「父の日」に愛を込めて

パパにありがとう!

コーヒー豆焙煎体験

という催事が6/9に

当山境内で開催されました。

 

「父の日企画」ということで

お父さんに美味しい

珈琲を焙煎してみようという

今回のイベントですが

天候にも恵まれ

和やかなものとなりました。

 

子ども達のにぎやかな声が

境内に響くことは

とても良いものだと感じます。

 

今回のメインイベントである

珈琲豆焙煎体験は

「森のようちえん」という

おいらせ町で行われている催事で

取り入れられていたものです。

 

それを八戸でも

開催しようとの声があがり

有志の素敵な方々が

企画され開催されたのが

今回の催しです。

 

珈琲豆焙煎体験の他にも

レザークラフトで

キーホルダーやコインケースを作ったり

パラコードでブレスレットを作ったり等

ワークショップも行われ

とても充実した時間となりました。

 

しっかりと着実に

6/9午後2時より

当山ふれあい豊山舘にて

普賢院本堂建設委員会

検討委員の皆様による

小委員会が開催され

これまでの経過報告と

これからの事について

ご審議頂きました。

 

200余年振りとなる

当山本堂の建替えは

“超難事業”だと感じます。

 

ちなみにですが

超難事業という言葉を

悪い意味では使っておりません。

 

本堂建替事業を進めるにあたり

触れたことのなかったこと

知らなかったこと

考えが及ばなかったこと等と

向き合うことが出来ましたし

非常に沢山のことを

学ばせて頂いております。

 

当山の歴史や伝承などと

向き合い直す契機ともなりました。

 

そもそものお寺の存在意義や

伝えられ守られてきた志について

考える契機でもありました。

 

拙僧(副住職)は

地域に育てられ支えられてきた

という思いが非常に強いのですが

そのお世話になった地域において

お寺として僧侶として

どのような貢献が出来るか

ということも改めて

考えさせられました。

 

あげれば切りがありませんが

本質的な部分に至るまで

非常に多くの事柄へ

考えや思いを廻らさせて

頂いております。

 

そういったことを踏まえ

単に困難な事業である「難事業」

ということ以上に

「大きな功徳」がもたらされた

難事業であるという意味で

“超難事業”という言葉を

使っております。

 

温かくご協力下さっている

檀信徒の皆様や

心強い役員の皆様のおかげで

歴史的大事業に

積極的に向き合わせて頂き

当事業が着実に

推進されていることは

本当にありがたいことです。

 

沢山の有縁の方々のご期待に

必ず応えさせて頂きたいと思います。

 

当山の本堂建替事業は

着工前に必要な

境内の整備や工事が始まる

段階に入ってまいりました。

 

まだまだ先は長そうですが

しっかり着実に

事業を推進させて頂きます。

 

▼本堂建替事業について

https://fugenin643.com/blog/新たな歴史を紡ぐ/

心無い一言としないために

親しい仲だとしても

たまたまだとしても

意図せず人を傷つける言葉や

言われたくない言葉や

言ってはならない言葉など

人それぞれにあるかと思います。

 

十人十色の

環境があり

事情があり

そういった中で

私達一人一人は暮らしています。

 

その人の立場に立つことを

仏道では同事(どうじ)

といいます。

 

個々の事情や背景は

当事者しか分からないことですし

分からないとしても

個々には様々な背景があることを

大前提として

人と向き合うことが

不特定多数の方と接する

僧侶には必要だと

拙僧(副住職)は

以前より感じております。

 

時間の経過の中で

環境が大きく変わり

環境が変われば人も変わり

そうすれば心の持ちようが変わり

おのずと周囲との接し方が

変わったりするものなので

例えば何年も前の

ある場所での「気になる行い」を以て

その行為者の性格や習慣と

して捉えることは出来ません。

 

当山においても

この3〜4年前と現在では環境も

携わる者の状況も“心持ち”も

全く異っております。

 

そもそも人は

良くも悪くも「気になる行い」が

記憶に留められやすいものなので

実際に直接的な会話や交流を

通じなければ分からないことが

多々あります。

 

何年か前の

「気になる行い」に対し

言われる所の「常識」であったり

「常識とされるもの」等の

スケールで以て

強く叱咤することは

時として当事者を深く傷つけ

あまり思い出したくない

当時のことを思い起こさせ

怒りの心を生じさせます。

 

叱咤自体は

悪いことでは無いですし

ありがたいことでもあり

とても必要なことですが

「言い方」次第では

「心無い発言」として

捉えられてしまうものです。

 

心無くうかつな発言に対し

どうしても看過できず「憤り」を感じ

その「憤り」を伝えたとしても

「じゃあ前もって伝えて欲しかった」

といった感じで

日常的な付き合いが薄いにも関わらず

個々のプライベートの深い部分まで

伝えなかった本人の

“説明不足”が悪いとも

取れるような発言をされたり

独特で理屈的な話をされたりした

経験はないでしょうか?

