十和田湖伝説の絵本動画を制作しました

十和田湖伝説を今に伝える写本のひとつ

『十和田山神教記』(とわださんじんきょうき)。

 

当山には写本2冊が残されております。

 

その写本をもとに

絵本『龍になったおしょうさま』を

有志と制作しました。

 

「龍になったおしょうさま」は

南祖坊(なんそのぼう)のことです。

 

南祖坊は

当山2世住職・月法律師(がっぽうりっし)の

弟子であり

十和田湖の龍神である

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)に

なったとされる僧侶です。

 

以前より

寺子屋ワークショップ

「香りのこころ」で

お世話になっていた

小松美央さん(ひつじや)

在家渓静さん(くるみのひろば)と

平成30年に「かたり部(ぶ)」という

会をたちあげました。

 

地域に伝わる物語をはじめ

さまざまなことを

自分たちが出来る形で

語り伝えていこうという会です。

 

『十和田山神教記』は

数ある十和田湖伝説の中でも

とても魅力的なストーリーを

今に伝えているのですが

あまり知られてはいません。

 

当山に写本が残されていることもあり

この物語を絵本にして

親しみやすいものにしたいという

思いがありました。

 

当初は絵本を作成する予定でしたが

ここ3ヶ月程

オンラインで会議を重ねる中

動画にしてみようということになり

製本に先んじて

動画を制作しました。

 

朗読は

拙僧(副住職)の高校時代の

同級生でもあり

アナウンサー経験のある

種市佳子さんにご担当いただきました。

 

種市さんにも

かたり部を立ち上げる前から

絵本動画を作ったときには

朗読をしてほしいということを

お願いしておりました。

 

ご協力下さった

素晴らしい方々の

お力添えにより

素敵な絵本動画が

出来たと感じています。

 

普賢院は

弘仁初期頃(810頃)に開創され

承安元年(1171年)に開基された

古いお寺で

来年は開基から850年という

メモリアルイヤーでもあります。

 

そのメモリアルイヤーを前に

念願がひとつ叶ったことに

感謝しております。

 

18分程の動画に

まとめておりますので

『十和田山神教記』が伝える

十和田湖伝説に

ぜひ触れてみて下さい。

 

新本堂と本堂裏の整備について

現段階で予定されている

新本堂と本堂裏整備について

図化して整理してみたいと思います。

 

以前もお伝えしたと思いますが

新本堂の前方ラインが

旧本堂よりも下がり

本堂前のスペースが

以前よりも広くなります。

 

 

また

大屋根の関係や

両サイドの建物との間隔の関係で

新本堂の中心ラインが

以前よりも若干北側に

スライドします。

 

本堂正面入口が

本堂に向かって“右側”に

ややズレるといえば

分かりやすいでしょうか。

 

本堂中心ラインは

本尊様が祀られる

中心線ということです。

 

たまたまですが

その「新中心線」上には

歴代先師墓と

建立予定の合葬墓が

位置することになります。

 

新本堂にお参りされた方が

手を合わせ

祈りを捧げられる

その方向に

歴代先師墓と合葬墓が

あるということは

とても尊いことだと感じています。

 

いま取り組ませていただいている

本堂建替事業では

本堂裏手の整備も行われます。

 

合葬墓が

歴代先師墓の隣に

建立されます。

 

会津斗南藩縁故者の墓石16基を

現在地から同所西側に移設・整理し

また供養碑を建立いたします。

 

会津斗南藩縁故者供養碑は

当山有縁の方が

ご寄付して下さる予定です。

 

さらに

青龍権現(せいりゅうごんげん)碑を

十和田湖の方角に向けて

手を合わせられるように

建立します。

 

青龍権現碑は

八戸市根城の番地石材店の

番地さんがご寄付下さいます。

 

青龍権現とは

十和田湖の龍神です。

 

当山2世の月法律師の弟子として

修行された僧侶・南祖坊(法師)が

十和田湖の龍神・青龍権現に

なったと伝説では

語られております。

 

