双極性障害(躁うつ病)と向き合う㉔〜終話〜

先日遷化した

当山第64世・泰永僧正は

長く双極性障害(躁うつ病)

を患っていました。

 

本年7月後半頃より

躁(そう)状態になり

月に1度の通院が

週に1度の通院となり

治療しておりました。

 

双極性障害は

認知度が低い脳疾患です。

 

特に躁状態は

誤解を招きやすい状態で

患者本人の

社会的信用を失いやすく

家庭崩壊を招きやすいとされます。

 

そのため当ブログでは

泰永僧正が躁状態になった際

健康状態をお伝えすべく

「双極性障害(躁うつ病)と向き合う」

というカテゴリーを設け

記事を投稿してまいりました。

 

双極性障害について

述べさせていただくのは

今回が最後となります。

 

双極性障害は

躁(そう)状態と

うつ状態を繰り返す

脳疾患です。

 

双極性障害の治療は

その2つの状態の差を

なるべく小さくする

ことを目標とします。

 

躁とうつの状態差が

大きければ大きいほど

患者本人への

身心への負担が

大きくなります。

 

実は8月に入ってから

医師より入院を

勧められておりました。

 

しかし

泰永僧正の希望もあり

入院はしませんでした。

 

ですが

なかなか躁がおさまらず

身体にかなり負担が

かかっている様子だったので

次回に通院する際は

入院してもらう方向で

家族は考えておりました。

 

そう考えている矢先の

9/8早朝に

泰永僧正は遷化しました。

 

亡くなった当日は

早朝に青森市へ行く予定があり

準備のため入浴していました。

 

頭を剃髪し

身体も洗って

お湯をいっぱいはった浴槽で

ラジオを聴きながら

ゆっくり過ごしていた中で

最期の時が訪れたようです。

 

たまたま

その日の朝焼けを

拙僧は撮影していたのですが

泰永僧正の足音と

「風呂」という声が入っていました。

 

その動画は

午前4時53分に撮影と

記録されています。

 

浴室で亡くなっているのを

発見したのが

午前5時半頃になるので

動画に入っている音は

まさに亡くなる直前のものです。

 

懸命の蘇生措置も及ばず

市民病院にて死亡確認が

午前7時12分になされました。

 

拙僧としては

双極性障害と向き合い

泰永僧正には穏やかに

長生きして欲しいと

思っていました。

 

これまでのことを

振り返ってみると

泰永僧正は拙僧とは

少し違う感覚で

生活していたのかもしれません。

 

どういうことかというと

長生きすることより

その時々を精一杯生ききる

ことに重点を置いていた

のではないかと思うのです。

 

泰永僧正は

自身の脳疾患について

きちんと把握していましたし

通院も服薬も

欠かすことはありませんでした。

 

躁状態になると

衝動的で過度に多動的

あるいは多弁的になるのですが

泰永僧正の言動は

全てにおいて僧侶としての

行いに関わるものでした。

 

お寺のため

ご縁のある方のため

次の世代の者のため

ここ1ヶ月間は

常に全力疾走していました。

 

今年のお盆あたりから

泰永僧正は何度か

転んでいます。

 

そのうち1回は

自分でもどうして転んだのか

覚えておらず

気がついたら

通りがかりの有縁の方に

助けられていたという

ことがありました。

 

お盆頃というと

睡眠を取らずに

ひたすら動いていた時期

でもあります。

 

恐らくですが

転んだのではなく

倒れたのではないかと

今は推測しています。

 

8月に入り

毎週1度の通院となり

躁状態を少しでも早く

しずめるために

薬の処方が変わりました。

 

最後の2〜3週間は

朝はろれつが

回っていなかったり

フラフラしと歩いている

ような感じでした。

 

眠剤の影響もあるのですが

それだけでは

なかった様に思います。

 

躁状態が続いて

体力が無くなることは

我々家族は想定していたのですが

まさか

力尽きてしまい

最期を迎えるとは

考えていませんでした。

 

当山では

来年3月に新本堂の上棟式

来年10月に完成する新本堂の

落慶式が後々に控えており

その時季に泰永僧正が

双極性障害の

躁状態でもうつ状態でもない

安定期である寛解期に

あたるようにすべく

泰永僧正含め家族で

疾患と向き合っておりましたが

拙僧が考えていた以上に

躁状態というのは

恐ろしいものだったと痛感します。

 

そのような思いがある一方

躁状態で最期を迎えられたことは

良かったとも感じています。

 

ご存じの方も多いかと思いますが

躁状態の対極にある

うつ状態も大変難しい状態です。

 

うつ状態がひどい時は

動くことすら出来なくなります。

 

しかも

躁状態に比べ

うつ状態は圧倒的に

長期間に渡る傾向があります。

 

そのような状態を

重々知っているだけに

過度ではあるものの

活発に動ける時に

最期を迎えられたのは

良かったと感じています。

 

躁状態の時は

角が立ってしまう言動が

病状としてどうしても

引き起こされてしまいますが

誠実で真面目で心優しく

素直であった泰永僧正ゆえ

いかに激しい言動が

見られたとしても

根本は変わらず

最後の最後まで

僧侶として歩み切ったと

拙僧は捉えております。

 

躁を活かして

うつ状態の時には

出来なかったことを

必死にやろうとしていました。

 

亡くなった日は

早朝に青森市へ出発し

親戚のお宅の仏壇で

お勤めをする予定でした。

 

お参りするための

持ち物や着る物も

バッチリ準備をしたうえで

入浴をしていたようです。

 

僧侶としての歩みを貫いた

「大和尚」だったと思います。

 

 

 

双極性障害と

向き合ってきたことは

とても大きな経験だったと

感じています。

 

これまで何度も

お伝えしてきましたが

双極性障害で

一番苦労しているのは

患者本人です。

 

これは

間違いありません。

 

患者本人への

心身の負担は

想像を絶するものが

あると思います。

 

