御影や御宝号の事業などへの無断使用の懸念

当山に祀られる尊格(神仏)の

お姿の画像であったり名称を

当山以外の事業等において

事前の詳細な確認であったり

実物を拝見したうえの許可なく

使用することは

いかがなものかと懸念しています。

 

仏道にも神道にも

神仏と向き合う際だけでなく

神仏について

お伝えする際や

お姿や宝号(神仏等の名称)を

用いさせていただく際は

一種の“マナー”があります。

 

そういったことを

お伝えしたり

ご相談に対応するのも

神仏に携わる者の

大切な役目といえます。

 

具体的なことは述べませんが

当山がお守りする観音様に

関連することで

とても失礼と感じられる形で

とある事業に

写真や名称が用いられたケースが

本年見られました。

 

それだけでなく

その事業概要を説明するにあたり

当地域の抱える「難題」として

当山が何年もかけて

取り組んでまいりました

本堂建替事業にも言及があり

「地域の方に高額な寄付金の負担が

余儀なく決定された」という

経緯を全く無視した形で

紹介されていたようで

とても残念に感じています。

 

携わっていらっしゃる方々は

一生懸命に

取り組まれていたでしょうし

全く悪気はなかったと

確信していたため

申し立てはいたしませんが

将来のことも考え

当ブログに

拙稿をしたためさせて下さい。

 

先に結論からいいますが

尊格のお姿であったり宝号などを

使用される際は

かなり慎重に事を運ぶべきです。

 

そのことについて

観音様を取り上げさせていただき

記させていただきます。

 

当山の観音堂に

祀られる秘仏の聖観音様は

七崎観音(ならさきかんのん)と

通称されます。

 

当山の観音堂は

七崎観音を主尊とするので

七崎観音堂(ならさきかんのんどう)

とも称します。

 

七崎観音堂は

明治時代まで

「奥の院」形式で

現在七崎神社のある場所に

お堂を構えており

徳楽寺(とくらくじ)の寺号が

用いられていたことが確認され

当山は七崎観音別當を

現在に至るまで担ってまいりました。

 

明治の神仏分離への対応により

旧七崎観音堂のあった境内地を切り離し

旧観音堂等は廃止され

七崎神社に改められ

イザナミノミコトが

御祭神として祀られております。

 

現在の七崎神社は

イザナミノミコトが

祀られる“聖なるお山”なのであって

七崎観音のお山ではないのです。

 

なので

七崎神社の歴史を述べるなかで

観音様について触れるのは

とても自然に思いますが

祈りの面においては

主祭神がイザナミノミコトである以上

イザナミノミコトにまつわることを

尊んでお伝えすることに注力し

ご縁を深める契機とすることが

いわゆる御神徳に

つながると思うのです。

 

地域のシンボルでもある

大杉は「ほこ杉」と通称されます。

 

一説に3本の大杉は

北斗七星になぞらえて

当山の開基開山上人である

行海(ぎょうかい)大和尚が

お手植えされたと伝えられます。

 

当山に残る

史料などの内容を踏まえるに

明治以後の神仏分離への対応を

当地では“丁寧に”

なされている感があります。

 

言葉で表現するのが難しいのですが

神仏への敬意が払われた(と思われる)

形で「神」と「仏」の

「分離」に取り組まれ

実施されたように

感じられます。

 

「ほこ杉」の「ほこ」は

“国生み神話”の天之瓊矛(あめのぬぼこ)が

明らかに意識されており

この聖なる矛(ほこ)は

イザナギノミコトとイザナミノミコトによる

重要な神話の一シーンを

強く連想させるものです。

 

記紀神話は

昭和のある時期までは

現在とは比べ物にならない程

身近なものだったので

「ほこ杉」という尊い名が託された

天をつくような巨大な杉を

目にした方は

イザナミノミコトが祀られる

静寂な七崎神社の境内に

記紀神話の情景を思い重ね

切に祈りを捧げられたものと

推測いたします。

 

七崎神社は

観音堂であった時代が

圧倒的に長いのですが

観音様は遷座(せんざ)されて以後は

イザナミノミコトが

御祭神として祀られています。

 

「祀る」というのは

非常に重い意味があるものです。

 

祀るためには

浄地(じょうち)や開眼(かいげん)ほか

様々なお作法が必要で

そのひとつひとつには

意味が込められています。

 

当山には

様々な尊格が祀られますが

それは展示物として

設置されているという意味ではなく

尊い仏様や神様として

畏れ敬って

各祭壇にご安置させて

いただいているわけです。

 

お祀りして

お守りすることは

容易なことではありません。

 

日々の祈りをお捧げするだけでなく

諸作法を施させていただいたり

行事などを厳修させていただいたり

ということが代々継承され

現在に至っております。

 

難しい時代の中にあっても

代々の先師方が

懇切丁寧にお守りされてきた諸尊ゆえ

現住職である拙僧泰峻もまた

覚悟をもって

事に当たらせていただいているつもりです。

 

七崎観音についても

現七崎観音別當として

先師方の志を受けつぎ

覚悟をもって

お守りしてまいる所存でおります。

 

そういう立場の拙僧からしますと

歴史的経緯も踏まえて

不自然に感じられることや

失礼に感じられることが

あったわけです。

 

少し想像してみて下さい。

 

ご自身や

ご自身のご家族

ご自身の大切な方や

大切な趣味に関わる写真が

破り捨てられたり

グシャグシャに丸め捨てられたら

どう感じられるでしょうか?

 

紙資料であれば

写真に比して

廃棄される場合が

圧倒的に多くなります。

 

七崎観音の御影(お姿)が

掲載された

とある紙の文書が

広く配布されたのですが

それを目にした時

とても驚きましたし

正直とても残念に思いました。

 

繰り返しますが

その文書を作成された方も

その事業に携わっていらした方も

とても一生懸命に

取り組まれていらっしゃいましたし

拙僧泰峻個人としても

信頼を寄せる方々です。

 

ただ

神仏に関わる事柄に

向き合う場合は

神仏に関わる領域において

配慮すべきことがあると

強く感じたため

本日は拙稿をしたためることにいたしました。