本堂裏手の整備が始まっています

本堂建替にあたり

倉庫を建設するため

新たに取得した本堂裏手の用地の

整備が始まっています。

 

沢山の方のお力添えのおかげで

本堂建替事業は

着実に進められております。

 

この事業はいよいよ

佳境にさしかかろうとしております。

 

まだまだ決めなければならないことや

課題が山積しておりますが

やりがいも感じております。

 

しっかりと

諸事に向き合いたいと思います。

 

新本堂の基本設計が定まってまいりました

長い間使われることなく

本堂の床下に置かれ

かなり傷んでいた

礼盤(らいはん)という台座を

五戸木工さんに塗り直して頂きました。

 

新本堂では子安地蔵を祀る地蔵堂の

スペースを現状よりも広くとり

お堂の配置を変える予定です。

 

具体的には

本尊内陣に向かって

右側奥を地蔵堂といたします。

 

その地蔵堂で

こちらの礼盤を設えようと

考えております。

 

新本堂の間取りが

大まかにですが

定まってまいりました。

 

8月25日に開催された

建設委員会において

基本設計の方向性の

承認を頂きました。

 

本設計は本堂建替をご担当頂く

業者さんを決定した後に

詰めていくことになります。

 

本堂建替事業はまだまだ道半ばですが

とても大切な段階を迎えているので

慎重に重要事項の決定を

重ねていきたいと思います。

 

16日はお盆法要が厳修されます

8月16日は午後1時より

本堂にてお盆法要を厳修します。

 

現在の本堂での

最後のお盆法要なので

いつも以上に丁寧に

お勤めさせて頂きたいと思います。

 

当地では

8月16日にお寺参りをする慣習があり

早朝より多くの方が

いらっしゃいます。

 

お参りの際は

お気をつけてお越しください。

 

お盆の冊子や各リーフレットも

用意しておりますので

お参りの方は

是非お取り下さい。

 

本堂とふれあい豊山館玄関に

本堂建替事業の今後の計画について

掲示しておりますので

そちらにもお目通しして

頂ければと思います。

 

設計前のプランではありますが

新本堂の間取りも

資料として掲示されていますので

是非御覧下さいませ。

 

しっかりと着実に

6/9午後2時より

当山ふれあい豊山舘にて

普賢院本堂建設委員会

検討委員の皆様による

小委員会が開催され

これまでの経過報告と

これからの事について

ご審議頂きました。

 

200余年振りとなる

当山本堂の建替えは

“超難事業”だと感じます。

 

ちなみにですが

超難事業という言葉を

悪い意味では使っておりません。

 

本堂建替事業を進めるにあたり

触れたことのなかったこと

知らなかったこと

考えが及ばなかったこと等と

向き合うことが出来ましたし

非常に沢山のことを

学ばせて頂いております。

 

当山の歴史や伝承などと

向き合い直す契機ともなりました。

 

そもそものお寺の存在意義や

伝えられ守られてきた志について

考える契機でもありました。

 

拙僧(副住職)は

地域に育てられ支えられてきた

という思いが非常に強いのですが

そのお世話になった地域において

お寺として僧侶として

どのような貢献が出来るか

ということも改めて

考えさせられました。

 

あげれば切りがありませんが

本質的な部分に至るまで

非常に多くの事柄へ

考えや思いを廻らさせて

頂いております。

 

そういったことを踏まえ

単に困難な事業である「難事業」

ということ以上に

「大きな功徳」がもたらされた

難事業であるという意味で

“超難事業”という言葉を

使っております。

 

温かくご協力下さっている

檀信徒の皆様や

心強い役員の皆様のおかげで

歴史的大事業に

積極的に向き合わせて頂き

当事業が着実に

推進されていることは

本当にありがたいことです。

 

沢山の有縁の方々のご期待に

必ず応えさせて頂きたいと思います。

 

当山の本堂建替事業は

着工前に必要な

境内の整備や工事が始まる

段階に入ってまいりました。

 

まだまだ先は長そうですが

しっかり着実に

事業を推進させて頂きます。

 

