本尊愛染明王像が修繕へ出発いたしました

修繕のため

本尊・愛染明王像が搬出され

修繕いただく秋田の職人さんのもとへ

出発いたしました。

 

文化7年(1810)に普賢院は

火災に見舞われて

本堂もろとも本尊像も

焼失してしまいました。

 

そういった経緯もあり

当時の本坊住職・宥瑗(ゆうえん)が

現在の本尊像を新造奉納されました。

 

光背裏には朱書きで

以下のように記されています。

 

寶照山普賢院本尊新造立志趣者奉為

大守公御武運長久国家安穏及護持宥瑗

法運長遠院内繁昌也敬白

文化七歳次庚午九月大祥日教道覺宥

寶珠盛岡山永福密寺現住法印宥瑗寄附之

 

ここに記されている

「大守公」とは当時の

盛岡南部藩藩主・利敬(としたか)公です。

 

当時は

当山を祖院として

江戸初期に盛岡に建立された

宝珠盛岡山永福寺が当山の本坊で

それに対して当山は

自坊という位置づけでした。

 

光背裏の朱書きにあるように

本坊住職が宥瑗(ゆうえん)で

自坊住職(教道)が覺宥(かくゆう)の代に

愛染明王像が納められています。

 

宥瑗は仁和寺の方で

年に何度かしか

本坊には滞在出来なかったようですが

滞在中は多くの学僧の方などが

尋ねられたそうです。

 

当山には

宥瑗上人の名が刻された香炉が

ひとつ残されています。

 

愛染明王像の修繕は

令和4年秋に仕上げられる予定です。

 

お戻りは

新本堂完成の時となります。

 

装い新たな本尊様が

新たな本堂にお帰りになられ

お祀りされる日が

待ち遠しく感じられます。

 

本尊様が厨子から

運び出されて

修繕に出発される光景を

目の当たりにして

新たな歴史が

いよいよ本格的に

紡がれているということを

強く強く感じました。