旧本堂再建の大施主が祀られる櫻山神社

岩手県盛岡の櫻山神社には

南部光行(みつゆき)公

南部重信(しげのぶ)公

南部利直(としなお)公

南部利敬(としたか)公

がご祭神として

お祀りされます。

 

普賢院の旧本堂は

南部利敬公が「大施主」として

文化8年(1811)に再建されました。

 

旧本堂の棟札(むなふだ)に

南部利敬公のお名前が

記載されております。

 

ちょうど昨日

日帰りで盛岡の出張があり

会議会場のお寺に行く途中に

櫻山神社が位置していたので

少しだけ立ち寄らせていただきました。

 

南祖法師三尊の懸仏が奉納されました

拙僧泰峻の弟子である

中野太陽さんが願主となり

造立に至った

懸仏(かけぼとけ)が

本日普賢院に奉納されました。

 

この懸仏は

十和田湖と八郎潟と田沢湖の

龍神の物語である

三湖伝説をモチーフとしております。

 

普賢院は

十和田湖伝説ゆかりの寺院で

南祖法師が修行したとされ

様々な伝承に関わりがあります。

 

伝説に思いを馳せることが出来る

尊い空間を一層整えたいという

太陽さんの願いの形のひとつが

今回の懸仏といえると思います。

 

開眼(かいげん)は後日

太陽さんにもご一緒いただき

お勤めしたいと思います。

 

▼奉納された懸仏(かけぼとけ)

 

▼奉納願主の太陽さんと懸仏

 

▼南祖法師三尊

中央:南祖法師(なんそほっし)

左:龍王(りゅうおう)

右:龍女(りゅうじょ)

 

三湖伝説の懸仏が出来ました

現住職である拙僧泰峻の弟子である

中野太陽さんの発願により

三湖伝説をモチーフとした

龍王像と龍女像の造立のため

クラウドファンディング形式で

リターン(返礼品)を定め

勧募(ご寄付)のご協力を

お声がけした所

目標額を上回る善意を

お寄せいただきました。

 

太陽さんと相談しまして

余剰分のご浄財も

十和田湖伝説に関わるものに

つなげた方が良いだろうとの

結論に至りまして

懸仏(かけぼとけ)を

造ることにいたしました。

 

懸仏を制作するにあたり

必要な経費については

龍王龍女像造立に

お寄せいただいた

ご浄財の余剰金をあてることとし

不足分は拙僧泰峻が

寄付させていただくという形で

用立ていたしました。

 

その懸仏が

完成したとのご一報が入ったため

太陽さんに早速

弘前へお迎えに行っていただきました。

 

この懸仏は

お弟子さんである

太陽さんの尊い思いが

きっかけとなり

形となったものといえます。

 

懸仏は

出開帳(でがいちょう)で

用いられることの多い

形式でもあるので

関係各所に出開帳して

祈りを捧げるひとときを

ご一緒いただくということも

今後可能かと考えております。

 

お盆過ぎ頃に脱活乾漆像をお迎えします

以前からも

何度かお伝えいたしましたが

八戸市尻内町の

洗心美術館を運営されている

コサカ技研の小坂明会長のご厚意で

脱活乾漆(だっかつかんしつ)の

権現像と薬師如来像が

当山に奉納されます。

 

小坂会長とは

この数年

当山を会場に

有志の皆様と論語の勉強会を

ご一緒させていただいております。

 

ちょうど昨日に

論語勉強会があり

小坂会長とご一緒させていただいたので

ご奉納いただくお仏像の

搬出・搬入をどのようにするかを

相談させていただきました。

 

こういったことの経験も豊富な

松本工務店の清水栄作部長にも

お立ち会いいただいて

どうのようにするかを

相談させていただいた所

ありがたいことに

清水部長がお手伝い下さることとなりました。

 

いずれも

結構な大きさのお仏像ゆえ

搬出・搬入の方法の

見当がつかない状態だったので

とても安心いたしました。

 

大まかには

お盆過ぎ頃に

お仏像をお迎えする

予定となりました。

 

様々な思いや願いが託され

当山と結縁いただいたお仏像なので

丁寧な形でお祀りし

有縁の皆様にも

祈りをお捧げいただけるように

心して準備させていただきます。

 

美しき八葉曼荼羅

地元の大工さんに

手伝っていただきながら

先代住職が自身で彫った

八葉曼荼羅(はちようまんだら)。

 

護摩壇(ごまだん)上方の

天井に設置されていたため

真っ黒にすすけていましたが

秋田の阿部正助商店さんが

クリーニングと修繕をして下さり

見事な仕上がりとなりました。

 

八葉曼荼羅とは

胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)

という慈悲の側面から

描かれた曼荼羅の

中央部分のことを指し

根本的に重要な場所となります。

 

先代は梵文(ぼんぶん)の

研究者でもあったため

梵字(ぼんじ)をとても大切に

捉えておりました。

 

