壮大な伝説と歴史

午前中は地元の小学校

3・4年生の皆さんが

お寺の見学にいらっしゃいました。

 

当山の歴史は地元の歴史や

伝承・伝説と

大きく関わっているため

色々と活発に

生徒の皆さんから

ご質問を頂きました。

 

また本日は

斗南藩歴史研究会の方にも

おいで頂きまして

当山の斗南藩の墓石にまつわる

お話をお伺いさせて頂きました。

 

当山には

南祖坊伝説や七崎姫伝説などの

伝承や伝説が伝えられます。

 

また斗南藩の墓石があり

今の世に激動の歴史を伝えます。

 

歴史でいえば

南部藩との関わりや

湯殿山大日坊(だいにちぼう)

との関係があるお寺です。

 

ついでながらですが

当山の本山である

奈良県桜井市の長谷寺と

十和田湖伝説にも

接点があります。

 

接点があるというよりは

接点を見出すことが出来ます。

 

12月に拙僧(副住職)は

現代教化研究所という部署にて

研究発表を控えておりまして

資料作成の合間に

何となしに

江戸時代の探検家である

菅江真澄(すがえ ますみ)が

記した『十曲湖』に目を通していた所

南祖坊についての説明の中にある

 

いつまても

ながらふ命ありて

慈尊の御世に

あひ奉らまく

泊瀬寺にこもり云々

 

との文言が目にとまりました。

 

長谷寺は

隠国(こもりく)

泊瀬(はつせ)

初瀬(はつせ)

とも記されており

泊瀬の文字は古事記にも登場します。

 

伝説は口承伝承に依る所が

大きいものではありますが

本山とのご縁を以てして

十和田湖伝説を紐解くと

より一層深みが増します。

 

長谷寺は観音信仰では

日本屈指の霊山です。

 

長谷寺のみならず

十和田湖伝説であるとされる

三国伝記所蔵の文書に登場する

書冩山(しょしゃざん)という所も

分かる者からすれば

その三文字からだけでも

壮大なストーリーを感じさせられます。

 

そういった話も

機会があれば

お伝えしたいと思います。

 

書かれてある内容以上に

南祖坊伝説は壮大なものです。

 

伝説にしろ歴史にしろ

点と点を「面」として

壮大なスケールを以て

躍動的にお伝え出来るよう

精進させて頂きます。

IMG_2636

会津若松市より連絡を頂きました

当山境内には

斗南藩(となみはん)の方のお墓が

16基お祀りされております。

 

昨年そのことについて

会津若松市へ問い合わせた所

会津若松市文化課より

回答を頂戴しました。

 

そこには

会津若松市史研究会よりの

お返事も添えられており

当山の斗南藩の墓石は

会津藩士とその家族のものであり

貴重な歴史資料であると

記されておりました。

 

まだまだ勉強不足ですが

学びを重ねながら

しっかりと斗南藩の歴史を

後世へ伝えなければと

改めて感じさせられました。

IMG_2392

IMG_2389

開拓の精神に触れる

新渡戸稲造が創設した

新渡戸記念館では

三本木開拓の歴史や

新渡戸稲造の足跡に

触れることが出来ます。

 

新渡戸稲造の祖父にあたる

盛岡藩士・新渡戸傳(つとう)は

“不毛の地”に川を作り町を作りました。

 

それが現在の十和田市です。

 

斗南藩について学びを進めていた所

旧会津藩である斗南藩の方も

開拓について尋ねるべく

新渡戸傳(つとう)を訪ねたと

記録がありまして

新渡戸記念館を訪ねさせて頂きました。

 

新渡戸記念館は

拙僧(副住職)が小学生の頃

社会科見学で訪れた記憶があります。

 

新渡戸記念館の訪問はそれ以来なので

三十年まではいかなくとも

二十数年ぶりに訪れたことになります。

 

新渡戸記念館の新渡戸さんと

学芸員の角田さんには

懇切丁寧にお話を伺わせて頂き

貴重な史料を拝見させて頂きました。

 

