本日は南祖祭を行いました。
南祖法師尊像の御宝前に
祭壇を設えて
謹んでお勤めしました。
南祖法師御影軸も安置して
そちらでもお作法を行いました。
法要後は
十和田湖伝説にちなんだ
法話もさせていただきました。
現本堂で2度目の南祖祭。
昨年と本年の開催で
型のようなものが
見えてきたので
来年はより良いものに
出来る予感です。
本日は南祖祭を行いました。
南祖法師尊像の御宝前に
祭壇を設えて
謹んでお勤めしました。
南祖法師御影軸も安置して
そちらでもお作法を行いました。
法要後は
十和田湖伝説にちなんだ
法話もさせていただきました。
現本堂で2度目の南祖祭。
昨年と本年の開催で
型のようなものが
見えてきたので
来年はより良いものに
出来る予感です。
明日は南祖祭です。
南祖坊(なんそのぼう)として
有名な南祖法師(なんそほっし)に
祈りを捧げるひとときです。
明日は法事もあるので
会場準備は七割程度の仕上がりで
明日の法事後に
きちんと整えます。
ただ南祖法師の祭壇は
すでに準備が出来ています。
南祖祭は当山ならではの行事です。
南祖法師は
普賢院第2世住職
月法律師(がっぽうりっし)の
弟子とされ
全国行脚の果てに
十和田湖の龍神
青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)に
なったと伝えられます。
法要中
ご参列の方には
内陣にお入りいただき
南祖法師尊像と御軸に
お参りいただきます。
法要の後
「南祖法師の物語に見る仏道アラカルト」
と題して法話を行います。
時間に限りがあるので
法話はスライド資料を使って
お話しいたします。
地元の誇る伝説に触れながら
そこに紐解かれる仏道のこころにも
触れていただければと思います。
ご興味をお持ちの方は
お気軽にお運び下さい。
授与品は以下の通りです。
※絵本は南祖祭のみでの頒布となります。
南祖坊(なんそのぼう)として
有名な南祖法師(なんそほっし)に
祈りを捧げるひとときです。
南祖法師は
普賢院第2世住職
月法律師(がっぽうりっし)の
弟子とされ
全国行脚の果てに
十和田湖の龍神
青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)に
なったと伝えられます。
当日は法要の後
「南祖法師の物語に見る仏道アラカルト」
と題して法話を行います。
授与品は以下の通りです。
五大明王とは
不動明王と
四大明王をあわせた
五尊の明王を指します。
少し前にも述べたことがありますが
四大明王の尊像を造立して
当山にお迎えしたいと思います。
毎月の不動護摩で
ご参列の皆様に
お納めいただいている浄財を
四大明王の造立に
あてさせていただきます。
四大明王は
降三世明王(ごうざんぜみょうおう)
軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
大威徳明王(だいいとくみょうおう)
金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)
のことを指します。
曼荼羅(まんだら)と深く関わっており
降三世明王は東方・阿閦如来(あしゅくにょらい)
軍荼利明王は南方・宝生如来(ほうしょうにょらい)
大威徳妙王は西方・阿弥陀如来
金剛夜叉明王は北方・不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)
と対応関係にあり
各如来の明王のお姿とされます。
ちなみに
不動明王は大日如来の
明王のお姿とされます。
2~3年スパンでの造立を考えていて
弘前にお住まいの仏師・小堀寛治さんに
相談していたのですが
先日(10/22)工房を訪ねましたら
下絵も完成していて
仏像も荒彫りされた状態まで出来ていたので
予定は大幅に早まって
来年の夏頃(夏前?)には
完成するかもしれません。
さすがは小堀さんです。
来年は終戦80年という年でもあるので
造立にあたっては