八葉曼荼羅に見られる梵字は

全て尊格(仏)を指します。

 

細かな説明は省きますが

梵字も尊格の形のひとつとされます。

 

中央の文字は

「ア」という文字の荘厳体で

「アーンク」と読み

大日如来を象徴しています。

 

周囲の花弁に配置された梵字は

宝幢如来(ほうとうにょらい)

開敷華王如来(かいふけおうにょらい)

無量寿如来(むりょうじゅにょらい)

天鼓雷音如来(てんこらいおんにょらい)

という四如来と

普賢菩薩(ふげんぼさつ)

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)

観音菩薩(かんのんぼさつ)

弥勒菩薩(みろくぼさつ)

という四菩薩を象徴しています。

 

大日如来と周囲の四如来をあわせ

五智如来(ごちにょらい)といいます。

 

それにしても

よくもまあ

これだけのものを

“手作り”したものだと

感心させられます。

 

▼旧本堂解体前(2020年夏)

 

▼クリーニング後

仏像の修繕と造立を振り返る

平成29年より6年計画で

本格的に始動した本堂建替事業では

多くのご協力のおかげで

主要なお仏像の修繕や造立も

行うことが叶いました。

 

当山は歴史が古いということもあり

とても多くの由緒ある

お仏像がお祀りされており

“見どころ”でもあります。

 

振り返りの意味もあり

お仏像の修繕や造立について

以下に簡単にまとめてみました。

 

今回は紹介出来ませんが

ひとつひとつに

エピソードがあります。

 

色々な方の

切実な願いが込められているものもあり

これまでの経緯を振り返ることで

そういったお心と

また向き合わせていただいたように思います。

 

①本尊・愛染明王

  • 江戸期の当山本坊(宝珠盛岡山永福寺)住職・宥瑗(ゆうえん)により文化7年(1810)奉納
  • 故・哘啓造(さそうけいぞう)氏のご寄進により、この度修繕

 

 

②普賢菩薩

  • 造立年代不明
  • 昭和4年(1929)に修繕し彩色が改められるも、経年劣化が著しかったため、この度修繕
  • 新本堂では本尊脇侍(わきじ)として安置

 

 

③十一面観音三尊(長谷式)

  • 造立施主(匿名希望)のご寄進により作仏
  • 当山の本尊はもともと十一面観音とされる
  • 総本山長谷寺の本尊と同形式で作仏
  • 新本堂では本尊脇侍として安置

 

 

④本 七崎観音(もとならさきかんのん)

  • 明暦元年(1655)南部重直公により奉納
  • こちらの観音像の御前立ちが現在秘仏として祀られる七崎観音(ならさきかんのん、「現 七崎観音」)
  • 破損箇所が多く、各所傷みも激しかったため修繕
  • 新本堂では観音堂内殿に安置

 

 

⑤大日如来

  • 年代不明
  • 蓮台・光背がなかったため、新たに制作
  • 厨子を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置予定

 

 

⑥不動明王三尊

  • 年代不明
  • 近世の文書によると、江戸期は本尊愛染明王の脇侍として祀られていた
  • 全体的に焼け焦げていた(文化7年[1810]の火災によるもの)
  • 本体の大きさにあわせ台座・光背・持物を新調
  • 脇侍の二童子を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置

 

 

⑦不動明王

  • 年代不明
  • 近世の文書によると、江戸期は本尊愛染明王の脇侍として祀られていた
  • こちらも全体的に焼け焦げていた(文化7年[1810]の火災によるもの)
  • 本体の大きさにあわせ台座・光背・持物を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置

 

 

⑧聖徳太子

  • 年代不明
  • 鋳造仏
  • 台座がなく自立出来なかったため、台座を新調

 

 

⑨子安地蔵

  • おいらせ町の旧家より奉納された子安さま
  • 破損箇所が多かったため修繕

 

 

⑩地蔵菩薩

  • 年代不明
  • 仏像のお足元にホゾ穴があり、もともとは台座があったと思われるが本体のみ祀られ、自立出来ない状態だったため台座を新調

 

 

⑪仁王

  • 享保3年(1718)9月に津嶋弥十郎清春が奉納
  • 材質は青森ヒバ
  • 仁王門建替・仁王像修繕・台座新調

初代住職のご命日にあたる祈りのひととき

今から1200年以上さかのぼる

弘仁8年(817)5月15日は

当山の初代住職

圓鏡(えんきょう)上人の

御命日にあたります。

 

そのため

5月15日は普賢院にとって

大切な日でもあります。

 

本日は

初代住職の御命日にあたり

歴代住職のご供養を行う

開山忌(かいさいんき)の

お勤めをいたしました。

 

また本年は

開山忌にあわせ

会津斗南藩(となみはん)

縁故者のご供養も

併修いたしました。

 

令和4年の

開山忌の様子をお伝えする

動画を用意したので

ご覧いただければ幸いです。

 

