早稲田観音〜三戸永福寺と七崎永福寺(普賢院)〜

普賢院の住所は

「永福寺(えいふくじ)」

となっていますが

これはかつての寺院名が

永福寺であったことを

今に伝えています。

 

当山は鎌倉〜江戸時代初期に

永福寺という寺号(お寺の名前)が

主に用いられていました。

 

寺号ついでにいえば

本堂建替に伴う

所蔵物の整理・調査の中で

古い聖観音御影版木の山号寺号が

「七崎山普賢院」となっている

ものを発見しました。

 

これまで

「七崎山」という山号は

当山が長く別当を担っていた

旧観音堂の寺号「徳楽寺」

と“セット”のものとして

当然のように捉えられてきました。

 

「七崎山普賢院」と

刻される版木の発見は

その“定説”を再考する余地が

大いにあることを示すといえます。

 

確認ですが

旧観音堂は明治まで

現在の七崎神社の地にありましたが

明治になって廃寺となり

跡地は七崎神社に改められました。

 

棟札等を踏まえるに

徳楽寺という寺号は

15世紀半ば頃〜後半に

用いられ始めたと推定しています。

 

江戸時代になり

檀家制度が成立し

お寺の本末関係も

“行政的に”明確にすることが

幕府により企図されます。

 

本末関係が確認され

本寺が最も権威があると

されたものの

史料を見る限り

本寺に「絶対的権力」が

あったわけではないようで

末寺の方が経済的に

豊かになっていった

というケースは

珍しくありません。

 

東北地方は

飢饉が頻発した歴史があり

いくら藩の手厚い支援を

受けていたからといって

本寺が盤石な体制を敷いていた

わけではないようです。

 

話が大分脇道にそれましたが

「お寺の運営・経営」という側面が

歴史に大いに関わっている

ということをお伝えしたいのです。

 

普賢院が鎌倉〜江戸初期に

用いていた永福寺という寺号は

鎌倉二階堂にあった永福寺(ようふくじ)

という大寺院に由来します。

 

鎌倉の永福寺(ようふくじ)は

源頼朝が奥州戦乱の戦没者供養のため

平泉の大長寿院二階大堂を模して

鎌倉に建立した大寺院です。

 

その鎌倉永福寺の僧・宥玄が

南部氏より恩賞として

三戸沖田面(現南部町)に

永福寺が建立されます。

 

それに加え

七崎も与えられ

当山も所管することに

なったとされます。

 

永福寺の僧侶が入ったことから

当山も次第に永福寺と

呼ばれるようになったと

伝えられます。

 

永福寺は

江戸初期になると

本坊が盛岡に建てられ

七崎永福寺(普賢院)と

三戸永福寺(嶺松院)は

自坊と位置づけられます。

 

これまで

指摘されてきませんでしたが

この点については

永福寺の“運営・経営的側面”も

大きく関係していると思われます。

 

お寺とひとことでいっても

菩提所と祈願所という

違いをはじめとして

細かな違いがあるのですが

それらを踏まえてみると

いろいろなことが

浮かび上がってまいります。

 

これ以上記すと

ボリュームが凄いことになるので

この辺にしておきます。

 

七崎永福寺(普賢院)

三戸永福寺(嶺松院)

盛岡永福寺

という3つの永福寺。

 

七崎永福寺を残し

明治になり

他の永福寺は廃寺となりました。

 

盛岡永福寺については

昭和17年(1942)3月に

再興許可がおり

新たなスタートが切られました。

 

糠部三十三観音第23番札所の

早稲田観音は

今はなき三戸永福寺(嶺松院)の

歴史をとどめる札所といえます。

 

早稲田観音について

動画で紹介していますので

ご覧いただき

当山とのご縁も

深めていただければ幸いです。

 

南祖法師和讃を作らせていただきました

普賢院は十和田湖伝説の

南祖法師(なんそほっし)が

修行したとされるお寺です。

 

南祖法師は

南祖坊(なんそのぼう)と通称され

広く親しまれてきた伝説の僧侶で

当山第2世・月法律師(がっぽうりっし)

の弟子であり

十和田湖の龍神・青龍権現に

なったとされます。

 

令和3年は

廻国僧の行海上人により

承安元年(1171に当山が

開基中興されて850年という

節目でもあります。

 

昨日もお伝えしたように

開基中興850年記念として

普賢院和讃と

南祖法師和讃を

作らせていただきました。

 

拙僧(副住職)は

豊山流(ぶざんりゅう)御詠歌の

詠秀(えいしゅう)という

公職につく身でもあり

御詠歌をとても大切にしております。

 

自身が出来ることの一つとして

御詠歌(和讃)を

この歴史的節目に

記念事業として納めようと

数年前に発願しまして

何とか形にすることが出来ました。

 

お寺の歴史や

お寺の伝承・伝説を

後世に託す一助になればと思います。

 

