南祖護摩を行いました

本日午後は

南祖法師(南祖坊)が

祀られる南祖堂の前にて

護摩を行いました。

 

今年の南祖法師の“本祭”は

12月6日ですが

この日は太陽さんが不在のため

本祭前に

護摩を行うことにしました。

 

まだまだ手探りの部分があるため

太陽さんがいらっしゃる時に南祖護摩を

行わせていただきたかったのです。

 

伝説に“つながる”祈りのひとときには

とても穏やかな時間が

流れていたように思いました。

 

今回の南祖護摩を

行うにあたり

荘厳についても

法式についても

改めた部分があり

実際にお勤めして

分かったことや反省が

沢山ありました。

 

今回の経験は

12月6日の“本祭”に

大いに活かして

よりよい祈りの時間にいたします。

 

明日は南祖護摩を行うことになりました

12月6日に行われる

南祖祭で護摩を行う予定ですが

お弟子さんの太陽さんが

同日に外せない所用があるため

南祖護摩を前倒しで

明日の午後1時から

行うことにしました。

 

南祖護摩は

南祖法師(南祖坊)を本尊として

行う護摩のことです。

 

南祖法師は

当山で修行した後に

全国行脚した果てに

十和田湖の龍神になったと

伝説は伝えています。

 

南祖祭に向けて

伝説にちなんだ荘厳具を

手作りしていまして

本日「杖」と「草履」が

完成しました。

 

当山が所蔵する

十和田湖伝説を今に伝える

写本のひとつ

『十和田山神教記』では

南祖法師は旅の途中

熊野の神様に

竹の杖と鉄の草履を

授けられます。

 

そのお話にちなんだ

「杖」と「草履」の

設えを手作りしてみました。

 

とても良い感じに

完成しました!

 

早速明日の南祖護摩で

設えてお勤めします。

 

明日の南祖護摩は

無参列者で行うつもりですが

ご興味のある方は

ご一緒いただいて結構です。

 

南祖祭は

令和元年から始まった行事で

毎回試行錯誤しています。

 

南祖祭での南祖護摩は

昨年思い立って

行ってみた法式です。

 

明日の南祖護摩は

昨年よりも

厳かなものになる予感がします。

 

明日は

謹んでお勤めいたします。

 

南祖祭で“南祖護摩”を行います

南祖法師を本尊に

法要を行い

そのご宝前で

伝説にまつわる法話をする

南祖祭(なんそさい)。

 

法要の準備をしている中で

護摩を行うことにしました。

 

今年の節分で

市川の願成寺(浄土宗)さんの

本堂で護摩法要をご依頼された時に

他所で護摩が出来るように炉を

用意したのですが

今回はそれを活用して

南祖堂の所で護摩を行ってみます。

 

不動護摩のように

高く炎を上げることは

場所的に出来ませんが

とても良い時間になると思います。

 

こじんまりした行事なので

大々的にご参列いただいている

法要ではありませんが

ご興味をお持ちの方は

ご一緒いただけます。

 

ご参列される方はj

受付にて

お名前・願い事をお書きいただき

お布施(金額は決めません)を

お納めください。

 

当山ならではのというか

当山でしか出来ない形の

伝説との向き合い方です。

 

“ならでは”の形式を通じて

祈りをお捧げいただければと思います。

 

12/7南祖祭のご案内

南祖坊(なんそのぼう)として

有名な南祖法師(なんそほっし)に

祈りを捧げるひとときです。

 

南祖法師は

普賢院第2世住職

月法律師(がっぽうりっし)の

弟子とされ

全国行脚の果てに

十和田湖の龍神

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)に

なったと伝えられます。

 

当日は法要の後

「南祖法師の物語に見る仏道アラカルト」

と題して法話を行います。

  • 参加される方は、受付用紙にお名前・願い事をお書きいただきます。
  • 会費は設けないので、お気持ちの程、お布施としてお納めください。
  • 授与品を用意するので、入り用の方はお求めください。※お納めいただいた浄財は、国際協力活動への寄付と、観音堂・南祖堂の仏具等にあてさせていただきます。

 

授与品は以下の通りです。

  1. 南祖法師紙札:1体500円
  2. 南祖法師お守り:1体1000円
  3. 絵本『龍になったおしょうさま』(ハードカバー):1冊3000円
  4. 絵本『龍になったおしょうさま』(ソフトカバー):1冊1500円

