立木伐採前の境内の様子を動画に留めました

来月より

立木伐採工事が始まります。

 

その数は約50本。

 

伐採してしまうと

景観がガラリと変わります。

 

今眼にしている光景が

「見慣れた光景」から

「懐かしい光景」へ

変わろうとしています。

 

今現在の境内の様子を

記録として留めるべく

動画を用意しましたので

ぜひご覧下さい。

 

工事について掲示でもお知らせいたします

当山では

1月16日に小正月の法要が

行われます。

 

この日は

朝から檀家の皆様が

お参りされます。

 

今年は本格的に工事が

始まるということもあり

各種お知らせを

堂内に掲示します。

 

檀家の皆様に

配布させていただく

書類にも掲載しておりますが

新本堂の図面を

ふれあい豊山館入口に

掲示しました。

 

ご参詣の際に

ご覧いただければと思います。

 

来月か再来月に

境内の立木伐採工事が

行われます。

 

どこまで伐採するかについて

昨年より審議検討が

重ねられてまいりましたが

将来のことを考え

大方伐採されることに

決定されました。

 

伐採する対象木は

50本弱です。

 

今月末には

伐採工事に先立ち

立木供養をお勤めします。

 

謹んで

執り行わせて

いただきたいと思います。

 

様々な想定〜本堂建替に伴う諸儀式について〜

本日もキリッと

寒い一日で

外ではダイヤモンドダストが

キラキラとしていました。

 

最近の厳しい冷え込みで

庫裡のハナレの

水道(井戸水)が

凍結したようで

蛇口もトイレも

使用出来なくなりました。

 

八戸では

この時季にしては

雪も多いですし

例年以上に寒いので

2月以降がどうなるのか

心配している今日このごろです。

 

さて

明日は当山の役員総会が開催され

会計決算報告や

本堂建替事業の審議が行われます。

 

本堂建替事業は

本年から本格的に

工事が始まるのですが

それに伴い

地鎮式や上棟式といった儀式も

行われることになります。

 

完成すれば

落慶式という運びになるのですが

昨今のウイルスの状況を鑑みると

“まともに”開催するのは

難しいかもしれません。

 

なので

変則的ではあっても

ご協力いただいた有縁の皆様と

歴史的大事業の成満を

慶び合うことが出来る方法を

検討したいと思います。

 

事態が収束していれば問題ないのですが

まだまだ感染者が増加している状況なので

様々なシュミレーションをしつつ

事業の仕上げに入りたいと思います。

 

これからの「形」の模索

仮本堂として使用している

広間の隣には

14畳程の脇間があります。

 

昨年上旬

この脇間も多用途に

使用出来るように

床の間を改造して

祭壇を設えて

十三仏と曼荼羅を掲げました。

 

こちらで小規模な法事であったり

ご逝去された方のご安置であったり

各種仏事でも使えるように

模様替えいたしました。

 

新本堂でも

このように多目的に使用できる

スペースを用意いたします。

 

社会の変化の影響もあり

ご供養(特に葬儀)には

様々なケースが見られますが

少しでもご安心いただける環境を

整えていくことは

お寺の大切な役割だと感じています。

 

新本堂建替事業の一環として

合葬墓も建立されますし

それに伴い

様々な形でのご供養を模索中です。

 

本年は

「これからのご供養」について

例年以上に考えさせていただき

今後の「形」に

つなげさせていただきたいと思います。

 

デーリー東北の2021年新春随想に記事が掲載されました

ご縁がありまして

元日のデーリー東北

「2021年 新春随想」に

拙僧(副住職)が

寄稿させていただきました。

 

昨年11月に

ご依頼いただき

原稿をこしらえたのですが

1年をふりかえる

貴重な機会にもなったと感じています。

 

拙稿ではありますが

デーリー東北“圏内”の方は

お読みいただけると幸いです。

 

大きく動いた一年

本堂建替事業が始まり

本年が4年目でした。

 

当事業の会計年度は

1月〜12月までなので

第4年度の監査も終え

来年正月の役員総会に向けて

資料の整理に取り掛かりました。

 

当事業は6年計画で

進められてきましたが

結果的に当初の予定通りの

スケジュールに

収まりそうです。

 

資料の整理をしながら

本年をふりかえってみると

目に見える形で

本当に大きな動きがあった

一年だったと感じます。

 

一番大きかったのは

何といっても

旧本堂解体でした。

 

引っ越し作業も含め

忘れられない思い出です。

 

本年もさることながら

来年も再来年も

大きな動きが予定されています。

 

ウイルス予防のため来年は

小正月法要

春彼岸中日法要

お盆法要

秋彼岸中日法要での

数珠回し(通称「百万遍」)を

行えないので

法要前に時間を設けて

法話も交えつつ

事業の進捗状況について

お伝えしたいと考えています。

 

寺子屋ワークショップで

ときおり行っているように

プロジェクターで

スクリーンに画像を投影しながら

お話するスタイルをイメージしています。

 

本年3月以降は

これまで通りに年中行事を

開催出来ませんでしたし

しばらくはこのままだと思うので

出来る範囲で出来ることを

果たしていきたいと思います。

 

一年前の歴史的な合同祈祷

昨年の12/9は

十和田神社・普賢院の合同祈祷が

十和田神社にて行われました。

 

この時は

南祖坊(なんそのぼう)の

御像(おぞう)である

南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)

を十和田湖に

出開帳(でがいちょう)しました。

 

神仏習合の合同祈祷では

新本堂を建立する前に

行われる地鎮式(じちんしき)で

用いられる水を

お加持(かじ)

させていただきました。

 

十和田神社と十和田湖の皆様に

ご協力いただいて実現した

歴史的かつ素晴らしい

ひとときだったと

感謝しております。

 