心身への負担は

命に大いに関わることを

泰永僧正の一件で確信しました。

 

同居する家族への負担も

かなり大きいものがありましたが

患者本人への負担は

それとは比べ物に

ならないと言えるでしょう。

 

双極性障害について

公表して

特に躁状態の時には

周知に努めるようにして以降

専門的なアドバイスを

多数お寄せいただいたり

お励ましのメッセージも

多数頂戴しました。

 

そのような

温かなお心は

泰永僧正を支えるにあたり

大きな力となりました。

 

心より感謝いたします。

 

 

 

双極性障害(躁うつ病)と向き合う

 

それは

拙僧にとっては

父と向き合うことであり

自身と向き合うことでした。

 

 

▼亡くなる2日前に

絵本づくりに

協賛してくれました

双極性障害(躁うつ病)と向き合う㉓

当山住職は長く

双極性障害(躁うつ病)という

脳疾患を患っており

現在は躁状態にあります。

 

双極性障害の治療では

躁状態をいかに抑えるかが

重要なポイントになります。

 

社会的認知度が低く

誤解を生じる場合が想定されるため

当山では

住職が躁状態にある際

健康状態についてや

病気について

特に有縁の方に把握していただくべく

当ブログやSNS各種を通じて

周知に努めております。

 

▼これまでの記事はコチラです

双極性障害(躁うつ病)と向き合う

 

躁状態になると

患者本人は自身の感情や行動を

コントロールすることが出来ず

衝動的になり

易怒的に(怒りやすく)なり

かなり横柄になり

自己中心的で自分勝手になり

注意散漫になり

冷静な思考や判断が難しくなり

多動的になり

多弁的になり

自身が偉くなったような誇大性が高まる

といったように様々な症状が

引き起こされてしまいます。

 

これらは脳疾患による症状なので

患者本人の人格や倫理といった

こととは別物です。

 

躁状態での

明らかな異常行動を

患者本人が異常とは感じない点が

また難しい所でして

社会的信用の喪失

家族崩壊を引き起こしやすい

大きな理由だと言えます。

 

家族内では

まさに自己中心的な言動が目立ち

異常と感じられる

自分勝手な行動が多く見られます。

 

ご飯を食べるよう促したり

お風呂に入るよう促したり

やることをやるよう促したり

といったごく自然な声がけに

逆上して声を荒げたりすることも

少し前より増えたように感じます。

 

家族崩壊につながりやすいというのは

身をもって感じています。

 

適度な距離を保って

接することも大切という

アドバイスをいただいたことがあるので

躁状態の時は

ある程度距離を保って

向き合うようにしております。

 

生活リズムを整えることが

双極性障害の治療において

とても大切とされ

社会リズム療法という

アプローチも存在します。

 

社会リズム療法は

周囲の者だけが意識しても

成就するものではなく

患者本人も意識しなければ

成り立ちにくいものです。

 

現状

当の患者本人が

生活リズムを整えたいという

意識に欠けているため

自分本位の時間の流れで

過ごしているように

見受けられます。

 

とにかく

生活リズムが乱れており

天の邪鬼のような感じで

周囲のアドバイス通りには

動くことが出来ず

何かしら理由をつけて

複数の脱線行為が連鎖してしまい

一つのなすべきことに至るまでに

余計なこと(衝動的な諸行動)が

介在してしまうので

その結果

生活リズムが乱れてしまうと

まとめられるかと思います。

 

最近の住職は

一時躁が落ち着いたようにも

感じられたのですが

ここ数日は

悪化しているように思います。

 

筋道を立てて物事を

考えられない状態であることも

相俟って

生活リズムは狂ってしまい

服薬の時間も乱れたうえ

睡眠時間が少なくなったことも

影響して体の疲れが取れず

躁状態が悪化したのではと

推測しています。

 

躁状態では

次々と考えがめぐってしまい

注意散漫になるため

一つのことに集中して

取り組むことは困難で

あれこれと着手してしまう

といった行動が顕著になるのですが

ここ数日は

まさにそういった様子です。

 

医師の話ですと

二人暮らしや

核家族世帯では

患者家族に相当の

ストレスがかかるため

躁の場合は患者のためのみならず

家族のためにも入院することが

とても効果的だそうです。

 

双極性障害でいう

躁状態とうつ状態というのは

気分の浮き沈みといった

ごく一般的なものとは

全く異なりまして

脳疾患が原因となって

引き起こされるものです。

 

身は一つでも

両極端な状態を

行ったり来たりするわけなので

患者本人への負担は

かなり大きいようで

年をとる速度も

早いように見えます。

 

 

ウイルス感染の拡大が

各所で見られ

特に最近は八戸でも

顕著な増加傾向にあり

不要不急の外出を

避けなければならない状況が

続いております。

 

ですが

最近の住職は

そういったことは

お構いなしでして

明らかに不要不急の用事でも

必要な用事であると

声を荒げて主張して

強引に出かけるという状態です。

 

この点も

最近は心配な所でして

近くの地域でも

感染者が相次いでいるので

口だけではなく行動として

感染対策をして欲しいのですが

そもそも躁状態の

代表的な症状に

他人の意見に耳を貸さない

と挙げられているので

躁状態では難しそうです。

 

つい最近あった話ですが

とある葬儀会館に

どうしても自分で

届けたいものがあり

すぐに行くと

意固地になってしまい

母が車で送ることになりました。

 

先に触れたように

ウイルス感染対策が

重んじられる昨今なので

事前にその葬儀会館に

連絡させていただき

事情をお伝えして

ご対応にご協力いただきました。

 

今回は

状態が少し悪化していることに

ついて述べてまいりましたが

躁による言動の激しさが

なかなかおさまらない

といった方が的確かもしれません。

 

というのも

最近の住職は眠気や疲れを

感じているようで

この点についていえば

躁状態は落ち着いてきたとも

いえるかもしれません。

 