 

こじんまりとした法要ですが

ご興味をお持ちの方は

お気軽にご一緒ください。

 

そろそろ南祖祭の準備も

12月上旬に開催を重ねている

南祖祭(なんそさい)。

 

本年は12月7日(日)

午後3時より行います。

 

詳細は後日ご案内します。

 

南祖祭は

南祖坊(なんそのぼう)として

地元では知られている

十和田湖龍神伝説の

南祖法師の行事です。

 

南祖法師は

当山2世住職の弟子であると

言い伝えられております。

 

南祖法師の師は

月法律師という方で

「律師」である点は

とても大きな意味があると

最近は考えています。

 

そんなことを

今年のいつだったかに

やや専門的に当ブログで

記述したことがあったと記憶しています。

 

律師は

戒律に通じた僧侶であることを意味するのは

言うまでもありません。

 

戒律をめぐる歴史は

その時々に非常に重要な契機となっています。

 

南祖法師にまつわる伝説の内容について

これまでとは異なる角度から

(専門的な仏道からの視点から)

アプローチすることで

とても“豊かなもの”が

浮かび上がってくる実感があります。

 

本年も

そんなアプローチからの

南祖法師伝説について

お話ししてみたいと思います。

 

南祖堂マイナーチェンジ

観音堂脇の祭壇には

南祖法師(なそほっし)尊像が

祀られており

ここは南祖堂と呼んでいます。

 

これまで

最上段に厨子(ずし)という

尊像が納められた化粧箱を

じか置きしていたのですが

親しい仏具屋さんに

少し高くした方が

バランスが良いように感じると

アドバイスいただいたので

位牌堂で使っていた台の一部を

厨子の下に設置してみました。

 

ちょっとしたことですが

明らかに雰囲気が

良くなった感じがします。

 

南祖法師は

普賢院の第2世住職の弟子として

修行・研鑽を積み

全国行脚の果てに

十和田湖の龍神となったと

伝えられる伝説の僧侶で

県内では南祖坊(なんそのぼう)

という呼び名で有名です。

 

南祖伝説は

現代でも様々な語りがあり

興味を持たれる方も多いです。

 

様々なバージョンがあり

場所場所でカスタムされてきたので

豊かな内容につながっているのが

南祖伝説の特徴です。

 

その南祖伝説を

仏教的視点で紐解くと

より豊かで深い内容が

浮かび上がってきます。

 

ここでいう仏教的視点というのは

教理的なものだけでなく

実践理論を踏まえての

専門的な視点ということです。

 

そういった視点で

ここ何年かアプローチをしていまして

成果の一部は

12月の南祖祭でお伝えしています。

 

ここ何年かのブログでは

メモ的なものは紹介しても

専門的な内容について

記すことはありませんでしたが

研究所で担当している

諸テーマの研究が

良い感じに進展・深化するのに伴い

南祖伝説に関しての理解も

実は深化してきています。

 

深化しているのですが

超専門的な内容なので

講式という

“専門的な形式”の

次第にするなどして

次代住職に託す方法も

良いかなと考えてたりします。

 

開創当時を考える⑧

このシリーズ

思いの外

好評いただいておりまして

楽しみにしてますとか

勉強になりますとか

おっしゃっていただけるのは

お世辞とはいえ

とてもありがたいのですが

気ままに書いているので

かたじけなく思います。

 

当山の歴史は長いので

時代ごとに

紹介したいことや

関連事項のお話は

ものすごく沢山なのですが

ブログで触れられるのは

そのうちの一部だけなので

記事内容はあくまでも

参考程度にご覧ください。

 

さて

「開創当時を考える」ここ何回かは

月法律師について

深ぼってきました。

 

法名が月法ではなく

月躰とする場合もありますが

これは南祖坊伝説を

伝える写本の中に

南祖坊の師僧が

月躰と表記されるものがあるからです。

 

なので月躰という名は

写本ベースのもので

当山の場合は

過去帳に依っております。

 

当山過去帳には

第二世として月法律師の

法名が明記されているのです。

 

この点については

巷で共有出来る情報からでは

把握出来ないことだと思うので

一応言及しておきます。

 

月法師が

戒律に精通した律師である点は

かなり大きな意味を持つことは

以前に述べた所です。

 

日本では多くの場合

戒という一語に

戒(シーラ)と律(ヴィナーヤ)が

含まれて捉えられています。

 

