新本堂の屋根は銅板葺きとなります。
真新しい銅板が葺かれてきたので
葺き終わった箇所は
眩しい程に輝いております。
工事の様子をお伝えする
映像を用意したので
ぜひご覧いただき
ご確認いただければと思います。
新本堂の屋根は銅板葺きとなります。
真新しい銅板が葺かれてきたので
葺き終わった箇所は
眩しい程に輝いております。
工事の様子をお伝えする
映像を用意したので
ぜひご覧いただき
ご確認いただければと思います。
観音様のお経は沢山ありますが
最も有名なものといえるのが
「普門品(ふもんぼん)」です。
正式には
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五
といい
観音経(かんのんぎょう)と通称されます。
当山では
旧暦1月17日(令和4年は2月17日となります)
に観音様の行事があるので
最近は観音菩薩にまつわる記事を
投稿することが多くなっておりまして
今回は観音経について
紹介したいと思います。
観音経全文は次のようになります。
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五
爾時無盡意菩薩即従座起偏袒右肩合掌
向佛而作是言世尊観世音菩薩
以何因縁名観世音
佛告無盡意菩薩
善男子若有無量百千萬億衆生受諸苦悩
聞是観世音菩薩一心稱名観世音菩薩
即時観其音聲皆得解脱
若有持是観世音菩薩名者設入大火
火不能燒由是菩薩威神力故
若為大水所漂稱其名號即得淺處
若有百千萬億衆生為求金銀瑠璃硨磲瑪瑙
珊瑚琥珀眞珠等寳入於大海假使黒風
吹其船舫飄堕羅刹鬼國其中
若有乃至一人稱観世音菩薩名者
是諸人等皆得解脱羅刹之難以是因縁名観世音
若復有人臨當被害稱観世音菩薩名者
彼所執刀杖尋段段壊而得解脱
若三千大千國土満中夜叉羅刹欲来悩人
聞其稱観世音菩薩名者
是諸悪鬼尚不能以悪眼視之況復加害
設復有人若有罪若無罪杻械枷鎖
検繋其身稱観世音菩薩名者皆悉断壊即得解脱
若三千大千國土満中怨賊有一商主将諸商人
齎持重寳経過険路其中一人作是唱言
諸善男子勿得恐怖
汝等應当一心稱観世音菩薩名號
是菩薩能以無畏施
於衆生汝等若稱名者於此怨賊當得解脱
衆商人聞倶發声言南無観世音菩薩
稱其名故即得解脱
無盡意観世音菩薩摩訶薩威神之力巍巍如是
若有衆生多於婬欲常念恭敬観世音菩薩便得離欲
若多瞋恚常念恭敬観世音菩薩便得離瞋
若多愚痴常念恭敬観世音菩薩便得離癡
無盡意観世音菩薩有如是等大威神力
多所饒益是故衆生常應心念
若有女人設欲求男禮拝供養観世音菩薩
便生福徳智慧之男
設欲求女便生端正有相之女宿植徳本衆人愛敬
無盡意観世音菩薩有如是力
若有衆生恭敬禮拝観世音菩薩福不唐捐
是故衆生皆應受持観世音菩薩名號
無盡意若有人受持六十二億恒河沙菩薩名字
復盡形供養飲食衣服臥具医薬於汝意
云何是善男子善女人功徳多不無盡意言甚多
世尊佛言若復有人受持観世音菩薩名號
乃至一時禮拝供養是二人福正等無異
於百千萬億劫不可窮盡
無盡意受持観世音菩薩名號
得如是無量無邊福徳之利
無盡意菩薩白佛言世尊観世音菩薩
云何遊此娑婆世界云何而為衆生
説法方便之力其事云何
佛告無盡意菩薩善男子若有國土衆生
應以佛身得度者観世音菩薩即現佛身而為説法
應以辟支佛身得度者即現辟支佛身而為説法
應以声聞身得度者即現声聞身而為説法
應以梵王身得度者即現梵王身而為説法
應以帝釈身得度者即現帝釈身而為説法
應以自在天身得度者即現自在天身而為説法
應以大自在天身得度者即現大自在天身而為説法
應以天大将軍身得度者即現天大将軍身而為説法
應以毘沙門身得度者即現毘沙門身而為説法
應以小王身得度者即現小王身而為説法
應以長者身得度者即現長者身而為説法
應以居士身得度者即現居士身而為説法
應以宰官身得度者即現宰官身而為説法
應以婆羅門身得度者即現婆羅門身而為説法
應以比丘比丘尼優婆塞優婆夷身得度者
即現比丘比丘尼優婆塞優婆夷身而為説法
應以長者居士宰官婆羅門婦女身得度者
即現長者居士宰官婆羅門婦女身而為説法
應以童男童女身得度者即現童男童女身而為説法
應以天龍夜叉乾闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅
摩睺羅伽人非人等身得度者即皆現之而為説法
應以執金剛神得度者身得度者
即現執金剛神而為説法
無盡意是観世音菩薩成就如是功徳
以種種形遊諸國土度脱衆生
是故汝等應當一心供養観世音菩薩
是観世音菩薩摩訶薩
於怖畏急難之中能施無畏是故此娑婆世界
皆號之為施無畏者
無盡意菩薩白佛言世尊
我今當供養観世音菩薩
即解頸衆寳珠瓔珞價直千両金而以與之作
是言仁者受此法施珍寳瓔珞時
観世音菩薩不肯受之
無盡意復白観世音菩薩言
仁者愍我等故受此瓔珞
爾時佛告観世音菩薩當愍此
無盡意菩薩及四衆天龍夜叉
乾闥婆阿修羅迦樓羅緊那羅
摩睺羅伽人非人等故受是瓔珞
即時観世音菩薩愍諸四衆及於天龍
