静かに留めるかつての景観

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上のスケッチは明治期の

『新撰陸奥国誌(しんせんむつこくし)』

という書物に掲載されている

現在の七崎神社(ならさきじんじゃ)

その周辺のものです。

 

七崎神社は明治まで

七崎山 徳楽寺(ならさきさん とくらくじ)

というお寺で

現在当山にお祀りされる

糠部三十三観音第15番札所の

観音様が本尊でした。

 

当山はその徳楽寺の別当です。

 

『新撰陸奥国誌』記載の

スケッチに描かれる様子と

現在の様子を実際に比べてみます。

 

スケッチには

天然記念物となっている大杉は

描かれておらず

境内全貌や周辺のお堂が

際立つようなタッチになっております。

 

現在もスケッチ当時の風景が

静かに留められております。

 

七崎神社の境内の

諸堂配置を見ても

スケッチ当時そのままです。

 

ちなみにですが

当山には徳楽寺のものも含め

棟札(むなふだ)が

約30点も残っており

古い歴史を今に伝える

とても貴重なものです。

 

近い将来

当山では本堂を建替える予定なので

今一度歴史について

整理したいと考えております。

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南祖坊生誕の地で

3/9は南部町の剣吉公民館に

お招きされ

講演会の講師を

務めさせて頂きました。

 

内容はお任せします

とのことでしたので

三戸と七崎(当山近辺の古称)が

ゆかりあることを中心に

脱線を繰り返しながら

講演させて頂きました。

 

永福寺について

七崎神社について

観音さまについて

南部氏について

南祖坊について

八郎について

ご供養について

お墓についてなどなど

皆様のご質問を頂戴しながら

話に温かく花を咲かせて頂きました。

 

今回の講演会は豊崎出身で

南部町にお住まいの

浜渡博光さんに

お声がけ頂いて実現したものです。

 

浜渡さんは南部町で

様々な取り組みをされていらっしゃいます。

 

おかげさまで

とても和やかで有意義な

時間を過ごさせて頂きました。

 

会場であった剣吉公民館まで

思った以上に近いもので

当山から車で約20分です。

 

そのすぐ近くに

十和田湖伝説に

登場する南祖坊(なんそのぼう)

生誕の地とされる

斗賀神社がございます。

 

社殿の裏手には

斜面沿いに参詣道があり

しばらく登ると

十和田神社があり

伝説を今に伝えております。

 

剣吉公民館に赴く際に

折角なのでと

講演前にお参りさせて頂きました。

 

南祖坊伝説では

斗賀神社で南祖坊が生まれ

永福寺に弟子入りしたとされます。

 

南部町には

法光寺や長谷寺はじめ

霊験あらたかな寺社が

多くある地域です。

 

ちなみに当山61世住職であり

拙僧(副住職)の曽祖父

長峻(ちょうしゅん)大和尚は

長谷寺恵光院の住職を

兼任しております。

 

伝説でも歴史でも

非常にご縁のある

南部町にて講演させて頂いたことを

とても嬉しく思います。

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豊崎郷土かるたを頂きました

豊崎小学校創立140周年に向け

小学校の皆さんが

3年もの月日をかけ

調査、製作に取り組まれた

豊崎郷土かるた

有難くも頂戴いたしました。

 

以前、お寺の歴史や伝説について

小学校でお話したご縁もあり

豊崎郷土かるたの完成は

嬉しく思いますとともに

取り組みを全うされた

小学校の皆さんを

心より誇りに思います。

 

地域の伝承、自然、文化などを

五十音それぞれを初音として

七五調でしたためられた

文字札の一枚一枚からは

一生懸命に地域について

調べられた熱意が

伝わってまいります。

 

文字札に対応した絵札に

描かれる水彩画は

生徒の皆さんが

描かれたもので

言葉以上に“雄弁”で

かつ温かさを感じます。

 

これは「地域の宝」です。

 

豊崎郷土かるたを通じ

地域のことが

後世にも温かく

継承されていくことでしょう。

 