 

「昔からこういうものだ」

「こうあるべきだ」という

価値観のようなもので

それに沿った行いでなければ

「非常識」とみなされるような

状況に出くわしたことは

ないでしょうか?

 

冠婚葬祭の場面でいうと

こういった“すれ違い”は

よくあることなんだそうです。

 

案外こういった部分は

僧侶であっても

深く考えられないことがあり

「お寺から心無い一言を言われた」

といった相談もしばしばです。

 

「心無い一言」の実態は

単なる流れで生じたもの

無自覚的なもの以外に

親切心であることや

ある種の「責任感」だったり

することがあると思いますが

「言い方」や「配慮の不足」により

意図せずとも

ある意味“暴力性”を帯びたものに

なってしまいます。

 

個々千差万別の

お歩みをされてきた

不特定多数の人と

日常的にも

お弔いなどの大切な場面においても

向き合わせて頂く僧侶にとって

心無い一言としない心がけは

大切なことだと思います。

 

このことは

先にも触れた

同事(どうじ)という

仏道において大切な姿勢や心がけに

通じることだと感じますし

変化の激しい現代や

これからの時代において

重要性が増すように感じております。

必要な時間

梅雨っぽい気候に

なってきました。

 

今月は

会議や研修や視察調査など

沢山の予定が組まれております。

 

昨日は盛岡にて

青森と岩手と秋田と宮城4県の

真言宗豊山派寺院で構成される

東北宗務支所の総会がありました。

 

ここ最近の疲労からか

時間の勘違いにより

盛岡から八戸への

最終の新幹線を逃してしまったので

盛岡のホテルに一泊して

始発の新幹線で帰山しました。

 

結果的には

色々とゆっくり

考える時間になったので

良かったのかもしれません。

 

今の拙僧(副住職)には

「必要な時間」だったと

感じております。

 

明日も明後日も

当山にとってとても大切な予定が

組まれているので

一つ一つとしっかり

向き合いたいと思います。

 

父の日に珈琲を

様々なご縁が

様々な取り組みとなり

様々なひとときとなります。

 

6/9に

パパにありがとう!

コーヒー豆焙煎体験

が開催されます。

 

父の日企画だそうです。

 

お父さんのために

珈琲焙煎をして下さい。

 

詳細は

フェイスブックの

イベントページをご参照下さい。

 

 

▼イベントページ(fb)

https://www.facebook.com/events/2078928768871191/

親愛なるある友へ

また会いたいと

思える友に

恵まれたことを

拙僧(副住職)は

誇りに思っています。

 

友の存在は

とてつもなく大きいと

心から思います。

 

素晴らしい出会いに

心から感謝しています。

 

青春時代をともにした

かけがえのないある友。

 

今度会えたら

ものすごい沢山のことを

語り合いたいと思います。

 

語り尽くせないとは思いますが

とことん語り合い

笑い合いたいと思います。

 

また会える日は

ずいぶん先に

なるかもしれませんが

また会う日まで

しっかりと歩みを

進めたいと思います。

 

親愛なるある友へ。

 

どうか安らかに。

 

合掌

光の旋律に包まれて

民族楽器奏者である

奈良裕之(ゆうじ)さんが

当山においで頂き

寺子屋ワークショップ

光の旋律〜瞑想と精進カレー〜

が開催されました。

 

まずは

奈良さんご指南のもと

ご参加の皆様には

瞑想に取り組んで頂きました。

 

瞑想の最後は

「光の旋律」ともよばれる

奈良さんの民族楽器の奏で。

 

異国情緒を感じつつ

どこか懐かしさも

感じられるような響きに

浸らせて頂きました。

 

瞑想は自心と向き合うことであり

「今」と向き合うことでもあります。

 

瞑想の最後

静かな空間に奏でられた

心地よい響きは

全身に染み渡るようでした。

 

瞑想後は

“名物”奈良精進カレーで

“腹ごしらえ”です。

 

奈良精進カレーは

具材が「ぶつ切り」され

その原形が留められているので

スパイスの味わいもさることながら

個々の具材本来の味わいも

しっかりと感じることが出来ます

(拙僧(副住職)の感想です)。

 

今回も美味しく

舌鼓を打たせて頂きました。

 

おかげさまで

心もお腹も大満足の

光の旋律となりました。

6/26南祖祭(なんそさい)を開催します

当山には

南祖法師尊像(なんそほっしそんぞう)

