仏像の修繕と造立を振り返る

平成29年より6年計画で

本格的に始動した本堂建替事業では

多くのご協力のおかげで

主要なお仏像の修繕や造立も

行うことが叶いました。

 

当山は歴史が古いということもあり

とても多くの由緒ある

お仏像がお祀りされており

“見どころ”でもあります。

 

振り返りの意味もあり

お仏像の修繕や造立について

以下に簡単にまとめてみました。

 

今回は紹介出来ませんが

ひとつひとつに

エピソードがあります。

 

色々な方の

切実な願いが込められているものもあり

これまでの経緯を振り返ることで

そういったお心と

また向き合わせていただいたように思います。

 

①本尊・愛染明王

  • 江戸期の当山本坊(宝珠盛岡山永福寺)住職・宥瑗(ゆうえん)により文化7年(1810)奉納
  • 故・哘啓造(さそうけいぞう)氏のご寄進により、この度修繕

 

 

②普賢菩薩

  • 造立年代不明
  • 昭和4年(1929)に修繕し彩色が改められるも、経年劣化が著しかったため、この度修繕
  • 新本堂では本尊脇侍(わきじ)として安置

 

 

③十一面観音三尊(長谷式)

  • 造立施主(匿名希望)のご寄進により作仏
  • 当山の本尊はもともと十一面観音とされる
  • 総本山長谷寺の本尊と同形式で作仏
  • 新本堂では本尊脇侍として安置

 

 

④本 七崎観音(もとならさきかんのん)

  • 明暦元年(1655)南部重直公により奉納
  • こちらの観音像の御前立ちが現在秘仏として祀られる七崎観音(ならさきかんのん、「現 七崎観音」)
  • 破損箇所が多く、各所傷みも激しかったため修繕
  • 新本堂では観音堂内殿に安置

 

 

⑤大日如来

  • 年代不明
  • 蓮台・光背がなかったため、新たに制作
  • 厨子を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置予定

 

 

⑥不動明王三尊

  • 年代不明
  • 近世の文書によると、江戸期は本尊愛染明王の脇侍として祀られていた
  • 全体的に焼け焦げていた(文化7年[1810]の火災によるもの)
  • 本体の大きさにあわせ台座・光背・持物を新調
  • 脇侍の二童子を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置

 

 

⑦不動明王

  • 年代不明
  • 近世の文書によると、江戸期は本尊愛染明王の脇侍として祀られていた
  • こちらも全体的に焼け焦げていた(文化7年[1810]の火災によるもの)
  • 本体の大きさにあわせ台座・光背・持物を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置

 

 

⑧聖徳太子

  • 年代不明
  • 鋳造仏
  • 台座がなく自立出来なかったため、台座を新調

 

 

⑨子安地蔵

  • おいらせ町の旧家より奉納された子安さま
  • 破損箇所が多かったため修繕

 

 

⑩地蔵菩薩

  • 年代不明
  • 仏像のお足元にホゾ穴があり、もともとは台座があったと思われるが本体のみ祀られ、自立出来ない状態だったため台座を新調

 

 

⑪仁王

  • 享保3年(1718)9月に津嶋弥十郎清春が奉納
  • 材質は青森ヒバ
  • 仁王門建替・仁王像修繕・台座新調

八戸市内の小学校への絵本寄贈が叶いました

少し前のことになりますが

知人の方にお取次ぎいただき

八戸市教育委員会を通して

八戸市市内の小学校への

絵本『龍になったおしょうさま』の

寄贈をご快諾いただいたので

5月2日に八戸市庁の

教育委員会へ絵本を

お渡しいたしました。

 

豊崎小学校へは

すでに寄贈しておりまして

三条小学校へは

オダプリントの社長さんが

お届け下さることになったので

小田さんを通して

寄贈されます。

 

郷土の誇る伝説の

いちバリエーションに

親しんでいただければ幸いです。

 

 

書籍寄贈のルートに関して

いくらか詳しい方からのアドバイスで

当初は八戸市博物館に

相談すると心強いとのことだったので

お寺の行事にお見えになっていた

博物館の方に話題をお伝えして

後日改めて相談させていただきたい旨を

お伝えしたのですが

どうやら事情が様々あるようで

博物館が窓口になるのは難しいと

かたり部メンバーに伝言がありまして

別ルートでの寄贈となりました。

 