かなりの躁状態であれば

寝なくても活発に活動できるような

状態なので

眠気や疲れを感じていることは

寛解への兆しとも

捉えることが出来ると思います。

 

躁状態が激しいと

その分うつが長く激しいものに

なりやすいと聞きます。

 

双極性障害は

躁とうつを繰り返す脳疾患です。

 

言い方を変えると

躁状態の後に

必ずうつになります。

 

躁状態の後に控える

うつ状態のことも

見据える必要があります。

 

両極端な状態の幅を

小さくすることが

双極性障害の治療の

目指すところです。

 

7月後半頃から躁状態になって以降

週1回の通院で治療をしているのですが

それだけ丁寧な治療を要する

状態だということです。

 

本来は

誠実で優しく真面目な性格の住職ゆえ

治療や服薬はきちんと行っており

寺族一同

双極性障害と向き合っております。

 

躁状態で

いかに横柄で自分勝手な言動が

見られたとしても

それは脳疾患により引き起こされている

いわば“幻像”と捉えています。

 

とにかく

早く寛解期に

入ってもらえればと願っています。

 

双極性障害(躁うつ病)と向き合う㉒

躁(そう)状態うつ状態

を繰り返す脳疾患である

双極性障害(躁うつ病)

当山住職は長く患っており

現在は躁(そう)状態にあります。

 

双極性障害は

「双極」との名称が表すように

かなり極端な状態を

繰り返すという難しい疾患で

社会的信用の喪失と

家族崩壊につながりやすいとされます。

 

そのような心配要素があるため

当山では住職が躁状態になった際は

病気のことや

住職の健康状態について

ブログ等でとりあげております。

 

▼これまでの記事はコチラです。

双極性障害(躁うつ病)と向き合う

 

今回は

躁(そう)状態と

平時の寛解(かんかい)期の

大きなギャップについて

つづらせていただきます。

 

躁状態をいかに

抑えるかが

この疾患との

向き合い方においては

とても大切なこととされます。

 

躁状態は脳疾患により

引き起こされる症状で

患者本人は自身の感情や行動を

コントロール出来なくなる様な

状態になってしまいます。

 

住職は

徐々に落ち着いてきておりますが

まだまだ躁状態にあります。

 

住職はもともと

誠実で心優しい僧侶なので

躁状態にあっても

家族のため

お寺のために

色々と行いたいという

思いが伝わってまいります。

 

ですが

躁状態ですと衝動的で

角が立つような振る舞いに

なってしまうことが多いため

周囲の者は

困惑してしまうこともありますが

住職も周囲の者も

それぞれに現況と向き合いながら

日々を過ごしています。

 

躁状態の主な症状として

以下の画像にあるような

ものがあげられます。

 

 

住職自身は

寛解(かんかい)期

つまり普段は

冷静に物事を考えて

慎重に行動する性格で

資料にあげられるような

姿とは全く異なります。

 

冷静で慎重な人物が

全く別人格とも感じられるような

「症状」を引き起こすのが

この疾患の特徴です。

 

当山では

疾患との向き合い方のひとつとして

躁状態になった際には

当ブログや各SNSを通じて

そのことをお伝えして

症状を踏まえたうえで

住職とお向き合いいただけるよう

努めております。

 

現在当山では

本堂建替事業を進めており

建設関係の会議を

定期的に開催しているのですが

役員さん方にも

健康状態については

お知らせしております。

 

先に示した画像資料中に

「散財する」とありますが

活発な多動や外出に伴い

様々な買い物を

過度に重ねることと

言えると思います。

 

5年前に躁状態になった際の

散財はかなりのものでしたし

その時は

独断での行動が

今回よりも激しいものがあり

役員会にて大切に管理して

それまで必要な場合にのみ

使用してきた特別会計のお金を

何の承認を得ることなく

一部使うことになってしまい

役員会で問題になった

前例があります。

 

ある専門書によれば

躁状態にあるときは

患者本人に万能感があり

自身は特別な人間であるという

誇大感情にあふれるそうで

所定の手順や段取りを経て

なされるべきものでも

それらに囚われず

衝動的に動いてしまうことが

多々あるとのことです。

 

あくまでも脳疾患により

引き起こされるものですが

疾患についての前情報が無ければ

患者本人の人格や倫理の

問題として受け取られかねませんし

社会的信用の喪失に

なりかねないため

会議の案内とあわせて

役員の方々には

疾患についてお知らせしています。

 

最近はウイルス禍により

この1年以上かけて模索されている

新しい生活様式や

ニューノーマルと称されるものが

それまでの慣習を

塗り替えつつあるものが

多々見られます。

 

おそらくウイルス禍は

まだまだ収まりを

見せないでしょうし

他にも以前から指摘されている

現代的な諸々の課題も

踏まえなければ

有意義な検討は出来ません。

 

これまでの

本堂建設関係の会合でも

色々と踏まえて

専門家の方々のご意見や

収集したデータも参考にしつつ

これまで何年もかけて

会議で検討を重ね

方針をたててきました。

 

本堂工事や墓地・境内整備など

すでに内容が決定されており

各業者さん方が

事を進めて下さっていることの

進捗状況を確認することに

時間をさくべき段階でもあるので

話し合いを円滑に進めるためにも

役員の皆様や関係業者の方には

病状のご理解をお願いしております。

 

散財に関連してですが

躁状態になった際(今回も前回も)

住職は自身の僧階(そうかい)を

上げたくなる衝動に

駆られる傾向があります。

 

躁状態ではない時は

僧階を上げることへの

強烈な願望はないのですが

躁状態にある時は

階級を上げたくなる様です。

 

ここでいう僧階(そうかい)とは

真言宗豊山派僧侶の階級のことで

上げるためには

かなりの費用を必要とします。

 