「世の平安」を願目のひとつとして
願いを重ねたいと思います。
仏像制作の進捗状況が
かなり進んでいたことを受けて
安置する祭壇も
早めに検討しようと思い
五戸木工社長の中野久男さんに
ご足労いただき
作っていただきたい祭壇のイメージを
お伝えしました。
四大明王をお迎えするまでには
まだしばらくかかりますが
その日を迎えるまで
しっかりと祈り込みたいと思います。
▼右から
降三世明王(ごうざんぜみょうおう)
大威徳明王(だいいとくみょうおう)
軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)
▼四大明王の現状(荒彫り)
▼不動三尊両脇の灯籠・灯明の位置に
段差をつけた形で安置出来るように
祭壇を作っていただこうと考えています。
不動護摩
- 開催日:毎月28日
- 受付は午後6時30分から
- 法要は午後7時から
- 会費等は設けませんので、お布施や護摩木奉納(護摩木は1本500円です)にて、お気持ちの程お納めいただきますようお願いいたします。お布施などは、受付でお納めください。
- 供養護摩木(1本1000円)を用意しました。ご供養されたい方の戒名またはお名前を、供養護摩木申し込み用紙にご記入いただき、それを住職が護摩木にしたため、護摩の火にくべさせていただきます。
- 参加される方は、受付にて受付用紙へのご記入をお願いします。
- 参加される方には、お経を記載した法要次第をお渡しします。よろしければご一緒にお唱えください。もちろん、お心静かにご参列いただいても構いません。法要次第はお持ち帰りいただいて構いません。
- 授与品として不動明王お守り(1体1000円)を用意しているので、入用の方は受付でお声がけください。
明日28日は
不動明王のご縁日ということで
不動護摩を行います。
毎月の行事なので
不動護摩となると
ひと月の時の経過が
とても早く感じられます。
今春より
供養のための護摩木である
供養護摩木を用意しています。
供養護摩木は
思いを捧げたい方の
お名前や戒名を
供養護摩木申し込み用紙に
お書きいただきまして
それを住職が護摩木に
したためさせていただきます。
どなた様でも
ご参加いただけますので
ご興味をお持ちの方
ご都合よろしい方は
お気軽にお運びくださいませ。
新緑の季節の不動護摩を
ぜひご一緒いただければと思います。
歴代住職のご供養と
合葬墓縁故者のご供養
会津斗南藩縁故者のご供養
戦没者のご供養を
開山忌ならびに供養祭として
執り行いました。
好天のもと
心静かに祈りを
捧げることが出来ました。
激動の時代の荒波が
幾度もあり
現在があります。
そんなことに
思いをいたしつつ
祈りの誠を
捧げさせていただいた
令和6年の開山忌となりました。
毎月8日は
薬師如来のご縁日です。
普賢院には
とても柔和なお薬師様が
薬師堂(ふれあい豊山館1階)に
お祀りされています。
このお薬師様は
脱活乾漆(だっかつかんしつ)という
漆で作られたお像です。
ご縁あってお祀りされることになった
素晴らしい仏像なので
お薬師様に託された
様々な御教えや
施主の方に託された思いなどを踏まえ
いかに当山として
向き合わせていただいたり
参詣していただくかを
検討しています。
薬師堂でもある
ふれあい豊山館1階では
様々な催事も行われており
それらの多くは
自利利他の理念のもと
国際協力活動にも関わるものなので
そういった取り組みにおいても
お薬師様のご縁を
繋げさせていただこうと考えています。
ざっくりとはイメージ出来ているのですが
言葉をもって詳細に説明する段階には
至っていないので
とりあえず行動しながら
思いを整えていきたいと思います。
5/11は
開山忌ならびに供養祭を
お勤めします。
開山忌は歴代住職の法事のことで
お寺で内々に行っていたものですが
昨年から供養祭を併修して
行うことにしました。
供養祭は具体的に
当山の合葬墓のご供養
会津斗南藩縁故者のご供養
戦没者のご供養を指します。