仏道修行において

戒は三学(戒・定・慧)の筆頭であり

仏道入門または修行入門において

不可欠なものです。

 

「初道」において

戒とともに重要視されるのが

菩提心(ぼだいしん)という尊い心です。

 

菩提心には

①悟りを求める心

②そもそも備わる尊い心

という意味があり

いずれもが大切なものであり

この菩提心の感得が

修行では目指されるといえます。

 

そして菩提心は

戒体(戒の本質)であり

様々な戒律は戒相(戒のあり方)

であると捉えます。

 

戒と聞くと

ルールとか禁止事項のニュアンスを

感じる方が多いと思いますが

具足戒はともかくとして

特に大乗仏教では

善業の意味合いが強いものが

“戒の日々の実践”とされます。

 

とりあえずここでは

本質としての菩提心

具体的な形としての戒

ということを

押さえていただければ結構です。

 

それでは

このことを踏まえて

「月法」という法名について

深ぼってまいりましょう。

 

空海が重用した経典『菩提心論』の

経文をいくつか

書き下して引用します。

 

  1. まさに普賢大菩提心に住すべし。一切衆生は本有の薩埵なれども、貪瞋癡の煩悩のために縛せ所るが故に、諸仏の大悲善巧智を以て、この甚深秘密瑜伽を説いて、修行者をして内心の中に於いて日月輪を観ぜしめ、此の観を作すに由って本心を照見するに、湛然として清浄なること猶し満月の光の虚空に遍じて分別しり所無が如し。
  2. 一切有情は悉く普賢之心を含せり。我れ自心を見るに形、月輪の如し。
  3. 凡人の心は合蓮華の如く、仏心は満月の如し。

 

1〜3には

観法修行の重要性と

自心の実際は菩提心であり

自心の形は月輪のごとくであり

仏心は満月(満月輪)のごとく

であることが述べられます。

 

これらは事相(修行)と

教相(教理教学など)が

伴って理解する必要がありますが

要するに

菩提心と月輪が

修行上でも教理上でも

不可分なものなのです。

 

月法律師の法名「月法」は

「月の法(みおしえ)」という意味なので

月輪と菩提心という

仏道修行の核に通じる意味を

読み取ることが出来ます。

 

写本に見られる異名「月躰」についても

躰は「本質」という意味なので

同様の意味を宿していると

捉えることが可能です。

 

空海の『声字実相義』や

『吽字義』に代表される

梵字の字相・字義による

法名の紐解きでは

さらに多様な意味に

接続出来るでしょうが

それにはここでは触れません。

 

月法律師の法名・律師の

意義を踏まえたうえで

南祖法師(坊)伝説を

再検討してみると

より仏教的&教導的なものが

浮かび上がってまいります。

 

寺院の縁起・由緒や伝説は

歴史とは似て非なるものであることは

当ブログを始めた当初から

何度も何度も記してきた所です。

 

拙僧泰峻は

仏道に本格的に入る以前

大学で人類学という学問を

専攻していました。

 

人類学にも様々な分野があり

中でも神話研究で有名な

“知の巨人”レヴィ=ストロースは

著書『構造人類学』(みすず書房、1972)で

次のように述べます。

 

むしろ、神話の研究はわれわれを矛盾した認識に導くのだということをみとめようではないか。神話の中では一切が起こりうる。見たところ、そこでは諸事件の継起はいかなる論理あるいは連続性の規則にも従わない。[同書:230]

 

レヴィ=ストロースは

いわゆる構造主義を

代表する人物として

有名な方ですが

ソシュールなどの流れをくむ

記号論を応用して

親族構造や神話の研究を

行なった方です。

 

構造主義は

ギリシャ哲学以来の

西洋哲学・思想に

挑戦した思想です。

 

レヴィ=ストロースは

ギリシャ以来の思想・哲学の

流れを汲んだ

実存主義の代表者サルトルと

同時代の学者で

構造主義の思想は

一世を風靡するものとして

注目されました。

 

西洋的価値観を基準に

あれこれ判断を下すことへの警鐘も

レヴィ=ストロースの

メッセージのひとつです。

 

レヴィ=ストロースの著書は

学生時代の拙僧には

あまりに難しすぎて

ほぼ理解不能だったのですが

おそらく人類学に触れた方に

共通した経験であろうと思います。

 

いま引用した文は

寺社縁起の類においても

重々踏まえるべきことだと

思います。

 