▼本堂建替事業について

https://fugenin643.com/blog/新たな歴史を紡ぐ/

壁が崩れ落ちました

本日のご供養の用意をするために

本堂を通って

位牌堂に行こうとした所

本堂と位牌堂に向かうスロープの

渡り箇所の壁が

崩れ落ちておりました。

 

建物と建物の繋ぎ目の部分なので

修繕が必要となったことが

これまで何度もありましたが

今回はこれまでで

最も“派手に”壊れてしまいました。

 

現在の本堂は

老朽化が顕著で

現況調査をした際に

本堂がねじれている状態で

大きな負担がかかっている箇所が

何箇所もあるとの

報告を頂きました。

 

今回の破損箇所を見てみると

柱が天井のほぞ穴から

完全に抜けてしまっています。

 

そのために

はめ込まれていた壁板が

外れてしまったようです。

 

柱が抜けているということは

要するに天井と床が

これまで以上に離れたことを

意味するわけですが

本堂の老朽化の影響であることは

間違いありません。

 

それだけ大きな力が

かかっているということは

他所についても

同様に過剰な負荷が

かかってしまっていると思います。

 

とりあえず応急処置で

何とかしのぎたいと思います。

 

▼本堂内部からの写真

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▼外からの写真

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棟札に耳を傾ける①

棟札(むなふだ)について

日本大百科全書(ニッポニカ)は

以下のように説明しております

(以下、コピペです)。

 

建築物の創建または修理に際して、その事実を木札などに記して棟や梁(はり)に打ち付けた記録である。その多くは建造の年月日、建築主、工匠の名前などを記す。家の守護神の名を記したり、呪文を記したものもある。一般に薄く細長い板で、頭部は多く山形をなし、呪物などとともに箱に入れる場合もある。同じような記録は棟や梁などに直接記される棟木銘にもみられ、これが棟札の起源であるといわれている。現存する古い例としては、岩手県・中尊寺蔵の棟札(保安3年(1122))、同金色堂の棟木銘(天治元年(1124))、また奈良・東大寺三月堂礼堂の棟札(正治元年(1199))がある。民家では奈良県五條市五條の栗山家が慶長12年(1607)の棟札を残し、現存する最古の町屋とされている。

 

当山にも棟札が所蔵されており

歴史を今に伝えております。

 

「棟札に耳を傾ける」と銘打ち

当山所蔵の棟札を紐解きつつ

当山の歴史に触れてまいります。

 

棟札に耳を傾ける前情報として

宝暦9年(1759)の

江戸幕府の御触(おふれ)

により開始された

藩領の社堂の調査をまとめた

『御領分社堂』という

宝暦13年(1763)の書物に

記載される所の

七崎(豊崎の古称)について

見ておきたいと思います。

 

『御領分社堂』は

以下のように

七崎の諸堂の一端が

記載されております。

 


寺院持社堂 五戸御代官所七崎

一 観音堂 四間四面萱葺(かやぶき)

古来縁起不相知

萬治元年(1658)重直公御再興被遊

貞享四年(1687)重信公御再興被遊候

何(いずれ)も棟札(むなふだ)有

(この観音堂は

現在の七崎神社の場所にあったもので

明治になって神社に改められました。)

 

一 大日堂

一 不動堂

一 愛染堂

一 大黒天社

一 毘沙門堂

一 薬師堂

一 虚空蔵堂

一 天神社

一 明神社

一 稲荷社

一 白山社

右十一社堂は観音堂御造営之節

依御立願何も御再興被遊候

小社之事故棟札も無之

只今大破社地斗に罷成候

一 月山堂 壱間四面板ふき

 

一 観音堂 右ニ同

右両社共に観音堂御造営之節

重直公御再興也

(この観音堂は千手観音堂です。)

 

善行院(ぜんぎょういん)

当圓坊(とうえんぼう)

覚圓坊(かくえんぼう)

覚善坊(かくぜんぼう)

右四人之修験は本山派にて

(七崎神社誌では“七崎修験”は

「真言宗なり」とあり

当時の“宗派性”が垣間見られます)

