!

 

なお

本記念誌は

本堂落慶記念として

ご協力下さった有縁の皆様へ

贈呈されるものゆえ

一般頒布の予定はございませんので

ご了承願います。

 

 

勧募浄財は引き続き受付中です

本堂建替事業では

多くの方のご協力のおかげで

目標としていた

本堂の建設が遂げられましたが

勧募金の受付を継続しておりますので

ご協力の程

よろしくお願い申し上げます。

 

勧募浄財ご納入口座(JAバンク)

八戸農協 上長(カミナガ)支店

口座番号 0024185

口座名 普賢院本堂建設委員会(フゲンインホンドウケンセツイインカイ)

 

檀信徒の方以外で

ご納入いただける方は

帳簿管理の都合上

お名前やご住所など

お伺いしたいので

fugenin643@gmail.com

にメールでご連絡願います。

御影や御宝号の事業などへの無断使用の懸念

当山に祀られる尊格(神仏)の

お姿の画像であったり名称を

当山以外の事業等において

事前の詳細な確認であったり

実物を拝見したうえの許可なく

使用することは

いかがなものかと懸念しています。

 

仏道にも神道にも

神仏と向き合う際だけでなく

神仏について

お伝えする際や

お姿や宝号(神仏等の名称)を

用いさせていただく際は

一種の“マナー”があります。

 

そういったことを

お伝えしたり

ご相談に対応するのも

神仏に携わる者の

大切な役目といえます。

 

具体的なことは述べませんが

当山がお守りする観音様に

関連することで

とても失礼と感じられる形で

とある事業に

写真や名称が用いられたケースが

本年見られました。

 

それだけでなく

その事業概要を説明するにあたり

当地域の抱える「難題」として

当山が何年もかけて

取り組んでまいりました

本堂建替事業にも言及があり

「地域の方に高額な寄付金の負担が

余儀なく決定された」という

経緯を全く無視した形で

紹介されていたようで

とても残念に感じています。

 

携わっていらっしゃる方々は

一生懸命に

取り組まれていたでしょうし

全く悪気はなかったと

確信していたため

申し立てはいたしませんが

将来のことも考え

当ブログに

拙稿をしたためさせて下さい。

 

先に結論からいいますが

尊格のお姿であったり宝号などを

使用される際は

かなり慎重に事を運ぶべきです。

 

そのことについて

観音様を取り上げさせていただき

記させていただきます。

 

当山の観音堂に

祀られる秘仏の聖観音様は

七崎観音(ならさきかんのん)と

通称されます。

 

当山の観音堂は

七崎観音を主尊とするので

七崎観音堂(ならさきかんのんどう)

とも称します。

 

七崎観音堂は

明治時代まで

「奥の院」形式で

現在七崎神社のある場所に

お堂を構えており

徳楽寺(とくらくじ)の寺号が

用いられていたことが確認され

当山は七崎観音別當を

現在に至るまで担ってまいりました。

 

明治の神仏分離への対応により

旧七崎観音堂のあった境内地を切り離し

旧観音堂等は廃止され

七崎神社に改められ

イザナミノミコトが

御祭神として祀られております。

 

現在の七崎神社は

イザナミノミコトが

祀られる“聖なるお山”なのであって

七崎観音のお山ではないのです。

 

なので

七崎神社の歴史を述べるなかで

観音様について触れるのは

とても自然に思いますが

祈りの面においては

主祭神がイザナミノミコトである以上

イザナミノミコトにまつわることを

尊んでお伝えすることに注力し

ご縁を深める契機とすることが

いわゆる御神徳に

つながると思うのです。

 

地域のシンボルでもある

大杉は「ほこ杉」と通称されます。

 

一説に3本の大杉は

北斗七星になぞらえて

当山の開基開山上人である

行海(ぎょうかい)大和尚が

お手植えされたと伝えられます。

 

当山に残る

史料などの内容を踏まえるに

明治以後の神仏分離への対応を

当地では“丁寧に”

なされている感があります。

 

言葉で表現するのが難しいのですが

神仏への敬意が払われた(と思われる)

形で「神」と「仏」の

「分離」に取り組まれ

実施されたように

感じられます。

 

「ほこ杉」の「ほこ」は

“国生み神話”の天之瓊矛(あめのぬぼこ)が

明らかに意識されており

この聖なる矛(ほこ)は

イザナギノミコトとイザナミノミコトによる

重要な神話の一シーンを

強く連想させるものです。

 

記紀神話は

昭和のある時期までは

現在とは比べ物にならない程

身近なものだったので

「ほこ杉」という尊い名が託された

天をつくような巨大な杉を

目にした方は

イザナミノミコトが祀られる

静寂な七崎神社の境内に

記紀神話の情景を思い重ね

切に祈りを捧げられたものと

推測いたします。

 

七崎神社は

観音堂であった時代が

圧倒的に長いのですが

観音様は遷座(せんざ)されて以後は

イザナミノミコトが

御祭神として祀られています。

 

「祀る」というのは

非常に重い意味があるものです。

 

祀るためには

浄地(じょうち)や開眼(かいげん)ほか

様々なお作法が必要で

そのひとつひとつには

意味が込められています。

 

当山には

様々な尊格が祀られますが

それは展示物として

設置されているという意味ではなく

尊い仏様や神様として

畏れ敬って

各祭壇にご安置させて

いただいているわけです。

 

お祀りして

お守りすることは

容易なことではありません。

 

日々の祈りをお捧げするだけでなく

諸作法を施させていただいたり

行事などを厳修させていただいたり

ということが代々継承され

現在に至っております。

 

難しい時代の中にあっても

代々の先師方が

懇切丁寧にお守りされてきた諸尊ゆえ

現住職である拙僧泰峻もまた

覚悟をもって

事に当たらせていただいているつもりです。

 

七崎観音についても

現七崎観音別當として

先師方の志を受けつぎ

覚悟をもって

お守りしてまいる所存でおります。

 

そういう立場の拙僧からしますと

歴史的経緯も踏まえて

不自然に感じられることや

失礼に感じられることが

あったわけです。

 

少し想像してみて下さい。

 

ご自身や

ご自身のご家族

ご自身の大切な方や

大切な趣味に関わる写真が

破り捨てられたり

グシャグシャに丸め捨てられたら

どう感じられるでしょうか?

