お寺ヨガで春を呼ぶ

本年最初のお寺ヨガが

開催されました。

 

寺子屋ワークショップ

お寺ヨガでは

法話とヨガと倍音浴で

お過ごし頂いております。

 

寒い時季にも関わらず

ご参加下さった皆様

大変ありがとうございました。

 

昼下がりの開催だったため

今回はこれまでとは

少し違ったプログラムだったようです。

 

とても良い雰囲気で

年初のお寺ヨガは結ばれました。

 

▼お寺ヨガの様子(youtube)

https://www.youtube.com/watch?v=PQw_KS4eCFk

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お釈迦様のご命日

2月15日はお釈迦様が

入滅(にゅうめつ)された日です。

 

いわばお釈迦様の

“御命日”とされ

涅槃会(ねはんえ)という

法要が行われます。

 

釈迦様がご入滅された場面を描いた

釈迦涅槃図(しゃかねはんず)

というものがあります。

 

北に頭を向け

西に顔を向けた状態で横になり

入滅されたとされます。

 

亡くなられた方の頭を北にする

北枕はお釈迦様の涅槃の場面に

由来します。

 

横たわるお釈迦様の周囲には

お弟子様方をはじめ

五十二種の生き物が

描かれるともいわれます。

 

当山では

ふれあい豊山館の脇間に

涅槃図が懸けられております。

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お寺の上映会が開催されました

日本国内外でご活躍の

民族楽器奏者・奈良裕之(ゆうじ)さん

が当山においで下さり

お寺の上映会

『天鹿乃路(ししかみのみち)』が

開催されました。

 

映画『天鹿乃路』は

北海道、熊野、出雲、沖縄、九州での

いわば“聖地”とされる所にて

演奏を奉納される奈良さんのお姿を

追った奈良さんの

ドキュメンタリー映画です。

 

奈良さんの演奏を

堪能させて頂くとともに

各所の景観も楽しむことが出来ました。

 

上映後は

奈良さんにミニコンサートをして頂き

その後は“奈良カレー”で

ランチタイムをお過ごし頂きました。

 

拙僧(副住職)は法務のため

上映後に失礼してしまったため

ランチタイムは皆様と

ご一緒出来なかったのですが

帰ってきてから

奈良カレーを

美味しく頂きました。

 

余談ですが

映画では奈良さんの

奈良カレーと共に

「奈良ーメン」なる

非常に美味しそうなラーメンが

紹介されておりました。

 

今後おいで下さる際に

一度は「奈良ーメン」を

作って頂きたい

(食べてみたい)と思います。

 

 

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冬の難所

朝夕の冷え込みが厳しい2月。

 

あちらこちらで

立派なツララが

冬の景観を演出しております。

 

冬になると

当山入口の坂道は

“難所”と化します。

 

傾斜がきついため

凍りついたり

雪道となってしまうと

車でも上がれないことが多々あります。

 

本堂建替事業の一環で

この坂道に関しても

何とかならないだろうかという

話題が会議で以前から出ております。

 

少し前に

当山にて行われた

葬儀の際にも

坂を上がれない車やバスが

多く見られたので

やはり何とかすべきだと感じました。

 

現代は車社会なので

何とな出来ないかどうかを

真剣に考えていきたいと思います。

 

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稀代の古刹 七崎観音⑨

当山本堂内の観音堂に

本尊としてお祀りされる

聖観音(しょうかんのん)は

七崎観音(ならさきかんのん)

と呼ばれその起源は

平安初期にまでさかのぼるとされます。

 

これまで「稀代の古刹」と銘打ち

七崎観音について

紹介を続けておりますが

今回は明治以後を焦点に

お伝えさせて頂きます。

 

七崎観音は

明治になるまでは

現在の七崎神社(ならさきじんじゃ)

の地に建立されていた

観音堂(以下、旧・観音堂)に

お祀りされており

当山が永福寺時代より

別当をつとめております。

 

旧・観音堂には

七崎山 徳楽寺(ならさきさん とくらくじ)

という寺号(じごう、お寺の名前)が

ありましたが明治の神仏分離により

廃寺となり郷社 七崎神社として

改められました。

 

神仏分離の際に

旧・観音堂に祀られていた

仏像や仏具は

当山に移されることになります。

 

その際の

『目録』(明治36年(1900))と

青森県令・山田秀典氏へあてた

『伺』(明治10年(1877))が

残っております。

 