年中行事に組み入れるということは
今後も継続していくことを意図しており
次代以降にも受け継いでもらいたいとの
願いを込めております。
開山忌は
歴代住職のご供養を通じて
改めて当山の縁起にも
向き合う意味もあります。
開山忌はお寺にとって
重要な意味を持つ法要なので
その大切な法要にあわせて
供養祭を行うことは
大きな意味を持つと考えます。
合葬墓だけではなく
当山で弔われた会津斗南藩縁故者や
戦没者のご供養もまた
永代に渡って担う責任があると
捉えています。
会津斗南藩のことや
戦没者のことは
時代が経つにつれて
忘れられかねないものでもあり
微力ながら激動の歴史を
何かしらの形で
お伝えする場を保つ努力が
永代のご供養にも
必然と求められてまいります。
この部分については
まだまだ力不足な現状ですが
時間をかけながら
形にしていきたいと思います。
こちらの行事は
どなた様でもご参列いただけます。
ご供養の時間を
ご一緒いただき
お焼香賜りますと幸いです。
本堂でのお勤めの後
歴代住職墓
合葬墓
会津斗南藩縁故者供養所
戦没者留魂碑を
お参りします。
さまざまな尊格について語り
お寺について語り
お寺の本尊の霊験や
巡礼や修行などの功徳など
アラカルトなものを
広く巧みに語った方々が
全国各地に存在しました。
時代により
その様相は異なりますが
仏教伝来以前にもまた
巫術に通じる方が
“聖なる言葉”を
述べていたらしいことが
古い史料は伝えています。
七崎観音についてもまた
「語り」を担った方が
いたということを
今回のテーマとして
述べてみたいと思います。
高野聖
念仏聖
勧進聖
修験者
行者
山伏
などといった言葉は
誰もが聞いたことがあると思います。
当地における資料を管見すると
山伏や修験者といった言葉が
好んで用いられているものの
無警戒かつ広義的に
使用されているような感が
あるように思います。
このことは
真言宗や天台宗といった
用語についても同様で
専門的な観点からすると
違和感ある宗派感覚で以て
片付けられてしまっている
印象があります。
現在でいうところの宗派は
実はかなり現代的なものであり
江戸期であっても
表の法流(行政上のもの)と
実際の中心的な法流が
異っているという場合もあるのです。
横のつながりや交流も盛んゆえ
諸宗諸派の交流を通じた研鑽・修行は
珍しくないわけで
在地の山伏や行者や聖といった方は
もっと習合的様相があったということが
出来るので
どのような意味を託して
用語を用いているのかについて
定義するなり含みを持たせる
一手間が必要だと思います。
僧侶と一言でいっても
正式な得度ではない形で
沙門となった私度僧という
あり方もありますし
私度僧を修験者や山伏に
含めて表現することもありますし
歴史があってバリエーションもある
用語の使用というものは
とてもデリケートなことだと感じます。
七崎観音ほか
当山には十和田湖南祖坊伝説など
いくつか語り継がれるものがありますが
それら諸縁起・伝承・伝説を
受容する社会側からの検討が大部分で
それを主導した仏教者側の
思想的背景や意図などに
焦点を当てた検討は
ほとんど見られません。
これは当シリーズでも
何度か触れている点ですが
日本的な仏教的文脈にて語られ
共有されてきたと思われるものゆえ
仏教学的アプローチは
とても有効的であると確信します。
そういう課題意識を
抱いていることを
明言させていただいたうえで
本シリーズでは先に触れた
諸聖や山伏や修験者や私度僧などを
ヒジリと表現させていただきます。
漢字の聖ですと
尊い僧侶を意味することもあるので
カタカナでヒジリと
表記させていただき
広義的意味で用いたいと思います。
当地では現在
修験者という言葉が
山伏という言葉と区別なく
用いられている印象がありますが
諸国を遊行する山林修行者のうち
特に祈祷に効験ありとされたものが
修験者と称され
人々に支持されたわけなので
行状の程度等を無視して
用いてしまうと
限定的理解を招きかねないと思うのです。