▼南祖法師和讃

 

▼普賢院和讃はコチラ

念願だったお寺のご詠歌(和讃)が出来ました

令和3年は

当山が開基中興され850年という

歴史的な節目にあたります。

 

この機会に

かねてより念願していた

当山のご詠歌(和讃)を

納めさせていただきました。

 

この度

当山に納めさせていただいたのは

普賢院和讃と南祖法師和讃です。

 

普賢院和讃の奉詠動画を

用意したので

聞いていただけると幸いです。

 

合葬墓と斗南藩縁故者供養碑と十和田湖青龍権現碑と

一生に一度であろう

本堂地鎮式を終え

ホッとしたのもつかの間で

本日が締め切り日の原稿を

一気に仕上げたり

葬儀の準備をしたりと

バタバタした一日でした。

 

本堂建替についていうと

次の大きな儀式は

上棟式となります。

 

上棟式は本年末〜来年頭に

行われる見込みです。

 

上棟式では

新しい棟札(むなふだ)を設えて

法要と式典が行われます。

 

時季的に

あまり準備に時間を

さくことが出来ないと思うので

今のうちから

準備を整えておきたいと思います。

 

本堂建替事業では

境内整備も行われます。

 

その一環として

墓地の整備も行います。

 

墓地の整備は具体的に

①合葬墓(永代供養墓)の建立

②会津斗南藩縁故者墓石の移設、供養碑を建立

③十和田湖青龍権現碑の建立

の3点が主な項目となります。

 

そのことについて

動画で紹介しておりますので

ご覧いただき

ご確認いただければと思います。

 

開創の時代背景を探る〜阿光坊古墳群の探求〜

おいらせ町の

阿光坊古墳群は

7世紀前半〜9世紀末にかけ

造営されたものとされます。

 

当山開創は

延暦弘仁年間(8世紀末〜9世紀初頭)

なので阿光坊古墳群の中期と

同時期に当たります。

 

阿光坊古墳群は

蝦夷(えみし)のリーダー達の

ものと考えられているようです。

 

土器、勾玉や琥珀玉などの玉類

蕨手刀(わらびてとう)といった

貴重な出土遺品が多く

当時について考える

手がかりとなります。

 

お寺が開創された頃の

同時代的なものを探るべく

阿光坊遺跡群へ

足を運んでみました。

 

3人の開山上人について

5月15日は

当山初代住職のご命日で

開山忌(かいさんき)となります。

 

令和3年5月15日は

開創・圓鏡(えんきょう)上人の

1205回忌でした。

 

普賢院には

3人の「開山」上人が

いらっしゃいます。

 

開創開山・圓鏡上人

開基開山・行海(ぎょうかい)上人

中興開山・快傅(かいでん)上人

は歴代先師の中でも

殊に大切な3人です。

 

お三方について

動画で紹介させていただいたので

ご覧いただいて

当山とのご縁を

深めていただければ幸いです。

 

西の山の向こうの山をのぞむ

普賢院は真東を向いて

お寺が建てられています。

 

見方を変えると

真西を背負う形で

お寺が建てられているともいえます。

 

当山近辺だと

見晴らしの良いとき

西方には戸来岳の先端を

見ることが出来ますが

八甲田連峰は視界を

遮られているため

見ることが出来ません。

 

そこで

境内からドローンを上昇させて

視界を遮っている「西の山」の

奥に広がる光景を撮影してみました。

 

秀麗な山々は

当地に伝わる伝説の舞台でもあります。

 

そのようなことにも

思いをはせながら

山々をのぞむと

心洗われるような

思いがいたします。

 

白銀の清水観音と七崎観音

あまり知られていませんが

普賢院に祀られる七崎観音の

ルーツは八戸市白銀町に

あると伝えられます。

 

白銀の海から引き揚げられた

観音様が最初は

清水川上段に祀られ

平安初期に

七崎に遷されたとされます。

 

白銀で観音様を

引き揚げたのは

坂上田村麻呂将軍だとも

藤原諸江卿だともいわれます。

 

永福寺時代に当山は

清水観音の別当寺でした。

 

そのようなご縁深い

白銀の清水観音について

動画で紹介しておりますので

ぜひご覧下さいませ。

 

北沼観音と八太郎の蓮沼

普賢院境内に祀られる

北沼観音(きたぬまかんのん)。

 

こちらはもともと

八太郎の蓮沼にあったものですが

埋め立てに伴い

普賢院に遷座されたものです。

 

これまでも

当ブログで紹介してまいりましたが

簡単な紹介動画を作成しました。

 

祭祀されるものの由緒を

知っていただくことは

とても大切なことです。

 

紹介動画を通じて

北沼観音とのご縁を

一層深めていただければと思います。

 

当山にご参詣の際は

ぜひ北沼観音もお参り下さいませ。