十和田湖の聖地覚書① 奥の院(御室)

当山は

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)が

修行したと伝えられるお寺です。

 

6/26は南祖坊の祭事を行います。

 

「祭」は伝承や伝説などの“物語”と

向き合う場であり

“つながる”場です。

 

十和田湖伝説と向き合うひとときを

ご一緒してみませんか?

▼6/26南祖祭のご案内

https://fugenin643.com/blog/626南祖祭を開催します/

 

十和田湖とその周辺には

南祖坊伝説を今に伝える場所や

十和田信仰の祈りの痕跡や

山岳修行の行場と思われる場所が

多く存在します。

 

6/19に十和田湖自然ガイドクラブの

皆様に“十和田湖三大聖地”を

ご案内頂きました。

 

その際の記録を

覚書という形で

簡単にお伝えいたします。

 

まずは御倉半島にある

奥の院についてです。

 

奥の院は

御室(おむろ)とも呼ばれています。

 

その場所には

ボートで向かいました。

 

▼奥の院入口

奥の院入口には

ハシゴが架けられています。

 

ちょっと前(2〜30年前?)までは

例祭の前夜祭の時に

ボートに数名でこちらへ

参詣されていたそうです。

 

その際は

奥の院に“上陸”するために

ボートにハシゴを積んでいたそうです。

 

▼奥の院の中

 

▼木札には「熊野」の文字

 

▼入って正面に広がる同心円状紋

同心円状紋は「龍の眼」とも

捉えられているそうです。

 

とても神秘的です。

 

この空間は手掘りで

作られたようで

修験窟としても使われていたと

考えられているそうです。

 

▼祠に向かって右奥の窟

▼祠に向かって左奥の窟

いずれも一説によると

20間(約36メートル)の深さがあるそうです。

 

コウモリが棲んでいるようで

私達が奥の院に入った時

奥に飛んでいくのが見えました。

 

“龍の棲家”とのいわれもあるとか。

 

ついでですが

当山にも写本が残る

『十和田山神教記』(とわださんじんきょうき)

という十和田湖伝説が記された書物冒頭で

廿尋(約36メートル)余りの青龍

忽然と顕れる場面があります。

 

この場面に登場する

具体的なスケールは

“奥の院の龍穴(りゅうけつ)”を

踏まえての描写である可能性が

あるかもしれません。

 

▼内側より見た奥の院入口

西を向いているため

午後は日が差し込み

日没も拝めるとのこと。

 

奥の院から西には

十和田湖の中湖が広がり

その先には十和田神社のある

中山半島が位置します。

 

各所の

「位置」や「方向」についても

沢山触れたいことがあるのですが

またの機会にしたいと思います。

 

この奥の院の空間は

室戸岬における弘法大師の

明けの明星伝説を思わせるような

空間だと感じました。

 

弘法大師空海上人は

真言宗の宗祖で

全国各地に伝説が残ります。

 

十和田湖伝説を伝える際に

南祖坊は十和田湖に

入定(にゅうじょう)した

という言い回しがよくされますが

この入定信仰(にゅうじょうしんこう)

は十和田湖伝説を

紐解く重要なキーワードといえます。

 

この点についても

記し始めると

終わらなくなってしまうので

またの機会に触れさせて頂きます。

 

奥の院は

御室(おむろ)とも呼ばれますが

この名称は真言宗と

とても関わりのあるものです。

 

具体的には

京都の仁和寺と関わる名称です。

 

仁和寺は

真言宗御室派の本山でもあります。

 

当山の前身である永福寺では

仁和寺の皆明院から

住職が迎えられることもありました。

 

専門用語で

院家兼帯(いんげけんたい)という形で

永福寺と仁和寺皆明院は

深く関わっております。

 

こういった歴史的背景が

十和田湖に見られる御室

という名称の根拠となっている

可能性が考えられます。

 

御室のみならず

十和田湖に関係する用語には

真言宗ゆかりのものが

チラホラ見られます。

 

その点についても

折に触れて紹介させて頂きます。

 

まとまりに欠けますが

こんな感じで「6/19の覚書」を

“気まぐれに”

数回に分けて投稿したいと思います。