田村将軍の伝説 清水寺観音

糠部三十三観音霊場

第26番札所

清水寺(きよみずでら)観音

 

田子町にある

真清田(ますみだ)神社が

26番札所となっております。

 

こちらの神社は

かつて金龍山清水寺

というお寺でした。

 

創建は坂上田村麿公と

伝えられます。

 

糠部三十三観音霊場には

明治の神仏分離以降に

お寺から神社に改められた

札所が多く見られます。

 

観音様は

神様にも連なる尊格として

多く祀られた歴史があります。

 

歴史的なことを述べると

そもそも明治以前は

寺社仏閣に明確な線引きを

することは稀だったのです。

 

東北全般に共通する話として

田村将軍が開基とされる

寺社仏閣は多く存在します。

 

当山も例外ではなく

前身である永福寺は

田村麿公が奥州六観音の1つとして

十一面観音を祀り建立された

と伝えられております。

 

田村将軍が直々に

足を運ばれて開基したか

否かは別として

田村将軍の影響力がいかに大きな

ものであったかを

今に伝えるものと思います。

 

坂上田村麿公は

京都の清水寺を建立され

観音様を殊に大切にされたことで

すこぶる有名な方です。

 

26番札所もお寺であった頃は

清水寺の名がついております。

 

伝説ゆかりの観音様として

長らく大切にされてきた

清水寺観音。

 

伝説を感じながら

お参り下さいませ。

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田村の里 七崎

当山はかつて

永福寺という名前でした。

 

当山の創建は古く

そのルーツは

平安時代にまで

遡ります。

 

その起源には

諸説ありますが

1つの説として

奥州六観音のひとつとして

坂上田村麿公が建立した

観音堂が当山のルーツで

あるといわれます。

 

当山のある地域は

七崎(ならさき)と呼ばれます。

 

この七崎の地を古くは

「田村の里」といったそうです。

 

その田村とは

田村将軍に由来するとのことです。

 

田村将軍自らがこの地に

赴いたという史実はありませんが

田村将軍指揮下に展開された

奥州における一連の動きの中で

七崎の地に観音堂が建立され

この地が田村の里と

呼ばれるに至ったと

永福寺縁起は伝えております。

 

その観音堂の本尊は

十一面観音という観音様

であったといわれます。

 

ちなみに当山本尊は

現在は愛染明王ですが

かつては十一面観音でした。

 

江戸期の火災の後

現在の本尊様をお迎えしましたが

それまでは十一面観音が

本尊でした。

 

田村将軍の伝説は

東北各地に伝えられておりますが

当山にも伝えられております。

 

田村将軍は観音信仰に

篤い方であったそうです。

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斗南藩を学ぶ

学びを深めるべく

斗南(となみ)藩に関する

書籍を用意しました。

 

斗南藩の歴史は

わずか1年8ヶ月しかありません。

 

資料も決して多い訳ではありません。

 

当山境内には

斗南藩の方々の墓石が

16基ございます。

 

その歴史について

後世に伝えるためにも

学びを整えていきたいと思います。

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斗南藩士上陸の地 むつ市大湊

3/28は下北半島の

むつ市大湊へ赴きました。

 

大湊にございます

同宗派の常楽寺にて

厳修された涅槃会(ねはんえ)

というお釈迦様の法要に

出仕して参りました。

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むつ市は

斗南藩(となみはん)

ゆかりの地でもあります。

 

斗南藩とは

旧会津藩の方々が

明治時代初頭

北の地に再興した藩です。

 

当山墓地には

斗南藩の方々の墓石が

十数基残っております。

 

下北むつの地にも

斗南藩の方は海路により

入られました。

 

大湊にございます

斗南藩士上陸の地。

 

斗南藩の藩庁が置かれた円通寺。

 

その他、斗南藩ゆかりの場所に

立ち寄らせて頂きながら

歴史におもいを馳せた

1日となりました。

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酉年の守り本尊 不動明王

本年は

酉(とり)年です。

 

各干支にはその年の

守り本尊があります。

 

本年の守り本尊は

不動明王(ふどうみょうおう)

という仏様です。

 

不動明王は

“お不動さま”として古くより

親しまれる仏様です。

 

当山には

十二支本尊(八体仏)が

観音堂内にお祀りされております。

 

当山にお参りの際は

皆様ご自身の干支と併せ

本年の守り本尊であるお不動さまも

お参りされてはいかがでしょうか。

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こころの旗印

境内に

当山の主な尊格の幟(のぼり)が

設えられました。

 

南祖法師(なんそほっし)の幟も

掲げられております。

 

幟や旗そのものは

仏道のみおしえの象徴でもあり

仏道の歩みへの導きを意味します。

 