お寺の空間は

祈りを捧げ

歴史や伝承・伝説に触れられる

尊いものでもあります。

 

尊い空間たるべき

環境を整えることは

とても大切なことといえます。

 

「ハード」も「ソフト」

きちんと整え続ける努力をおしまず

情熱と覚悟をもって励んでまいります。

 

史料をもとに近世のお寺近辺を再現してみました

明治9年(1876)に

国に提出された青森県の地誌

『新撰陸奥国誌』には

かつての観音堂の様子が

スケッチされております。

ここでいう観音堂とは

現在の七崎神社の場所に

明治まであったもので

徳楽寺という寺号が

用いられており

当山は長く観音堂の別当寺を

つとめております。

 

明治時代に行われた

神仏分離の対応のため

観音堂(徳楽寺)は廃寺となり

同書には社殿が建立され

七崎神社に改められました。

 

そのスケッチは

デフォルメされているのですが

細かな所の特徴が

おさえられております。

 

このスケッチでは

現在の当山駐車場東南側に

あたる部分が描かれています。

 

なので

こちらのスケッチをもとにして

江戸末期の当山本堂と庫裡を

配置させて

各所に簡単な説明を加えると

以下のようになります。

ちなみにですが

かつての観音堂は

明暦2年(1656)時点で

大きさが3間四方(18畳)

宝暦13年(1763)以降で

4間四方(32畳)であることが

棟札や史料より分かっています。

 

当山本堂は

文化7(1810)以前が

8間×7間(112畳)

文化8年(1811)〜令和2年10月が

8間×6間(96畳)です。

 

スケッチには

観音堂と境内だけではなく

当山有縁の家々も描かれております。

 

今回の再現図を作成するにあたり

細かな発見や気づきを

沢山得ることが出来ました。

 

歴史を感じつつ

実りある探求作業が出来たと

感じています。

宝暦13年春三月の棟札と『御領分社堂』

江戸期に

当山はどのような様子であったかを

うかがい知ることが出来る

史料のひとつとして

『御領分社堂』があげられます。

 

『御領分社堂』は

当時の観音堂(七崎山 徳楽寺)と

様々なお堂(小社)の様子を

伝えております。

 

ここでいう観音堂は

現在の七崎神社の場所に

明治時代になるまであったお堂でして

七崎山徳楽寺という寺号が

用いられておりました。

 

明治までは

四間四方のお堂で

護摩堂を兼ねた観音堂であったことが

史料より分かっております。

 

ここ数年

旧観音堂を「永福寺本堂」と紹介する

文献がいくつか見られましたが

旧観音堂は本堂ではありません。

 

専門性の高い要素であったり

内部の者にしか分からない事柄が

いくつも絡んでいるため

そのような記述になってしまうのも

無理ないことだと思いますが

地元で伝えられることと

あまりに乖離したものを

生半可な状態で由緒であると

紹介されることは

当山としても好ましくありません。

 

話を戻しまして

『御領分社堂』という

宝暦13年(1763)の書物は

宝暦9年(1759)の幕府の御触(おふれ)

により開始された

藩領の社堂の調査を

まとめたものです。

 

なので

同書に掲載されている内容は

宝暦13(1763)以前のものとなります。

 

というのも当山には

宝暦13年(1763)3月の棟札(むなふだ)

3枚が所蔵されているのですが

その内容が同書『御領分社堂』には

反映されておりません。

 

少し細かなことかもしれませんが

当山に所蔵される棟札と

関係する部分でもあるので

本稿にてご紹介いたします。

 

『御領分社堂』では

七崎(豊崎の古称)について

以下のように

記載されております。

 

※( )、文字色は筆者によります。


寺院持社堂 五戸御代官所七崎

一 観音堂 四間四面萱葺(かやぶき)

古来縁起不相知

萬治元年(1658)重直公御再興被遊

貞享四年(1687)重信公御再興被遊候

何(いずれ)も棟札(むなふだ)有

 

