いのちをてらすともしび

一昨年「クロストーク八戸」

という催事で

ご一緒させて頂いた

杉浦恵一さんから

ご連絡を頂いたことを契機として

当山では杉浦さんが手がけられる

東日本大震災復興のための

プロジェクトの1つである

「命灯会(みょうとうえ)」に

携わらせて頂くことにしました。

 

※「クロストーク八戸」ほか▼

https://fugenin643.com/blog/未来を描く%E3%80%80クロストーク八戸/

https://fugenin643.com/blog/約束を交わして/

 

命灯会は

気仙沼の工房で作られたロウソクに

ともされた明かりを

復興への輝き

追悼のまごころとして

祈りを捧げるひとときであると

捉えております。

 

命灯会は3月に

何かしらの会と抱き合わせて開催し

震災物故者供養並びに復興祈願の

ひとときを作りたいと思います。

 

命灯会に用いるロウソクが

気仙沼から届けられました。

 

様々なおもいが込められ作られたもので

青みがかった爽やかな色をしています。

 

当山では寺子屋活動に取り組んでおりますが

その際にもこのローソクを使わせて頂き

尊い光を有縁の方に

届けさせて頂きたいと思います。

 

また2月21日に行われる

護摩法要でも使わせて頂き

ご参列の皆様にも

お話させて頂きたいと思います。

 

▼2/21の護摩法要について

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

▼杉浦恵一さんについて

https://localletter.jp/articles/miyagi-kesennuma-tomoshibi/

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▼杉浦恵一さん(中央、2017年7月)

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▼クロストークにて(2017年7月)

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十和田湖自然ガイドクラブの皆様においで頂きました

十和田湖自然ガイドクラブの皆様が

当山においで下さいました。

 

今回は拙僧(副住職)から

皆様にお願いがあり

お声がけさせて頂き

ご足労頂きました。

 

当山は十和田湖伝説の

南祖坊(なんそのぼう)が修行したと

伝えられるお寺でもあり

南祖坊の御像もお祀りされております。

 

そのご縁もあって数年前より

十和田湖自然ガイドクラブの

皆様とは親しくさせて頂いております。

 

十和田湖伝説を

十和田湖でガイドとして

お伝えされている

いわば“現代の語り部”の皆様です。

 

今回お呼び立てしたのは

本堂建替に伴う記念事業と

諸儀式に関することや

今後の取り組みなどについて

様々相談させて頂きたいことが

あったためです。

 

十和田湖では現在

「十和田湖冬物語」という冬の行事が

開催されている期間で

皆様お忙しいにも関わらず

親身に相談に乗って下さり

ありがたい限りでした。

 

おかげさまで

とても有意義な時間となりました。

 

▼十和田湖自然ガイドクラブ

https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000573.html

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▼十和田湖(2017年秋の写真)

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奇峯学秀(きほうがくしゅう)の仏像が“発見”されました

本堂建替にあたり

当山の文書や仏像の

研究調査と整理を行っております。

 

以前から気になっていた

独特の風貌の仏像が

田子町出身の高僧

奇峯学秀(きほうがくしゅう)

作った仏像と非常に似ていることに

気が付きまして

有縁の方を介して

専門家の方々においで頂き

ご確認頂きました。

 

間違いなく学秀仏(奇峯学秀作の

仏像の意)であるとのことです。

 

奇峯学秀は生涯において

千体仏を三度も作成された方で

その他にも数百体の仏像を

彫られた方です。

 

もともとお祀りされていたものですが

仏像の“忘れられた歴史”が

現在において“思い出された”ことに

喜びを感じております。

 

▼学秀仏と判明した仏像2体

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▼千手観音像

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▼不動明王像

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再び空から眺める

当山から真東方面に伸びる道は

高い位置から眺めると

実に素晴らしいものがあります。

 

ちょうど真東には蕪島が位置します。

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他の方角についても

空撮してみたので

紹介させて頂きます。


 