口承により保存・継承され

文字に起こされ保存・継承された

その「字面」と等置される意味だけでなく

「字面」へ保存作業する際に

働いた作用や法則や背景や

暗に込められたコードに

近づこうとすることが

一つの姿勢として

考えられるでしょう。

 

専門的になってきたので

この話題はこの辺で。

 

開創当時の社会状況を

考える一助として

何年か前に阿光坊遺跡を

訪れた際の動画を作成したので

以下に添付しておきます。

 

それに加え

圓鏡上人を含む

三開山上人についての

紹介動画も以前作成したので

以下に添付しておきます。

 

さらにさらに

昨年5月に行なった

開山忌(歴代先師のご法事)と

供養祭の動画も

関連動画として添付します。

 

以上

月法律師についての深掘りでした。

 

開創当時を考える⑦

月法律師について

今回も深ぼっていきたいと思います。

 

十和田湖伝説の南祖法師(坊)の

師僧とされる月法師ですが

師が律師(戒律に精通した上人)で

あることに注目してきました。

 

戒律という言葉は

厳密には戒と律は

異なっており

戒は自律的・内的なもので

律は他律的なもので処罰を伴います。

 

原語を確認すると

戒は「シーラ」

律は「ヴィナーヤ」で

明確な区別があります。

 

ただし

中国や日本に伝わり展開するなかで

戒と律は混然としていき

「戒」の一文字のうちに

戒:シーラと律:ヴィナーヤが

含まれて捉えられるようになります。

 

このことは

例えば弘法大師の著作でも

はっきりと確認できます。

 

といっても

律:ヴィナーヤへの関心が

著しく低かったというわけではありません。

 

月法師をご縁として

戒律について

歴史的にも教理的にも

紐解いていった上で

南祖法師伝説と向き合うと

そこにも新たな見方による

物語像が浮かび上がります。

 

戒律という用語からは

規律や決まり事といったものが

連想されるかもしれませんが

戒律は行法と教理に密接に関わっており

さらには

戒律を伝える古い諸経典には

仏伝の説話が盛り込まれているのです。

 

そういったことを踏まえて

諸事考察していくことが

仏教的視点による姿勢と

一応は言えると考えます。

 

初代・圓鏡師について

取り上げた際にも触れましたが

古代の僧侶は

修行・修学を必須としており

出家(私度も含む)の動機として

何かしらの「悩み」が

多くの場合あったと考えられます。

 

「悩み」に関連していえば

8世紀以降の東北地方は

中央(律令国家)からの

移民政策や城柵が実施され

殊に桓武天皇の御代には

「軍事」政策に力が入れられ

戦時状態となった時期があり

そういった不穏な事態が

現実問題として現前していたことも

忘れてはなりません。

 

当山は

官寺としてではなく

“私寺”として

開創されているでしょうから

道俗(出家者・在家者・一般の方)が

相集うような

修行・修学・参拝の拠点として

よりどころとされたのだと考えています。

 

「律令国家」として

正式な手続きを経ての出家僧は

様々なことを期待されたわけですが

出家するための体制

特に戒律を授けられる環境が

整うに至るには

鑑真和上(688~763)の

来日・戒壇の設置を

待たねばなりませんでした。

 

古代日本において

出家者には様々なことが期待され

待遇も税金免除などの優遇措置が

取られていたため

その優遇措置欲しさに

出家するものも多かったようで

僧侶の質を高める目的もあり

出家制度を整備する必要に迫られ

戒律を授ける官立の戒壇が

設けられることになります。

 

出家動機としての

免税特許などの優遇の希求も

「悩み」からの解放を願った

とも捉えられますが

取り締まりをしなければ

ならない程の状況に

なっていたと推測します。

 

戒律にも種類がありますが

官僧として正式に出家するためには

具足戒(比丘250戒・比丘尼348戒)

の受戒が要件とされていました。

 

具足戒を授けるためには

三師七証という大役を全うできる

プロフェッショナルな僧侶10名が

必要だったため

優秀な僧侶を養成していくことも

戒壇設立には求められたのです。

 

具足戒と一言でいっても

典拠となる戒律の経典があり

中国・日本で広まったものの

代表は法護部(部派仏教のグループ名)の

『四分律』というものです。

 