一 大日堂

一 不動堂

一 愛染堂

一 大黒天社

一 毘沙門堂

一 薬師堂

一 虚空蔵堂

一 天神社

一 明神社

一 稲荷社

一 白山社

右十一社堂は観音堂御造営之節

依御立願何も御再興被遊候

小社之事故棟札も無之

只今大破社地斗に罷成候

一 月山堂 壱間四面板ふき

 

一 観音堂 右ニ同

右両社共に観音堂御造営之節

重直公御再興也

 

善行院(ぜんぎょういん)

当圓坊(とうえんぼう)

覚圓坊(かくえんぼう)

覚善坊(かくぜんぼう)

右四人之修験は本山派にて

拙寺(永福寺)知行所所附之者共御座候

古来より拙寺(永福寺)拝地之内

三石宛(ずつ)遣置

掃除法楽為致置候


 

上記では

大日堂、愛染堂、不動堂

の3つのお堂が

小社(小さいお堂の意)ゆえ

棟札(むなふだ)も無いと

掲載されております。

 

この調査は

先にも触れたように

宝暦9年(1759)のお触れにより

実施されたもので

『御領分社堂』が報告書として

まとめあげられたのが

宝暦13年(1763)なので

七崎(現在の豊崎)の調査が

実施されたのは

宝暦13年(1763)以前だと

いえると思います。

 

その宝暦13年(1763)三月に

大日堂(天照皇大神宮)、

愛染堂、不動堂が

再建されていることが

当山所蔵の棟札から分かります。

 

大日如来は天照大神と

本地垂迹の関係で捉えられております。

 

そのことは

大日如来を象徴する種字(梵字)が

荘厳体で記されたうえで

天照皇大神宮一宇云々と

棟札に書き留められていることからも

うかがわれるかと思います。

 

愛染堂も不動堂も

同時期に再建されております。

 

棟札には

大檀那大膳太夫利雄公と

記されており

再建の大檀那(大施主)は

当時の盛岡南部藩藩主である

南部利雄(としかつ)公

であることが分かります。

 

盛岡南部藩家老の日誌『雑書』

文化7年(1810)7月6日の所に

当山について触れておりまして

ここに江戸中期の本堂の規模が

八間×七間であることが

記されており

またこの時点で

その本堂が「数十年罷成」とあります。

 

なので

1810年から数十年前に

何らかの大きな“手入れ”が

本堂になされたのだと思われます。

 

建替えなのか修繕なのかは

分かりませんが

1700年代のどこかで

事業がなされたのでは

ないでしょうか。

 

1700年代といえば

享保年間(1716〜1736)に

快傳上人により中興されております。

 

そして

今回紹介した棟札が示すように

宝暦13年(1763)には

大日堂(天照皇大神宮)、

愛染堂、不動堂が再建されました。

 

参考までにですが

宝暦6年(1756)には

御輿(みこし)が「再修覆」

されております。

 

本稿でとりあげた棟札は

快傳上人により

中興されて以降の

当山の“歩み”を紐解く上で

とても貴重なものだと感じます。

ほぼほぼ更地となりました

お寺の歴史に触れながら

本堂解体の様子をお伝えする

ただいま本堂解体中

の⑪をアップしたので

ご覧いただければ幸いです。

 

今回は

十和田湖伝説の

南祖坊(なんそのぼう)についても

触れております。

 

南祖坊のお像である

南祖法師(なんそほっし)尊像が

普賢院には

お祀りされておりますが

当山にお運びの際は

お参りいただき

ご縁を深めていただければと思います。

 

平安期の先師がお一人発見されました

調べ物があり

江戸期の過去帳と

向き合っていたところ

当山先師のお名前が

たまたま発見されました。

 

先師とは

かつての住職という意味です。

 

発見されたのは

日照法師という方で

何と平安時代の先師様です。

 

ご命日は

仁和3年(887)7月23日。

 

当山は

弘仁初期(810頃)開創ですが

火災による文書焼失の影響もあり

多くの先師名が不明です。

 

