素敵な「まいてら」ページ

つい先日開設した

当山の「まいてら」ページ。

 

こちらのサイトは

当ホームページの運営でも

大変お世話になっている

一般社団法人お寺の未来

手掛けているものです。

※お寺の未来HP:https://oteranomirai.or.jp

 

お寺の未来が定める基準を以て

審査を通過した寺院様方が

名を連ねられております。

 

当山のメンバーや由緒をはじめ

法事や葬儀や運営体制など

概要を把握して頂けるような

とても情報量の多いページで

ありながら見やすいものに

仕上げることが出来ました。

 

初縁の方のみならず

有縁の皆様にも

お読み頂ければと思い

ページを作成したので

お役立て頂ければ幸いです。

 


まいてらページの各タブ

▼お坊さん

https://mytera.jp/tera/fugenin55/monk/

 

▼見どころ

https://mytera.jp/tera/fugenin55/place/#tera_tab_block

 

▼行事お祝い

https://mytera.jp/tera/fugenin55/place/#tera_tab_block

 

▼祈願

https://mytera.jp/tera/fugenin55/kigan/#tera_tab_block

 

▼法事

https://mytera.jp/tera/fugenin55/houji/#tera_tab_block

 

▼葬儀

https://mytera.jp/tera/fugenin55/houji/#tera_tab_block

 

▼各種供養

https://mytera.jp/tera/fugenin55/kuyou/#tera_tab_block

 

▼会員制度

https://mytera.jp/tera/fugenin55/member/#tera_tab_block

 

物語を旅するお客様

本日早朝に

素敵なお客様方が

おいで下さいました。

 

いつも大変お世話になっている

十和田湖自然ガイドクラブの

中川一樹さんと

山下晃平さんとのご縁で

“物語を旅する”探検家高橋大輔さんと

古道のスペシャリスト小笠原カオルさんが

当山をお訪ね下さいました。

 

十和田湖伝説・南祖坊伝説ゆかりの地を

ご案内されていらっしゃるとのことで

当山にもおいで下さいました。

 

限り有る文献に掲載される

制限のある情報のみに留まらず

現地調査や観察などの「体験」や

文字に起こされていないものにも

あたられて伝説と向き合うという

皆様のご姿勢は

素晴らしいと感じます。

 

皆様の誠実かつ情熱的な志には

心打たれるものがありましたし

拙僧(副住職)にとっても

大きな励みになりました。

 

当山ではここ数日

諸事立て込んでいるということもあり

ゆっくりじっくり

ご案内することが出来なかったのですが

素敵なご縁がつながっていくことには

とても感謝しております。

 

南祖坊伝説の絵本

当山は十和田湖伝説の

南祖坊(なんそのぼう)が

修行したと伝えられるお寺です。

 

南祖坊は全国の霊山霊跡を巡った果てに

十和田湖の龍神である

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)

となったとされる僧侶で

当山2世・月法律師(がっぽうりっし)の

弟子とされます。

 

十和田湖伝説は

語り物としても人気を博し

奥浄瑠璃の演目にもなっており

伝説を今に伝える多くの写本があります。

 

当山には

『十和田山神教記(じんきょうき)』

(以下、神教記)

という写本が2冊伝えられております。

 

そういったご縁もあり

神教記の伝える十和田湖伝説を

分かりやすい形で

絵本にしたいと思いたち

一昨年より有縁の方々と

制作活動を進めております。

 

神教記はとても深く

魅力的な物語なのですが

密教的な文言や古典的言い回しが多く

それに加え多くの人物が登場し

読み応えが“ありすぎる”ものなので

多くの方にもわかりやすく

かつ親しみやすい内容にしたいと考え

かわいいアロマひつじやさんと

くるみのひろばさんの

多大なるご協力を得て

絵本制作に取り組んでおります。

 

完成まであとわずかという所に

さしかかってまいりました。

 

素敵な絵本に仕上がりそうです。

 

普賢院の新たなページが出来ました

まいてらという

お寺のポータルサイトに

当山のページが出来ました。

 

こちらのサイトは

当ホームページ作成の際にも

お世話になった

一般社団法人お寺の未来

により運営されております。

 

本年7月に

お寺の未来代表の井出悦郎さんが

当山においでになられた際に

色々と相談させて頂き

まいてらへのページ作成を

進めてまいりました。

 

当山のページ作成に

あたっての原稿作成に

時間がかかってしまいましたが

井出さんのサポートもあり

ページが出来上がりました。

 

当山についての情報や

ご供養やご祈願についての情報など

有縁の方にお役立て頂ける内容に

まとめたつもりでおりますので

ご活用頂ければ幸いです。

 

初縁の方にも

当山について大まかに

お分かり頂けるかと思います。

(そう願っております)

 

皆様

是非新設されたページを

ご覧くださいませ!