文字札、絵札を

一覧にまとめた資料を

頂きましたので

堂内各所に掲示させて頂きます。

 

当山にお立ち寄りの際は

素敵なかるたを

是非ともご覧下さいませ。

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▼当山に関連するものをご紹介いたします。

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3/8十和田湖伝説についてお話します

3/8十和田市の午後1時より

市民交流プラザ トワーレにて

開催されるセミナー

よみがえれ!霊山十和田

最古の「十和田湖伝説」を語る

に当山副住職もお声がけ頂きまして

仏教の視点から伝説について

お話してまいります。

 

お話するといっても

拙僧(副住職)は30分程の持ち時間

なので多くを語ることは

出来ませんが

“真言行者”ならではの視点から

お話をさせて頂きます。

 

詳細につきましては

拙僧(副住職)自身

あまり把握出来てないのですが

予約不要だそうなので

ご都合のよろしい方は

お運び頂ければと思います。

 

日程:平成30年3月8日

時間:13時〜15時

会場:トワーレ(十和田市)

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お寺の位置を俯瞰する

今の場所にお寺を建てる際

どのように場所を定め

どのように設計をし

どのように木材を運び込み

どのように組み立てたのか等々

思いをめぐらせることがあります。

 

方角や位置にも

曼荼羅(まんだら)や風水の

思想が踏まえられることが

伝統的に多く見られますが

当山の場合もどうなのか等々

想像することがあります。

 

当山の起源は古く

約1200年もの歴史が伝えられますが

不明な部分が多く

その分ロマンがあるともいえます。

 

そもそも古くは

「言い伝え」が主流だそうです。

 

何度かの火災により

文書等多く焼失してはおりますが

お堂の位置や町のつくりから

“歴史的なもの”を感じます。

 

当山から真東にのびる道や

西、北、東と平野部を一望出来る

見晴らしの良い場所にあること等に

仏道的な意味も含めて

“意図”が感じられます。

永福寺町内

普賢院の位置と世話人担当地区

火伏せの龍

寺社仏閣には

龍の像や絵が掲げられることが

多くございます。

 

様々な意味があるのですが

龍は水神でもあることから

1つには「火伏せ」の願いが

託されております。

 

当山にも境内や堂内に

躍動的な龍が祀られております。

 

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千年イチイ

当山ふれあい豊山館裏手には

1000年もの昔からあるとされる

千年イチイがそびえます。

 

当山境内にて最も古い木です。

 

イチイは八戸市の「市民の木」でもあり

「オンコ」とも呼ばれます。

 

イチイは神聖な木とされ

吉祥を招き

魔を除(よ)ける霊木とされます。

 

高くそびえる千年イチイですが

内部には大きな空洞もあり

部分的に枯れているようです。

 

とはいえ現在もそびえるその姿には

歴史ロマンを感じさせられます。

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正しい歴史をお伝え願います

当山のある地域は

かつて七崎(ならさき)と呼ばれ

伝説や伝承に彩られた地域です。

 

当山の起源は

1200年以上の昔に

さかのぼることが出来ます。

 

初代住職 圓鏡(えんきょう)上人は

弘仁8年(西暦817年)に

亡くなられております。

 

圓鏡上人が亡くなられたのは

平成30年(西暦2018年)から

さかのぼること1201年前

ということになります。

 

当山第2世住職は

月法律師(がっぽうりっし)

という方ですが

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)は

この月法(月体)和尚の弟子とされ

当山にて修行したと伝えられます。

 

当山はかつて

永福寺というお寺でしたが

後に盛岡に拠点を移すこととなります。

 

盛岡に改められた

永福寺を本坊(ほんぼう)とし

発祥の地であるとともに

十和田湖伝説に連なる七崎のお寺を

自坊(じぼう)普賢院とします。

 

ちなみに永福寺は

三戸にも自坊として

嶺松院(れいしょういん)という

お寺も持っておりました。

 

三戸は盛岡南部氏(三戸南部氏)が

勢力を拡大させる“足掛かり”となった

象徴的場所でもあります。

 