明治36年の『目録』より

旧・観音堂より当山へ

遷座(せんざ)された仏像の

記述を以下に引用してみます。

 


 

仏像ノ部

一 正観世音大士木像 一躯

一 仁王木像 ニ躯

一 禅林地蔵大士木像 一躯

一 無二地蔵大士木像 一躯

一 護讃地蔵大士木像 一躯

一 延命地蔵大士木像 一躯

 ※1寸8分の仏像

一 弘法大師木像 一躯

一 木像 一躯 十二童子ノ一

 ※5寸の小さな仏像

一 十一面観音金像 一躯

 ※現在行方不明。

【以下、八体仏(はったいぶつ)を指します。

十二支守護尊とも呼ばれます。】

一 普賢菩薩木像

一 大日如来 仝(木像)

一 不動明王 仝(木像)

一 文殊菩薩 仝(木像)

一 千手観世音 仝(木像)

一 勢至菩薩 仝(木像)

一 阿弥陀如来 仝(木像)

一 虚空蔵菩薩 仝(木像)

 


 

以上の仏像が

旧・観音堂から当山へ移されました。

 

現在の観音堂は

七崎観音を中心として

実に多くの尊格が

お祀りされておりますが

その約半数は

引用箇所に記される

旧・観音堂より遷座された仏像です。

 

逆にいえば

上記以外の現・観音堂の仏像は

もともと当山にお祀りされていたものや

各所にあったお堂の仏像です。

 

宝暦13年(1763)の

『御領分社堂』によれば

七崎(現在の豊崎)には

大日堂、不動堂、愛染堂

大黒天社、毘沙門堂、薬師堂

虚空蔵堂、天神社、明神社

稲荷社、白山社

の「小社」があり

さらに一間四面の

月山堂、(千手千眼)観音堂

があったそうです。

 

現在の当山観音堂は

とても荘厳な設えとなっておりますが

これは明治の七崎観音御遷座以後の

歴代先師と有縁の方々の

絶大なるご尽力によるものです。

 

明治19年(1886)に

本堂に内御堂の観音堂が

用意された際の

棟札が残っております。

 

昭和6年(1931)には

観音堂と仁王門(堂)が

改築されました。

 

仁王像は現在の場所ではなく

本堂の観音堂正面の所に

門が作られております。

 

この時の経過等が

『七崎観世音道場普請報告書』という

文書にまとめられております。

 

落慶の日は正午より

新観音堂にて法要が行われ

その後は祝宴が午後5時まで行われ

さらに外では午後5時より

青年分団の方による相撲大会が開催され

1500人もの観衆がいらっしゃり

加えて鶏舞(けいまい、けいばい)も

行われてかなりの盛会だったようです。

 

『七崎観世音道場普請報告書』の

序文には当時の住職である

長峻(ちょうしゅん)大和尚の

表白(ひょうびゃく)という文言が

添えられており

改築に至るまでの

先師方の“七崎観音復興”への

強い思いに触れられております。

 

その表白の一部を

以下に引用してみます。

 


 

明治初年神仏分離の結果

今の神社に奉安されし観世音は

当然の帰結として当普賢院道場へ

付属三宝物と共に

遷座されるに至れり。

 

爾来六十有余年の間

当道場の一隅に安置して

先師宥浄をはじめ宥精師等は

往時の隆盛を偲んで

之が復興を念願たりしが

嗚呼悲哉

機縁未だ熟せずして涙を呑みて

世を去られたり。

 

其後

小衲不思議の縁を以て

大正六年の春

任に当院に就きたりしが

思えば同じ大悲観音

法儀復興にてありき。

 


 

「七崎観音の復興」は

明治以後の先師方の

“大悲願”であったことが伺えます。

 

長峻大和尚は

当山61世住職のみならず

南部町の恵光院住職と

山形県の湯殿山大日坊住職をも

兼任された方で

“激務”に追われる中で病となり

60歳で御遷化(ごせんげ)されました。

 

後を継いだ62世住職の

晃雄(こうゆう)大和尚と

その弟である高明(こうめい)大和尚は

若くしてフィリピンにて戦死しており

その間は2人の妹が

有縁の方のお力添えを頂きながら

お寺を守りました。

 

戦争の時期は

尽きない困難があったそうです。

 

戦争が終わり

新たな住職として

裕教(ゆうきょう)大和尚が迎えられ

当山は復興されてゆきます。

 