 

紙資料であれば

写真に比して

廃棄される場合が

圧倒的に多くなります。

 

七崎観音の御影(お姿)が

掲載された

とある紙の文書が

広く配布されたのですが

それを目にした時

とても驚きましたし

正直とても残念に思いました。

 

繰り返しますが

その文書を作成された方も

その事業に携わっていらした方も

とても一生懸命に

取り組まれていらっしゃいましたし

拙僧泰峻個人としても

信頼を寄せる方々です。

 

ただ

神仏に関わる事柄に

向き合う場合は

神仏に関わる領域において

配慮すべきことがあると

強く感じたため

本日は拙稿をしたためることにいたしました。

 

あらたまった地蔵堂

旧本堂と新本堂を比べた時

大きく変わった箇所は

いくつかあるのですが

最も変わったのは

子安さま(子安地蔵)を

お祀りする地蔵堂です。

 

本年の秋彼岸は

有縁の皆様へ

新本堂をお披露目する

期間でもありましたが

子安さまが荘厳にお祀りされた

地蔵堂はとても好評でした。

 

旧本堂では

子安さまは

とても小さなスペースに

お祀りされておりました。

 

新本堂では

ひと間に祭壇を設け

そちらにお祀りしています。

 

新たな地蔵堂は

子安さまを本尊として

お祀りするスペースとして

だけではなく

多用途に使用いただけるよう

用意した広さ十畳のお堂です。

 

法事などのご会食を含む

各種会合はもちろん

有縁の方がお亡くなりなられた際に

ご安置することも可能です。

 

地蔵堂の行事も

毎年夏に行う予定です。

 

多くの方に

祈りをお捧げいただくとともに

お役立ていただいただければと思います。

 

新鮮な心持ちで過ごしています

新本堂の使用が始まり

とても新鮮な心持ちで

励ませていただいております。

 

堂内の様子をお伝えする動画を

新たに用意したので

ご覧いただけると幸いです。

 

まだ備品が揃っていないので

使用しながら整えていく算段でおります。

 

少し落ち着いたら

堂内をご案内する取り組みも

実施したいと思います。

 

本堂の仏像が勢揃いしました

修繕していたものを含め

本堂に祀られる仏像が

全て安置されました。

 

今朝は本堂にて

入仏開眼(にゅうぶつかいげん)を

つつしんで修法させていただきました。

 

本堂の様子をお伝えする

動画を用意したので

ぜひご覧ください。

 

この度の

本堂建替事業では

仏像・仏具・荘厳具の修繕も

多くなされました。

 

このような機会でなければ

いずれも修繕は難しかったと思います。

 

少し前に

ブログでも触れましたが

観音堂の扁額(へんがく)も

修繕したいと思い立ち

拙僧泰峻にとっても

様々な節目が重なったということで

現住職として修繕施主と

ならせていただこうと考えておりました。

 

そのことについて

先月の会議で触れさせていただいた所

事業の一環として

修繕していただくこととなりました。

 

ということで

現住職としての

何かしらの奉納は

別の形で行いたいと思います。

 

話はガラッと変わりますが

本日は入仏開眼を終えて

午前中は葬儀

午後は法事と

法務が立て込んだ1日でした。

 

よくあることといえば

よくあることなのですが

便壇灌頂の修行や

引越しの影響もあってか

夕方以降になると

体調が優れない日が

続いています。

 

来週も予定がビッシリでして

再来週は秋彼岸ですし

法事も多く予定されています。

 

とにかく

出来る限り休養を

取りながら

事にあたりたいと思います。

 

▼観音堂の扁額(へんがく)

事業の一環で

修繕していただくことになりました。

 

会津斗南藩縁故者供養所が整ってまいりました

普賢院には

会津斗南藩(あいずとなみはん)の

方々の墓石が16基あります。

 

大部分は明治4〜5年に

亡くなられた方々のものです。

 

本堂建替事業の境内整備の一環で

供養所(くようしょ)を

整えることとなっております。

 

根城の番地石材店さんの

丁寧なお仕事により

とても良い具合に

完成してまいりました。

 

 

▼本日は夕焼け空が

とてもきれいでした。

仏像が新本堂に勢揃いしました

本尊像ほか修繕中だったものや

奉納いただいたものを含め

新本堂に全ての仏像が

各祭壇に安置されました。

 

掲げれる予定だった額類も

おおむね掲げていただきました。

 

仮本堂として使用していた会館には

脱活乾漆(だっかつかんしつ)の

薬師如来像が新本尊として祀られ

こちらの空間も

素晴らしいものとなりました。

 

経机や線香立てや

細かな仏具や備品などを

搬入すれば

引越し作業も

とりあえずは一段落

という所まで

来ることが出来ました。

 

堂内の様子などは

後日改めて

ご紹介させていただきます。