詳細や趣旨を踏まえて

正式にお願いする以前に

窓口にはなれないとの伝言を

いただいた形になったわけですが

明確にお断りしなければならない

ご事情があるのでしたら

直接住職に

ご一報いただければ

良かったのにと

非常に残念に感じています。

 

怒り恨みは全くありませんが

多重の意味で

「非常に」残念に思います。

 

断りの言伝を預かった方が

板挟みのような感じで

精神的負担がかかっていたように

見受けられましたし

とても申し訳なく思いました。

 

雑把に耳にした所では

“感謝状目的の寄贈”と

捉えられているような言い回しに

聞こえるようなことも

おっしゃられたようで

拙僧としては

詳細や趣旨を聞く以前に

そうした偏見による

事の決定がなされたことに

疑念を抱いております。

 

博物館での対応が

難しいと伝言を受けて

行政的窓口では

伝説の類の書籍を

取り扱うのが難しいものと

考えていたのですが

どうもそういったわけでは

ないようでした。

 

拙僧のみならず関係者において

こうした疑念が生じたのは事実で

良い気分であるわけはありません。

 

繰り返しますが

住職としては

この件について

怒りや恨みは全くありません。

 

理由があってのご判断であることは

重々承知しているのですが

その理由について

伝えるべき者に

明確に示すべきだったと感じます。

 

龍王龍女像の開眼法要を行いました

令和4年4月に奉納された

龍王像と龍女像の

開眼法要を行いました。

 

龍王像と龍女像は

三湖伝説と称される

龍神の物語をモチーフとして

拙僧泰峻の弟子である

中野太陽さんが造立を発願して

勧進を呼びかけて

奉納して下さったものです。

 

開眼法要の様子をお伝えする

映像を準備したので

ぜひご覧下さいませ。

 

三湖伝説に思いをはせる龍王龍女像の奉納

拙僧泰峻の弟子である

中野太陽さんの発願により

造立された龍王像と龍女像を

奉納していただきました。

 

龍王像と龍女像は

十和田湖伝説に関連したもので

龍王像は八郎潟の

龍神・八郎太郎をモチーフにされており

龍女像は田沢湖の

龍神・辰子姫をモチーフにされております。

 

これらの御像は

当山に祀られる

南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)の

脇仏としてお祀りいたします。

 

龍王像と龍女像を

紹介する動画を用意したので

ご覧いただけると幸いです。

 

仏像の劇的ビフォーアフター

修繕後の仏像の画像と

修繕前の様子を

見比べてみると

その変化を実感します。

 

どれも古いものですが

新たな息吹が吹き込まれ

威光倍増の

ありがたさが感じられます。

 

仁王像は

仁王門建設の関係で

早速お戻りになられます。

 

仁王門の建設に向け

使われる木材が

境内に運び込まれ

準備が進められていました。

 

仁王門は

以前と同等の大きさですが

使用される木材は

とても良質なものが用いられるので

立派に感じられると思います。

 

そこに

装い新たな仁王像が

ご安置されるわけですので

完成がとても楽しみです。

 

〈仁王像〉

▼修繕前

 

▼修繕後

 

〈愛染明王像〉

▼修繕前

 

▼修繕中(令和3年6月13日の様子)

 

▼修繕後

 

〈普賢菩薩像〉

▼修繕前

 

▼修繕後

 

〈本 七崎観音像〉

▼修繕前(向かって左の聖観音像)

 

▼修繕中(令和3年6月13日の様子)

 

▼修繕後(仏像本体は古式仕上げ)

絵本刊行イベントの動画を用意しました

4/10に八戸ブックセンターで開催された

絵本『龍になったおしょうさま』

刊行記念イベント

「十和田湖伝説と南祖法師」の

様子をお伝えする動画を用意しました。

 

ご覧いただき

当地に伝わる伝説と

ご縁を深めていただけると幸いです。

 

種市佳子さんによる

素晴らしい

絵本読み聞かせに始まり

絵本の原本である写本の紹介や

クラウドファンディングでの絵本づくり

にまつわるエピソード

さらに絵本づくりに込めた

メッセージについて

絵本の文と編集をご担当いただいた

こつひつじや小松美央さんと

お伝えさせていただきました。

 