という御像がお祀りされております。

 

南祖法師とは

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)のことです。

 

南祖坊は

当山にて修行したとされ

十和田山の開祖であり

十和田湖青龍大権現という

龍神になったとされる

伝説の僧侶です。

 

6/26午前10時より

当山本堂にて

南祖坊とご縁をお結び頂く

南祖祭(なんそさい)

〜祭事と「龍の特別授業」〜

という行事を行います。

 

祭事では

巫女さんにもお手伝い頂き

まさに神仏習合の法要を

執り行わせて頂きます。

 

祭事に加え

伝説についてのお話をさせて頂き

さらにゲストスピーカーとして

八戸の太陽信仰について

調べていらっしゃる

髙山正道さんをお招きして

伝説にまつわるお話を

して頂きます。

 

「祭」は祈りを捧げる

ひとときであると同時に

神話や伝説と

“つながる”ひとときであり

“向き合う”ひとときです。

 

伝説とつながるひとときを

是非ご一緒下さいませ。

 

日程:令和元年6月26日(水)

時間:午前10時〜正午頃

会場:普賢院本堂

会費:お一人2000円

※会費の一部は、国内の震災復興を

含めた国際協力活動への寄附に

あてさせて頂きます。

学と思

昨年に引き続き

本年も開催されております

親子で学ぶ子ども論語塾

 

6/1は本年2回目の

子ども論語塾でした。

 

子ども論語塾では

講師の川崎葉子さんのご指南のもと

素読を行いながら

章句の内容についても

ご説明頂いております。

 

論語は今から

約2500年前の戦乱期を生きた

孔子の言行録です。

 

専門用語を用いると

“祭政一致”という

現代とは異なる背景を

踏まえて読むべき所が

あるかとは思いますが

時代や地域を超えて

「人の心を育む」ものとして

現代においてもなお

その輝きを放ち続けている

ということが出来るものです。

 

今回は「学」を

中心的なキーワードとして

論語と向き合わせて頂きました。

 

沢山の章句に触れさせて頂いた

1時間でしたが

ここではそのうち

1章句を紹介させて頂きます。

 

子曰(のたま)わく

学びて思わざれば則ち罔(くら)し

思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し

(為政二−⑮)

 

大学時代に

論語における「学」は

主に「礼」を学ぶことだと

教授がおっしゃられていた

記憶があります。

 

祭政一致の世の中においては

礼法や儀礼などが

すこぶる重要視されていたのです。

 

先に紹介した文言は

とても有名なものですし

現代的な意味で噛み砕けば

「学ぶこと」と「考えること」が

車の両輪の如くに重要であり

いずれかに偏ってはならない

といった意味であることは

容易に分かるものです。

 

この文言を紹介させて頂いたのは

「礼」(儀礼や礼法など)を

大切なものとしている

僧侶としての拙僧(副住職)が

感じたことがあったためです。

 

仏事をはじめ仏道の諸作法には

意味が込められております。

 

拙僧(副住職)が尊敬する

僧侶の先生がかつて

「修行で伝授されたものの意味は

生涯を以てつかんでいくもの」

とおっしゃられておりました。

 

このことは僧侶においてのみならず

あらゆることに通じるものだと

拙僧(副住職)は感じております。

 

昨今は

多くの分野でマニュアル化が進み

簡略化や合理化が図られております。

 

それはそれで

とても尊いことだと思います。

 

しかしながら

本来的な意味あいが薄れてしまい

形式化してしまいがちなものも多く

仏事においても

その現象は見られるといえます。

 

形骸化して意味をなさなくなれば

跡形もなくなってしまったり

本来的なものとはかけ離れた

ものに展開してしまったりする

可能性も大いにあります。

 

先の章句は

仏事についていえば

込められた意味があることを

自身もしっかりと踏まえて

実践と研鑽を重ね

かつ伝えるべきことを

伝えていくことの大切さへと

つながるものだと

個人的には感じました。

 

学と思について説かれた

先の章句は

現代的な文言通りに

意味を捉えてみても

大切なものですし

当時の背景を踏まえて

紐解いてみると

さらに“深み”を増した

メッセージがあるように思います。

 

様々なご縁があり

子ども論語塾が当山を会場に

開催されているわけですが

論語について

学ばせて頂く機会を

頂戴出来たことは

とてもありがたいことだと

いつも感謝しております。

 

各分野様々に

携わられていらっしゃる皆様と

古典中の古典である論語について

素晴らしい講師の先生に

ご指南頂ける何とも贅沢な

時間であると感じます。

 

次回は9/7の開催となりますので

ご都合のよろしい方

ご興味をお持ちの方は

是非ご一緒下さいませ。