そのような状況の中

平安期の先師名が

ふと明らかになったことは

とても尊いことだと感じます。

 

まさに大発見です。

 

おそらく

多くの方には

伝わらないと思いますが

とんでもなくすごい発見です。

 

普賢院第2世

月法律師は天長8年(831)が没年であり

この方は

十和田湖伝説に登場する

南祖法師(坊)の師とされる先師様です。

 

日照法師もまた

その法名との関連(月と日)が

師弟関係としてあるのであれば

月法律師の弟子だっかもしれませんし

もしかしたら南祖坊の

モデルとなった方かもしれません。

 

経歴は不明ですが

江戸期にまでその法名が

しっかりと残っているということは

何かしら特筆すべきことが

あったのではないでしょうか。

 

南祖坊は幼少期に

当山に弟子入りしたとされるので

月法(831)・日照(887)両師の

没年の差を踏まえると

違和感はないように感じます。

 

直弟子であったか

どうかは分かりませんが

当山の法脈として

月法律師を

日照法師が継いでいることは

間違いないことであり

その流れは現在に

至っているわけです。

 

悠久の昔から

今に至るまでの

流れというものを

あらためて感じさせられ

気持ちが引き締まった

思い出深い一日となりました。

 

 

▼本日の本堂解体の様子

花まつり法要をオンラインで

本年から

花まつりの行事を行うべく

仏具屋さんにお願いしていた

釈迦誕生仏と花御堂(はなみどう)が

本日届けられました。

 

花まつりとは

お釈迦様の誕生日を祝う行事です。

 

お釈迦様の誕生日は4/8とされますが

地域によっては月遅れで5/8に

行事が行われます。

 

花まつりの法要は

仏生会(ぶっしょうえ)

降誕会(ごうたんえ)

灌仏会(かんぶつえ)

とも呼ばれます。

 

当山では

5月に花まつりの法要と行事を

開催しようと考えておりました。

 

ちょうど連休にあたる時期に

にぎやかに開催出来ればと

考えていたのですが

感染拡大防止に

努めなければならない状況なので

本年はオンラインでの開催を

試みたいと思います。

 

ついでですが

本年6月に予定していた

南祖祭(なんそさい)も

オンラインでの開催を

予定しています。

 

南祖祭は

南祖坊(なんそのぼう)という

十和田湖伝説に登場する僧侶の行事です。

 

南祖坊は

当山2世の月法律師(がっぽうりっし)の

弟子として当山で修行したとされ

全国巡礼の旅の果てに

十和田湖の龍神である

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)に

なったとされる僧侶で

当山には南祖坊の御像である

南祖法師(なんそほっし)尊像が

祀られています。

 

出来る形で

祈りを捧げつつ

その行事に重ねられている

意味であったり背景などに

触れて頂ければと思います。

 

神仏習合祈祷おぼえがき

先日行われた

十和田神社と普賢院の合同祈祷。

 

覚書もかねて

開催への経緯を簡単に

こちらに書き留めたいと思います。

 

今回の件は

拙僧(副住職)が昨年12月中旬に

十和田湖自然ガイドクラブの方へ

本堂建替にあたっての記念事業を

メールで相談したことに始まります。

 

十和田湖自然ガイドクラブの

皆様との素晴らしいご縁を

何かしら形にしたいとの思いがあり

連絡させて頂いた所

快くお引き受け下さいました。

 

当初は記念冊子を作ることを

第一に考えておりましたが

相談を重ねる中で

南祖法師尊像を十和田神社に

出開帳(でがいちょう)して

宮司さんにご一緒頂いて

地鎮式の作法で用いる水を

神仏習合の儀式で

御祈祷出来ないだろうかという

思いに至りました。

 

そこから実現に向け

色々な確認や準備を

とても丁寧に

お手伝い頂きました。

 

合同祈祷の開催時季は

行楽シーズンが一段落してから

ということになり

結果的に12月9日(大安)が

開催日となりました。

 

