お寺の象徴的な木であったイチョウが
本日の工事で伐採されました。
このイチョウは
当山所蔵の棟札によると
享保年間に当山を中興した
快傅(かいでん)上人により
植えられたものと考えられます。
とても大きなイチョウでしたが
職人さん方の丁寧な作業により
倒されました。
伐採したイチョウは
製材していただき
新本堂で使われる
仏具などの法具に
仕立てていただきます。
イチョウの伐採の様子を
動画に納めたので
よろしければご覧下さい。
お寺の象徴的な木であったイチョウが
本日の工事で伐採されました。
このイチョウは
当山所蔵の棟札によると
享保年間に当山を中興した
快傅(かいでん)上人により
植えられたものと考えられます。
とても大きなイチョウでしたが
職人さん方の丁寧な作業により
倒されました。
伐採したイチョウは
製材していただき
新本堂で使われる
仏具などの法具に
仕立てていただきます。
イチョウの伐採の様子を
動画に納めたので
よろしければご覧下さい。
お寺の“シンボル”のような存在だった
正面(東側)の杉が
伐採されました。
その様子を
映像におさめましたので
ご覧いただければと思います。
たまたまですが
ここ何日かは
“動画がブログ”のようになっています。
ブログのような動画を
「ブイログ」と称するそうですが
その意味が分かったように思います。
本日も短い動画を編集できたので
よろしければご覧ください。
動画に付した字幕でも触れましたが
現在伐採していただいている木々は
予想していたよりずっと古いようです。
「植樹」することは
祈りを捧げることでもあります。
承安元年(1171)5月に
普賢院を開基(中興)された
行海上人は
七つ星になぞらえて
杉を植えたと伝えられます。
七つ星は北斗七星のことで
仏道では息災の象徴でもあります。
つまり
行海上人は世の平安を願い
杉を植えられました。
当山が所蔵する
江戸期の棟札をみると
杉は「杦」と表記されています。
木へんに久しい「杦」という旧字は
杉に込められた願いの一端が
垣間見られるように思います。
とわの平安を願い
杉を植樹するという
祈りのあり方が
あったのだろうと思うのです。
享保年間に当山を中興された
快傅(かいでん)上人は
七崎山(現在の七崎神社の地)と
当山に2000本の木を植えたと
江戸期の棟札に記されています。
植樹することの意味合いは
現代に生きる私たちには
ピンと来にくい
切実なものがあったのだろうと
推測されます。
後で職人さんが
伐採した古木の年輪から
年代を推定して下さるそうです。
当時の住職が祈りを込めて
植樹されたものでしょうから
推定年代ではありますが
当山史の中に
しっかりと留めたいと思います。
昨日行われた
七崎観音おこもり法要の様子を
短い動画に編集しました。
当日の雰囲気が
少しでも伝われば幸いです。
青空が広がる快晴の一日であり
大きな月が優しい光を
あまねく注いだ一日でもありました。
本日は旧暦1月17日大安にあたり
当山では秘仏・七崎観音をご開帳し
法要が行われました。
例年とは異なる形での厳修でしたが
とても素晴らしいひとときであったと
感じております。
法要の様子は後日
動画にてお伝えいたします。
ご一緒下さった皆様には
心より感謝申し上げます。
今月締切の原稿が
何とか仕上がりまして
久しぶりに
心の底から喜んでおります。
さて
明日は1年に1度の
尊い法要の日です。
気合を入れて
急ピッチで準備を
進めております。
考えてみると
仮本堂でのご開帳は
本年と来年だけの
希少価値ある機会となります。
それだけに
入念に準備を整え
お勤めさせていただきたいと思います。
28日に秘仏・七崎観音を
ご開帳して行われる行事に向け
本日は仮観音堂より主なお仏像を
仮本堂にお遷ししました。
準備をしていると
いつもお世話になっている
小泉電気店の小泉智英さんが
照明を持ってきて下さいました。
実際に照明を使ってテストすると
とても素晴らしい雰囲気となりました。
おかげさまで
幻想的な空間にて
法要を行うことが出来そうです。
▼28日の詳細はコチラをご参照下さい▼
2月28日は
旧暦1月17日大安にあたり
この日に
秘仏・七崎観音(ならさきかんのん)を
ご開帳して
法要が行われます。
この行事は
「おこもり」とよばれます。
例年ですと
午後8時より護摩を行いますが