幟には

南無愛染明王

南無不動明王

南無観世音菩薩

南無地蔵菩薩

南無大師遍照金剛

南無稲荷大明神

南無南祖法師大薩埵

という文言が記されております。

 

これらの文言は各尊格の

宝号(ほうごう)、称名(しょうみょう)

であるとともに

仏道のこころが託された

“短いお経”です。

 

お経のしたためられた

幟の1つ1つは

万人の平安への願い

そのものでもあります。

 

お参りされる方の

目にも鮮やかな

新たな彩りが添えられ

境内が華やぎました。

 

時々の風に揺れ

たなびく幟に

仏道のこころを

“躍動的に”

感じて頂ければと思います。

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おいなりさま

当山本堂裏手に

お祀りされる

稲荷大明神(いなりだいみょうじん)

嘉永2年(1849)に

建立されたものです。

 

稲荷大明神は

「おいなりさま」として

一般に親しまれてきた

“神様”です。

 

仏道において“神様”を

神祇(じんぎ)といいます。

 

明治時代以前は

仏と神は連なるもとして

お祀りされておりました。

 

石碑側面に

嘉永二酉年

五月十九日

と刻まれております。

 

平成29年より

さかのぼること

168年前に建立されたものです。

 

おいなりさまには

種々の功徳があると

伝えられます。

 

当山にお参りの際は

おいなりさまにも

お立ち寄り頂き

願い事をお捧げ下さいませ。

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お寺のはじまり

普賢院の草創は

平安初頭とされます。

 

初代住職である

圓鏡(えんきょう)大和尚は

817年に亡くなられております。

 

第2世住職である

月法(がっぽう)大和尚は

十和田湖伝説の南祖坊(なんそのぼう)の

師僧であるとされます。

 

以後月日が積み上げられ

1200年以上もの

歴史が紡がれて参りました。

 

その歴史の最前線が

今現在です。

 

永きにわたり

お寺を守り

今に伝えて下さった

沢山の方の

ご縁があってこその

今現在です。

 

今を大切にすることは

過去に報いることであり

未来につながることです。

 

今日の1日を大切に

時の流れの最前線を

本日も過ごしたいと思います。

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斗南藩の“記憶”

斗南藩(となみはん)の

子孫にあたる方が

お参りにいらっしゃいました。

 

当山には

斗南藩の方々の墓石や

お位牌がお祀りされます。

 

そういったご縁で

年間に何名かの有縁の方が

お参りにいらっしゃいます。

 

斗南藩の方々は

日本が大きく舵を切った

激動の時代に生きた方々です。

 

激動の時代の下

苦難と向き合い

力強く生き抜かれた方々の

歴史を改めて感じさせて頂きました。

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鷲(わし)に望年の思いを重ねる

最近

境内の木に

鷲(わし)と思われる鳥が

よく見られます。

 

立派な容姿ゆえ

何となく

良いことがあるような

心持ちになります。

 

ガルーダという

神話の鳥を

ご存知の方も多いと思います。

 

ガルーダの

描かれ方は様々ですが

鷲の姿で描かれることが

多いのだそうです。

 

ガルーダは

“神の鳥”として

縁起の良いものとされます。

 

来年は

酉年(とりどし)です。

 

酉年の守り本尊(ほんぞん)は

不動明王(ふどうみょうおう)という

仏様です。

 

不動明王は

「お不動さま」として

広く親しまれてきた仏様です。

 

不動明王は

迦楼羅炎(かるらえん)という

炎を背負って描かれます。

 

迦楼羅炎の

迦楼羅(かるら)とは

ガルーダのことです。

 

迦楼羅炎は

“火の鳥”として

描かれます。

 

お不動さまが

酉年の守り本尊であるのは

意味があることです。

 

干支(えと)の

十二支それぞれに

守り本尊があります。

 

当山観音堂に

十二支それぞれの守り本尊である

十二支守護尊(じゅうにししゅごそん)が

お祀りされております。

 

十二支守護尊は

八体仏(はったいぶつ)ともいい

8体の仏様からなります。

 

12体ではなく

なぜ8体なのか。

 

日本ではかつて

四方四隅(しほうしぐう)の

八方角も十二支で

表しておりました。

 

四方(しほう)とは

東西南北を指し

四隅(しぐう)とは

北東・南東・南西・北西を指します。

 

それらを干支で

北は子(ね)、北東は丑寅(うしとら)と

いった具合に表現していたのです。

 

四方は

各干支に1体ずつの

仏様が割り当てられ

四隅は

2つの干支ごとに1体ずつの

仏様が割り当てられます。

 

8つの方角を

十二支で表現していたので

守り本尊も8体となります。

 

お運びの際は

お参り頂き

ご縁をお結び下さい。

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