本堂は昭和58年に

大改修が成し遂げられます。

 

また現住職を中心に

当山伽藍は一層整えられます。

 

観音堂内陣は

格天井に改装され

その中央には法曼荼羅が刻まれ

吊り灯籠や荘厳具

護摩壇(ごまだん)や

法具(ほうぐ)類が整えられ

現在のお堂となりました。

 

そして現在

当山では本堂建替にあたり

七崎観音の新たな歴史が

紡がれようとしております。

 

内陣の内殿には

七崎観音が納められる

厨子(ずし)以外にも

大きな観音像をはじめ

小さな観音像や

宝剣はじめ奉納物など

多くのものが納められており

歴史を感じると共に

いかに多くの願いが

捧げられてきたのかが

伝わってまいります。

 

託されてきたもの

捧げられてきたもの

守られてきたもの。

 

七崎観音は

無量のおもいにより

今に伝えられていることを

心にしっかりと刻み込み

新たな歴史を有縁の方と共に

紡いでまいりたいと思います。

 

▼本堂建替事業について

https://fugenin643.com/blog/新たな歴史を紡ぐ/

 

▼長峻師と愛娘達

※本堂前にて大正初期に撮られたものです

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▼高明師 送別会の写真

※写真の裏には以下のように書かれます

 昭和拾九年六月十四日

 高明 応召出発前日

 送別会ノ日 写ス

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▼昭和26年 本堂修築記念

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▼昭和30年代の本堂

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▼昭和の本堂大改修(昭和51年8月落慶)

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▼現在の観音参拝所

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▼現在の観音堂内陣

観音堂

▼現在の普賢院

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偕老の契

埼玉県八潮市にございます

金胎山 清勝院の副住職の

結婚式が同寺院本堂にて

厳修されました。

 

拙僧(副住職)も

仏前結婚式の承仕(じょうじ)

をつとめさせて頂きました。

 

清勝院は

多くの末寺を抱えた名刹であり

貴重な仏像や文書も

多く所蔵されております。

 

本尊の不動明王像は

藤原様式の金切金彩色をのこす

鎌倉初期の御仏像で

八潮市の文化財です。

 

 

そのような

由緒ある清勝院の新たな歴史は

新夫婦となられた

副住職夫妻により

紡がれていくことかと思います。

 

とても良い結婚式となりました。

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青森の円空 奇峯学秀(きほうがくしゅう)①

円空(えんくう)とは

江戸前期の廻国僧で

多くの仏像を彫り

多くの和歌を残された方です。

 

円空の仏像は

円空仏と呼ばれ

恐山や下北大湊の常楽寺

二戸の天台寺などにも

お祀りされております。

 

優しい雰囲気をまとった

円空仏は見るものの心を

和らげるように思います。

 

この円空と似た作風の

仏像を彫られた

田子出身の高僧が

奇峯学秀(きほうがくしゅう)

東北の円空

青森の円空”ともいわれます。

 

奇峯学秀(以下、学秀)の

「峯」の字は名久井岳を指すようで

名久井の名刹・法光寺に

弟子入りしたことを

暗に示していると

考えられているそうです。

 

この学秀が彫った仏像を

学秀仏と通称します。

 

つい先日

当山にお祀りされていた

不動明王像と千手観音像が

学秀仏であることが判明しました。

 

学秀と当山とのご縁が

とても長い間“埋もれていた”中

不思議なタイミングで

再び掘り起こされたように

感じております。

 

学秀は田子町七日市の

釜淵家出身とされます。

 

田子町の同所には

釜淵観音が鎮座し

当山と同じく糠部霊場の札所です。

※▼釜淵観音について

https://fugenin643.com/blog/千体仏完成の地%E3%80%80釜淵観音/

 

学秀は千体仏を3度完成させており

この釜淵観音堂では

3度目の千体仏を完成させております。

 

生涯に三千数百体の仏像を

彫った高僧の学秀について

今後何度かにわたり

お伝えさせて頂きたいと思います。

 

▼学秀仏(不動明王)

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▼学秀仏(千手観音)

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▼釜淵観音堂

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稀代の古刹 七崎観音⑧

七崎(ならさき)とは

現在の八戸市豊崎町の古称です。

 

当山は現在でも

「七崎のお寺さん」と

呼ばれることが多くありますし

「永福寺さん」とも呼ばれます。

 

