5月を迎える準備

月末の本日は

朝からひたすらに

事務作業に

勤しませていただきました。

 

なんとか5月を迎える

準備が整いました。

 

5月の大きな予定としては

新本堂建設にあたっての

地鎮式があげられます。

 

地鎮式は

役員の方と業者の方に

ご参列いただいて

開催されます。

 

後日整理したうえで

こちらでも

お伝えしたいと思いますが

地鎮式を迎えるまでには

様々な方のご協力がありました。

 

多くのご縁に感謝しつつ

臨ませていただきたいと思います。

 

作法からうかがえる本堂の尊さ

本日は新本堂建設の

施工部会が行われました。

 

新本堂が完成する来年10月までの

行程確認であったり

今後についての確認を重ね

有意義な会議だったと思います。

 

本堂建替に伴う主な儀式として

地鎮式(じちんしき)

上棟式(じょうとうしき)

落慶式(らっけいしき)

の3つがあげられます。

 

来月は地鎮式を行います。

 

真言宗における地鎮式は

大地を司るとされる

堅牢地神(けんろうちじん)を

本尊とした地鎮法という

修法を行ったうえで

式典が行われます。

 

真言宗には多くの

法流(ほうりゅう)

というものがあります。

 

法流というのは

宗派とはまた異なるもので

「作法の流派」といった

側面があるものです。

 

伝法院流

中性院流

中院流

三宝院流

西院流など

大まかなものだけで12流あり

さらに細分化すると

ものすごく沢山の

法流が伝えられます。

 

法流が複数にまたがることは

珍しくはなく

多くの法流の伝授を

受けられている

事相家の方もいらっしゃいます。

 

話が少し専門的に

なってしまいましたが

その法流により

地鎮式の作法も異なります。

 

当山にて主に用いられる法流では

本堂を建立する際は

地鎮法という作法を

行いますが

その他の

お堂や庫裏などの建物を

建立する際は

土公供(どこうぐ)という

作法が行われることとなっています。

 

一般的な感覚ですと

本堂やその他の建物は

あまり違いがないように

思われると思いますが

作法上は

意味合いが全く異なります。

 

この点は

専門性がかなり高いことですが

僧侶の立場からすれば

とても重要な点であると同時に

普賢院の歴史を

紐解く上でも踏まえるべき

ことだと感じます。

 

地鎮法の

次第を掘り下げてみると

本堂という建物が

とても尊いものだと

いうことがよく分かります。

 

新賽銭箱に一筆入れさせていただきました

昨日、五戸木工さんから

製作途中の賽銭箱が

届けられました。

 

まだ製作途中ですが

思っていた以上に

素晴らしいものに

仕上げていただけそうです。

 

この賽銭箱は

観音堂に置かれます。

 

「浄財」の文字を

入れてほしいとのことだったので

僭越ながら拙僧(副住職)が

筆をとらせていただきました。

 

どのような字体にするのか

3つほど候補がありましたが

最終的に採用した字体は

伝・空海とされるものを

参考にいたしました。

 

新賽銭箱は

早ければ来月には

仕上がるそうです。

 

▼新賽銭箱(製作途中です)

 

▼一筆したためさせて頂きました。

強風の快晴

雲ひとつ無い青空が広がる

ここ数日ですが

とても風が強い日が

続いております。

 

本日は

境内のベンチが

転がってしまう程の

強風が吹いていました。

 

法事と火葬通夜のお勤めで

本日はあっという間に

一日を終えました。

 

通夜から戻り程なくして

いつもお世話になっている

五戸木工の社長さんが

同社でご活躍されている

ご子息様とご一緒に

新本堂の仏具関係の

諸書類をお持ち下さいました。

 

少し前に相談させていただいた

観音堂の新しい賽銭箱の

図面も仕上げていただいたうえ

早くも制作に取り掛かって

下さっているとのことでした。

 

現在使用している

観音堂の賽銭箱は

住職によると昭和初期に

作られたものだそうです。

 

その賽銭箱は

あちらこちらガタが来ており

以前から新調しなければと

考えておりまして

本堂建替のこの機会に

改めることにいたしました。

 

社長さんのお話だと

新たな賽銭箱は

連休明け頃には

出来る見込みとのことです。

 

 

▼観音堂の新賽銭箱の図面

旧本堂再建前後の年表

2016年にこのHPが

立ち上げられ

翌2017年からブログを

毎日更新しております。

 

本日時点で

ブログの原稿数は1736。

 

ブログの内容は様々でして

日記もあれば

研究メモや覚書もあります。

 

ブログを始めた当初

思い描いていた予定として

色々と書き溜めて

後々に見直して

改めて整理していくつもりで

日々更新してまいりました。

 

その一環として

ここ最近は空き時間を使い

資料作りをしています。

 

明日はオンラインで

研究所での発表があるというのに

むしろ資料作りの方に

力を注いでしまいましたが

とても充実した時間となりました。

 

ブログの内容等から

拙僧(副住職)は

お寺の歴史を含む地域の歴史や

地域の伝承・伝説について

研究していると

お捉えの方も

いらっしゃるようですが

研究のメインテーマは

「マインドフルネス」です。

 

昨年度はアメリカの

歴史(19世紀以降)や

関連するキーパーソンや団体の

展開について

調べておりました。

 