当山は地方の小さな一寺院でして

経済的に恵まれたお寺ではありませんし

今後ますます厳しい

環境になっていくことは

間違いありません。

 

僧階が関わってくるような

大人数の僧侶が集まって

開催されるような

大きな儀式も修行もないですし

将来的にも予定がないので

はっきり言って

僧階は全く関係ありません。

 

ちなみにですが

拙僧(副住職)は資金を用立てて

現在以上に僧階を上げない予定です。

 

拙僧(副住職)祖父にあたる先代も

僧階を上げない方針を貫きました。

 

自身の僧階を上げるために

多額の費用を使うよりは

有縁の皆様に資するような催しの充実や

当山で注力している

寺子屋ワークショップなど諸活動にあてたり

後進育成の環境を整えるために

あてさせていただきたいとの

思いを強く抱いています。

 

僧階を上げることは

宗派の中という

ごく限られた世界でのみ通用する

僧侶としての階級を上げるというだけで

有縁の方々のためになることではないですし

それによって自身の技量が

高まるわけでもありません。

 

躁状態における

衝動的な考えだと思われますが

地方の小さな一寺院であり

維持管理に様々な難しさが

生じ始めている

という現実をはじめ

諸事情を冷静に踏まえて

賢明な判断をして欲しいと

心から思います。

 

本来は

誠実で冷静で

慎重に行動する住職ですが

躁状態では

本来とは全く異なる

言動が疾患により

引き起こされてしまう

ということが

今回見てきた事例からも

うかがい知ることが

出来ると思います。

 

双極性障害では

躁状態における

衝動的な考えに基づいて

なされた行動を

後々振り返った時

深く後悔することが多い

ということが分かっているので

後々の後悔に繋がりうることは

明確な根拠を示したり

考えるための視点の手がかりを

伝えるようにするなどを

心がけております。

 

躁状態と寛解期で

これだけ大きなギャップを

感じさせるゆえ

この疾患については

当山有縁の方に

大まかにでも

把握していただく必要が

あると感じています。

 

躁状態の時の様子について

仏道の表現を用いると

「執着」が強くなると

言えると思います。

 

自我が肥大化され

感情や行動のコントロールが

難しくなっているように感じます。

 

そもそも「執着」は

仏道において離れるべきものです。

 

離れるべき状態に

陥ってしまうという症状は

客観的にみていて

僧侶として何よりも辛いものであろうと

想像しています。

 

双極性障害で

一番辛いのは

患者本人です。

 

これまでのブログでも

取りあげてきたような

極端な症状は

自身の脳や体に

とても大きな負担を与えます。

 

躁状態では

あまり睡眠せずとも

動き続けることが出来る程

脳内には過剰に

ドーパミンが放出されます。

 

換言すると

脳が疲れを感じない様な状態にあるだけで

体は無理に動かされているので

過度に負担がかけられているわけです。

 

先にも触れたように

少しづつ住職の躁状態は

落ち着きつつあります。

 

当山住職の場合

本来的な真面目な性格もあって

何年も治療を継続しており

通院は欠かすことなく

定期的にしていますし

状況に応じて処方される薬の

服用も欠かすことがないので

ある程度上手に

疾患と向き合えているように思います。

 

一日も早く

躁状態を脱して

穏やかな状態に

なってもらいたいと思います。

双極性障害(躁うつ病)と向き合う㉑

当山住職は

双極性障害(躁うつ病)を

患っており

長く治療しております。

 

昨月後半頃より

住職は躁(そう)状態です。

 

この疾患については

患者本人が大きく誤解されやすい

ものでもあるため

当ブログでは

双極性障害について

(特に有縁の方々に)

周知していただくために

しばしば取り上げています。

 

以前の投稿も

ご覧いただけると

どのような疾患であるかが

分かると思うので

よろしければ

そちらもご参照下さい。

 

▼これまでの投稿はコチラです

双極性障害(躁うつ病)と向き合う

 

まだまだ躁状態にありまして

次回の通院の際に

ある定程度落ち着いていなければ

入院も致し方ないような状態ですが

当山の場合幸いにも

月一回(今月は週一回)

欠かさず通院しており

状況に応じた治療をしていただける

環境にありますし

住職自身も双極性障害のことは

自覚しており

薬もきちんと服用しています。

 

双極性障害は

薬物療法精神療法により

治療が行われます。

 

当山住職の場合

糖尿もあるため

使用できる薬に限りがあるそうで

この点にも難しさを感じます。

 

精神療法には

心理教育や社会リズム療法

認知行動療法や

対人関係療法などが

あげられます。

 

躁状態というのは

あくまでも脳疾患が

引き起こす症状です。

 

脳疾患により

脳内にドーパミンが

過剰に出てしまって

病的に元気な状態が

引き起こされてしまいます。

 

躁状態では生活リズムが

どうしても乱れてしまうようです。

 

例えば

朝5時にお風呂にスイッチを入れて

普通であればすぐに

入浴するのでしょうが

躁状態にある時は

あれこれと気になることがあると

そちらに気が行ってしまって

結局入浴するのは

数時間後になってしまう

ということも珍しくありません。

 

社会生活に支障を

きたしてしまう程

注意散漫になってしまいます。

 

入浴を例にあげましたが

食事にしても

外出する際にしても

同じようなことが頻発しています。

 

ご飯の準備をしても

食べ始めるまでに

1〜2時間

また時としては数時間も

かかることがあります。

 

先ほど

精神療法として

社会リズム療法というものが

列記されていましたが

簡単にいえば

規則正しい生活を実践する

ことといえます。

 

実際に

躁状態の住職を見ていると

社会リズム療法の

規則正しい生活を

「実践する」というのが

いかに大切かを痛感します。

 

躁状態の患者本人は

頭では分かっていても

常に衝動に駆られるような

多念状態にあるため

即座の行動が

難しいわけです。

 

即座の行動が出来ないことに加え

知人へ昼夜問わず電話をかける

という行動も目立ちます。

 