山林修行の歴史はかなり古いとされ
近年では古代仏教の研究の成果により
かなり重層的なあり方であったことが
解き明かされてきました。
奈良時代になると
日本では山林修行に励む
仏教者が顕著となり
それは大乗仏教的菩薩行の一環として
実践されており
修行者は自利利他の二利を志向した
幅広い活動を行い
それは広く社会に及んでいたとされます。
当山の開創開山は
1200年以上さかのぼる
延暦弘仁年間(782〜824)に
圓鏡上人によるとされ
七崎観音のご出現もまた同等に遡る
天長元年(824)とされ
当地遷座は承和元年(834)とされ
時代区分でいうと平安初期にあたります。
古代仏教についての
先学の膨大な研究成果の力も借りながら
当山の諸縁起について検討することは
有意義であることは言うまでもないですし
当山当地の次代の方々に
竪横な手法のあり方を
示唆することにもつながると思います。
話が専門的になりつつあるので本稿は
語りの一端を担い
その拡散に一役かったのは
ヒジリたちだったとして
結ばせていただきます。
拙僧泰峻は
現代の諸相を扱う研究機関の
常勤研究員として
浅学非才ながらも在籍しており
複数のテーマをもって
事にあたらせていただいています。
各テーマについて詳述することはしませんが
研究は広大な海を彷徨うことに似ていると
例えられることがあるように
果てが見えないような広大さに
圧倒されて途方に暮れるような
気持ちになることもしばしばです。
何かを突き詰めようとすればするほど
自身の力不足を再確認させられますし
先に触れた“大海の広大さ”を痛感します。
このように書くと
つねに歯をくいしばって
事にあたっていると
思われてしまうかもしれませんが
そういうわけでもなく
味わい深さを堪能しつつ
前向きに励ませていただいています。
ふと意外な発見や気づきを得られるのもまた
研究の醍醐味だと思います。
という前置きをさせていただきまして
ここから本題に入ります。
とある研究テーマの関係で
在日外国人に関して調べを進めていると
秋田県の田沢湖の事例に
触れることになりました。
普賢院は十和田湖伝説にゆかりがあり
その伝説の発信の拠点だった寺院です。
伝説は様々に語られ
最近では秋田県の八郎潟と田沢湖も含めた
三湖伝説として語られることもあります。
三湖伝説がいつ頃から
語られているのか定かでありませんが
現在語られるバリーションのひとつとして
意義あるものと考えます。
当山には
十和田湖伝説を象徴する御像である
南祖法師尊像が祀られるのですが
同所に龍王・龍女像という
男形・女形一対の龍王像を
造立・安置しております。
男形の龍王像は
八郎潟の八郎をモチーフとし
女形の龍王像は
田沢湖の辰子姫をモチーフにしており
つまりこの二龍王像は
現在に語られる三湖伝説を
意識したものになっています。
田沢湖には姫観音という
観音像が鎮座しており
辰子姫伝説が意識されたものであることは
明らかなのですが
建立経緯については
昭和前期の歴史的背景が
大いに影響していることを
最近になって知るところとなりました。
信仰あるお山や湖が
開発の適地と判断され
実際に諸事業が進められたのは
三湖伝説の三湖に共通する事実です。
信仰や伝説と開発や観光は
現代において深く考えるてみるべき
大きなテーマといえます。
そのことは置いておきまして
『姫観音像建立趣意書』という
姫観音の建立について述べられた
文書について見てみましょう。
姫観音像建立趣意書(※以下はブログ筆者による画像資料の翻刻です。赤字はブログ筆者によります。)
夫レ菩薩ノ誓願ハ衆生ノ抜苦與楽ナリ。衆ト共ニ楽土建設ニ不退転ナリ。自ラハ假令苦海ニ沈淪ストモ他ヲシテ安養土ニ渡ラシメ玉フナリ。顧ルニ田澤湖ノ主トナレル往昔ノ辰子姫ハ自己一身ノ美貌ヲ保持センガ為メ観音菩薩ニ祈願ヲ籠メ遂ニ永久不變ノ龍身ニ化シ入水シテ湖神トナレリト傳ヘラル。是レ即チ女性ノ矜持スル徹妙ナル心術ノ發露ニシテ寧ロ同情ニ値ヒスルモノアリト雖モ現代ノ文明思潮ヨリ觀ズレバ甚ダ遅疑退嬰ニ屈シタルノ感ニ堪ヒズ。今ヤ國ヲ擧ゲテ新東亞ノ建設途上ニ邁進シツツアリテ外ニハ大陸ノ開發アリ内ニハ産業ノ鑛充アリ苟モ八紘一宇ノ大理想下ニハ往昔ノ辰子姫ノ如キ小乗的自己満足ニ堕在スベキニアラズシテ宜シク大乗的ノ日本精神ヲ發掉シ以テ國策ニ順應スベク宛カモ菩薩道ノ修行ニ不退轉ナルガ如ク勇猛精進寸毫ノ懈怠アルベカラザルナリ。