当山上空から西方向です。

 

その先には十和田湖が位置します。

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当山南方向には

七崎神社(旧観音堂)が位置します。

 

 

当山と七崎神社を結ぶ線の先には

名久井岳が位置します。

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上空から見た七崎神社(旧観音堂)です。

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当山上空からみた北方向です。

 

その先には

小川原湖が位置します。

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空から眺める

当山本堂は近い将来

建替のために取り壊される予定です。

 

ということは

雪景色における本堂の景観は

本年が最後かもしれないということで

ドローンでの空撮の

ご協力を仰がせて頂いたところ

お二方がご協力下さることになり

空撮して頂けることになりました。

 

本日は強風のため

飛行時間にかなり制限があったものの

一回目の撮影をして頂き

短い動画を作成しました。

 

空から見た景色は

実に壮観です。

 

動画は下記にて

ご覧いただけますので

是非ご覧下さいませ。

 

▼冬の普賢院(youtube)

https://www.youtube.com/watch?v=a57uJMKNqq8&fbclid=IwAR0c7wucGLorlSxLID7IjMFSWzBtguyYSoGp3w5zkATTCfgfYt-Gb5dykwM

 

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稀代の古刹 七崎観音⑥

当山本堂にお祀りされる

聖(正)観音(しょうかんのん)は

七崎観音(ならさきかんのん)と

通称され親しまれてきました。

 

当山は前身である永福寺時代より

七崎観音の別当をつとめております。

 

七崎観音は秘仏で一年に一度

旧暦1月17日にのみ

御開帳され御宝前にて

護摩法要(ごまほうよう)が

厳修されます。

 

その行事は「おこもり」と呼ばれ

平成31年は2月21日に行われます。

※詳細はコチラです▼

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

今回は

七崎姫(ならさきひめ)伝説

について紹介いたします。

 

当山の仁王門の裏手に

北沼観音(きたぬまかんのん)

と呼ばれる観音様が

お祀りされております。

 

こちらの観音様は元々

八戸市八太郎(はったろう)の

蓮沼(はすぬま)という所に

お祀りされていたものです。

 

この石殿中央に

埋め込まれている黄色の石が

蓮沼から発見され

現在の様な形に

設えられたそうです。

 

石殿の台座には

以下のように記されます。

 


 

昭和二年八月十一日発見につき建設

発起人

小田 山道留之助

 

七崎

品田長峻 中村巳之松 小泉善太

田中長一 中村甚エ門 嶋森丑松

久保杉卯之 小泉長太 田中弘戒

永田竹松 田村次郎 中村弥吉

坂本徳松 中村金松 夏堀市太郎

夏堀福次郎 田中石松 小泉大八

 

昭和四年末旧八月十七日 建立

 

細工人 小田 仲道千之助

手伝人

日斗 早狩操

小田 川村清次郎 

 


 

品田長峻(ちょうしゅん)は

当山の第61世住職で

南部町の恵光院住職と

山形県の湯殿山大日坊住職も

兼任された方で

拙僧(副住職)の曽祖父にあたります。

 

蓮沼は現在

地名のみが残り

沼は埋められ

八太郎海岸には

工場が建てられております。

 

その工事の際に北沼観音は

当山へ遷座(せんざ)されました。

 

七崎姫伝説によれば

この八太郎の沼には

大蛇が住んでいたと伝えられます。

 

毎年少女を一人

人身御供(ひとみごくう)として

大蛇へ捧げなければならず

ある年に七崎(現・豊崎)の

長者の娘がご指名を受けます。

 

都から七崎に来ていた

公卿の娘である七崎姫は

この話を聞いて

自身が身代わりとなることを決めます。

 

七崎姫は御輿(みこし)に乗り

八太郎の沼へ送られます。

 

七崎姫は法華経を携えており

沼の大蛇が現れると

観音経(かんのんぎょう、法華経の普門品)

を唱えます。

 

すると経文の一文字一文字が

剣となって大蛇に突き刺さります。

 