絵本刊行記念のイベントが行われました

八戸ブックセンターの

読書会ルームにて

絵本『龍になったおしょうさま』

刊行記念イベント

「十和田湖伝説と南祖法師」が

開催されました。

 

とても素敵な空間で

和やかな時間を

ご一緒させていただき

感謝しております。

 

ご一緒下さった皆様

ありがとうございました。

 

催事の様子をお伝えする動画を

編集したのですが

書き出しに時間がかかっているため

YouTubeチャンネルへのアップは

明日とさせていただきます。

 

新年度のフォトアルバムとして

現在進められている本堂建替事業では

本堂の建設に伴い境内整備も行われます。

 

今月以降、各種工事が

一層本格化するにあたり

現時点での各所について

記録を整えておきたいと思います。

 

以下

各所の写真画像を掲載いたします。

 

▼午前5時半頃の東の空

 

▼朝日に照らされる本堂

 

▼左官工事の様子

 

▼工事中の堂内の様子(お昼頃)

 

▼中央内陣

 

▼観音堂

 

▼地蔵堂

 

▼仁王門基礎と本堂

 

▼正午頃の様子

 

▼仮置している石造物各種

 

▼仮置している北沼観音の囲い屋根

 

▼歴代住職墓とこれから工事が始まる石造物の基礎

 

▼石造物の基礎各種

手前:合葬墓基礎

中央:会津斗南藩縁故者供養碑基礎

奥側:十和田湖青龍権現碑基礎

 

▼会津斗南藩縁故者墓石と当山縁故者墓石

厳しい時代背景と神童南祖丸という視点

 

▼イベント情報はコチラ

「十和田湖伝説と南祖法師」の詳細

 

令和4年4月10日午前10時から

八戸ブックセンターで開催される

絵本刊行イベント「十和田湖伝説と南祖法師」

は残席1となりました。

 

感染症対策の兼ね合いで

今回は定員10名での開催です。

 

当日のスライド資料を本日仕上げました。

 

短い時間ですが

有意義な時間を

ご一緒させていただきたいと思います。

 

クラウドファンディングで制作した

絵本『龍になったおしょうさま』の

“原作”は『十和田山神教記』

(とわださんじんきょうき)

という幕末の写本で

当山では2冊所蔵されております。

 

この写本は

その内容が

仏教説話的要素が色濃い点に

特徴があります。

 

現在

十和田湖の現地で「伝説」として

語られている内容は

様々な写本の要素が

組み合わされて成っていると

指摘することが出来ます。

 

近世以降(江戸期以降)

様々な写本が作られて

様々な形で様々に語られるわけですが

このバラエティーに富んだあり方への

向き合い方は

まだまだ未着手の部分があるように思います。

 

一つ例をあげるとすれば

時代背景的な部分でいえば

死生学で指摘される

死生観の転換を踏まえることも

出来ると思われます。

 

“神仏の申し子”であったり“神童”として

描かれる南祖法師が

最終的に神仏につながる存在になり

入定(にゅうじょう)して

十和田湖を介した

現世と“地続き的な常世”にあり続けるような

描かれ方に

その時代的死生観が反映されていると

想定するならば

これまで主に考えられてきた筋書き以外に

浮かび上がってくる「時代の声」が

聞こえてくるように思うのです。

 

本堂建替や住職交代という節目にあったため

改めて過去帳を見てみると

江戸〜昭和のある時期までは

とても多くの子どもが亡くなっていることに

気が付かされます。

 

子どもの成長にちなんだ行事を

大切にする伝統が

日本にはありますが

これは子どもが健やかに生育することが

いかに尊いものとして

捉えられていたのかということにも

通じる話とえいます。

 

江戸期の東北は

幾度も飢饉(ききん)に見舞われ

子どものみならず

多くの命が犠牲になっています。

 

当山の棟札(むなふだ)や文書の類を見ても

そういった時代において

切実に願いが捧げられた形跡が見られます。

 

このような視点から

南祖法師の伝説を眺めると

これまでとは少し異なった心情の持ち方による

伝説との向き合い方を

想定出来るように思います。

 

実は本年2月に

青森県津軽地方のある慣習を事例とした論文を

現代教化研究所という研究機関の研究員として

提出したのですが

これは死生観を手がかりとして

現代的供養の特徴について

述べさせていただいたものです。

 