躁状態ですと

とにかく話すことも

疾患による症状です。

 

日中も夜も

かなり電話している様子です。

 

何の前情報もなく

この様子を見ると

一見異常に感じると思いますが

先述したようにこれらは

脳疾患により引き起こされる

症状なので

風邪を引いたさいに出る咳と

同じようなものといえます。

 

衝動的・突発的に

無茶なことをしようとしたり

根拠のない横柄なことを

発言することもありますが

本人自身が感情も行動も

コントロール出来なくなるのが

躁状態の症状です。

 

躁状態にあるは患者本人は

「調子が良い」と感じているため

躁状態の時の自分を

「健康な自分」と

捉えてしまう場合が多いそうですが

うつ状態になると

躁状態の時の自分の言動を

深く後悔したり

躁状態の時の自分と

うつ状態の時の自分の

ギャップの大きさに

悩んでしまうことが多いそうです。

 

躁状態は

決して健康的な状態ではありませんし

理想的な状態でもありません。

 

躁状態の後には

必ず「うつ状態」が訪れます。

 

そのことを

双極性障害の方は

重々承知しているそうです。

 

躁とうつのサイクルは均等ではなく

うつの方が長い場合が大部分とされます。

 

うつの期間に比べると

躁の期間は圧倒的に短いのです。

 

そのことを

双極性障害の患者さんの多くは

自覚しているんだそうです。

 

当山住職も

そのことは自覚しています。

 

症状により引き起こされた

元気さとはいえ

活動的でいられるうちに

身辺整理であったり

ご無沙汰している

お世話になった方々との会話など

精力的に行っているように見えます。

 

明らかにご迷惑を

おかけしていると

感じるようなことも多いのですが

拙僧(副住職)としては

躁状態の特徴を

大まかにでも

把握していただいたうえで

住職と向き合っていただく環境を

可能な限り整えることが

住職の思いを叶えることにつながり

また

「双極性障害の怖さ」とされる

社会的信用の喪失や

家庭崩壊を避けることにも

なると考えております。

 

振り返ってみると

当ブログでつづらせていただいた

双極性障害の記事も

結構な数になってきたので

再確認の意味も込めて

基本情報の一部を

画像化してみたので

そちらも併せて

お読みいただけると幸いです。

 

双極性障害(躁うつ病)と向き合う⑳

当山住職は

双極性障害(躁うつ病)を

患っています。

 

これは脳疾患で

躁(そう)

うつの状態を

繰り返すもので

現在住職は

躁(そう)状態にあります。

 

周知の必要があった

ということもあり

これまでもブログにて

双極性障害について

触れてまいりました。

 

この疾患と向き合うにあたり

躁状態をいかに抑えるかが

大きなポイントになります。

 

躁状態になると

感情のコントロールが難しくなり

冷静な判断が出来ず

衝動的な活動が目立つようになります。

 

当山住職は

数年前にも躁状態になり

周囲の方に

ご迷惑とご心配を

かけてしまった実例があります。

 

周囲の認知度を高めることが

双極性障害の患者にとっては

良い環境となるそうなので

少しでも多くの有縁の方に

周知していただきたく

双極性障害に関連した投稿を

させていただきます。

 

どのような疾患であるかを

知っていただいた上で

お向き合いいただくことが

当山住職を守る

あるいは誤解を避ける

ことにもつながるとの

思いでつづっております。

 

躁状態については

過去にも取り上げているので

そちらも

お読みいただければ幸いです。

これまでの記事はコチラです

 

厚生労働省のHPにも

双極性障害について

紹介されているので

そちらのリンクも

貼らせていただきます。

https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_bipolar.html

 

人には

気分の浮き沈みがありますが

双極性障害の場合

単なる気分的な変動とは

全く異なります。

 

一見すると元気なのですが

それは健康的なものではなく

疾患により引き起こされる

病的な“元気さ”です。

 

前回は

2016年夏〜2017年3月頃に

躁状態になったのですが

それ以降は

穏やかな寛解(かんかい)状態

にありました。

 

念押ししますが

躁状態はあくまでも脳疾患により

引き起こされる症状でして

患者本人の人格や倫理とは

全く文脈が異なるものです。

 

躁状態では

感情のコントロールであったり

冷静な論理的思考が

難しくなります。

 

躁状態では

脳が“興奮状態”にあり

次々と考えが浮かぶそうで

多動・多弁・大声になり

感情的・独断的な

行動が多く見られたり

散財してしまう等の

特徴があります。

 

当山住職の場合

5年前にも見られた

症状に共通するものが

多いように思います。

 

寛解期には

月に一度の通院でしたが

今月に入ってからは

躁状態ということもあって

週に一度の通院になりました。

 

住職は糖尿病もあるため

使用出来る薬にも

限りがあるようです。

 

主治医のお話では

次回の通院時に

躁状態が落ち着かなければ

入院も考える必要が

ある状態だそうです。

 

躁状態になって以降

住職の生活リズムも

かなり狂ってしまいました。

 

当山ではここ約10年

葬儀や法事などの法務全般を

拙僧(副住職)が

担当しております。

 

今回においても

5年前においても

拙僧(副住職)が

一番困らされるのが

躁状態の住職が

社会状況や現行方式を

全く無視して

法務へ衝動的かつ独断的に

行動してしまうことです。

 

躁状態の記録を

留めておいたほうが

良いということを

その道に詳しい知人から

アドバイスいただいたので

このブログを含め

具体的に記録をとっていますが

疾患による症状とはいえ

客観的に考えても

常識から外れた言動が

とても多いのが現状です。

 

5年前も今回も

先方さんに電話して

疾患の現状をお伝えして

お詫び申し上げて

予定を再調整した

というケースがありました。

 

双極性障害の治療では

「低め安定」が

理想とされるそうです。

 