此ノ時ニ方リ昭和十一年我ガ東北ヲ打シテ樂土タラシムベク東北興業會社並ニ東北振興電力株式會社ノ創立アリ隨ッテ同十二年田澤湖生保内發電所建設工事着工サル。同發電所ハ玉川ノ水流ヲ田澤湖ニ導入シ湖ヲシテ一大貯水池タラシムルモノニシテ斯ノ水漸次湖水ヲ保チ難ク忽チ變ジテ汚濁化セラルルヲ免レザルベク湖水ノ主タル辰子ノ窘蹙苦難タル洵ニ察スルニ餘リアルナリ。
然リト雖モ我等辰子姫ノ穎智ト聰明トヲ知ルガ故ニ此ノ際姫ハ必ズヤ從来ノ消極的心情ヲ精算シテ一躍大乗菩薩道ニ悟入シ自ラハ假令無量ノ苦難ヲ受クルトモ衆生ニ安養福利ヲ施與シ得ベキ斯業ノ開發成就ヲ誓願セラルベキコトヲ確信スルモノナリ。
茲ニ於テ乎我等ハ湖畔ノ適地ヲ相シテ姫観音ノ尊像ヲ建立シ其ノ應現ノ威神力ヲ如意ナラシメント發願スルニ至レル所以ナリ。
近時湖水ノ異變頻々トシテ起リ巷問之レニ関聯シテ種々ノ憶測ヲ為シ流言飛語近郷ノ人心ヲ惑亂シ甚ダ穏カナラザルモノアルヲ聞ク若シ徒ラニ妄語邪説ノ流布ヲ放任スルトキハ郷在傳来ノ信仰を破壊シ延イテ自暴自棄ノ懦民ヲ生ズルノ危惧ナシトセズ。是以即チ穎智ナル姫観音大菩薩ノ圓通自在ノ妙智力ヲ具現スベク尊像ヲ建立スル大肯ニシテ只單ニ民衆ノ信念ヲ安定シ以テ國運發展ニ資スベキ各事業ノ振興成就ヲ祈念シテ止マザル所ナリトス矣 昭和十四年五月
附言
本姫観音建立成ヲ告ゲ其ノ開眼式ヲ行フ時ニ際シテハ各會社ノ從業関係者ニシテ其ノ職ニ殉シ貴キ犠牲トナリタルモノノ追悼慰霊ノ弔會式ヲモ施工シテ其ノ冥福ヲ祈ラントスルヲ以テ茲ニ併セテ之レヲ附言ス
槎湖佛教會 發願主 才田鼎鉉 菅原宗展 杉村祥雲 森澤正穎
※画像資料掲載論文:李修京2023「秋田に散在する負の歴史の痕跡」『東京学芸大学紀要』74巻、pp.16-26。
ここに色々な情報を
読み取ることが出来ます。
辰子姫のいわれについて触れられ
国運に関わりうるものとして進められる
田沢湖の開発にあたって
在来の信仰と在地の人心を慮って
観音妙智力を発現いただくために
造像安置されたという内容です。
そして附言として
事業による殉職者の追悼慰霊も
志されていたことが明記されており
この点が
拙僧が抱えている一研究テーマと
クロスした部分でもあります。
詳しくは述べませんが
姫観音慰霊祭と朝鮮人無縁仏追善供養
という催事の開催が
重ねられています。
姫観音は
在来の伝説との関わりだけでなく
現代史的背景をも背負っており
切実な祈りが込められた観音様といえます。
祖国を離れ
日本で命を落とした多くの方の
慰霊願意も宿していることは
大きな意味を持つものだと感じます。
東日本から13年が経過し
その記憶をいかにとどめ
教訓を未来に託すかが模索されています。
三陸沿いの各地には
「伝承館」が設立され
3.11にまつわる伝承が目指されています。
戦争にまつわる伝承も
時代の経過とともに
難易度が高まっている印象があり
当山でも戦災物故者の供養や
その「伝承」のあり方を
現在進行形で模索しています。
様々な「語り」を
どのように語っていくかは
お寺にとっては
とても重大な案件です。
話の枝葉が広がってしまいましたが
田沢湖伝説の辰子姫のお話が
自身が取り組んでいる一研究と
つながる部分があったことに
不思議なご縁を感じることとなり
3.11の日でもあることから
あれこれと思うところが
ありましたというお話でございます。
▼2017年に田沢湖に行った際のブログ記事
▼2017年8月撮影の姫観音と田沢湖
▼姫観音近くの案内板(2017年8月撮影)
▼南祖堂・中段(浄鏡脇に祀られる木像が龍王・龍女像)
▼龍女像(田沢湖の辰子姫をモチーフにした御像)
▼龍王像(八郎潟の八郎をモチーフにした御像)