本年の状況だと

実施することは

出来なかったと思うと

昨年の尊いひとときの

ありがたさが

一層感じられます。

 

悩ましい木々伐採

普賢院の旧本堂は解体され

跡地は更地になっています。

 

来年予定される

大掛かりな工事として

まず行われるのは

境内の木々伐採と剪定です。

 

手を入れる木々は

50本にものぼります。

 

どこまで手を入れるかで

悩ましいのが

東側にそびえる杉2本と銀杏です。

 

どのようにすればよいかについて

役員の皆様に

「ご意見お伺い」として

お聞きしている所です。

 

普賢院のシンボル的な木々ですが

昨今の気象の変化を踏まえると

心配な部分ありまして

悩まされております。

 

実際に数年前

近所の神社で

強風により同規模の杉が倒れ

民家と鳥居が

一部破壊されているので

先々のことを考えると

倒したほうが良いのでは

ということなのですが

だからといって

簡単には決められません。

 

役員の皆様の

ご意見を踏まえて

熟考したうえで

下された判断が

なすべき対処と捉えたいと思います。

 

御詠歌を納めさせていただきます

御詠歌(ごえいか)とは

平易な言葉である

大和言葉(やまとことば)で

つづられた詩(うた)に

節をつけてお唱えする

いわば仏讃歌です。

 

拙僧(副住職)は

御詠歌をお伝えする

詠秀(えいしゅう)という

役をいただいており

普賢院でも

「御詠歌の会」を10年前から

開催してまいりました。

 

しかし本年3月以降

御詠歌の会は休止状態です。

 

現在では

寺子屋ワークショップとして

写経カフェやお寺ヨガなど

様々な催事があり

大分定着してきましたが

拙僧(副住職)にとって

“諸活動の原点”ともいうべき催しは

御詠歌です。

 

拙僧(副住職)にとって

御詠歌はとても大切なものです。

 

少し前置きが長くなりましたが

御詠歌を始めた頃から

普賢院の御詠歌を作りたいとの

思いがありました。

 

当山においては

歴史的な出来事であったり

様々な発見が相次いでおり

令和3年は開基850年という

メモリヤルイヤーでもあります。

 

このような節目に

拙僧(副住職)が出来る形で

思いを託させていただこうと思い

宝照山普賢院和讃・御詠歌とともに

この数年でご縁を深めさせていただいた

南祖法師(なんそほっし)の御詠歌

南祖法師和讃・御詠歌を

あませていただいております。

 

詩も節も大方固まっているので

あとは習得させていただいた後

正式に当山に

奉納させていただきたいと思います。

 

 

▼明け方の月を西にのぞむ

数年ごしの解読

当山を中興開山された

快傳(かいでん)上人は

当山に屋敷(庫裡)を建立されたことが

享保18年(1733)の棟札(むなふだ)に

したためられております。

 

当山には

古い棟札や木札や版木が

所蔵されておりますが

数ある中で最も“難解”だったのが

この享保18年の棟札です。

 

300年近く前のものゆえ

墨書がとても見えにくく

判読が難しいのもありますが

何といっても

かなり崩された字体が

解読のハードルを

グーンと高めておりました。

 

解読に挑むこと数年。

 

書かれてあることの

大部分は読み解けていたのですが

どうしても判読できない箇所がありました。

 

現在進められている

本堂建替事業で

仏像修繕をご担当いただいている

壺中堂(こちゅうどう)さんには

古文書解読に明るい方が

いらっしゃるので

ご協力いただいた所

長年解読出来なかった箇所の

解読に成功いたしました。

 

まず

本日話題としている

棟札(むなふだ)は

次のものです。

 

全体の内容については

別の機会に

紹介いたします。

 

字がかなり薄れていることもあり

長年解読出来ずにいた箇所ですが

古い位牌の判読の経験が豊富な

住職の智慧を借りて

字の輪郭を捉えて映像におさめ

その映像を専門家に

再度見ていただいて

解読に成功しました。

 

「再度」というのは

実は少し前に

同業者さんに棟札を

持っていっていただき

解読を依頼したのですが

解読がうまくいかず

今回が2度目のお願いだったのです。

 

解読出来なかった部分は

次の箇所です。

 

この写真は

棟札をそのまま写したものですが

ご覧の通り墨書はほぼ見えません。

 

ですが住職の経験を踏まえた

アドバイスにより

どのような字が書かれていたのかを

明らかにすることが出来

さらに専門家のお力を借り

解読することが出来ました。

 

ここには

両向旦中相談

五十貫取立也

と書かれていました。

 

「両向」とは両方のという意味ですが

これは現在の豊崎を指しており

江戸期の過去帳では

浅水側の南側を當村

浅水川の北側を向村

と書かれており

両方というのは

當村と向村のいずれもということを

指していると思われます。

 

「旦中」というのは

「檀家」を指します。

 

要するに

当時の檀家の方々が話し合われ

50貫を集めた

ということが書かれております。

 

50貫(かん)というのは金額です。

 

一文銭(いちもんせん)が

1000枚で1貫となります。

 

寛永通宝(かんえいつうほう)

という通貨を

ご存じの方は多いかと思います。

 

中央に四角い穴があり

そこに紐を通し束にして

扱うことがあったそうです。

 

寛永通宝一枚を

一文銭(いちもんせん)といいます。

 

一貫は千文。

 

ということは

五十貫だと五万文。

 

その価値が

現在ではいかほどになるかは

分かりませんが

当時の建設事業の一旦を

垣間見ることが

出来たことを嬉しく思います。

 

▼仁王門解体時に取り出された古銭。

寛永通宝(一枚が一文[いちもん])