観音堂の賽銭箱を作っていただきました

本堂建替にあたり

五戸木工さんにお願いしていた

観音堂の新しい賽銭箱を

仕上げていただきました。

 

五戸木工の先代の社長さんが

寄せていたというケヤキを使って

作っていただいたそうで

とても立派なものを

作って下さいました。

 

五戸木工さんには色々と

お世話になっていますが

職人技というものは

本当にすごいものだと

いつも感心させられます。

 

素晴らしいものを

作っていただき

心より感謝しております。

 

現在は仮観音堂に

置かせていただいてますが

空間の雰囲気が

一気に締まったように思います。

 

七崎観音と旧七崎観音堂

以前から

当ブログで書き溜めてきた

「ふげんいん探訪」の記事を

動画化したいと考えておりました。

 

試験的な意味合いもありますが

七崎観音について

大まかな紹介を動画にしてみました。

 

まだまだ改良の余地はありますが

文章だけよりは

ずっと分かりやすいように思います。

 

ご覧いただいて

観音様とご縁を

深めていただければ幸いです。

 

地鎮式に向けて〜お世話になった方々〜

今月行われる地鎮式。

 

儀式に必要な

お水と仏具を整えるにあたり

大変お世話になった方々が

いらっしゃいます。

 

その方々との

アーカイブ動画を作成しました。

 

本堂建替を

無魔成満させていただくことは

お世話になった皆様への

恩返しにも重なるものと思います。

 

感謝を胸に

地鎮式に臨ませていただきます。

 

日昇と日没

毎月1回有志の皆様と

当山を会場にして

論語の勉強会をしています。

 

1時間少々の時間ですが

とても有意義な時間であると

いつも感謝しております。

 

論語と向き合うご縁をいただいて

早いもので3年が経ちます。

 

八戸市知内の洗心美術館を

管理されている

小坂技研会長の小坂明さんが

お声がけ下さり

始まった論語教室は

とても魅力的であると感じています。

 

洗心美術館には

縄文土器も多く展示されています。

 

小坂会長より

縄文時代についての書籍を

いただいたことがありますが

その中に

太陽の運行規則について

縄文の方々は

熟知されていたということが

述べられていました。

 

夏至と冬至

春分と秋分のことを

二至二分(にしにぶん)といいますが

この4日は太陽の運行において

特別な日でもあります。

 

夏至には日出・日没が最も北側により

冬至には日出・日没が最も南側によります。

 

春分と秋分は

日出が真東で日没が真西となります。

 

これまでブログでも

何度も紹介しておりますが

当山は真東を向けて建てられており

お寺から真東に伸びるように

道がのびております。

 

春分と秋分には

真東にのびる道のちょうど先から

太陽が昇るように

位置されています。

 

夏至の日出となると

春分の時(真東)に比べかなり

北側によった位置からの日昇で

冬至の日出も

秋分の時(真東)に比べかなり

南側によった位置からの日昇です。

 

当山では境内の立木伐採が

3月に行われたことにより

日没する西側方面の視界が

開けました。

 

これまでは

木々に覆われていたため

日没を明瞭に確認することが

出来なかったのですが

最近はクリアーに

見渡すことが出来ます。

 

そこで感じたのは

当山から見える

年間を通しての日没エリアが

思った以上に広いということです。

 

当山は

十和田湖伝説のお寺でもありますが

日没の方角は

十和田湖の方角でもあります。

 

日昇に加え

日没についても

あらためてじっくり

観察してみたいと思います。

 

 

▼縄文にお詳しい小坂会長より

縄文ラーメンをいただきました。

エンディングノート書き方講座を開催します

先の4月20日は

終活カフェが開催されました。

 

▼その時の様子はコチラです(動画)

https://www.youtube.com/watch?v=yVbickQtc8s&t=22s

 

終活カフェは

年に2回(春と秋)

開催してまいります。

 

流れとしては

はじめに拙僧(副住職)が

2〜30分程お話させていただき

終活カフェの趣旨であったり

統計を踏まえて昨今の

社会状況の一端について

お伝えさせていただいた後

葬儀店の山村総本店常務の

上野裕康さんと

終活カウンセラーのお弟子さんに

それぞれのお立場から

お話いただくというものでした。

 

拙僧(副住職)は

現代教化研究所という

宗派の研究機関の一研究員として

研究職にもつかせて

いただいております。

 

現代教化研究所という

研究機関では“現代問題”も

研究テーマとしているので

そちらでの経験が

終活カフェには

少なからず資しているように

感じております。

 

次回の終活カフェは

10月の開催を予定しています。

 

テーマはお墓です。

 

拙僧(副住職)としては

お墓に関連するお話として

古代から現代にいたるまでの

お弔いやお墓の歴史や展開

について大まかに

お伝えしようと考えています。

 

それはいわば「精神史」の展開と

深く関わるものでもあり

これからの「お墓」のあり方を

考えるにあたり

「精神史」を踏まえながら

歴史的展開を見直すことは

有効な手がかりとなると思います。

 

終活に関連しまして

終活カウンセラー1級である

お弟子さん・中野太陽さんが

5月からエンディングノートの

書き方をお伝えする講座を

月1回開催することとなりました。

 

エンディングノートは

終活において

とても有効な方法といえます。

 