人非人等受其瓔珞分作二分
一分奉釈迦牟尼佛
一分奉多寳佛塔
無盡意観世音菩薩有如是自在神力遊於娑婆世界
爾時無盡意菩薩以偈問曰
世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名為観世音
具足妙相尊 偈答無盡意 汝聴観音行 善應諸方所
弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 發大清浄願
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦
假使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑變成池
或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没
或在須弥峰 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住
或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛
或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心
或遭王難苦 臨刑欲壽終 念彼観音力 刀尋段段壊
或囚禁枷鎖 手足被杻械 念彼観音力 釋然得解脱
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
若悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方
玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自回去
雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 應時得消散
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦
具足神通力 廣修智方便 十方諸國土 無刹不現身
種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
眞観清浄観 廣大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰
無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間
悲體戒雷震 慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩悩焔
諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念
念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故應頂禮
爾時持地菩薩即従座起前白佛言世尊若有衆生
聞是観世音菩薩品自在之業普門示現神通力者
當知是人功徳不少佛説是普門品時衆中
八萬四千衆生皆発無等等
阿耨多羅三藐三菩提心
以上のようなお経になります。
観音菩薩の
変幻自在なる境地と
世を照らし心を照らす
智慧と慈悲のありようが
説かれたお経といえます。
細かな内容については
今後折に触れて
紹介いたします。
昨年の法要で
観音経(偈文)をお唱えした部分を
動画にしてありますので
ご覧いただき観音経と
ご縁を深めていただければと思います。
▼観音経(偈文)の動画
【おこもりのご案内】
旧暦1月17日にあたる
令和4年2月17日は
秘仏・七崎観音(ならさきかんのん)
をご開帳してご宝前にて
法要を執り行います。
この行事は「おこもり」と通称されます。
詳細は下記リンクをご参照ください。
▼昨年のおこもりの様子
1月18日は
年初の観音縁日ゆえ
初観音といわれます。
初観音ということで
当山に祀られる七崎(ならさき)観音
について本日は触れたいと思います。
昨日のブログで投稿しましたが
来月は七崎観音の行事があります。
行事との関係もあり
例年この時季には
七崎観音に関する
投稿が多くなるのですが
研究メモや調査メモも
兼ねて書かせていただいております。
拙僧自身も
改めて確認したいことがあるので
久しぶりに「年表メモ」も更新しつつ
七崎観音について
これから何回かにまたがり
書きとどめたいと思います。
以前もご紹介したように
七崎観音は二体あり
現在秘仏とされているのは
七崎観音本体の御前立(おまえだち)
として貞享4年(1687)に
藩主・南部重信公が奉納したものです。
「本体」である聖観音は
明暦元年(1655)に
藩主・南部重直公が奉納した
「金色の観音像」で
こちらは現在修繕中です。
この二体の七崎観音を