この七崎の地には

かつて永福寺(当山の前身)があり

多くのお堂を管理する

別当でもありました。

 

当山本堂内の観音堂に

祀られる聖観音は七崎観音と呼ばれ

古くから多くの方に

ご参詣頂いた観音様で

明治以前は現在の七崎神社の地にあった

観音堂(以下、旧・観音堂)に

お祀りされていたものです。

 

この観音堂をはじめ

多くのお堂の別当寺を

当山が永福寺時代より担ったようです。

 

現在の八戸市白銀にある

清水観音堂(糠部第6番札所)は

当山が別当寺をつとめたお堂であり

古くから海の方面とも

関わりがあったことが分かります。

 

海に関連する御祈祷の一例として

「舩(船)祈祷」というものがあります。

 

時代が違えども

海に限らず船は

とても重要なものです。

 

当山には舩祈祷の

次第(聖教(しょうぎょう))や

それに関係する文書が幾つか

所蔵されております。

 

船祈祷の聖教(古文書)には

「慶長20年(1615)授与」と

記されたものもあれば

安永5年(1776)の浄写されたものを

寛政6年(1794)に書写されたと

奥書されたものもありますし

実際に用いられた

船祈祷の祈祷札の文言を写した

宝暦13(1763)と寛政4年(1792)との

年代が記された文書も所蔵しております。

 

文政10年の聖教(古文書)もあり

これら船祈祷のものは

いずれも当山61世である

長峻(ちょうしゅん)大和尚が

新潟よりお持ちになられたものです。

 

長峻大和尚は新潟県出身で

ご縁があって当山61世となり

さらには南部町の恵光院(長谷寺)を

第29世(99世ともされます)として兼任され

晩年は山形県鶴岡の湯殿山大日坊も

第88世住職 慈念海上人 忍光道人として

兼任された方です。

 

恵光院の由緒はとても古く

平安期の十一面観音像が祀られ

これは青森県最古のもので

糠部観音第22番札所です。

 

山形県鶴岡の

湯殿山 大日坊(ゆどのさん だいにちぼう)

には即身仏(そくしんぶつ)の

真如海上人(しんにょかいしょうにん)が

お祀りされます。

 

即身仏とは

平たくいえば“僧侶のミイラ”です。

 

拙僧(副住職)の法名は

泰峻(たいしゅん)といいますが

現住職の「泰」の字と

長峻大和尚の「峻」の字を

頂いております。

 

長峻大和尚は

船祈祷の聖教のみならず

非常に多くのものを

当山に請来されております。

 

ほぼ全てが江戸期のものですが

御祈祷はもちろんのこと

どのような作法や次第が

継承され施されていたのかが

垣間見られる貴重なものだと感じます。

 

先に南部町の古刹である恵光院

についても少し触れましたが

恵光院も当山も

糠部(ぬかべ)三十三観音霊場の札所です。

 

糠部は

「ぬかのぶ、ぬかのべ、ぬかぶ」とも

読みますがここでは

「ぬかべ」として読ませて頂きます。

 

糠部三十三観音霊場

第15番札所は七崎観音です。

 

三十三は「無限」を意味し

尽きることがない

無量の慈悲を表しております。

 

全国各地に「三十三観音」と名のつく

霊場は沢山あるかと思いますが

最古の霊場は西国三十三観音で

その起源は当山の本山である

奈良県桜井市の長谷寺にあります。

 

養老2年(718)に

長谷寺の徳道(とくどう)上人が

病床にみた夢で

閻魔大王より三十三の宝印を授かり

衆生救済のため観音霊場を作るよう

告げられたとの開創伝説が伝えられます。

 

徳道上人は三十三所を定めたものの

機運が熟さなかったため

宝印を中山寺に納め

それから約270年経った後に

花山法皇により復興されたとされます。

 

花山法皇は

播磨(現在の兵庫県)にある

書寫山(しょしゃざん)の

性空(しょうくう)上人とご縁がある方です。

 

書寫山ついででいうと

“最古の十和田湖伝説”が収録されている

『三国伝記』(さんごくでんき)では

難蔵(南祖坊(なんそのぼう)のこと)は

書寫山の法華持経者とされます。

 

南祖坊は十和田湖伝説に登場する僧侶で

当山にて修行したと伝えられ

全国練行の末に十和田湖に入定し

青龍大権現という龍神として

十和田湖の主になったと伝えられます。

 

