孔子について

論語について深くは知りませんが…

孔子と論語という

フレーズは大部分の人が

聞いたことがあるでしょう。

 

また

「孔子はどのような人なの?」

「論語はなにがどのように書かれているの?」

と聞かれると困ってしまう

という方も多いと思います。

 

拙僧(副住職)もその一人です。

 

普賢院では

ご縁あって論語をテーマにした

取り組みを平成30年より

行っています。

 

本年は

取り組みにあたって

関係者一同で

論語についてきちんと

学びましょうということに。

 

この機会に

おてらブログでも

論語の基礎的なことを

まとめていきたいと思います。

 

目次

  1. 孔子ってどんな人?

  2. 「三聖」という“くくり方”

  3. まとめ

1.孔子ってどんな人?

孔子という人は

どのような境遇に生まれ

どのような時代を生きたのかは

論語をひもとく上で

重要な意味をもちます。

 

孔子は今から約2500年前の

紀元前552年に

中国山東省・曲阜(きょくふ)の

昌平郷という村で生まれました。

 

父を3才の時に亡くし

母を15才の時に亡くしています。

 

そのような境遇のなか

若き孔子は学問を志しました。

 

そのような

生い立ちを踏まえたうえで

“孔子のダイジェスト”について

まとめられた文章を引用します。

 

孔子は、二千五百年前の春秋時代、中国の魯の国に生まれた大思想家・学者・教育者です。

魯の国の下級役人となり、長い努力の末に五十代で、司法と警察を司る長官になります。

その間、若い弟子たちの教育にも力を注ぎました。

 

戦乱の世に生まれ、理想の政治を実現するためには、よき人物を育てなければならないと考えていた孔子は長官になった後、失脚させられ、そこから苦難の旅を弟子たちと共に十数年間続けます。

 

孔子の考え方の根本は、まず自分の身を修めることです。

特に「仁」ー思いやりの心が大切であると説きました。自分にも人にも、偽りのない誠実さが大事だといっています。しかし戦乱の世では、孔子の考えは、なかなか聞き入れてはもらえません。

晩年はようやく故郷の魯に帰って、書物の編纂をしながら、若い弟子たちの教育に力を尽くしました。

 

気難しく、堅苦しい道徳や倫理ばかりを説いている人物のように思われがちですが、けっしてそのようなことはなく、かなりの苦労人でもあり、人間味豊かでユーモアもある人物像はとても魅力的です。

 

(安岡定子・田部井文雄『心を育てる こども論語塾』ポプラ社、pp.10-11。)

 

孔子は

74年の人生を

送ったとされます。

 

孔子の生きた時代は

まさに戦乱の世・混乱の世。

 

「仁」の大切さを説いた孔子には

約3000人もの弟子がいたそうです。

 

沢山のエピソードが

伝えられているので

事細かに紹介することは

しませんが

生きた時代という点について

一点だけ紹介させて下さい。

 

2.「三聖」という“くくり方”

3人の偉人・聖人を

三聖(さんせい)として

くくって言い表すことがあります。

 

三聖のひとりとして

孔子はしばしば

その名を連ねられます。

 

今回は紹介するのは

様々な「三聖」のうちの1つです。

 

それは

ほぼ同時代を生きた

 

  • 孔子
  • 釈尊
  • ソクラテス

 

という“くくり方”です。

 

くりかえしますが

“ほぼ”同時代です。

 

伝えられる所の

生没年と照らし合わせると

“ほぼ”という意味合いを

ご理解いただけるかと思います。

 

哲学者でもあるヤスパースの

「枢軸時代」という

考え方に通じるものを感じますが

とても有意義な“くくり方”

だと思いますので

紹介させていただきました。

 

3.まとめ

最後に孔子について

簡単におさらいします。

 

  • 故郷は中国山東省
  • 紀元前552年生まれ
  • 早くに父母を亡くし学問を志した
  • 戦乱の世・混乱の世を生きた
  • 74年の生涯だった
  • 根本的考え方は「仁」
  • 弟子は約3000人もいた

 

ザックリですが

孔子について

主なトピックを

挙げてみました。

 

拙僧(副住職)自身は

中国の古典や歴史について

多くの専門的知識を

もちあわせていません。

 

だからこそ

学ばせていただきながら

仏道の観点とも

関係させつつ

孔子や論語とご縁を

深めていきたいと思います。