 

こちらのサイトには

ページを開設するための基準を

満たした全国各地の

素敵な御寺院様方のページもありますので

そちらもご覧頂ければと思います。

 

▼『まいてら』普賢院のページはコチラ

https://mytera.jp/tera/fugenin55/place/#tera_tab_block

 

蘇る七崎十一面観音

昨年十月末は

御詠歌の大会があり

奈良県桜井市にございます

総本山長谷寺に行っておりました。

 

長谷寺の本尊は

十一面観音です。

 

長谷寺の十一面観音は

盤石(ばんじゃく)という石に立たれ

右手に錫杖(しゃくじょう)を執り

左手に瓶(びょう)を執るお姿です。

 

このようなお姿の十一面観音を

長谷寺式といいます。

 

難陀竜王(なんだりゅうおう)と

雨宝童子(うほうどうじ)が

脇侍(わきじ)とされます。

 

当山の本尊はもともと

十一面観音であるとの伝えがあり

その十一面観音が

もともとは七崎観音であったとの

いわれもございます。

 

様々なご縁があり

長谷寺式の十一面観音を

仏師さんに

彫って頂くことになりました。

 

現在当山では

本堂建替という歴史的事業に

取り組んでおり

このような機会に

長谷寺式の十一面観音を

お迎え出来ることは

とても尊いことと感じております。

 

この十一面観音は

作仏に2年程かかる見込みとのことです。

 

新本堂では

当山本尊・愛染明王の隣に

お祀りさせて頂こうと考えております。

 

研究者の方より論文を頂戴しました

盛岡にお住まいの

研究者である阿部幹男様より

ご丁寧なお手紙と

十和田湖伝説の論文を頂戴しました。

 

光栄なことに

十和田湖伝説について調べる中で

当山のブログもお読み下さり

参考にして下さったとのことです。

 

お手紙には

その御礼として

論文をお送り下さった旨が

したためられており

とても嬉しく感じております。

 

十和田湖伝説に散りばめらている

仏道的な部分や

神仏習合的な部分は

曼荼羅思想をはじめとして

密教的視点や手法が

とても有効です。

 

ですがこういった部分は

書籍などを読むだけでは

多くを汲むことは難しく

実際の修法や儀礼等に通じなければ

浮かび上がりにくいものです。

 

そういった背景もあり

仏道的な視点や

当山の伝えられる所の由緒などを

踏まえながら

これまでブログで

拙稿を気まぐれで

アップしてまいりました。

 

本当に小さな積み重ねなのですが

少しでもお役立て頂けたことを

とても嬉しく思います。

 

お送りいただいた論文を

ありがたく拝読させて頂き

さらなる研鑽に励ませて頂きます。

 

阿部様

お心遣い大変ありがとうございました。

 

機会がありましたら

是非当山へおいで下さいませ。

 

【阿部様へ追伸】

貴論文にも

触れられていましたが

拙僧(副住職)も以前より

八郎太郎と諏訪信仰との関係は

大切な視点であると感じております。

 

記紀神話にも連なる

諏訪明神の本地仏は

普賢菩薩とされ

深秘な意味が通わされています。

 

ちなみにですが

当山本尊脇仏として

祀られる普賢菩薩像は

一般的な像相ではなく

どこか神像の雰囲気を帯びたような

“異形仏”で何かしらの意味が

託されているようにも思われます。

 

また諏訪信仰と当地域近辺は

様々な関わりが見られ

諏訪という地名も見られます。

 

挙げると切りがありませんが

伝説を構成する

多くの要素の一つとしての諏訪信仰は

丁寧に紐解くべきものと考えます。

 

阿部様の今後益々の

御発展を衷心より祈念申し上げます。

 

合掌

 

