紐解き七崎観音⑤

前稿では

海から引き揚げられたとされる

七崎観音縁起の「前段階」についての

検討を試みました(前稿参照)。

 

結果として

死者の供養のために

作られた観音像が海に放たれ

それが白銀で引き揚げられて

当地に遷座されるに至った

という流れを提示いたしました。

 

八戸市白銀は当山と縁深い場所で

白銀の清水川観音(糠部霊場札所)は

かつて当山が管理していた観音堂です。

 

七崎観音の由来については

白銀の浜といういわれの他

八太郎とのいわれもあります。

 

白銀と八太郎は

浜づたいの地域であり

八太郎地区が開発工事される以前は

現在以上に隣接感があったでしょうから

白銀と八太郎あたりに

七崎観音の「出現」が

設定されているという感じで捉えています。

 

参考までにですが

藤原諸江卿が白銀に上陸して

浜をつたって八太郎に着き居を構えて

漁師として暮らしている中

天長元年(824)4月7日に

漁をしていると網に

聖観音がかかったので

祀ったという一説があります。

 

その説では

諸江卿が承和元年(834)1月7日に

夢告にて当地に

その聖観音を祀ったという

筋書きになっております。

 

明治元年(1868・戊辰)の後に

廃止されたお浜入り(御浜出)という祭事は

当地から八太郎の浜まで

御神輿を担ぎ行列をなして

赴くものでした。

 

そのことについては

これまで何度かブログで

紹介しているのですが

当シリーズに関連するものとして

稀代の古刹⑥のリンクを以下に

示しておくので

そちらをご参照ください。

 

稀代の古刹 七崎観音⑥(2019/2/1)

 

八太郎へのお浜入りについて

紐解き七崎観音①掲載の

資料1.『新撰陸奥国志』における

記述を註も含め以下に引用します。

 

四月七日の◻或は昔出現ありし所なりとて

八太郎(九大区一小区)に旅所あり

黒森浜に輿を移し

其時 別当 役々残らす扈従し

氏子百五十人余

その他遠近信仰の従相随ひ

八太郎浜は群参千余人

海上には小艇に乗して

囲繞すること夥し

旅所は黒森にありしか

戊辰後これを廃し

(※現在、本堂前に祀られる北沼観音に関する記述。現在普賢院に祭祀される北沼観音は、八太郎の蓮沼にあったが、昭和39年[1964]に当山に遷座された。北沼観音は七崎姫伝説という物語に関連。七崎姫伝説とは、藤原諸江[もろえ]の娘である七崎姫が、八戸市の八太郎の沼に住む大蛇を命と引き換えに改心させたという物語。その姫を観音様として祀ったのが、七崎観音であるという由緒譚も一説として伝えられる。)

 

明治まで行われていた

お浜入りは

七崎姫伝説の筋書きを

踏まえたものです。

 

七崎姫の出自については

藤原諸江卿の娘という説のほか

七崎の長者の娘という説もあります。

 

八太郎は

義経伝説も伝えられる地域です。

 

引用文より

八太郎が出現した場所であるとして

旅所があったとされていたことが分かります。

 

人々を苦しめていた

八太郎の沼の大蛇を鎮めるため

七崎姫なるお姫様が

人身御供として命を捧げる

“利他行”を実行し

その菩提を弔うために

七崎姫を七崎観音として

お祀りされたという物語が

七崎姫伝説といわれるものの内容です。

 

とても短いエピソードですが

様々に検討出来る要素が

散りばめられています。

 

扱うことが出来る要素を

あげれば切りがないので

後の機会にゆずりますが

供養として観音菩薩が

祀られた点が

何といっても大切だと思います。

 

「七崎姫を七崎観音として祀った」

という文章も深く考えてみると

七崎姫が供養のために

①七崎観音として祀られた

②観音像が七崎に造立・奉納・安置された

と一様でなく読むことが可能です。

 

ちなみにですが

七崎観音別当である当山に対しても

七崎観音の名が用いられるケースもあるので

七崎姫の供養のあり方についても

様々に検討の余地があります。

 

現在当山では

本堂前に鎮座する北沼観音を

七崎姫に有縁の“姫観音”として

お祀りしており

七崎観音として祀られる観音様とは

別の観音様として祀られています。

 

この法式は

以前からのものなので

お浜入りの祭事が行われていた頃も

主なる縁起がありながら

各様の縁起も尊重されていたのではと

想像いたします。

 

拙稿の無理矢理なまとめに

移らせていただきますが

七崎観音縁起とされるお話を

検討してみるに

「供養のために」という切なる動機が

あるらしいということが分かります。

 

お浜入りについて言及される際

七崎姫が身命を賭して

改心・解脱させた大蛇が

再び乱心せぬかを確認すべく

なされたものであるという

説明がされますが

それだけに留まるものではないと

拙僧は考えております。

 

具体的にいうと

七崎姫の供養・鎮魂という

意味合いもあったものと考えています。

 

そもそも祭事の大部分は

鎮魂が志向されるとされます。

 

次回以降

そのことに関連して

供養・鎮魂のための仏像の作仏の

一例を確認してみたいと思います。

 

つづく