病的元気さの躁状態にある時は

患者本人には万能感があり

とても調子が良いように感じて

超多動的になるわけですが

躁状態が激しい分

次に訪れるうつ状態も

激しくなってしまいます。

 

その振り幅を

少なくするのが

双極性障害の治療の

目指すところとされます。

 

理想とされる「低め安定」

つまり寛解期においては

患者本人には冷静な判断も出来ますし

穏やかに過ごすことが出来ます。

 

躁状態の怖さとして

よく語られるのは

・社会的信用の喪失

・家庭崩壊

につながりやすいことです。

 

またまた念押ししますが

躁状態はあくまでも

脳疾患により引き起こされるもので

患者本人の人格や倫理とは

全く別次元のものです。

 

住職は診察日には

きちんと通院しており

疾患ときちんと向き合っております。

 

風邪になると

咳が出たり鼻水が出るようなもので

躁状態になると

それに伴う症状が出てしまうわけです。

 

住職は現在

これまで述べてきたような

健康状態であるということを

特に当山有縁の方々には

ご承知おきいただきたく

ここにお願い申し上げます。

双極性障害(躁うつ病)と向き合う⑲〜酒類のお供えを控えるようご協力願います〜

2017年7月21日以来

4年ぶりにこのテーマで

書かせていただきます。

 

当山住職は

長く双極性障害(躁うつ病)を

患っておりまして

治療を続けています。

 

これがどのような病気で

どのような症状があり

どのような難しさがあるのかは

過去にも記しているので

そちらをご参照いただければ

と思います。

 

▼過去の記事(カテゴリー)はコチラ

https://fugenin643.com/category/%e5%8f%8c%e6%a5%b5%e6%80%a7%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e3%81%a8%e5%90%91%e3%81%8d%e5%90%88%e3%81%86/

 

この病気は

アルコール依存や

ニコチン依存とも

深く関わるとされます。

 

2016年夏(7月頃)より躁状態になり

お寺に住む寺族は

健康にも害が及んでしまうなど

大変なことが沢山ありましたが

2017年春頃に

状態が落ち着き

良い具合でおりました。

 

双極性障害は

維持治療」が求められます。

 

当山住職の場合

お医者さんから

アルコールとタバコの摂取は

禁じられています。

 

禁煙は難しいようで

今でもかなり摂取していますが

アルコールの方は

この約4年何とか不摂取を

維持しておりました。

 

しかし

ここにきて

隠れてウイスキーを

飲んでいました。

 

この「ちょっとだけ」が

一時的なもので終わることなく

躁状態や過度のアルコール依存への

入口となる確率が高いことが

よく言われています。

 

なぜ飲んだのかをたずねると

開き直った様子になり

親戚の叔父に

「たまには飲んだほうがよい」

と言われたということだったので

その叔父に連絡してみると

そのような話をしたことはない

とのことで

その場を取り繕うために

出てしまった嘘のようでした。

 

双極性障害の治療は

躁状態にならないように

することが第一とされます。

 

今回の一件はもしかしたら

躁状態への兆候かもしれませんし

その逆への兆候かもしれません。

 

文字に起こして眺めてみると

客観的に物事を

眺めやすいとされるので

活字化して整理してみると

躁っぽい雰囲気があるように思います。

 

かなりの躁状態となってしまうと

「自己中心的」「自分勝手」

で周囲はお構いなしとなりうるのですが

その入口にあるとしたら

その入口にあるということを

自身も寺族(家族)も

「自覚」しなければなりません。

 

今回の一件についていえば

双極性障害(躁うつ病)

という脳の病気が

そうさせているわけですが

お寺に住む者も皆人間なので

正直裏切られた感じがあり

とても残念に思っています。

 

この病気は完治が難しく

向き合っていくものです。

 

躁状態となれば

4年前のように

お寺の者のみならず

周囲の方へも

ご迷惑をおかけすることが

あるかもしれないので

今回ここに

記させていただきました。

 

こちらのブログは当山有縁の方も

少なからずお読みになられているので

ここで勝手ながらお願いがあります。

 

当面は

位牌堂と観音堂への酒類のお供えは

なるべくお控えいただきたいのです。

 

アルコール依存状態ですと

あら探ししてまで

アルコールを探してしまうという

症状になることがあります。

 

念押ししますが

あくまでも病気がそうさせているのです。

 

4年前の経験から

躁状態になってしまうと

寺族だけで向き合うのは

かなり難しくなることが想定されるため

まことに勝手なお願いではありますが

事情をご賢察のうえ

ご協力いただければ幸いです。

 

双極性障害(躁うつ病)と向き合う⑱

双極性障害(そうきょくせいしょうがい)

とは躁状態(そうじょうたい)と

うつ状態を繰り返す

脳の病気です。

 

このテーマで

久しぶりに投稿します。

 

当山住職は長年

双極性障害を患っており

東京の慈恵医大へ

通院しております。

 

昨年夏頃より

激しい躁状態となり

家族も健康を害するほど

心労を重ねましたが

現在はうつ状態にあります。

 

本年3月頃より

徐々に躁状態が終わり

少しずつうつ状態へ

変わっていきました。

 

躁状態のときは

傍若無人な言動

激しい浪費

日夜を問わず電話をかける

など“アクセル全開”でした。

 

一方で現在は

躁状態の時とは

ほぼ真逆な状態で

静かに過ごす時間が

多くなりました。

 

躁状態の時と

うつ状態の時では

処方される薬が異なります。

 

症状が変わり薬も変わったので

最近は月1回のペースで

東京へ通院しております。

 

今振り返ってみても

激しい躁状態の頃は

家族をはじめ周囲の者は

本当に苦労しましたし

いつまでこのような日が

続くのだろうかと

いつも感じておりました。

 

様々な書籍に目を通したり

専門的な方にお話を

お伺いしたりすると

双極性障害と向き合う

大きなポイントの1つは

いかに躁状態を抑えるか

という所にあるそうです。

 