西国三十三観音霊場に続いて

坂東(ばんどう)三十三観音

秩父三十三観音(のち三十四観音)の

霊場が成立します。

 

それに続いて成立した地方的札所が

糠部三十三観音だそうです

(山崎武雄1980

「糠部三十三所観音巡礼(一)」

『天台寺研究』pp.60-117。)。

 

永正9年(1512)9月

観光上人によって成立した霊場です。

 

観光上人御選定の札所番数は

現行の番数とは異なっており

その詳細は一部しか

分からないようですが

1番札所が天台寺(現在は33番)で

33番札所が恵光院(現在は22番)です。

 

観光上人の「観光」という

言葉についても

少し触れさせて頂きます。

 

観光といえば各所に赴く

旅行や行楽といったニュアンスがある

言葉として定着しておりますが

一説によると

音のを頂きに行くこと」

の意味で観光という言葉が

使われたそうです。

 

糠部霊場の創始に携わるとされる

観光上人について

詳細は不明とのことですが

一観音霊場創始者の法名が

観音菩薩と縁深きものである点は

深秘であると思いますし

その当時の時代背景を踏まえながら

全国的にも古い霊場である

糠部三十三所の魅力を後世に伝える意味で

新たな“草創譚”を編むことが

出来るようにも感じます。

 

観音霊場の札所ともなった七崎観音は

観光巡礼が流行した時代を迎え

それまで以上の多くの方が

参詣されたことと思います。

 

▼船祈祷の聖教

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▼長峻大和尚

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▼恵光院(南部町)

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2/14お寺の上映会にいらっしゃいませんか?

2/14は午前10時より

お寺の上映会『天鹿之路(ししかみのみち)』

が開催されます。

 

平成最後のバレンタインは

法話と映画と

民族楽器演奏と精進カレーという

盛り沢山のひとときを

ご一緒しませんか?

 

上映する映画は

民族楽器奏者として

日本内外各所にてご活躍の

奈良裕之(ゆうじ)さんの

ドキュメンタリー映画です。

 

法話に耳を傾けて頂いて

映画を鑑賞して頂いて

民族楽器の演奏に浸って頂いて

奈良さんお手製の名物カレーに

舌鼓をお打ち頂き

心もお腹も満たして頂ける

時間になるかと思います。

 

どなた様でも

ご参加頂けますので

お気軽にお問い合わせ下さい。

 

詳細は下記をご参照下さいませ。

 

▼『天鹿之路(ししかみのみち)』予告編

https://www.youtube.com/watch?v=LSC7eqaSvPk&t=44s

 

▼お寺の上映会詳細

https://fugenin643.com/blog/214お寺の上映会『天鹿乃路(ししかみのみち)』/

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奈良裕之 天鹿乃路

 

いのちをてらすともしび

一昨年「クロストーク八戸」

という催事で

ご一緒させて頂いた

杉浦恵一さんから

ご連絡を頂いたことを契機として

当山では杉浦さんが手がけられる

東日本大震災復興のための

プロジェクトの1つである

「命灯会(みょうとうえ)」に

携わらせて頂くことにしました。

 

※「クロストーク八戸」ほか▼

https://fugenin643.com/blog/未来を描く%E3%80%80クロストーク八戸/

https://fugenin643.com/blog/約束を交わして/

 

命灯会は

気仙沼の工房で作られたロウソクに

ともされた明かりを

復興への輝き

追悼のまごころとして

祈りを捧げるひとときであると

捉えております。

 

命灯会は3月に

何かしらの会と抱き合わせて開催し

震災物故者供養並びに復興祈願の

ひとときを作りたいと思います。

 

命灯会に用いるロウソクが

気仙沼から届けられました。

 

様々なおもいが込められ作られたもので

青みがかった爽やかな色をしています。

 

当山では寺子屋活動に取り組んでおりますが

その際にもこのローソクを使わせて頂き

尊い光を有縁の方に

届けさせて頂きたいと思います。

 

また2月21日に行われる

護摩法要でも使わせて頂き

ご参列の皆様にも

お話させて頂きたいと思います。

 

▼2/21の護摩法要について

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

▼杉浦恵一さんについて

https://localletter.jp/articles/miyagi-kesennuma-tomoshibi/

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▼杉浦恵一さん(中央、2017年7月)

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▼クロストークにて(2017年7月)

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