補足ですが仏道において

剣は智恵(ちえ)の象徴で

こういった“象徴物”を

三昧耶形(さまやぎょう)といいます。

 

観音経(かんのんぎょう)の

功力(くりき)の助けを得て

七崎姫は大蛇を“改心”させます。

 

伝説ですので

諸説ありまして

七崎姫は命を落としたため

村人が七崎姫菩提(ぼだい)のために

七崎観音として祀ったというお話や

七崎姫は七崎観音の加護により

八太郎大蛇を解脱へと

導くことが出来たというお話など

バリエーションは様々です。

 

明治以前は

七崎から八太郎へ

行列を組み御輿を担いで

北沼観音へ赴く“お浜入り”(御浜出)が

行われておりました。

※七崎観音の祭事についての詳細はコチラ▼

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/十和田湖南祖坊について/稀代の古刹七崎観音弐/

 

この祭事は

ある説によると七崎姫が

蓮沼の大蛇が再び悪さをしていないか

確認するためだとのお話が

添えられております。

 

八太郎は十和田湖伝説の

八郎(八郎太郎、八の太郎)伝説が

伝わる地域でもあります。

 

十和田湖伝説とは

十和田湖の主である龍神の物語で

南祖坊(なんそのぼう)という僧侶と

八郎(はちろう)というマタギが

登場します。

 

南祖坊は当山2世の月法律師の

弟子として修行されたとされ

全国を練行した後に

十和田湖に結縁し入定され

青龍大権現という龍神となった

というのが伝説の大筋です。

 

南祖坊が十和田湖にたどり着く以前に

“十和田湖の主”であったのが

八郎であると伝えられます。

 

これも伝説なので

様々なバリエーションがありますが

 

七崎はとても深く関わっております。

 

蓮沼への御輿(みこし)のお浜入りは

明治になって行われなくなりましたが

先にも触れたように

蓮沼で「聖観音の石」が発見され

新たな形で観音祭事が

行われることになりました。

 

拙僧(副住職)の祖父にあたる

当山63世の裕教(ゆうきょう)大和尚が

若かりし頃の

北沼観音祭事の写真が

当山に残っております。

 

「海方面」といえば

当山は八戸市の白銀にも

別当をつとめた観音堂がありました。

 

白銀の清水観音は

当山が別当をつとめた観音様で

七崎観音とのご縁は

とても深いものがあります。

※清水観音についてはコチラ▼

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/かんのんまいり-清水観音/

 

今回は七崎姫の伝説をメインに

七崎観音について見てきましたが

“海ともつながる七崎観音”を

感じて頂けたでしょうか。

 

▼現在の北沼観音(普賢院)

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▼中央に「聖観音」と刻まれております

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▼蓮沼(八太郎)時代の様子

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▼現在の蓮沼神社

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▼蓮沼神社前から見た海岸方面

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▼白銀の清水観音堂

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バレンタインはお寺で映画を鑑賞しませんか?

2/14は午前10時より

お寺の上映会『天鹿之路(ししかみのみち)』

が開催されます。

 

法話と映画と民族楽器演奏と精進カレー。

 

盛り沢山のひとときです。

 

上映する映画は

民族楽器奏者として

日本内外各所にてご活躍の

奈良裕之(ゆうじ)さんの

ドキュメンタリー映画です。

 

法話に耳を傾けて頂いて

映画を鑑賞して頂いて

民族楽器の演奏に浸って頂いて

奈良さんお手製の名物カレーに

舌鼓をお打ち頂き

心もお腹も満たして頂ける

時間になるかと思います。

 

どなた様でも

ご参加頂けますので

お気軽にお問い合わせ下さい。

 

詳細は下記をご参照下さいませ。

 