区別するため昨年より
「現(げん)七崎観音」
「本(もと)七崎観音」
と呼び分けています。
本七崎観音は
当時の観音堂が再興された際に
奉安されたものでして
その時の観音堂再興の棟札(むなふだ)が
残っております。
七崎観音が祀られる七崎観音堂は
明治まで観音山あるいは七崎山と
呼ばれる場所にありました。
現在の七崎神社の場所です。
明治になり
神仏分離の対処のため
境内を切り離し
かつての七崎観音堂は取り壊され
社殿が建立されています。
仏像仏具は当山に
移されることになりました。
旧観音堂が廃止され
七崎観音ほか諸尊が
当山に遷座された後も
空のお堂へ参詣する方が
多かったようで
そういった方への配慮で
再度旧観音堂へ
七崎観音が祀られるという
臨機応変策が
転換期において講じられています。
明治以後の住職が残した文書によると
七崎観音が当山に遷座された当初は
旧本堂の一室を
“突貫工事”的に模様替え
せざるを得ない状態だったようで
かなり粗末に感じられるような
空間だったとのことです。
「稀代の古刹」とまで称され
藩主はじめ多くの方に
崇敬されてきた観音様ほか諸尊を
お祀りする観音堂を
再興していくことを胸に
代々住職がご尽力されてきたことが
明治以後の歴史から浮かび上がります。
先代住職の泰永和尚もまた
その一人でして
先代の期間中において
観音堂はかなり整備されております。
もうすでに結構な分量になってきたので
本日はこの辺で終わりにしたいと思います。
本年もまた
数回にわたって七崎観音について
紹介したいと思いますが
今回は特に明治以後に注目し
七崎観音の本体と御前立が
“入れ替わって”認識されるに
至った理由について
思いを巡らせてみたいと思おいます。
▼仮観音堂
※『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄、大正15年[1926])を典拠にしたものについては青字で記します。(※一部追記アリ。)
※伝説・伝承含め当山に関連する記述の見られる主な史料の年代等を緑字で記します。前回のものに追記したものがあります。
※弘法大師空海や興教大師覚鑁の両祖大師に関すること、寛永11年[1634]以降の御遠忌(ごおんき)を紫字で記します。
※近世以前(ここでは寛政12年[1625]以前)については、当山の過去帳を主な典拠として橙色で記します。(※一部追記アリ)
令和4年2月17日は
旧暦1月17日大安にあたり
この日に
秘仏・七崎観音(ならさきかんのん)を
ご開帳して
法要が行われます。
この行事は
「おこもり」とよばれます。
令和2年までは
午後8時より護摩を行っていましたが
仮本堂では消防法の関係で
護摩を修法できないため
昨年同様
別形式でご祈祷の法要を
行います。
当日の流れは次のようになります。
どなた様でも
ご参列いただけるので
年に1度の行事を
ぜひご一緒下さい。
おこもりの流れ
◆仮本堂にて受付(午後7時〜)
お布施、加持物(かじもつ)をお預かりします。
- 法要中、祈願者名を読み上げますので、読み上げてほしいお名前はお布施の袋にお書きいただくか、別紙ご持参下さい(読みがなを振っていただけると有り難いです)。
- 読み上げの名簿を作成する都合上、時間にゆとりをもって来ていただけると助かります。また、前日までに受付を済ませて頂いても構いません。メールでも受付いたします。
- 護摩の時は、加持物(かじもつ)を護摩の煙にあててお加持していましたが、今回はご宝前に設えてお加持いたします。加持物ですが、例えば愛用の服、メガネ、ノート、シャーペンなど、皆様ゆかりの物を風呂敷に包むか、カバンに入れてお持ち下さい。
◆法要(午後8時〜)
法要の中で、祈願者名を読み上げます。ご自身のお名前、あるいは有縁の方のお名前が読み上げられた際は、心願成就を願い、柏手(かしわで)を2度お打ちください(2拍手)。
◆ウイルス対策のため、本年も後席はありません。
◆数に限りがありますが、御護符(おごふ)として落雁(らくがん)をお渡しします。
◆法要後、授与品(お守、お札など)をお授けする授与所を用意するので、入用の方は、そちらでお求め下さい。
皆様のご参加
心よりお待ちしております。
▼令和3年の様子(仮本堂にて厳修)
▼令和2年の様子(旧本堂にて厳修)
今朝の地元紙・デーリー東北に
クラウドファンディング(CF)で
作成した絵本について掲載されました。
今回掲載していただいた記事は
デーリー東北の田村純也さんが
昨年末に取材下さったものをもとに
書いて下さったものです。
田村さんは
昨年年頭にデーリー東北に
寄稿させていただいた
新春随想の記事でも
お世話になった記者さんです。
昨年末の除夜の鐘リレーにも
極寒の中
ご一緒下さいました。
そんな記者さんがつづられた記事は
とても素敵なものだなと感じました。