当山には斗南藩の方の墓石が16基

本堂裏手に並んでおり

激動の時代を今に伝えております。

 

当山では二百数年ぶりに

本堂を建替えるに当たり

歴史や伝説などの整理をしており

斗南藩の歴史も見直している所です。

 

また十和田と当山のご縁でいうと

十和田湖伝説の南祖坊は

当山にて修行されたと伝えられます。

 

本堂建替は色々な意味で

大切な機会であると考えております。

 

歴史や伝承・伝説に

改めて向き合う機会でもあると捉え

後世に伝えていくためにも

出来ることは全力を注ぎたいと思います。

 

IMG_2165

IMG_2156

IMG_2154

IMG_2152

IMG_2149

棟札を読む

現在の本堂は文化8年(1811年)に

建立されたものです。

 

その際の棟札は

真言宗に伝わる伝統的な書式の下

表裏両面に色々と書かれております。

 

一部を紹介すると表面中央には

本尊・愛染明王(あいぜんみょうおう)を

表す梵字である「ジャク」に続き

奉建再建本堂一宇八間仁六間

本尊羅誐尊

院内安穏興隆佛法諸難消除

當寺檀家息災延命子孫繁昌所

と書かれております。

 

羅誐尊(らぎゃそん)とは

愛染明王のことです。

 

その右側には

大檀那

南部大膳大夫利敬公

御武運長久領内泰平

の文字が見られます。

 

大檀那(だんな)とは「大施主」の意味で

当時の盛岡藩藩主・利敬(としたか)公が

厚く庇護下さったことを意味しております。

 

同面には他に大工棟梁

木挽(こびき)

普請世話方の名前や

落慶の日付が記されており

歴史を感じさせられます。

IMG_1675

IMG_1676

IMG_1677

風土を感じる

青森県の誇る景勝地

奥入瀬渓流と十和田湖。

 

彩られた自然の中に

自身を委ねるために

時間を作って赴きました。

 

十和田湖は当山と

ゆかりのある地でもあり

最近はちょくちょく

訪ねさせて頂いております。

 

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)は

当山にて修行したと伝えられます。

 

それと先月末に拙僧(副住職)は

真言宗豊山派総合研究院

現代教化研究所准研究員

という公職を仰せつかりまして

「ナーガ(龍神)信仰」を

自身の研究テーマの1つとして

取り組ませて頂くつもりでおります。

 

古代インドでのナーガ信仰と

日本に見られるナーガ信仰は

同じようで違いが見られます。

 

中国の影響もあり

「龍」の捉え方や思想には

展開や特徴が見られます。

 

十和田湖伝説も

ナーガ信仰の1つであるといえます。

 

十和田湖伝説がどのように

語られているのかということや

いつの時代のどの書物に

記述が見られるかということは

これまでに丁寧に研究されているようです。

 

拙僧(副住職)は「仏教的視点」を以て

伝説に向き合わせて頂くとともに

仏道についてもお伝え出来るよう

向き合わせて頂きたいと考えております。

 

調査や研究と聞くと

資料を読み漁ったりなどの

イメージが強く持たれがちかと思いますが

“風土を感じる”ことが

とても大切なことです。

 

昔のままに香る草木。

昔のままに照らす太陽と月。

昔のままに歌う鳥。

昔のままに積もる雪。

 

歴史を学ぶにしても

人類学や民俗学のような

参与観察をするにしても

舞台の風土を感じることは

非常に意味のあることです。

 

十和田山はその昔

霊験あらたかな聖地として

多くの修験者が修行に

訪れた地であるとされます。

 

熊が生息し

巨大な火山岩が切り立つ深い山を

ひたすらに行脚し

壮大な湖が目の前に広がった時

はかり知れぬ感動を

感じた方もいらっしゃったろうと思います。

 

修験者は旅行者ではありません。

 

では修験者は何のために修行をしたのか。

仏道修行とは何なのか。

どのような修行をするのか。

龍神とは何なのかなどなど。

 

