青空と新緑と彩色と

汗ばむ陽気の

5/17水曜日。

 

緑と花の彩りが

日差しの下で

いっそう際立つ1日でした。

 

梅雨の合間の晴れ間を

五月晴れといいますが

ここ最近どんよりしていた

だけに五月晴れに

恵まれた様な心持ちでした。

 

五月も後半を迎え

巷では運動会シーズンです。

 

地元の小学校からは

早朝より大太鼓の音が

聞こえます。

 

かっこうの鳴き声

大太鼓の響き

草刈機の音

農作業用トラクターの稼働音。

 

田んぼには

水が引かれ始めております。

 

命の息吹を

躍動的に感じるこの季節。

 

時の流れの最前線である

今日一日は

おいしい空気と

さわやかな日和に

包まれながら

気持ちよく

檀務を勤めさせて頂きました。

 

皆様はどのような

一日を過ごされましたか?

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視線を踏まえて

勝桂子(すぐれ けいこ)さんの

著作にとても共感を

覚えます。

 

勝(すぐれ)さんの

『いいお坊さん ひどいお坊さん』

『聖の社会学』という

著作を見かけましたら

是非お読み頂ければ

と思います。

 

勝桂子さんは

行政書士でもあります。

 

士業をお勤めされるなかで

様々な御寺院様や

依頼者と直に接しながら

感じられたことや

確信されたことを

端的に述べられております。

 

拙僧(副住職)が感じる所では

経営学でいう所の

マーケティングの分野において

お寺はやや弱いように思います。

 

マーケティングとは

「お寺に対する視線」を

踏まえるということです。

 

伝統や法灯を守ることが

一般目線からいえば

筋違いのように捉えられ

かねない現状が

多く見受けられるように

感じております。

 

これは

当山にもあてはまることです。

 

時代即応の

心のよりどころ

としてのお寺で

あるために

様々な角度から

己をかえりみる事が

求められるのだと思います。

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旬を感じて

山菜が美味しい

時季を迎えております。

 

当山のある

豊崎町では

山菜に精通された方が多く

色々と教えて頂いております。

 

食用となるか否かを

見極めるには

経験がものをいうそうです。

 

参考書のみでの判別では

危険をはらむそうなので

歳を重ねるごとに

山菜を見極める眼を

養いたいと密かに

考えております。

 

当山境内には

小さな竹林があります。

 

昨年は竹を

かなり伐採しましたが

根がしっかりと

張られているため

本年もタケノコが

ニョキニョキしております。

 

時間の隙間をぬって

鍬を駆使して

本年も子ども達と

タケノコ掘りです。

 

旬を感じながら

過ごせることは

幸せなことだと感じます。

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知恵を絞る

昨年10月に

拙僧(副住職)は

大師講企画検討委員会委員

という役職を

拝命いたしました。

 

ご詠歌の記念事業について

企画検討する委員会の委員です。

 

記念事業は平成30年度に

予定されております。

 

当山では

豊山流(ぶざんりゅう)という

流派のご詠歌を

毎月2回「ご詠歌の会」を

開催してお伝えしております。

 

この「ご詠歌の会」は

正式には

豊山流大師講(だいしこう)

普賢院支部といいます。

 

全国各地に

豊山流ご詠歌をお伝えする

支部がありまして

それらを統括する組織を

豊山流大師講といいます。

 

豊山流大師講という

組織が創立され70周年の

節目を迎えるにあたっての

記念事業について

検討する委員会に

参加させて頂くこととなりました。

 

近日中に提出しなければ

ならない書類を

目下作成中です。

 

自分なりのおもいを

書類に落とし込みたいと

考えております。

 

宗派の大きな行事の企画検討に

初めて関わらさせて頂くので

この貴重な機会に色々と

勉強させて頂きたいと思います。

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お寺で疑似世界一周

お寺サロン〜結(ゆい)〜

なる新たな催しが

開催されました。

 

記念すべき1回目は

お寺で疑似世界一周

アメリカ編

 

当山副住職妻の

海外経験を基に

海外を“疑似体験”するという

ワークショップでした。

 

副住職妻は

高校時代にアメリカに留学し

大学時代にはアジア諸国を始め

ヨーロッパ、アフリカなど

世界各国へ赴いた経験があります。

 

大学卒業後はイギリスの

イースト・アングリア大学の

大学院へ進学し

修士を取得しております。

 

海外での生活は

“カルチャーショック”な

ことに満ちあふれております。

 

他文化は自文化の鏡でもあり

海外の諸事情に触れる事は

自身を取り巻く環境や文化を

かえりみることでもあります。

 

お寺を舞台に

グローバルな世界を感じる

お寺サロン〜結(ゆい)〜

 

「結(ゆい)」とは

ご縁を結ぶこと

ご縁を感じること。

 

世界との繋がりを感じて頂き

このひとときを通じて

様々なご縁が結ばれますように

という思いが込められて

いるそうです。

 

ご参加の皆様は

楽しく異文化に

触れられた

催しとなりました。

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人生の旅人

かわいい子には

旅をさせよ。

 

人としての成長は

親元を離れて

世の中に触れることで

大いに遂げられるものという

人生訓でもあることわざです。

 

仏道において

人生は旅に喩えらることが

多々あります。

 

山あり谷ありの

人生の旅路の中で

私たちは多くのことを学びます。

 

華厳経(けごんきょう)

という経典は

人生は修行であることが

“テーマ”の1つです。

 

沢山のご縁を感じながら

明日も“旅路”を行こうと思います。

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知らぬということ

「知らないこと」が

あることには

全く問題はありません。

 