ついでの話題となりますが

『四分律』よりも後に

成立した『説一切有部律』という

根本説一切有部という

かなり影響力のあった

部派の戒律について

空海は一目置かれており

真言僧侶が学ぶべき

戒律に関する典籍の多くに

有部律のものが挙げられています。

 

部派仏教に伝えられる戒律を

小乗戒と表現することもあり

起源前後から展開する大乗仏教でも

大乗戒が様々唱えられました。

 

大乗戒として

アジア全域で有名なのは

やはり『梵網経』を典拠とする

梵網戒といわれる

十重・四十八軽戒だと思います。

 

当山初代・圓鏡師

第2世・月法師

の時代においては

具足戒と大乗戒の

いずれも受戒していた祖師方が

多かったようです。

 

真言宗の戒律は

菩提心戒・三昧耶戒など

名称としては様々あるのですが

灌頂という儀式を通して

授けられるもので

説明を必要としますが

情報過多だと思うので

これ以上は触れないことにします。

 

月法師が

戒律に精通する律師であったため

具足戒や梵網戒といった

代表的なものを始め

各種戒律に通じていたと考えられます。

 

このことを加味して

次回もまた月法律師について

考察していきたいと思います。

 

つづく

開創当時を考える⑥

当山2世・月法律師。

 

法名は月法(がっぽう)で

律師(りっし)は僧階

あるいは尊称を指します。

 

現在も律師という僧階はありますが

名称は同じでも

意味合いは当時と全く異なります。

 

かつて

僧綱(そうごう)という

僧尼を統括する「官職」があり

律令時代には

僧正・僧都・律師

といったものが設けられ

律師はその名の通り

戒律に殊に通じた上人です。

 

官職でない意味であるとしても

律蔵(戒律)に精通した僧侶への

尊称としても捉えられます。

 

一般的に

イメージしにくいかもしれませんが

戒律というのは非常に重要なもので

段階に応じて「正式に授かる」

必要があるものです。

 

第2世住職が

律蔵に精通しているという点は

僧侶の立場からすると

とても大きな意味があると感じるのです。

 

実はかなり前から

感じていたことなのですが

「南祖法師(坊)の師僧としての月法律師」

という文章において

「南祖法師の師僧」であることより

月法師が「律師」であることの方が

まず注目すべき点であると

僧侶としては思います。

 

三蔵(経・律・論)のうち

律蔵に精通している律師ということは

かなり権威あることでもあり

その門戸を叩いて

修学・修善の伝授を乞われ

授戒を乞われることも

想像されるのです。

 

その中の一人として

南祖丸(後の南祖法師)が

伝説の主人公として

フォーカスされる

という流れで捉えると

これまでとは違った視点で

南祖法師(坊)伝説を

捉えられると思います。

 

南祖法師は

月法律師に弟子入りし

契機があって師僧の助言で

全国の霊山霊跡を巡った後に

十和田湖に結縁入定して

青龍大権現なる龍神となった

とされる伝説の僧侶です。

 

その筋書きにおいて

月法律師が関わる部分のシーンに

補足すると

①弟子入り:入門・修学研鑽・作務

②全国巡行の助言:出家得度・授戒・伝授

といった要素が

大まかに想定されると思います。

 

絵本『龍になったおしょうさま』の

もとである写本『十和田山神教記』に

描写される南祖法師の

全国巡行では

修法により人助けをする

場面がいくつかあるのですが

それらは実際の修法次第を

踏まえた描写といえます。

 

ここでいう次第というのは

主旨に応じた作法・印明・経文が

したためられたものを指します。

 

そういった次第は

師僧に伝授してもらう

師子相承により

修法が許されるものなので

南祖法師が修法可能であるということは

師僧に伝授されたゆえに

ということができます。

 

さらに南祖法師が

「瞑想」をする場面もあるのですが

そういった行法もまた

師僧に伝授いただく必要があります。

 

しかも最後は

「入定」するという

修行の“高度な状態”に入るわけなので

そのための行法(次第など)についても

伝授する師僧の存在を

想定すべきと思うのです。

 

ということで

南祖法師伝説を

仏教的視点で考えてみると

師僧とされる月法律師の

存在感が見出されます。

 

次回も

月法律師について

さらに深ぼってみたいと思います。

 

つづく

開創当時を考える⑤

「人は悩む」

 

そういったとき

恐らくほぼほぼ

納得いただけると思います。

 

そしてまた

「悩む」ことが

多くの修行者が

修行するに至った

理由として挙げられます。

 