美しき脱活乾漆

脱活乾漆(だっかつかんしつ)とは

漆を用いた作仏の技法で

奈良時代に盛んであったとされます。

 

平安時代以降になると

木造での作仏が中心となり

脱活乾漆による御像は

あまり見られなくなり

「幻の技法」と化してしまいます。

 

奈良時代に隆盛した

脱活乾漆の技法は

幻のものとなったものの

脱活乾漆の古仏の断片を

手がかりとして

現代に蘇らせたのが

関頑亭(せきがんてい)先生です。

 

関頑亭先生が手がけられた

素晴らしい御像は

市内の洗心美術館に

何点か所蔵されております。

 

以前にもご案内しましたように

洗心美術館を管理されている

コサカ技研の小坂明会長の

ご厚意により

当山に脱活乾漆像を

奉納いただくことになり

本日打ち合わせに

行ってまいりました。

 

ご奉納いただく権現像は

観音堂の中央祭壇の前に

ご安置いたします。

 

仏像奉納の施主である

小坂会長方3名で

新本堂の権現像をお祀りする場所を

ご確認いただきまして

今後の段取りについては

徐々に詰めることとなりました。

 

そのような

打ち合わせをさせていただく中で

脱活乾漆をもう一体

ご奉納いただけることになりました。

 

新たにご奉納いただくことになったのは

薬師如来(やくしにょらい)像です。

 

思いもかけない

お話しだったので

とても驚いたとともに

大変ありがたく感じました。

 

大変に光栄なお話しをいただき

当山での祭祀方法を

色々と検討した結果

薬師如来像は

ふれあい豊山館1階の

祭壇中央に安置させていただくのが

最も丁寧かと考えております。

 

現在(令和4年5月時点)

ふれあい豊山館1階は

仮本堂として荘厳されており

祭壇中央には本尊厨子が安置されています。

 

当初

新本堂完成後は

仮本堂の荘厳は撤収する予定でしたが

薬師如来像をお迎えするに伴い

仮本堂の荘厳は概ね維持させていただき

「薬師堂」として空間を

整える思案をしております。

 

薬師堂とは

「薬師如来を本尊とするお堂」の意です。

 

ご奉納いただく薬師如来像は

とても立派で

大きさもあるので

脇侍(わきじ)としてお祀りするよりも

一お堂の主尊として

“厳かに”お祀りすべきと思い

そのような方針を

取らせていただく所存です。

 

 

▼権現像(脱活乾漆)

 

▼薬師如来像(脱活乾漆)

八戸市内の小学校への絵本寄贈が叶いました

少し前のことになりますが

知人の方にお取次ぎいただき

八戸市教育委員会を通して

八戸市市内の小学校への

絵本『龍になったおしょうさま』の

寄贈をご快諾いただいたので

5月2日に八戸市庁の

教育委員会へ絵本を

お渡しいたしました。

 

豊崎小学校へは

すでに寄贈しておりまして

三条小学校へは

オダプリントの社長さんが

お届け下さることになったので

小田さんを通して

寄贈されます。

 

郷土の誇る伝説の

いちバリエーションに

親しんでいただければ幸いです。

 

 

書籍寄贈のルートに関して

いくらか詳しい方からのアドバイスで

当初は八戸市博物館に

相談すると心強いとのことだったので

お寺の行事にお見えになっていた

博物館の方に話題をお伝えして

後日改めて相談させていただきたい旨を

お伝えしたのですが

どうやら事情が様々あるようで

博物館が窓口になるのは難しいと

かたり部メンバーに伝言がありまして

別ルートでの寄贈となりました。

 

詳細や趣旨を踏まえて

正式にお願いする以前に

窓口にはなれないとの伝言を

いただいた形になったわけですが

明確にお断りしなければならない

ご事情があるのでしたら

直接住職に

ご一報いただければ

良かったのにと

非常に残念に感じています。

 

怒り恨みは全くありませんが

多重の意味で

「非常に」残念に思います。

 

断りの言伝を預かった方が

板挟みのような感じで

精神的負担がかかっていたように

見受けられましたし

とても申し訳なく思いました。

 

雑把に耳にした所では

“感謝状目的の寄贈”と

捉えられているような言い回しに

聞こえるようなことも

おっしゃられたようで

拙僧としては

詳細や趣旨を聞く以前に

そうした偏見による

事の決定がなされたことに

疑念を抱いております。

 

博物館での対応が

難しいと伝言を受けて

行政的窓口では

伝説の類の書籍を

取り扱うのが難しいものと

考えていたのですが

どうもそういったわけでは

ないようでした。

 

拙僧のみならず関係者において

こうした疑念が生じたのは事実で

良い気分であるわけはありません。

 

繰り返しますが

住職としては

この件について

怒りや恨みは全くありません。

 

理由があってのご判断であることは

重々承知しているのですが

その理由について

伝えるべき者に

明確に示すべきだったと感じます。