挙げれば切りがありませんが

拙僧(副住職)がお伝え出来ることを

整えていきたいと思います。

IMG_1494

IMG_1513

IMG_1501

IMG_1533

IMG_1639

IMG_1559

IMG_1629

IMG_1596

IMG_1613

御朱印のススメ

IMG_1445

当山は糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第15番札所です。

 

糠部霊場の御朱印はスタンプ式が主流で

当山でも本堂の観音堂前に

御朱印のスタンプを置いております。

 

直筆の御朱印は

入用の方にお声がけ頂いた際に

対応させて頂いておりましたが

御朱印を書いて頂きたいとの

お願いが増えております。

 

拙僧(副住職)が対応出来る時は

筆を取らせて頂きますが

法務中や不在時には

対応が出来ませんでしたので

ハガキサイズの紙札に

御朱印をしたためたものを

用意することにいたしました。

 

糠部霊場の観音様の御朱印と併せ

当山本尊・愛染明王の御朱印と

南祖法師(なんそほっし)の御朱印も

用意いたします。

 

これを機に御朱印の

体裁を見直しまして

書式が定まりました。

 

下の写真が

あらかじめ御朱印をしたためた紙札です。

 

拙僧(副住職)が対応出来ない場合は

これに朱印を押して御朱印といたします。

 

巡礼にて御朱印をいただくことは

尊いご功德をいただくこととされます。

 

お参りの際には

是非お声がけ下さいませ。

IMG_1442

慈悲の仏 観音菩薩

観音様という言葉で

一般的にも馴染みがある

観音菩薩(かんのんぼさつ)。

 

観音信仰の歴史は古く

坂上田村麿将軍も

篤く大切にされた尊格です。

 

当山本堂の

観音堂に祀られる観音様は

糠部三十三観音霊場

第15番札所の観音様です。

 

観音様は

三十三の姿をもつとされます。

 

三十三身の姿を現すというのは

妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五

というお経に記されており

このお経は『観音経(かんのんぎょう)』

とも通称されます。

 

三十三の姿は無限の慈悲を意味すると

お考え頂くと分かりやすいと思います。

 

ちなみに

その三十三の姿の中に

「龍」も記されているので

龍神にまつわる説話や伝説に

観音様はよく登場します。

 

龍のみならず

観音様にまつわる霊験譚や伝承は

挙げればきりがありません。

 

当山は十和田湖伝説とも

関わりのあるお寺です。

 

十和田湖伝説の大筋は

南祖坊(なんそのぼう)という僧侶が

十和田湖の主であった八之太郎に代わり

「神」として十和田湖の主となるという

物語です。

 

八之太郎は

大蛇や八頭龍として描かれております。

 

伝説なので

語られる場所や書物によって

細かな点や描写は

当然のことながら定まっておりませんが

仏教的要素を多分に

汲み取ることが出来ます。

 

南祖坊と八之太郎が向き合う場面で

南祖坊も大蛇となり

八之太郎と対峙したという

描かれ方をすることもありますし

九頭龍として八之太郎と対峙した

という描かれ方をすることもあります。

 

南祖坊が

「龍には龍の姿を以て」向き合う

この場面は観音経に記される

三十三身のくだりに通じているとも

言えるでしょう。

 

 

本堂内左手が観音堂となっております。

 

観音堂には観音様のみならず

十二支を司る八体仏(はったいぶつ)

お不動様

南祖法師尊像と

それぞれに様々ないわれのある

尊い御像が多く祀られております。

 

お立ち寄りの際は

是非お参り下さいませ。

FullSizeRender 26

IMG_1211

曽祖父の日記

拙僧(副住職)の祖父である

長峻(ちょうしゅん)は

当山住職であるのみならず

現在の南部町にございます

牡丹のお寺である長谷寺(恵光院)と

山形湯殿山の大日坊の住職も兼ねた僧侶です。

 

ちなみに拙僧(副住職)の法名である

泰峻の峻の字は

長峻大和尚の一文字を頂いております。

 

長峻大和尚は日記を毎日記していたようで

たまたま大正14年の手帳が

出てまいりました。

 

大正14年は先日逝去した

拙僧(副住職)祖母の品田豐(とよ)が

生まれた年でもあります。

 