釈尊(お釈迦さま)もまた

「悩んだ」ゆえに出家され

求道・修行の果てに

成道されました。

 

なぜ「悩む」かを把握し

悩みを悩みでなくすために

修行をする。

 

原始仏教経典

『スッタニパータ』などに

目を通すと

様々な「悩み」の訴えに対して

釈尊が諭していく

というやり取りが

いくつも見られます。

 

当山開創当時を考えると

天災・戦災・疫病による

嘆きや苦しみを抱いた方も

多かったでしょうし

歴史的背景を踏まえてみると

様々なことが推定されます。

 

初代・圓鏡師も

出身地は不明ですが

父母がいらして

兄弟姉妹もしたかもしれなくて

師僧や法友もいらして等

相関図を考えてみると

身内のことで

死別があったり

何かしら悩まされたことが

あったかもしれませんし

もしかしたら

戦乱や災害や疫病による

大変な状況に立ち会ったかもしれません。

 

衝撃的で

大きな契機が

出家・修行の動機に

なったのではないかと思うのです。

 

出家得度して

沙弥戒を授かり

法名を授かり

具足戒を授かり

そしてまた

修法を伝授され

諸学を講伝され

修行・修禅・修学に励む。

 

法名「圓鏡」の由来と見られる

大圓鏡智という智慧は

とても重要な位置づけがされるもので

「あらゆるもの全て映し出す鏡」の如く

“あるがまま(自然・真如)に観る”

境地の智慧です。

 

“あるがままに観る”は

執われ(悩み)なく観ることであり

漢字をあてると観自在となります。

 

観自在は

観自在菩薩という尊格名にもある言葉ゆえ

とてもポピュラーなフレーズかと思います。

 

観自在菩薩は

観音様として

当地でも親しまれる尊格ですが

修行においても重要な尊格です。

 

密教では

普門総徳(ふもんそうとく)の

尊格として大日如来という

とてつもなく

スケールの大きい仏の

一門別徳(いちもんべっとく)の

尊格として様々な仏様が

開示されていって

それを表現したものを

曼荼羅というので

観音様もまた

曼荼羅思想を背景として

捉えられていることを

一応ここに付記しておきます。

 

観音霊場の巡礼で

札所を回られた経験のある方は

とても多いと思います。

 

巡礼もまた

修行の一つの形と

捉えることも可能でして

そう考えると

「観音と修行」は

意識せずとも現代にも

かなり浸透しているといえるでしょう。

 

圓鏡師が

十一面観音を本尊として

当山を開創されたのも

意味があってのことと思いますし

この点は

さらに深ぼれそうですが

長くなりそうなのでこの辺に。

 

出生年は不明ですが

過去帳記載の入滅年月日は

初代・圓鏡(817年5月15日)

第2世・月法律師(831年10月16日)

となっています。

 

圓鏡師ご遷化から

月法律師ご遷化までは

14年弱の期間があります。

 

月法律師は

十和田湖伝説に登場する

南祖坊として地元では知られる

南祖法師の師僧とされる方です。

 

南祖法師については

十和田湖伝説を伝える写本のひとつ

『十和田山神教記』をもとに

絵本『龍になったおしょうさま』で

肝要なシーンを紹介しているので

ご興味ある方は

そちらをご覧いただければと思います。

 

▼絵本動画はコチラ

https://youtu.be/-utlyWdwxHk?si=AF0K2l9ccJ5Y_34z

 

伝説は歴史とは異なるものですが

何かの出来事が元となっていて

貴重な情報が散りばめられており

大切にされてきた背景を考察するに

切実なものがあると捉えています。

 

この辺については

既に少々触れたことがあるので

今は深入りしません。

 

さて

当山が所蔵する先の写本では

南祖丸(南祖法師の幼名)は7歳に

当山に入門し

18歳に諸事情あって

得度して南祖法師と“名を改め”て

「修行旅」に出発します。

 

師僧が月法律師とされるので

月法律師が住職でありえたのは

817年〜831年の約14年なので

この期間に随身期間が比定されます。

 

月法律師の法名「月法」について

前回も触れましたが

圓鏡師同様に

仏教的視点から紐解けば

とても深いものがあり

さらに注目したいのは

「律師」であることです。

 

僧綱のひとつである重要職という意味

律に通じている者という意味がありますが

この律師たる月法師について

次回以降は

主に取り上げてみたいと思います。

 

つづく