永福寺は南部氏の祈願寺であり

多くの末寺を抱える権威ある大寺院でした。

 

本坊とは「行政等を取り仕切るお寺」

といった意味です。

 

自坊には色々な意味がありますが

ここで意訳すれば

「永福寺が直接管理するお寺」

といった具合でしょうか。

 

話は少し変わりますが

最近は地元でも「歴史ブーム」

のようで新聞や雑誌などで

地域の歴史が紹介されることがあります。

 

ご興味をお持ち頂きまして

記事を通じて歴史や伝説が

多くの方にお伝えされることは

大変尊いことなのですが

残念なことに

歴史的事実が誤っているもの

正直見られます。

 

伝説の内容云々は幾通りもあるので

バラエティーに富んで当然ですが

前提となる寺社の縁起等の

歴史については誤って

伝えられてしまっている

部分が時折見られます。

 

特に永福寺と

七崎神社について

ごちゃごちゃになって

しまっている感があるので

改めてご紹介させて頂きます。

 

当山の地域には

七崎神社(ならさきじんじゃ)

という神社がありますが

こちらは明治まで

七崎山 徳楽寺(ならさきさん とくらくじ)

という寺院でして

当山が別当寺を担っておりました。

 

徳楽寺の本尊は

現在当山の観音堂に祀られる

聖観音(しょうかんのん)で

明治の神仏分離の処置により

当山に移されまして

糠部三十三観音霊場

第15番札所の観音様となっております。

 

ちなみに当山の本尊は現在は

愛染明王(あいぜんみょうおう)ですが

もともとは十一面観音とされます。

 

「七崎神社が永福寺であった」との

記述が各所で相次いで

見られたのですがこれは誤りです。

 

永福寺を七崎神社であると誤解して

南祖坊が七崎神社で修行した

などと紹介されているものも

ありますがこれも誤っております。

 

当山の寺伝(じでん)や

七崎神社誌は

一般資料ではないので

あまり知られていない部分ですが

歴史的事実は大前提の部分なので

情報発信の前にせめて

歴史や伝説の舞台である寺社で

裏付けを行なって頂くことを

お願い申し上げます。

 

▼七崎神社と普賢院

https://fugenin643.com/blog/七崎神社と普賢院/

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冬の十和田湖をゆく

正月三ヶ日が過ぎ

一段落したということで

奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)と

十和田湖を訪ねました。

 

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)は

当山にて修行したと伝えられます。

 

四季折々の十和田湖の姿を

“感じる”べくここ何年か

度々訪ねております。

 

雪の季節の

奥入瀬渓流も十和田湖も

まさに絶景です。

 

かつて十和田は「霊山」として

多くの方が修行に励んだ聖地でした。

 

自然の厳しさと美しさを

感じさせられる十和田湖。

 

かつての修行者が

「この世のものとは思えぬ」

とさえ感じられるような

人里離れたこの地にて

一心に行に励まれた光景が

想像されました。

 

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1人1人に思いをはせる

当山にお祀りされる

16基の墓石と

過去帳に記される

斗南藩(となみはん)の方の

お名前は二十数名にものぼります。

 

この中には

大まかな足跡を

辿れる方もいらっしゃいますが

大部分の方は

どのようなご生涯を歩まれたのか

当山では全く把握出来ません。

 

そのことについて先日

八戸の斗南藩歴史研究会の方に

おいで頂きお話をお伺いしましたが

結論からいえば

細かに足跡を辿ることは

難しいとのことでした。

 

この点については

本年夏に会津若松市から頂いた

お便りの内容が

とても具体的なものだったので

機会を見て

会津若松市に赴いて

お話を伺ってみたいと思います。

 

斗南藩の歴史を

後世に伝えるべく

色々と尋ねていく中で

様々なご縁を感じます。

 

八戸の斗南藩歴史研究会では

当山にて斗南藩の歴史を

お話して下さっても良いと

おっしゃって下さいました。

 

このようなご縁は

とてもありがたいと

つくづく感じさせられます。

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