双極性障害の治療は

躁状態とうつ状態の

振れ幅を小さくすることを

目標に継続されます。

 

当山住職は

うつ状態ではあるのですが

何年か前の“どん底状態”の頃と

比べると格段に健康的で

あるように感じております。

 

きちんと継続されている

通院による治療や

日々の薬物療法の効果が

間違いなく出ております。

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双極性障害(躁うつ病)と向き合う⑰

当山住職は長年

双極性障害(躁うつ病)を

患っております。

 

「障害」と病名がつくように

脳疾患により引き起こされる

病気です。

 

気分や気持ちが

どうのこうのという話ではなく

患者本人が自身を

制御することが

難しい病気なのです。

 

双極性障害自体は

認知度も低く

誤解も多い病気であると

つくずく感じております。

 

 

昨年夏頃より当山住職は

激しい躁(そう)状態でしたが

最近は落ち着いて

日々を過ごしております。

 

現在では

声を荒げる事も

むやみやたらな電話も

ほとんど見られず

つい一月前と現在とでは

別人の様です。

 

この「激しい波」が

双極性障害の特徴です。

 

双極性障害の治療は

躁状態の再発を防ぎ

躁状態とうつ状態の波幅を

少なくすることを

目指すのだそうです。

 

今回は少し違った視点から

双極性障害について

述べさせて頂きます。

 

「居場所」と「出番」。

 

この2つは

保護司の研修にて

「社会復帰」する上で

鍵を握るものであると

強調されていたものです。

 

この点は更生保護のみならず

本質的なものかと思いますし

健やかな日々を考える上で

とても大切な視点かと思います。

 

当山では国際協力にも

取り組んでおりますが

世界に横たわる難しい現実の

根本的な背景を考える上でも

有効な視点です。

 

双極性障害と絡めていえば

患者本人にとってだけではなく

周囲の家族にとっての

「居場所」と「出番」も

大切なものだと感じます。

 

躁(そう)状態では

過度に活動的であり

横柄な態度で

散財も激しく

家族の足並み関係なく

後先考えずに行動してしまうので

周囲の家族にとっては

自身の「居場所」に

土足で入られている様な印象があり

自身の「出番」を“妨害”されて

いるような印象がありました。

 

これはある意味では

患者本人にも重なる話だと思います。

 

要するに

多幸感一杯の状態で

あれこれと行っているにも関わらず

歯止めをかけられるのですから

患者当人からすれば

「なぜ自分の邪魔をするのか」

といった感覚なのではないかと

推測されるのです。

 

周囲の家族に流れる時間は

ある程度一定の流れであるのに対し

双極性障害は

躁状態とうつ状態を繰り返すゆえ

患者当人からすれば

“時間の流れ方”は一定ではない

のだろうと思います。

 

時間の流れを

川で喩えれば

干上がったり

いきなり大水となったり

といった感覚でしょうか。

 

治療を継続しながら

当山にも家族にも

穏やかな時間が

流れることを願いながら

日々過ごしております。

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双極性障害(躁うつ病)と向き合う⑯

当山住職は長年

双極性障害(躁うつ病)

患っております。

 

双極性障害は

躁状態とうつ状態を

繰り返す脳の病気です。

 

当山住職は昨年夏頃より

躁状態となりました。

 

とても活動的で

口数も激増するので

一見元気になったように

見えるかと思いますが

精神科医によれば

双極性障害の症状だそうです。

 

体も動くように感じ

多幸感を感じるようですが

それは躁状態で病気だからとのことです。

 

双極性障害という病気は

認知度もまだまだ低く

なかなか理解されにくいものです。

 

躁状態は

病気によって“動かされ”

自身でコントロールが

出来ない状態であり

それが様々な粗相や問題を

引き起こすことが多いです。

 

ここ数年

何事においても急激な変化がみられます。

 

当山でいえば

お勤めの流れ

大きな行事の準備などの

内部事情は勿論のこと

世間における価値観の多様化や

宗教法人に対する管理体制整備の必要性など

寺院運営上看過出来ない外部環境も

ここ数年で劇的に変化しております。

 

住職には気の毒ですが

目まぐるしく

大きな変化が繰り返されてきた

今の世の中にあって

かつてのように通用しないことが

事実として沢山ありますし

かつて以上に気をつけなければならない事も

沢山出て参りました。

 

躁状態では

横柄な態度となる

大声で話す

怒りっぽくなる

家族をはじめ周囲の迷惑関係なく活動的になる

恩を着せようとする

激しく散財する

などの言動が特徴として見られました。

 

躁状態では

思い込みが非常に激しい様で

筋道を立てて行動することは難しいようです。

 

住職も本年68歳で

決して若くはありませんが

躁状態では眠気も感じずに

年不相応に活動しており

体に相当負担をかけたように思われます。

 

自身がお寺の全てを自由に扱えるという

誤った思い込みが激しい時期もあり

それは「お寺の私物化」ではないかといった

ご意見も頂きました。

 

何の相談もなく独断で

次から次へと工事を発注し

これまで総代会や役員会で

協議しながら大切に使って来たお金も

相当使ってしまい

役員会でも厳しく指摘されました。

 

その際に

決算報告にあたって監査をして頂いた

監査員の方々や

住職の発注した工事や購入物の

会計処理を許可せざるを得なかった

総代長が役員会の場で

責任を問われてしまい

とても申し訳なく感じました。

 

周囲の方々にまで

こういった形で多大なご迷惑を

おかけしてしまい

非常に心苦しい限りでした。

 

本件により

代表役員である住職の

お寺における決定権について

今後の方針が暗黙のうちに

共有されたと感じます。

 

経るべき手順

守るべき理念

そういったものと

照らし合わせて判断を下し

組織として動くという観点が

大切にされなければなりません。

 