その内容については

ブログでお伝えする機会は

あまり無いと思います。

 

話題を戻しまして

旧本堂が再建される前後の

享和・文化年間について

年代の分かる主な項目を

年表に記してみました。

 

まとめると

とても分かりやすいなと

つくづく感じます。

 

こういった形で

少しづつでも画像資料を

用意したいと思います。

 

須弥壇や護摩壇の改修作業を見学させていただきました

五戸木工さんにお誘いいただき

工場を見学させていただきました。

 

五戸木工さんには

須弥壇

内陣の密壇と礼盤と脇机

観音堂の護摩壇と礼盤と脇机

といった主要な仏具の

修繕をお願いしています。

 

これらは

修繕いただく全仏具の中で

最も大切なものとなります。

 

丁寧に作業を

進めていただいているようでした。

 

彫刻部分の彩色も

大分進んでいて

完成が楽しみです。

 

須弥壇は

朱色でしたが

新本堂仕様では黒色に

仕上げていただきます。

 

とても厳かな

荘厳となりそうです。

 

▼修繕途中の須弥壇。

 

▼以前の須弥壇の様子です。

新本堂を建設していただく松本工務店の工場を見学させていただきました

新本堂の施工業者である

松本工務店の工場へ

建設委員会の皆様と

見学させていただきました。

 

新本堂に用いられる建材の準備が

順調に進められている様子でした。

 

とても立派な木材が用意されており

新本堂はかなり剛健で立派な

ものになると思います。

 

見学の様子を

短い動画にしたので

ぜひご覧下さいませ。

 

一年前の今頃は

そういえば昨年の今頃は

旧本堂解体に向けて

引っ越し作業を始めた辺りです。

 

大人数で集まることが

難しい雰囲気だったこともあり

たとえ独りであっても

コツコツ少しづつ毎日

作業を進めようと決心して

引っ越し作業を始めたのが

昨年の春彼岸入りの日です。

 

幸いなことに

お弟子さんにも

協力していただくことが叶い

着々と作業を

進めることが出来ました。

 

古い仏像や仏具

さらには文書の確認もしながら

整理をすることが出来たおかげで

貴重な発見も相次ぎ

とても有意義な作業だったとも

感じています。

 

昨年の写真と

現在の写真を並べると

その変化は一目瞭然です。

 

ものすごいパワーを

必要としたこの一年でしたが

順調にかつ無事に

事を進められているのは

間違いなく

沢山の方のお力添えのおかげです。

 

明日の午後は

建設についての会議が行われます。

 

議案ひとつひとつを丁寧に

話し合わせていただきたいと思います。

 

▼昨年4月

 

▼昨年5月

 

▼昨年8月

 

▼現在

本尊愛染明王像が修繕へ出発いたしました

修繕のため

本尊・愛染明王像が搬出され

修繕いただく秋田の職人さんのもとへ

出発いたしました。

 

文化7年(1810)に普賢院は

火災に見舞われて

本堂もろとも本尊像も

焼失してしまいました。

 

そういった経緯もあり

当時の本坊住職・宥瑗(ゆうえん)が

現在の本尊像を新造奉納されました。

 

光背裏には朱書きで

以下のように記されています。

 

寶照山普賢院本尊新造立志趣者奉為

大守公御武運長久国家安穏及護持宥瑗

法運長遠院内繁昌也敬白

文化七歳次庚午九月大祥日教道覺宥

寶珠盛岡山永福密寺現住法印宥瑗寄附之

 

ここに記されている

「大守公」とは当時の

盛岡南部藩藩主・利敬(としたか)公です。

 

当時は

当山を祖院として

江戸初期に盛岡に建立された

宝珠盛岡山永福寺が当山の本坊で

それに対して当山は

自坊という位置づけでした。

 

光背裏の朱書きにあるように

本坊住職が宥瑗(ゆうえん)で

自坊住職(教道)が覺宥(かくゆう)の代に

愛染明王像が納められています。

 

宥瑗は仁和寺の方で

年に何度かしか

本坊には滞在出来なかったようですが

滞在中は多くの学僧の方などが

尋ねられたそうです。

 

当山には

宥瑗上人の名が刻された香炉が

ひとつ残されています。

 

愛染明王像の修繕は

令和4年秋に仕上げられる予定です。

 

お戻りは

新本堂完成の時となります。

 

装い新たな本尊様が

新たな本堂にお帰りになられ

お祀りされる日が

待ち遠しく感じられます。

 

本尊様が厨子から

運び出されて

修繕に出発される光景を

目の当たりにして

新たな歴史が

いよいよ本格的に

紡がれているということを

強く強く感じました。

 

明日より本尊像がお留守となります

修繕のため明日午後に

当山本尊・愛染明王像が搬出され

職人さんのもとへ

お出かけされます。

 

その間は厨子に

大日如来像を安置させていただき

厨子の扉は閉めさせていただきます。

 

大日如来は

真言宗の本尊であり

全ての尊格(仏さま)は

大日如来のお姿のひとつとされます。

 

そのような教学的なことも踏まえ

本尊厨子には大日如来様を

お納めいたします。

 

愛染明王像のお戻りは

新本堂が完成する

来年秋の予定です。

 

 

▼本尊・愛染明王像

文化7年(1810)年に

当時の本坊住職により

奉納されました。

 

▼大日如来像