▼お寺の上映会詳細

https://fugenin643.com/blog/214お寺の上映会『天鹿乃路(ししかみのみち)』/

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奈良裕之 天鹿乃路

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本年も子ども論語塾が開催されます

八戸市の一番町にございます

ケア・ステーション

浄心館(じょうしんかん)で開催された

川崎葉子(かわさき ようこ)先生の

講演会「時間の上手な使い方」に

お招き頂き出席させて頂きました。

 

川崎先生は昨年当山を会場に開催された

子ども論語塾で講師を

お勤め下さった先生です。

 

川崎先生は全国各地で

論語塾を開催されていらっしゃいます。

 

それ以外にも

実に沢山の活動をされていらっしゃり

震災復興の活動もされていらっしゃいます。

 

川崎先生は常に

人の「心」を見つめ続けて

いらっしゃるように思います。

 

素敵なご講演の随所に

熱いおもいと信念が感じられました。

 

学ばせて頂いた

「時間の使い方」は

しっかりと実践させて頂き

自身の励みに活用したいと思います。

 

昨年開催しました

子ども論語塾は

本年も4月より全5回の予定で

開催して頂けるとのことですので

詳細は改めてお知らせさせて頂きます。

 

素読することで

論語の響きに触れ

論語のこころに触れる子ども論語塾。

 

本年も楽しみです。

 

さて

当山では本堂を文化8年(1811)以来

200余年振りに建替いたしますが

その歴史的な大事業にあたり

所蔵の文書等の整理にも

取り組んでおります。

 

確認出来た所では

当山には『朱熹集註序説』

(しゅきしゅうちゅうじょせつ)

(以下、『朱熹集註』)

という古本があります。

 

論語と孟子

2冊の『朱熹集註』の所蔵を

確認しております。

 

朱熹(しゅき)とは

朱子(しゅし)のことで

江戸時代の官学である朱子学を

大成した南宋の学者です。

 

当山所蔵の『朱熹集註』は

それ程古いものとは

思われませんが

仏道に励む僧侶も

広く学ぶべきことが

江戸時代には法度に定められており

論語を始めとする儒学についても

学んでいたようです。

 

子ども論語塾を良いご縁として

拙僧(副住職)もわずかながら

論語に触れさせて頂けることは

実にありがたいことと

感謝しております。

 

また

子ども論語塾をきっかけに

結ばせて頂いた沢山のご縁にも

心より感謝しております。

 

拙僧(副住職)は

論語については“ド素人”ですが

古典中の古典である論語に

耳を傾けさせて頂く中で

多くを深めさせて頂ければと思います。

 

▼川崎葉子氏プロフィール

http://kawasakiyoko.jp/profile

 

▼浄心館HP

http://joshinkan.com

 

▼子ども論語塾の様子(H30/7/8)

https://fugenin643.com/blog/吾が身を三省す/

 

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稀代の古刹 七崎観音⑤

当山本堂内の観音堂に

本尊としてお祀りされる聖観音は

七崎観音(ならさきかんのん)として

古くから大切にされてきました。

 

当山は前身である永福寺の時代より

七崎観音の別当をつとめております。

 

現在の七崎観音の仏像は

(盛岡)南部藩第29代藩主・重信公

により奉納されたもので

年に一度だけ御開帳されます。

 

毎年旧暦1月17日にのみ

御開帳され御宝前にて

護摩(ごま)法要が厳修されます。

 

本年は2月21日が御開帳です。

※詳細はコチラです▼

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

当山の開創は

圓鏡(えんきょう)という方です。

 

圓鏡大和尚は

弘仁8年(817)5月15日に

御遷化(ごせんげ、高僧の逝去の意)

されております。

 

七崎観音の由緒も

圓鏡大和尚の時代と

時をほぼ同じくした形で

伝承されております。

 

七崎観音は江戸時代までは

現在の七崎神社の地にあった

観音堂にお祀りされておりました。

 

七崎神社は明治の神仏分離政策の下

郷社(ごうしゃ)という格式高い

神社に改められました。

 

現在の七崎神社の御祭神は

伊奘冉尊(いざなみのみこと)