人目を盗んで

バレなければ良いといった

安易な考えに

基づいた行動や

昔がどうのこうのといった

理由づけを以て

行動を正当化することは

今の世の中通用しません。

 

躁状態では

現在の世の中における

お寺の運営にあたり

昨今声高に求められている

“高い意識”に欠けた言動が

目立つように感じます。

 

住職が躁状態になってから半年以上が経ちます。

 

医師から

控えるようにいわれていた

飲酒も喫煙も止めどなく

糖尿の数値も悪化が予想されます。

 

殊に喫煙は本数も多く

所構わず吸ってしまうことがあり

つい先日お寺で開催された

檀家の皆様との懇談会にて

皆様を前に喫煙していたようで

会合後に参加者より苦情を頂きました。

 

お寺をお参りされた方や

葬儀や法事でご一緒させて頂いた方からも

喫煙の本数が多いが故に

少し考えた方が良いのではといった

ご心配のお声も沢山寄せられております。

 

拙僧(副住職)も住職妻も

タバコで健康を害された経験があるにも関わらず

我々がいなければ平気で

客人の前であっても

室内でも境内でも喫煙するといった態度は

とても横柄で非常識に感じます。

 

精神疾患と喫煙は深く関わるようで

精神疾患患者の約9割は喫煙してしまうそうです。

 

双極性障害も

ニコチン依存症やアルコール依存症を

併発しやすい病気で

喫煙や飲酒で心を落ち着かせようと

するのだと考えられているようです。

 

そういった傾向とは裏腹に

医学的な見地によると

喫煙や過剰な飲酒による

「気持ちの落ち着き」は

勘違いのようで

実際には緊張を更に高め

体に一層負担をかけるのだそうです。

 

躁状態になってからの話は

挙げれば切りがありませんが

躁状態は周囲にとって

“異常である”と感じるものが多く

非常に疲弊するものであると

身を以て感じております。

 

病気がそうさせていることは

間違いないのですが

現実として同棲する家族は

相当に疲れております。

 

家族のストレスも

健康を害する程に

溜まっている様なので

患者と家族の間に

適度な距離を置くことが

必要であると感じております。

 

ありのままに記させて頂きましたが

これが双極性障害の現実であり

当山における現実です。

 

最近は

処方された薬の相性が良いようで

若干ですが落ち着いて来たように感じます。

 

人は誰しも過去に生きることは出来ません。

 

今を生きることは

最も身近な家族を始めとする「人」と向き合い

「今の時代」と向き合い過ごすことでもあります。

 

規則正しい生活リズムを整え

治療をしっかりと継続し

何事も“懐深く”見つめ

時代に即した常識を鑑み

年相応に平穏な日々を過ごすことを

心掛けてもらうことを願います。

 

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双極性障害(躁うつ病)と向き合う⑮

拙僧(副住職)の父でもある

当山住職は

双極性障害を患っております。

 

双極性障害という言葉自体

一般的に認知度が低く

中々理解されにくいものです。

 

躁(そう)うつ病

といった方が何となく

通りが良いようですが

それがどのようなものかは

認知されていないのが現実です。

 

この病気は脳疾患であり

躁(そう)=元気

うつ=元気でない

という簡単な話ではありません。

 

当山住職は

昨年夏頃より激しい躁(そう)状態です。

 

最近は

通院にて処方される薬との

相性が良いようで少しずつ

落ち着いて来たように思います。

 

躁(そう)状態では

社会的な常識は関係なく

横柄な態度になる

大きな声で話す

日中深夜関係なく知人にひたすら電話をかける

お金を沢山使うなどの

極端な症状が見られます。

 

夜中に家中に音を立てながら作業したり

毎日のように買い物したり

多額の費用のかかる工事を発注したり

飲みに出るようになったりと

家族も参る程の状況がしばらく続きました。

 

躁(そう)状態に見られる

散財について

今回は述べさせて頂きます。

 

拙僧(副住職)が

お寺の経理をしておりますが

躁(そう)状態の住職は

お寺関係のものも

独断で沢山購入する等

散財が激しい故に

かなり困っております。

 

当山は

経済的に恵まれているお寺ではなく

拙僧(副住職)が経理を

任せられて以来

会計科目を設定し

経費削減を意識して

有縁の皆様からお預かりしている

御浄財を守って参りました。

 

お寺の会計には

役員会で管理しているものが

いくつかありますが

そのうち特別会計のお金も

かなり使ってしまいました。

 

特別会計については

決算報告にあたり

かなり厳しく指摘されることと

なるかと思います。

 

本人は自分で説明すると

言っておりましたが

個々の出費についての

意味が問われているのではなく

問題は実際に経費として

落とされた過程にあります。

 

総代会の承認もなく

住職が独断で購入・発注したものが

住職とは別の責任役員の判断のみで

実際に特別会計の経費として

処理されていることが問題です。

 

責任役員の方も

住職の申し出を断れるわけもない

といった様子で

承認したと思われます。

 

決算された項目の

内容にも問題が多く

誰の目にも公私混同と

映りかねないものが

目立ちます。

 

それらは

躁(そう)状態が最も激しかった

昨年夏頃より秋にかけての

ものがほとんどです。

 

躁(そう)状態にあるとき

当人は幸福感に満ちており

自身が正しいと信じて疑わない

とのことです。

 

双極性障害は

社会的信用の喪失

家庭崩壊を招く可能性の大きい

リスクの高い病気とされます。

 

住職の社会的信用は

お寺の社会的信用にも

関わるものです。

 

お寺も組織であり

組織である以上は

健全な管理が求められます。

 

現在は

お寺といえども

全てが一個人の意思で

決定される時代ではありません。

 

お寺の会計は

「個人」と「お寺」が

明確に分けられ

多くの方が納められた

御浄財はきちんと守られ

適正に処理されなければなりません。

 

これを機会に

お寺の組織としての

管理体制を見直さなければ

ならないと感じます。

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