2年越しの執筆だったので

当初の予定よりも

掘り下げた形で仕上げることが出来まして

その一連の研究の中で

近世の東北の状況が

いかに過酷なものであったのかを

改めて確認させられました。

 

という伏線があり

十和田湖伝説を死生観という観点を踏まえて

眺めてみることの可能性に思い至ったわけです。

 

 

 

 

少し話は変わりますが

当山は南祖法師が修行したとされるご縁で

十和田湖伝説が語られる際に

触れられることが多くあります。

 

十和田湖において

伝説は観光資源として大切にされており

それをもとにした取り組みが盛んであるのは

とてもよろしいことだと思いますが

当山の由緒や縁起について

当山が所蔵する棟札(むなふだ)や過去帳を含む文書の記述や

当山・当地にて語り継がれている内容とは全く異なる様々な形で

断定的に語っている方もいらっしゃる様です。

 

十和田信仰の関連寺社は

少ないため

そういったお話を現地等で耳にされた方が

当山においでになられて

色々と質問いただく場合が多いのですが

中には完全な事実誤認を

引き起こされているケースも見られ

これはちょっと…と

思わされることもありました。

 

関連寺社のひとつである

当山が把握する内容とは全く異なる

当山についての言説がなされているわけですから

当山・当地として

歓迎するものであるわけがありません。

 

観光目的としての語りということで

関連地各所にて語り継がれる

寺社の縁起の尊さは

関係ないのかもしれませんが

明らかに配慮に欠けているように感じます。

 

せっかくのご縁があっても

こういったことが続けば有縁各所が

疎遠になってしまうのではないでしょうか…

 

少なくとも

現在の当山としましては

何かご相談されたとしても

お力になれることは

あまりないと考えています。

 

それはそれとして

これまで拙僧泰峻は

お堂内陣にお入りいただき

各仏像を近くでじっくり

ご覧いただくことに対して

あまりに無警戒な部分があったうえ

縁起等の根拠となりうる

所蔵文書等の内容の公開が

最近まで少なかったということもあり

今回話題としているような状況を

ある意味助長していたとも感じられるので

この点は方針を改めたいと思います。

 

普賢院住職には

七崎観音別当という肩書もあり

現在は内御堂となっている

七崎観音堂を司る役目もあります。

 

普賢院(七崎永福寺)と

七崎観音堂(七崎山徳楽寺)の

縁起を守り伝えるのも当山住職の勤めです。

 

そもそも当山は

十和田湖伝説ゆかりのお寺ではありますが

観光のためのお寺ではありません。

 

当山は

檀信徒の皆さんや有縁の皆様により

お支えいただき

お守りされてきた寺院であり

代々「祈り」(供養・祈願など)に

力を入れてきたお寺です。

 

歴代数えられない程

沢山の方々に

携わっていただいてきて

今の普賢院があるということを

お踏まえいただいたうえで

諸事ご対応いただきたいものです。

南祖法師伝説の読み聞かせテキストが届きました

▼イベント情報はコチラ

「十和田湖伝説と南祖法師」の詳細

 

令和4年4月10日に

八戸ブックセンターで行われる

絵本刊行イベント

「十和田湖伝説と南祖法師」に向け

読み聞かせようにオリジナル冊子を

用意いたしました。

 

ソフトカバーで使いやすい仕様となっています。

 

イベント参加者に

資料としてお渡しいたします。

 

残席があとわずかとなっておりますので

ご関心をお持ちの方は

お早めにお申し込みいただきますよう

お願いいたします。

 

お申込み先は

先に記したURL先のイベント情報に

掲載しております。

 

十和田湖伝説ついでの

ご報告ですが

拙僧のお弟子さんである

中野太陽さんが

クラウドファンディングで

三湖伝説に思いをはせる

龍王龍女像の造立を

見事に達成されました。

 

龍王像一体と龍女像一体を

弘前市在住の仏師・小堀寛治さんに

彫っていただき

先日その御像を受け取られ

現在当山にお迎えされております。

 

龍王像は八郎

龍女像は辰子姫を

モチーフに造立されています。

 

御像を正式にお祀りするための

開眼作法(かいげんさほう)は

後日改めてお勤めいたします。

 

龍王龍女については

これまでの経緯も紹介しつつ

改めてお知らせいたします。