南祖法師和讃を作らせていただきました

普賢院は十和田湖伝説の

南祖法師(なんそほっし)が

修行したとされるお寺です。

 

南祖法師は

南祖坊(なんそのぼう)と通称され

広く親しまれてきた伝説の僧侶で

当山第2世・月法律師(がっぽうりっし)

の弟子であり

十和田湖の龍神・青龍権現に

なったとされます。

 

令和3年は

廻国僧の行海上人により

承安元年(1171に当山が

開基中興されて850年という

節目でもあります。

 

昨日もお伝えしたように

開基中興850年記念として

普賢院和讃と

南祖法師和讃を

作らせていただきました。

 

拙僧(副住職)は

豊山流(ぶざんりゅう)御詠歌の

詠秀(えいしゅう)という

公職につく身でもあり

御詠歌をとても大切にしております。

 

自身が出来ることの一つとして

御詠歌(和讃)を

この歴史的節目に

記念事業として納めようと

数年前に発願しまして

何とか形にすることが出来ました。

 

お寺の歴史や

お寺の伝承・伝説を

後世に託す一助になればと思います。

 

▼南祖法師和讃

 

▼普賢院和讃はコチラ

念願だったお寺のご詠歌(和讃)が出来ました

令和3年は

当山が開基中興され850年という

歴史的な節目にあたります。

 

この機会に

かねてより念願していた

当山のご詠歌(和讃)を

納めさせていただきました。

 

この度

当山に納めさせていただいたのは

普賢院和讃と南祖法師和讃です。

 

普賢院和讃の奉詠動画を

用意したので

聞いていただけると幸いです。

 

合葬墓と斗南藩縁故者供養碑と十和田湖青龍権現碑と

一生に一度であろう

本堂地鎮式を終え

ホッとしたのもつかの間で

本日が締め切り日の原稿を

一気に仕上げたり

葬儀の準備をしたりと

バタバタした一日でした。

 

本堂建替についていうと

次の大きな儀式は

上棟式となります。

 

上棟式は本年末〜来年頭に

行われる見込みです。

 

上棟式では

新しい棟札(むなふだ)を設えて

法要と式典が行われます。

 

時季的に

あまり準備に時間を

さくことが出来ないと思うので

今のうちから

準備を整えておきたいと思います。

 

本堂建替事業では

境内整備も行われます。

 

その一環として

墓地の整備も行います。

 

墓地の整備は具体的に

①合葬墓(永代供養墓)の建立

②会津斗南藩縁故者墓石の移設、供養碑を建立

③十和田湖青龍権現碑の建立

の3点が主な項目となります。

 

そのことについて

動画で紹介しておりますので

ご覧いただき

ご確認いただければと思います。

 

地鎮式を無事に終えることが出来ました

本堂建替に向け

地鎮式を執り行いました。

 

法式に則り

地鎮式に先立ち

早朝4時より仮本堂にて

修法(しゅほう)を行い

午前11時より

当山役員の皆様と

関係業者の方に

ご臨席いただき

謹んで地鎮式を

お勤めいたしました。

 

ここまで来ることが出来たのは

有縁の皆様のお支えのおかげと

心より感謝しております。

 

 

開創の時代背景を探る〜阿光坊古墳群の探求〜

おいらせ町の

阿光坊古墳群は

7世紀前半〜9世紀末にかけ

造営されたものとされます。

 

当山開創は

延暦弘仁年間(8世紀末〜9世紀初頭)

なので阿光坊古墳群の中期と

同時期に当たります。

 

阿光坊古墳群は

蝦夷(えみし)のリーダー達の

ものと考えられているようです。

 

土器、勾玉や琥珀玉などの玉類

蕨手刀(わらびてとう)といった

貴重な出土遺品が多く

当時について考える

手がかりとなります。

 

お寺が開創された頃の

同時代的なものを探るべく

阿光坊遺跡群へ

足を運んでみました。

 

伝説が交差する有家神社

岩手県九戸郡洋野町の

有家神社(うげじんじゃ)は

藤原有家(ありいえ)伝説

ゆかりの地です。

 

伝説によれば

有家は讒言により

都から追われることになり

有家神社の地に居住します。

 

ある日

阿弥陀如来のお告げをいただき

西北に立つこととなり

斗賀に入り

そこが終焉の地となります。

 

死後になって

その身の潔白が判明することとなり

有家は斗賀で十一面観音として祀られ

有家村では亡き有家をしのんで

有家神社が創建されたと

伝えられます。

 

この伝説は

斗賀霊現堂の縁起によるものです。

 

霊現堂の系譜によると

有家は「初代」とされています。

 

さらに斗賀は

十和田湖伝説の南祖坊(なんそのぼう)が

生誕した地ともされます。

 

有家伝説が伝わる

有家神社を訪ねさせていただき

有家伝説について

簡単に紹介した動画をアップしたので

ご覧いただければ幸いです。

 

3人の開山上人について

5月15日は

当山初代住職のご命日で

開山忌(かいさんき)となります。

 

令和3年5月15日は

開創・圓鏡(えんきょう)上人の

1205回忌でした。

 

普賢院には

3人の「開山」上人が

いらっしゃいます。

 

開創開山・圓鏡上人

開基開山・行海(ぎょうかい)上人

中興開山・快傅(かいでん)上人

は歴代先師の中でも

殊に大切な3人です。

 

お三方について

動画で紹介させていただいたので

ご覧いただいて

当山とのご縁を

深めていただければ幸いです。

 

西の山の向こうの山をのぞむ

普賢院は真東を向いて

お寺が建てられています。

 

見方を変えると

真西を背負う形で

お寺が建てられているともいえます。

 

当山近辺だと

見晴らしの良いとき

西方には戸来岳の先端を

見ることが出来ますが

八甲田連峰は視界を

遮られているため

見ることが出来ません。

 

そこで

境内からドローンを上昇させて

視界を遮っている「西の山」の

奥に広がる光景を撮影してみました。

 

秀麗な山々は

当地に伝わる伝説の舞台でもあります。

 

そのようなことにも

思いをはせながら

山々をのぞむと

心洗われるような

思いがいたします。

 

白銀の清水観音と七崎観音

あまり知られていませんが

普賢院に祀られる七崎観音の

ルーツは八戸市白銀町に

あると伝えられます。

 

白銀の海から引き揚げられた

観音様が最初は

清水川上段に祀られ

平安初期に

七崎に遷されたとされます。

 

白銀で観音様を

引き揚げたのは

坂上田村麻呂将軍だとも

藤原諸江卿だともいわれます。

 

永福寺時代に当山は

清水観音の別当寺でした。

 

そのようなご縁深い

白銀の清水観音について

動画で紹介しておりますので

ぜひご覧下さいませ。

 

北沼観音と八太郎の蓮沼

普賢院境内に祀られる

北沼観音(きたぬまかんのん)。

 

こちらはもともと

八太郎の蓮沼にあったものですが

埋め立てに伴い

普賢院に遷座されたものです。

 

これまでも

当ブログで紹介してまいりましたが

簡単な紹介動画を作成しました。

 

祭祀されるものの由緒を

知っていただくことは

とても大切なことです。

 

紹介動画を通じて

北沼観音とのご縁を

一層深めていただければと思います。

 

当山にご参詣の際は

ぜひ北沼観音もお参り下さいませ。