さて
暗中模索状態で
紆余曲折ありながらも
多くのご支援者の温かな
お支えのおかげで
絵本づくりCFは
目標を達成することが出来ました。
思った以上に反響が大きく
CF終了後も
絵本へのお問い合わせが
多く寄せられております。
完成した絵本
『龍になったおしょうさま』は
ご支援者にお渡しする分と
教育機関等へ寄贈する分のみ
製本いたしました。
朝刊の記事をご覧になられて
お問い合わせを
多数いただいたのですが
お譲り出来る在庫は
全くない状態です。
ただ思った以上に
お問い合わせが
多かったため
増刷CFも含めて
対応を検討したいと思います。
単に増刷して
お代と引き換えに
お譲りする形となると
収益事業となってしまうため
増刷するとすれば
CFへのご支援者を
改めて募らせていただき
製本するという運びになると思います。
今後の対応については
決まり次第
お知らせいたします。
コサカ技研の
小坂明会長のご厚意により
新本堂観音堂に奉納される
お仏像・権現像(ごんげんぞう)は
7世紀に大陸より伝えられた
脱活乾漆(だっかつかんしつ)という
技法で作仏されたものです。
脱活乾漆は
鎌倉時代以降衰退したのですが
関頑亭(せきがんてい)氏の
努力により現代に復活し
その技法により
素晴らしい作品が
世に残されました。
コサカ技研が運営される
尻内の洗心美術館には
脱活乾漆により作られた
作品が展示されており
その中の一点が
当山へご奉納されます。
権現像は
観音堂に安置させていただきます。
ご奉納にあたり
仏像配置のイメージ図を
作成してみました。
暫定的なイメージ図ではありますが
とても荘厳な素晴らしい空間に
なるものと期待しております。
以前にも少し触れましたが
泰峻住職の弟子・太陽坊こと
中野太陽さんは
三湖伝説に関した素敵な
取り組みをされていらっしゃいます。
三湖伝説とは
十和田湖、八郎潟、田沢湖の
龍神伝説を指します。
三湖伝説は
歴史的に古いものではありませんが
現在も語られ親しまれている
「民間信仰」として
とても尊いものといえます。
太陽さんは
普賢院の南祖法師(なんそほっし)尊像の
脇侍として
龍王像と龍女像をお祀りすることを
目指されご支援の募られていらっしゃいます。
龍王像は八郎潟の龍神・八郎太郎
龍女像は田沢湖の龍神・辰子姫を
モチーフにして
弘前の仏師・小堀寛治さんに
造立をお願いされています。
太陽さんは
仏師さんに御像造立をお願いするにあたり
八郎潟や田沢湖はもちろんのこと
関係各所を訪ねられ
現地の方にも取材されるといった
現地調査も実施されました。
本堂建替と住職の代替わり
という大きな節目を迎えている
普賢院において
三湖伝説に思いをはせて
祈りを捧げられる空間を準備したい
との尊いお気持ちから始まった
情熱的なプロジェクトだと感じています。
拙僧泰峻も微力ながら
協力させていただいております。
現在、ご支援者を
募られていらっしゃるので
よろしければ
太陽さんにお力添えの程
お願いいたします。
▼ご支援方法など詳細はコチラ
寒波の影響で
かなり冷え込みが厳しく
八戸でも積雪が多い
12月となっています。
当山では
庫裏(くり、住まいの意)2階の
ストーブが寒さの影響で
灯油を組み上げる装置に不具合が生じ
大変困った年末となりました。
前回の年越しも-10℃を
下回りましたが
本年も同様の冷え込みの師走です。
さて
本年は様々な工事の様子を
お伝えする動画を
随時公開してまいりましたが
本年最後の「報告動画」を
アップしたので
ぜひご覧下さい。
宮大工さん方は明日で
仕事納めとなり
来年は1月5日からの
お仕事となるそうです。
来年もまた
本堂が完成する過程を
随時お伝えいたしますので
お付き合いの程
よろしくお願いいたします。
令和3年は
日昇位置の観察を
重ねてまいりました。
普賢院は真東を向いているので
年中日昇を目の当たりに
しているということになります。
普賢院の位置は
太陽の動きと深く
関わるとされているということもあり
観察を続けてまいりました。
本年の冬至は12/22となります。
この日は
太陽が最も南側から昇ります。
今朝は天候が良かったため
冬至と2日間ズレがありますが
1年で最も南側から
太陽が昇る時季であることには
変わりないので
日昇の撮影を行ないました。
その映像を公開したので
ご覧いただけると幸いです。
絵本づくりクラウドファンディング(CF)は
現在発送作業を進めております。
完成した絵本と返礼品(お札など)の
ご祈祷を行いました。
本当ですと
お運びいただける方に
おいでいただいて
ご祈祷をご一緒出来れば
良かったのですが
今回は法要の様子を撮影して
動画をご覧いただく形にしました。
絵本と返礼品(お札など)は
準備が整い次第
順次発送いたしますので
もう少しお待ち下さいませ。