たまたまですが

当山本堂の建替をご担当頂く

業者が決定した翌日でした。

 

いよいよ本堂建替が

本格的に始まるという

実感の中での諸儀式だったので

一段と強い思いを

一つ一つの作法に

込めることが出来たように思います。

 

また今回の貴重な機会を通じて

儀式は

“おもい”を託す尊い「場」であり

“物語”と“つながる”清らかな「場」

であるということを

改めて痛感しましたし

「祈り」の尊さを

痛感させて頂きました。

 

今回の祭事に

携わって下さった全ての皆様に

改めて感謝申し上げます。

 

▼本年2月5日

十和田湖ガイドクラブの皆様が

当山においで下さいました。

 

▼本年6月19日

十和田湖“三大聖地”をご案内頂きました。

 

▼本年12月9日

十和田神社・普賢院合同祈祷を行いました。

歴史的な神仏習合のひととき〜十和田神社・普賢院合同祈祷〜

当山は十和田湖伝説とゆかりがあり

南祖坊(なんそのぼう)が

修行したと伝えられる寺院で

南祖坊の御像である

南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)が

祀られております。

 

深くご縁のある十和田湖に

鎮座する十和田神社に

南祖法師尊像を

出開帳(でがいちょう)し

宮司さんとともに

神仏習合の御祈祷を行いました。

 

この御祈祷では

当山の本堂建替に際する

地鎮式の作法に用いるお水を

御清めして御加持させて頂きました。

 

このような形での

神式と仏式を併せての御祈祷は

初めてのことでしたが

とても素晴らしいものとなりました。

 

この御祈祷の開催について

本年上旬に

十和田湖自然ガイドクラブの

中川一樹さんに相談させて頂いた所

懇切丁寧にご対応下さり

諸事の確認や準備を行って頂いた

おかげで実現することが出来ました。

 

十和田湖の地域の方や

十和田神社役員の方や

観光関係の方もご参列下さり

あたたかな雰囲気の中

尊い儀式をお勤めさせて

頂いたことに心より

感謝しております。

 

南祖法師尊像の出開帳は

今回限りのつもりでおります。

 

これまで

前例のないことだったため

宮司さんや関係者の皆様には

色々とご迷惑をおかけしたかと

思いますが

沢山の方のご協力のおかげで

念願していたことを

実現することが出来ました。

 

また本日は快晴で青空が広がり

風もなく穏やかな水面は鏡のようでした。

 

雪化粧された

十和田湖外輪山の稜線も素晴らしく

拙僧(副住職)が見てきた中で

最も美しい十和田湖の景観でした。

 

この歴史的で素晴らしい1日は

一生忘れません。

 

宮司さんご夫妻

十和田湖自然ガイドクラブの

中川さん、森田さん、山下さん

十和田湖の皆様

そして早朝より

お手伝い下さった有縁の皆様

本当にありがとうございました。

 

物語を旅するお客様

本日早朝に

素敵なお客様方が

おいで下さいました。

 

いつも大変お世話になっている

十和田湖自然ガイドクラブの

中川一樹さんと

山下晃平さんとのご縁で

“物語を旅する”探検家高橋大輔さんと

古道のスペシャリスト小笠原カオルさんが

当山をお訪ね下さいました。

 

十和田湖伝説・南祖坊伝説ゆかりの地を

ご案内されていらっしゃるとのことで

当山にもおいで下さいました。

 

限り有る文献に掲載される

制限のある情報のみに留まらず

現地調査や観察などの「体験」や

文字に起こされていないものにも

あたられて伝説と向き合うという

皆様のご姿勢は

素晴らしいと感じます。

 

皆様の誠実かつ情熱的な志には

心打たれるものがありましたし

拙僧(副住職)にとっても

大きな励みになりました。

 

当山ではここ数日

諸事立て込んでいるということもあり

ゆっくりじっくり

ご案内することが出来なかったのですが

素敵なご縁がつながっていくことには

とても感謝しております。