史跡・九戸城跡を訪ねる

史跡・九戸城跡(くのへじょうあと)。

 

豊臣秀吉の天下統一の

最後の戦いとなった

九戸政実(まさざね)の乱

舞台となった所です。

 

時は天正19年(1591)。

 

豊臣秀次を総大将とし

名だたる武将で編成された

豊臣方の軍勢は6万5千ともいわれます。

 

九戸方の軍勢は5000で

対峙したとされます。

 

九戸城のすぐ近くには

糠部観音28番札所の

岩谷観音(いわやかんのん)が祀られます。

 

▼岩谷観音(以前のブログ記事)

https://fugenin643.com/blog/かんのんまいり%E3%80%80岩谷観音/

 

現在の岩谷観音堂のすぐそばには

千補陀堂(せんほだどう)建立碑

という碑があります。

 

千補陀堂の「補陀」は

観音菩薩の浄土を意味する

補陀落(ふだらく)という語から

来ていると思われます。

 

この千補陀というのは

千体の観音像を指しており

田子町出身の高僧である

奇峯学秀(きほうがくしゅう)が

九戸政実の乱の戦没者慰霊のため

ご奉納された千体の観音像を意味します。

 

千補陀堂は天保6年(1835)の

白髭水と呼ばれる大洪水で

仏像もろとも流されてしまいました。

 

奇峯学秀は生涯において

三千数百体の仏像を作仏しますが

現存確認されているのは80体程で

当山にも千手観音坐像が

お祀りされております。

 

また岩谷観音堂は

お堂の修復にあたって

当山先師である清珊(せいさん)が

祈祷したことが記される棟札があるそうです。

 

延宝8年(1680)に

盛岡にあった当時の本坊が

大火災により焼尽しますが

これは九戸政実の怨霊によるものとの

伝えもございます。

 

南部藩祈願所という

寺格であったということもあり

時を経て九戸政実のエピソードが

語られたものと思いますが

それだけ後世においても

インパクトが大きかったといえます。

 

九戸城に赴いた当日は

九戸城まつりが開催されており

九戸政実にちなんだイベントなど

様々に行われていました。

 

郷土の歴史を伝えるだけでなく

感じて頂こうというお心が

伝わってくる素敵な催しでした。

 

八体仏の台座の彫刻

当山観音堂に祀られる

八体仏(はったいぶつ、十二支守護尊)の

台座には各干支の

彫刻が施されています。

 

仏像の観察をしていて気がついたのですが

各干支の彫刻の横には

家紋の彫刻も見られます。

 

この八体仏は

弘化年間(1845〜1848)に

納められたものです。

 

奉納当時の施主の家紋なのかもしれません。

 

 

湯殿山大日坊の大黒天

当山観音堂には

様々な尊格が祀られます。

 

向かって左側に祀られる

一体の大黒天。

 

この大黒様には

「湯殿山大日坊」との

文字が記されております。

 

大日坊とは

山形県鶴岡の湯殿山にあるお寺です。

 

詳細は不明ですが

そちらから勧請された

大黒様だと思われます。

 

湯殿山大日坊と当山はご縁があり

拙僧(副住職)曽祖父である

長峻大和尚が住職を

務めたことがございます。

 

その際に当山に

迎えられたのかもしれませんし

それより以前のものかもしれません。

 

とても綺麗な御仏像ですので

当山にお参りの際は

是非ご縁をお結び下さいませ。

糠部三十三観音霊場における寛保3年の意義

以前にもブログで紹介しましたが

当山観音堂には

寛保3年(1743)12月に

納められた賽銭箱がございます。

 

※以前のブログはコチラです▼

https://fugenin643.com/blog/寛保3年の賽銭箱/

 

寛保3年(1743)は

現在の糠部三十三観音にとって

とても大切な年でもあります。

 

天聖寺第8世の則誉守西上人が

永正9年(1512)の観光上人による

糠部三十三観音を元に

新たに巡礼したのが寛保3年6月であり

その札所が現在の糠部霊場となっております。

 

現在の三十三観音札所が

新たに“定められた”年でもある

寛保3年(1743)。

 

そのメモリアルイヤーに

納められた賽銭箱。

 

詳細は分かりませんが

糠部霊場における

「寛保3年」の意義を

今に伝えているように感じます。