拙寺(永福寺)知行所所附之者共御座候

古来より拙寺(永福寺)拝地之内

三石宛(ずつ)遣置

掃除法楽為致置候


 

ここに記される

お堂の全てではありませんが

棟札が残っております。

 

また

ここに記されていない

お堂の棟札も残っております。

 

棟札一枚一枚に

記されることに

“耳を傾け”ながら

紹介させて頂きたいと思います。

 

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昭和30年頃の記録

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美しい萱葺(かやぶき)屋根時代の

当山本堂の写真です。

 

幼少期の現住職と

その兄弟と思しき

子どもたちも写っております。

 

資料の整理中に出てまいりました。

 

とても貴重な記録です。

 

本堂建替事業の進捗状況ですが

多くの方のご協力のおかげで

順調に進んでおります。

 

本堂裏手の用地取得に伴う

農地転用の手続きを

昨年冒頭より

進めていただいており

もう少しかかりそうとのことです。

 

この手続きが終了後に

いよいよ設計等に取り掛かる

ことになります。

 

本年は歴史的な一年になりそうです。

 

しっかりと推進させて頂きます。

 

多くの有縁の方と共に

成し遂げたいと切願しておりますので

引き続きご協力の程

お願い申し上げます。

 

▼本堂建替事業について

https://fugenin643.com/blog/新たな歴史を紡ぐ/

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本堂建替へ⑨ 本年の進捗状況

当山では本堂建替事業に

取り組んでおり

本年は事業第2年度になります。

 

隣接する農地を

境内地として取得することが

昨年に決定され

本年は農地転用の手続きを

して頂いておりますが

まだ手続きは終了していないようです。

 

この手続が終わり次第

本堂建替事業は

大きく動き出すかと思います。

 

昨年より勧募浄財のご納入を

有縁の皆様にお願いしておりますが

多くの皆様の絶大なるご協力のおかげで

事業目標総額の8割以上を

建設委員会でお預かりしております。

 

基本計画において

事業目標総額の8割に

勧募浄財が達した時点で

「選定業者と契約を結ぶ」という

方針が立てられておりますので

“農地転用の手続き待ち”という

状況です。

 

ルールに則っての手続きなので

時間がかかることは仕方ないことです。

 

ですので今出来ることとして

勧募浄財(寄付金)の管理や

いずれ考えなければならない

諸行事などの検討に

時間を割いております。

 

本堂建替事業は

来年が重要な年になろうかと思います。

 

設計や業者選定など

大きな決定がされると思われます。

 

やるべきことは

まだまだ山積みですが

しっかりと推進させて頂きます。

 

▼本堂建替事業について

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ぬくもりある妻飾り

本堂などの

宮建築・古建築には

意匠がこらされた箇所が

要所要所に見られるものです。

 

当山の現在の本堂の屋根は

昭和51年の改修により

トタン屋根となりました。

 

それ以前は茅葺き屋根でした。

 

本堂屋根の側面を妻側(つまがわ)といい

妻側の彫り物などを妻飾りといいます。

 

南側には龍の彫り物

北側には獅子の彫り物があります。

 

つい先日

境内清掃で屋根上に登った際

改めて妻飾りを眺めてみると

実に味わい深く

どこかぬくもりがあるように

感じました。

 

これらは

当山とご縁のある大工さんが

彫ってくださったものです。

 

こういったものは

本堂が建て替えらた後も

どこかに飾りたいと考えております。

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大きな節目に際しての一案

つい先日お会いした

気仙沼のお寺の副住職さまが

お寺の仏像を調査して頂いている

とのお話をお伺いいたしました。

 

当山では近い将来

本堂が建て替えられますが

現在の本堂が取り壊され

本堂内にお祀りされる仏像はじめ

全ての物を仮本堂に

引っ越しをしなければなりません。

 

ふれあい豊山館の広間を

仮本堂とする予定でおります。

 

その間に

仏像の調査を行い

報告書を作成して頂くことも

歴史を後世に伝えるためにも

良いことのように感じます。

 

本堂建替という大きな節目に際して

取り組んでみるのも

有意義なことだと思います。

 

実現するかは分かりませんが

前向きに考えてみようと思います。

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