AIはすごいですね

文章や映像だけでなく

音楽も生成できるAI。

 

使いようによっては

自身の出来ることの幅が

ものすごく広がり

とても良い刺激になると

個人的には感じています。

 

音楽はメロディーだけでなく

歌も生成できるのですから驚きです。

 

いかに活用するかが

鍵となる時代だと思うので

良い具合に技術の恩恵に預かりながら

自身を高めていきたいものですね。

 

当面は法務と職務に邁進します

諸縁あるということと

タイミングが絶妙にあって

今年は春から

あちこちに赴いて

取材や研究調査の機会に

恵まれています。

 

また所属している研究所も

現所長の体制となって以後

個人研究だけではなく

グループ研究も始動して

とても活発な雰囲気です。

 

拙僧は常勤研究員という

運営に携わる職にあたっているので

大変な部分もあるものの

貴重な経験を積ませていただいている

という思いが強いです。

 

拙僧個人のことでいうと

数年来取り組んでいる

現代に流行する瞑想に関するものと

供養習俗を手がかりとした死生観についてを

主なテーマとしながら

それから派生した

いくつかのテーマについて

情報収集をしている感じです。

 

研究に関しては

普賢院での行事などでは

なかなか発信する機会はないのですが

将来的にはどこかのタイミングで

ご紹介してみたいとは考えています。

 

現在取り組んでいる諸テーマは

当山に関わる地域的テーマにも

大いにつながるものでもありますが

そういった試論は

年月を重ねた先に

行ってみたいと思います。

 

当面の間は

普賢院の法務と

お預かりしている職務を全うすることに

全力を注いでまいります。

 

ピクトグラムを作ってみました

八戸仏教会の事務局の一人として

冗談のつもりで作成した

ピクトグラムを

事務局長が大変気に入られまして

色々と作って欲しいと

リクエストをいただきました。

 

ということで

作務のピクトグラムを

作成してみました。

 

こんな感じで

作りためてみたいと思います。

 

真夏日のなか

本日は急用があり遠野へ。

 

お世話になったご住職の

ご逝去にあたり弔問へ。

 

その帰路

遠野市立博物館へも。

 

遠野市立博物館では以前

論文執筆にあたり

取材させていただいたので

論文抜き刷りと

書籍を渡してまいりました。

 

それにしても

暑くなりましたね。

 

涼をもとめて

今シーズン初の

ソフトクリームを食し

無事に帰山したのでした。

 

R6花まつりの動画をアップしました

八戸仏教会事務局員として臨んだ

初めての花まつり。

 

拙僧泰峻は

事務局長のご要望で

「SNS・記録担当」を

任せられまして

あちらこちらで映像を

撮りためておりました。

 

一人では限界があるので

普段当山で配信のお手伝いを

していただいている

Production WAVEの泉山さんと

拙僧弟子の中野太陽さんにも

ご助力いただきました。

 

撮影したものを編集して

ダイジェスト版とロング版の

動画を八戸仏教会の

YouTubeチャンネルにアップしたので

ぜひご覧ください。

 

論語と鯰と仏像

そのようなタイトルで

小稿を書こうと思います。

 

「論語と鯰と仏像」

仮タイトルですが

こんなイメージのものを

書いてみたいと思います。

 

令和3年秋

新本堂の完成とともに

当山には

脱活乾漆(だっかつかんしつ)の

権現像と薬師如来像が

奉納されました。

 

両仏像は

彫刻家・関頑亭(せきがんてい)氏が

制作したもので

コサカ技研の小坂明会長の発願により

奉納されました。

 

小坂明会長とのご縁について

様々に述べる必要がありますが

数年前から当山にて行っている

論語勉強会の発起人でもあります。

 

小坂会長は

権現像と薬師如来像の

作者である関頑亭氏を

“師”と仰ぎ

コサカ技研で運営される

洗心美術館では

同氏の作品が多く

所蔵・展示されていました。

 

関頑亭氏は

鯰(なまず)の像や絵を

生涯において多く残しており

鯰は同氏の象徴的なものともいえます。

 

また

同氏は真言密教にも

明るい人物でもありました。

 

論語勉強会の開催を重ねることと

関頑亭氏のお像が奉納されたことは

一連のことであるので

その経緯の記録という

意味合いもありますが

住職・僧侶として述べられることを

あわせてしたためたいと思い至り

準備を進めています。

 

どのタイミングで

仕上がるかは分かりませんが

段階的にでも

執筆していきたいと思います。

 

おやつクラブの発送作業

本日は

おてらおやつクラブの

発送作業を行いました。

 

当山の法務での供物と

企業からの支援品を

80サイズ6箱

100サイズ8箱に詰めて

梱包いたしました。

 

少しでも

ご活用いただければ幸いです。

 

約束の祈り

数年前に

当山を訪ねて来られた

ご夫婦。

 

ご自身方が亡くなられたときは

葬儀の導師をお願いしたいとの

ご相談でお見えになられたのでした。

 

当時で80代半ば位だったと思います。

 

約束をかわした時間は

よもやま話を聞かせていただき

とても楽しい談笑の時間でもありました。

 

ご主人は3年前に葬儀を終え

本日は奥様の葬儀が

行われました。

 

拙僧とお二人でかわした

祈りの約束。

 

長い長い人生の旅路を全うされたお二人が

安らかにありつづけていただくことを願います。

 

論語の時間

本日は月に一度

有志で行っている

論語勉強会でした。

 

論語を手がかりに

自身をふりかえる時間として

とても有意義なものだと

感じています。

 

このつどいも

かれこれ数年にわたり

開催されています。

 

論語を処世訓として

捉えている方も

いらっしゃると思いますが

拙僧が最も関心を寄せているのは

やはり儒家的な死生観です。

 

儒教において重んじられる「生」は

仁の実践を通じて

“道”を大成させる過程であり

現世における功績や栄誉は

自身の身が朽ちて後も

残るものであるから

現世において努力することが

進められており

それは家のためにもなり

祖先のためにもなる

という一面があると

まとめられると思います。

 

あくまでも

一面についてです。

 

身体的な限界はあるものの

現世における功績は

その限界を超えるという

有限な命と

生存中の功績との関係性を

読み取ることが可能だといえます。

 

くりかえしますが

あくまでも一面的な意味においてです。

 

その功績というのは

仁の実践によるものである必要があり

実践者は君子(理想の人)であることが

望まれているので

その実現は相当にハイレベルな内容です。

 

儒家や道家や仏家など

諸子の立場における

死生観の違いは

諸子が目指すものについての

理解を端的に把握しうる

視点ではないかと

ここ最近は感じています。