仮本堂では消防法の関係で
護摩を修法できないため
別形式でご祈祷の法要を
行います。
当日の流れは次のようになります。
どなた様でも
ご参列いただけるので
年に1度の行事を
ぜひご一緒下さい。
おこもりの流れ
◆仮本堂にて受付(午後7時〜)
お布施、加持物(かじもつ)をお預かりします。
- 法要中、祈願者名を読み上げますので、読み上げてほしいお名前はお布施の袋にお書きいただくか、別紙ご持参下さい(読みがなを振っていただけると有り難いです)。
- 読み上げの名簿を作成する都合上、時間にゆとりをもって来ていただけると助かります。また、前日までに受付を済ませて頂いても構いません。メールでも受付いたします。
- 護摩の時は、加持物(かじもつ)を護摩の煙にあててお加持していましたが、今回はご宝前に設えてお加持いたします。加持物ですが、例えば愛用の服、メガネ、ノート、シャーペンなど、皆様ゆかりの物を風呂敷に包むか、カバンに入れてお持ち下さい。
◆法要(午後8時〜)
法要の中で、祈願者名を読み上げます。ご自身のお名前、あるいは有縁の方のお名前が読み上げられた際は、心願成就を願い、柏手(かしわで)を2度お打ちください(2拍手)。
◆ウイルス対策のため、本年は後席はありません。
◆数に限りがありますが、御護符(おごふ)として落雁(らくがん)をお渡しします。
◆法要後、授与品(お守、お札など)をお授けする授与所を用意するので、入用の方は、そちらでお求め下さい。
皆様のご参加
心よりお待ちしております。
昨日紹介した寺史資料に
江戸以前についても
情報を追記してみました。
江戸以前については
詳細な記述がないため
当山の過去帳を典拠にして
開創以降の先師について
追記しました。
長い歴史の中で
お名前が分からない先師様が
多くいらっしゃいますが
わずかであっても
お名前が現代に留められていることは
とても凄いことだと感じます。
また
弘法大師空海
興教大師覚鑁(かくばん)を
両祖大師(りょうそだいし)に関する
行事についても
一部追記しました。
両祖大師に関係する行事にあわせ
記念事業を行う傾向もあるので
様々な考察に有意義なためです。
分かっていることや
所蔵しているものを
文字に起こしてみると
案外情報量が多いことに
気づかされます。
歴史や伝承は
唯一無二のものゆえ
大切にしたいと思います。
※『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄、大正15年[1926])を典拠にしたものについては青字で記します。(※一部追記アリ。)
※伝説・伝承含め当山に関連する記述の見られる主な史料の年代等を緑字で記します。前回のものに追記したものがあります。
※弘法大師空海や興教大師覚鑁の両祖大師に関すること、寛永11年[1634]以降の御遠忌(ごおんき)を紫字で記します。
※近世以前(ここでは寛政12年[1625]以前)については、当山の過去帳を主な典拠として橙色で記します。(※一部追記アリ)
年代の判明している
近世以降の
仏像・仏具であったり
所蔵している棟札などを
ザックリと時系列に
箇条書きで並べたものを
以前こちらのブログで
紹介させていただきました。
今回はさらに主な史料と
当派で大切にされる
両祖大師の御遠忌(ごおんき)の
年次を加えてみます。
両祖大師とは
弘法大師・空海上人と
興教大師・覚鑁(かくばん)上人
のお二人を指します。
御遠忌を迎えるに当たり
記念事業を行うことが多いため
御遠忌の年次について
記載することにしました。
定期的に迎えられる
御遠忌という節目を
時間軸に落としていくことは
当山の歴史を紐解くうえで
とても有意義なことです。
当ブログは
研究メモとしても
活用しております。
今後お寺の寺史などを
作成するにあたっての
基礎資料作りでもあると捉え
取り組んでおります。
地道な作業な必要なことゆえ
一気に仕上げることは
難しいですが
コツコツ取り組みたいと思います。
それでは
以下に“研究メモ”を記して
本日は終えたいと思います。
※『郷社七崎神社誌』(小泉幸雄、大正15年[1926])に掲載される神社所蔵の棟札については青字で記します。
※伝説・伝承含め当山に関連する記述の見られる主な史料(近世以降)の年代等を緑字で記します。
※弘法大師や興教大師の御遠忌(ごおんき)を紫字で記します。