祖母は8月18日生まれなので

その日のページを見てみると

祖母のことが記されおりました。

 

正午過即ち十二時半

常子無事女児分娩ス

常子痛む事二十五分也

尤も易産乎安也

是偏に大悲尊之力也

 

長峻大和尚の日記には

毎日欠かさずにお勤めをし

様々な書籍を読み

常に研究をしていた様子が

うかがわれます。

 

祖母が安産であった様子を

綴った文面からも

その人となりが何となく

伝わってくるように感じます。

FullSizeRender

IMG_1170

IMG_1172

IMG_1169

美しき霊山 十和田

研究調査で十和田湖へ赴きました。

 

先日、当山を訪ねて下さった

十和田湖自然ガイドクラブの方々に

十和田湖のガイドをお願いした所

快くお引き受け頂き

ご丁寧に各所をご案内頂きました。

 

おかげさまで

とても有意義な

時間となりました。

 

十和田湖自然ガイドクラブの皆様

大変お世話になりました。

 

また色々とお世話になりますので

よろしくお願いいたします。

 

赴いた当日は雨天であったため

とても静寂な雰囲気に

自身を置くことが出来ました。

 

当山は十和田湖伝説の

南祖坊(なんそのぼう)が

修行したとされるお寺です。

 

昨年夏に当山観音堂に

行者の出で立ちをした

南祖坊の御像が“発見”されました。

 

十和田湖伝説は

様々な方により語り継がれておりますが

僧侶の専門的視点から分析が

なされたことはないようです。

 

南祖坊は行者であり

修験者として描かれます。

 

当山には『十和田山神教記』という

十和田湖伝説を描いた書物がありますが

仏教的要素・修験的要素が随所に見られます。

 

真言宗では

教相(きょうそう)と事相(じそう)

2つの側面を深めることを

修行とします。

 

教相とは「学問的な側面」で

経典や論書など文献学的な

アプローチでみ教えを学びます。

 

事相とは「実践的な側面」で

数多くの所作や作法などを通じ

言葉を超えて託される心を学びます。

 

それらは

車の両輪に喩えられるもので

どちらも備わってこそのものです。

 

それらの見方をもって

伝説を見つめると

より一層味わい深い物語となり

より多くの方の心に響くものに

なるように思います。

 

当山では南祖坊の伝説について

改めて研究をしております。

 

十和田湖の南祖坊伝説は

当山に伝わる幾つかの伝承や伝説の中でも

とても大切なものなので

後世にしっかりと伝えられるよう

しっかりと研鑽を重ねてまいります。

FullSizeRender 18

FullSizeRender 17

FullSizeRender 16

FullSizeRender 10

FullSizeRender 14

FullSizeRender 13

FullSizeRender 12

FullSizeRender 15

後世に託すべく

今月初頭に当山有縁の方の

50回忌と先祖供養の

ご法事をご一緒させて頂きました。

 

その方は

斗南藩(となみはん)の

末裔にあたります。

 

ご法事がてら

斗南藩のお墓について

少しばかり拙僧(副住職)の

考えを伝えさせて頂きました。

 

当山境内には

斗南藩の方のお墓が16基ございます。

 

時代の経過とともに

徐々に劣化が見られております。

 

また、現在当山では

6年計画で本堂建替という

歴史的大事業を進めております。

 

この大きな機会に当たり

当山の歴史や伝承などの

見直しや整理も行い

後世に伝える用意をしております。

 

斗南藩の歴史も

きちんとした形で

整えさせて頂き

後世にしっかりと伝えたいと

切に考えております。

 

境内の斗南藩墓地については

供養塔を建立し

現存の墓石を周囲に

配置するような形で

整備したいと思索中です。

 

本堂建替事業の中で取り掛かるか

別事業として進めるのかは

まだ未定ですが

激動の時代を確かに歩まれた

斗南藩の方々の歴史を

当山の出来る形で

しっかりと伝えられればと思います。

FullSizeRender 2

 

▼本堂建替事業について

https://fugenin643.com/blog/新たな歴史を紡ぐ/