つまり天照大御神(アマテラス)の

母にあたる神です。

 

明治時代までは七崎観音を祀った

観音堂であったという歴史を

踏まえて伊奘冉尊を

御祭神としたのではないかと

拙僧(副住職)は考えております。

 

七崎神社の地は

七崎山(ならさきやま)

あるいは観音山(かんのんやま)

と呼ばれていたそうです。

 

七崎山は

霊験あらたかな聖地であり

かつては殺生禁断の地と

されてきました。

 

当山を承安元年(1171)に開基した

行海(ぎょうかい)大和尚は

全国を廻国していた際に

当地においでになられ

七崎山に杉を

北斗七星の形に植えたとされます。

 

そのうち残った3本が

市の天然記念物に指定されている

大杉だといわれます。

 

この行海大和尚は

村人を困らせていた大蛇を

改心させた所

地域の方に当地にとどまるよう

懇願されて草庵が結ばれたと伝えられます。

 

当山は十和田湖伝説ゆかりのお寺です。

 

藤原氏の出自である

南祖坊(なんそのぼう)は

当山(かつての永福寺)に弟子入りをし

全国の霊跡霊場を巡った果てに

十和田湖に入定(にゅうじょう)され

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)

という龍神となったというのが

十和田湖伝説の筋書きです。

 

その南祖坊は当山2世の

月法律師(天長8年(831)御遷化)の

弟子といわれますが

当山開基である行海大和尚の

弟子であるとの伝えもあります。

 

※行海大和尚についてはコチラもご参照下さい。

https://fugenin643.com/blog/糠部五郡小史に見る普賢院/

 

当山で所蔵する棟札に

享保18年(1733)のものがあります。

 

棟札表中央には

再建立當寺屋敷共

新今慶建立

當寺長久安全如意

快傅末々之住寺共

萬民愛敬云々…と

記されます。

 

快傅(かいでん)大和尚は

当山を中興(ちゅうこう)開山

された先師です。

 

ここでいう屋敷とは

庫裏(くり)のことを指すようで

棟札裏面には

快傅が当山で初めて

庫裏を建立したと記されております。

 

この時の詳細は不明ですが

棟札に「共」とあるので

快傅大和尚が本堂と庫裏を

建立されたのかもしれません。

 

この棟札によると

當寺屋敷を建立した際に

観音山(七崎山)に

杉を2000本余植えたそうです。

 

さらに現在の当山の地にも

様々な木々を植えたようで

杉のほかにも

松、ヒバ、ツキ、エノミ

クリ、サイガチ、クルミ

ナシ、モモ、カキなどが

植えられたと記されます。

 

七崎山(観音山)には

杉が2000本も植えられたのですから

その前後で旧・観音堂の地(現・七崎神社)

の雰囲気はかなり

変わったことでしょう。

 

どれが該当する杉であるかは不明ですが

樹齢800年以上の大杉とともに

現在から286年も昔に植えられた木々もまた

七崎山にそびえ立ち

霊験あらたかな雰囲気が

現在もなお保たれております。

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昭和30年頃の記録

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美しい萱葺(かやぶき)屋根時代の

当山本堂の写真です。

 

幼少期の現住職と

その兄弟と思しき

子どもたちも写っております。

 

資料の整理中に出てまいりました。

 

とても貴重な記録です。

 

本堂建替事業の進捗状況ですが

多くの方のご協力のおかげで

順調に進んでおります。

 

本堂裏手の用地取得に伴う

農地転用の手続きを

昨年冒頭より

進めていただいており

もう少しかかりそうとのことです。

 

この手続きが終了後に

いよいよ設計等に取り掛かる

ことになります。

 

本年は歴史的な一年になりそうです。

 

しっかりと推進させて頂きます。

 

多くの有縁の方と共に

成し遂げたいと切願しておりますので

引き続きご協力の程

お願い申し上げます。

 

▼本堂建替事業について

https://fugenin643.com/blog/新たな歴史を紡ぐ/

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