様々な偏見や差別の

多くは

「知らないこと」により

引き起こされるそうです。

 

何事に対しても

きちんと向き合い

きちんと知ろうとする

姿勢は大切なことです。

 

無明(むみょう)という

言葉があります。

 

仏道では

根本的な煩悩を意味する言葉で

私たちが向き合う様々な「苦」を

引き起こすのは

究極的には無明であると

考えます。

 

まさに“煩悩の親分”です。

 

無明とは

物事に対して

きちんと向き合わず

きちんと理解していない状態

であるとも言えます。

 

「仏道を知るは自身を知るなり」

とは曹洞宗開祖の

道元禅師のお言葉です。

 

古代ギリシャの哲学者

ソクラテスは

「無知の知」こそが

真理の探求には

欠かせないと述べております。

 

自身にはまだまだ

探求すべき余地があることを

十二分に心得て

物事ときちんと

向き合う姿勢を心掛ける道は

仏道の歩み方です。

 

その姿勢こそが

人としての

強さや優しさを

育むのだろうと思います。

 

 

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絵本の魅力に触れる

拙僧(副住職)の長男が

風邪をひいたため

市内の病院へ同行しました。

 

病院で診察を

待っていた時に

ふと絵本に関する

小冊子を手に取りました。

 

絵本の素晴らしさが

よく伝わる小冊子でした。

 

印象的な一文を

ご紹介します。

 

すぐれた絵本には

おもしろい物語のなかに

そっと秘められるように

人生と社会への道案内が

語られます。

 

真意にこそ

本当のメッセージが

託されます。

 

お経もしかりです。

 

仏道では

事釈(じしゃく)と

理釈(りしゃく)という

言葉があります。

 

事釈とは

経文に記されていることを

そのまま解釈して受け止める事。

 

理釈とは

経文の「真意」を

読み取り受け止める事。

 

何事においても

「真意」をきちんと

受け取ることが出来る

眼差しを持ちたいものです。

 

絵本もお経も

大いに重なる部分が

あるように感じました。

 

拙僧(副住職)も

絵本を通して子ども達に

人生や社会への道案内が

出来よるようにしたいものです。

 

それともう1つ

小冊子で印象的な一文を

ご紹介します。

 

スマホに子守りをさせないで!

 

自身にも周囲にも

思い当たる所が多々あります。

 

スマホは適切に

使用したいと思います。

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お寺の日常

お寺の和尚さんは

日々をどのように

過ごしているのかを

よく尋ねられます。

 

寄せられる質問での

「日々」とは

法事や葬儀等の儀式関係以外の

時間を指します。

 

端的に言えば

「人それぞれ」です。

 

「お寺によって」ではなく

「人によって」異なると

断言できるかと思います。

 

最近の拙僧(副住職)の場合は

事務か作務(さむ)の

いずれかに勤しんでおります。

 

事務にしても作務にしても

その作業量は1人で

こなすには膨大です。

 

事務に関していえば

本堂建替事業の会計事務も

加わり毎日“おなかいっぱい”です。

 

作務に関していえば

広い境内・堂内の清掃は

1人で完遂するには“無謀”です。

 

あれこれと考えて

今後は有縁の方に

お力添えを頂きながら

日々を勤めなければならないと

感じております。

 

今は若さに頼って

何とか過ごしておりますが

いつまでも若いわけではないので

様々な心配が

つきまとっているのが

当山の現状です。

 

弱気になっていると感じられた方も

いらっしゃるかもしれませんが

拙僧(副住職)は正直に

そのように感じております。

 

ちなみに

お寺にも様々な会議や

研修会などが

多々ございます。

 

4月、5月は

各種会合が非常に多い時期です。

 

様々に慌ただしく

日々を過ごしておりますが

その分、学びも沢山ございます。

 

日々是修行。

 

前向きに

明日も精進いたします。

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埋蔵経(まいぞうきょう)

チベットには

埋蔵経(まいぞうきょう)という

考え方があります。

 

洞窟や山に

“埋められた”お経が

必要とされた時に

“発見”されるという

考え方です。

 

チベットの仏教には

様々なものがありますが

殊にニンマ派という“宗派”で

埋蔵経の思想が

重んじられるそうです。

 

経典は釈尊のお弟子様方が

編纂して時代を経るごとに

その数も内容も

多岐に渡るようになります。

 

少し脇道にそれますが

現在でこそチベットは

「自治区」となっていますが

かつて吐蕃(とばん)と

呼ばれていた頃は

中国(当時は唐)を凌ぐ

非常に強い力を持つ国でした。

 

チベットでは

仏教の歴史が古く

日常生活に仏教が

根ざしております。

 

時代をこえて

必要とされる時に

必要とする者の手により

“発見”されるという

お経にまつわる“物語”は

我々にも通じるように思います。

 

私たちも

日々を過ごす中で

沢山の出会いがあります。

 

それらのご縁に

この埋蔵経の考え方を

重ねてみると

納得のいく出会いも

沢山あるように感じます。

 

拙僧(副住職)にとっては

身に余るような

沢山の尊いご縁に

いつも感謝しております。

 

沢山のご縁があるからこそ

今の歩みがあるのだと思います。

 

5月も日にちが

重ねられ八戸も

新緑の季節となりました。

 

命が育まれていることを

強く感じるこの季節に

自身も多くの方に

育んで頂いていることを

改めて感じております。

 

埋蔵経という

“尊いご縁の物語”。

 

今度はどのような

“発見”(出会い)が

あるのでしょうか。

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