有効なものではありますが

お一人で書き上げるのは

なかなか難しいものなので

書き方講座を

ご活用いただければと思います。

 

ご興味をお持ちの方は

お気軽にお問い合わせ下さい。

 

詳細は下記を

ご参照下さいますよう

お願いいたします。

 

エンディングノート書き方講座

日程:2021/5/27

時間:午後1時30〜3時30分

会場:ふれあい豊山館

会費:1500円

※別途エンディングノート1冊1100円

※会費の一部は国際協力活動への寄付にあてられます。

定員:8名

講師:中野太陽(終活カウンセラー1級)

☆ご参加される方は、お申込み下さい。

 

作法からうかがえる本堂の尊さ

本日は新本堂建設の

施工部会が行われました。

 

新本堂が完成する来年10月までの

行程確認であったり

今後についての確認を重ね

有意義な会議だったと思います。

 

本堂建替に伴う主な儀式として

地鎮式(じちんしき)

上棟式(じょうとうしき)

落慶式(らっけいしき)

の3つがあげられます。

 

来月は地鎮式を行います。

 

真言宗における地鎮式は

大地を司るとされる

堅牢地神(けんろうちじん)を

本尊とした地鎮法という

修法を行ったうえで

式典が行われます。

 

真言宗には多くの

法流(ほうりゅう)

というものがあります。

 

法流というのは

宗派とはまた異なるもので

「作法の流派」といった

側面があるものです。

 

伝法院流

中性院流

中院流

三宝院流

西院流など

大まかなものだけで12流あり

さらに細分化すると

ものすごく沢山の

法流が伝えられます。

 

法流が複数にまたがることは

珍しくはなく

多くの法流の伝授を

受けられている

事相家の方もいらっしゃいます。

 

話が少し専門的に

なってしまいましたが

その法流により

地鎮式の作法も異なります。

 

当山にて主に用いられる法流では

本堂を建立する際は

地鎮法という作法を

行いますが

その他の

お堂や庫裏などの建物を

建立する際は

土公供(どこうぐ)という

作法が行われることとなっています。

 

一般的な感覚ですと

本堂やその他の建物は

あまり違いがないように

思われると思いますが

作法上は

意味合いが全く異なります。

 

この点は

専門性がかなり高いことですが

僧侶の立場からすれば

とても重要な点であると同時に

普賢院の歴史を

紐解く上でも踏まえるべき

ことだと感じます。

 

地鎮法の

次第を掘り下げてみると

本堂という建物が

とても尊いものだと

いうことがよく分かります。

 

新賽銭箱に一筆入れさせていただきました

昨日、五戸木工さんから

製作途中の賽銭箱が

届けられました。

 

まだ製作途中ですが

思っていた以上に

素晴らしいものに

仕上げていただけそうです。

 

この賽銭箱は

観音堂に置かれます。

 

「浄財」の文字を

入れてほしいとのことだったので

僭越ながら拙僧(副住職)が

筆をとらせていただきました。

 

どのような字体にするのか

3つほど候補がありましたが

最終的に採用した字体は

伝・空海とされるものを

参考にいたしました。

 

新賽銭箱は

早ければ来月には

仕上がるそうです。

 

▼新賽銭箱(製作途中です)

 

▼一筆したためさせて頂きました。

日の出の位置の移ろい

真東を向いた形で

お寺が建立されているため

当山正面に朝日を

のぞむことが出来ます。

 

お寺からズバッと

真東に伸びる道は

門前町の光景を

今に留めているわけですが

彼岸中日は

その道のちょうど先から

朝日が昇るように

位置されています。

 

春彼岸中日を過ぎると

日の出の位置が徐々に

北側(写真の左側)へ

ズレていきます。

 

夏至を過ぎると

日の出の位置が徐々に

南側(写真の右側)へ移り

秋彼岸中日には

再び真東へのびる道の

ちょうど先へ。

 

秋彼岸中日を過ぎると

日に出の位置はさらに

南側(写真の右側)へ移り

冬至を過ぎると

またまた日の出の位置が

北側(写真の左側)と移ります。

 

当山は

開創開山が8C末〜9C初頃で

1200年以上の歴史が伝えられますが

創建以前より

この場所が“聖地”のような

特別な意味合いが

あったのではないかとも思います。

 

北条時頼公のご縁

鎌倉の建長寺の調査員の方が

研究調査で当山に

お立ち寄り下さいました。

 

調査員の方は

数年後に控える

建長寺の遠忌に向け

北条時頼伝説ゆかりの地を

調べていらっしゃるとの

ことでした。

 

北条時頼が

奥州を行脚された際に

当地に宿泊されたと

言い伝えられております。

 

さらに

鎌倉というと

とてもご縁の深い場所でして

永福寺(えいふくじ)という

寺号(じごう、お寺の名前)の由来は

鎌倉の永福寺(ようふくじ)

とされます。

 

鎌倉の永福寺は源頼朝公が

平泉の二階大堂(大長寿院)を

モデルにして建立したとされます。

 

また鎌倉というと

長谷寺が有名ですが

この長谷寺は奈良の長谷寺と

深く関わりがあります。

 

様々なお話を

お伺いさせていただくことも出来

とても尊いご縁を

頂戴したと感謝しております。