南祖法師三尊の懸仏が奉納されました

拙僧泰峻の弟子である

中野太陽さんが願主となり

造立に至った

懸仏(かけぼとけ)が

本日普賢院に奉納されました。

 

この懸仏は

十和田湖と八郎潟と田沢湖の

龍神の物語である

三湖伝説をモチーフとしております。

 

普賢院は

十和田湖伝説ゆかりの寺院で

南祖法師が修行したとされ

様々な伝承に関わりがあります。

 

伝説に思いを馳せることが出来る

尊い空間を一層整えたいという

太陽さんの願いの形のひとつが

今回の懸仏といえると思います。

 

開眼(かいげん)は後日

太陽さんにもご一緒いただき

お勤めしたいと思います。

 

▼奉納された懸仏(かけぼとけ)

 

▼奉納願主の太陽さんと懸仏

 

▼南祖法師三尊

中央:南祖法師(なんそほっし)

左:龍王(りゅうおう)

右:龍女(りゅうじょ)

 

仏像の修繕と造立を振り返る

平成29年より6年計画で

本格的に始動した本堂建替事業では

多くのご協力のおかげで

主要なお仏像の修繕や造立も

行うことが叶いました。

 

当山は歴史が古いということもあり

とても多くの由緒ある

お仏像がお祀りされており

“見どころ”でもあります。

 

振り返りの意味もあり

お仏像の修繕や造立について

以下に簡単にまとめてみました。

 

今回は紹介出来ませんが

ひとつひとつに

エピソードがあります。

 

色々な方の

切実な願いが込められているものもあり

これまでの経緯を振り返ることで

そういったお心と

また向き合わせていただいたように思います。

 

①本尊・愛染明王

  • 江戸期の当山本坊(宝珠盛岡山永福寺)住職・宥瑗(ゆうえん)により文化7年(1810)奉納
  • 故・哘啓造(さそうけいぞう)氏のご寄進により、この度修繕

 

 

②普賢菩薩

  • 造立年代不明
  • 昭和4年(1929)に修繕し彩色が改められるも、経年劣化が著しかったため、この度修繕
  • 新本堂では本尊脇侍(わきじ)として安置

 

 

③十一面観音三尊(長谷式)

  • 造立施主(匿名希望)のご寄進により作仏
  • 当山の本尊はもともと十一面観音とされる
  • 総本山長谷寺の本尊と同形式で作仏
  • 新本堂では本尊脇侍として安置

 

 

④本 七崎観音(もとならさきかんのん)

  • 明暦元年(1655)南部重直公により奉納
  • こちらの観音像の御前立ちが現在秘仏として祀られる七崎観音(ならさきかんのん、「現 七崎観音」)
  • 破損箇所が多く、各所傷みも激しかったため修繕
  • 新本堂では観音堂内殿に安置

 

 

⑤大日如来

  • 年代不明
  • 蓮台・光背がなかったため、新たに制作
  • 厨子を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置予定

 

 

⑥不動明王三尊

  • 年代不明
  • 近世の文書によると、江戸期は本尊愛染明王の脇侍として祀られていた
  • 全体的に焼け焦げていた(文化7年[1810]の火災によるもの)
  • 本体の大きさにあわせ台座・光背・持物を新調
  • 脇侍の二童子を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置

 

 

⑦不動明王

  • 年代不明
  • 近世の文書によると、江戸期は本尊愛染明王の脇侍として祀られていた
  • こちらも全体的に焼け焦げていた(文化7年[1810]の火災によるもの)
  • 本体の大きさにあわせ台座・光背・持物を新調
  • 新本堂では観音堂脇祭壇に安置

 

 

⑧聖徳太子

  • 年代不明
  • 鋳造仏
  • 台座がなく自立出来なかったため、台座を新調

 

 

⑨子安地蔵

  • おいらせ町の旧家より奉納された子安さま
  • 破損箇所が多かったため修繕

 

 

⑩地蔵菩薩

  • 年代不明
  • 仏像のお足元にホゾ穴があり、もともとは台座があったと思われるが本体のみ祀られていたが、自立出来ない状態だったため台座を新調

 

 

⑪仁王

  • 享保3年(1718)9月に津嶋弥十郎清春が奉納
  • 材質は青森ヒバ
  • 仁王門建替・仁王像修繕・台座新調

仏像の劇的ビフォーアフター

修繕後の仏像の画像と

修繕前の様子を

見比べてみると

その変化を実感します。

 

どれも古いものですが

新たな息吹が吹き込まれ

威光倍増の

ありがたさが感じられます。

 

仁王像は

仁王門建設の関係で

早速お戻りになられます。

 

仁王門の建設に向け

使われる木材が

境内に運び込まれ

準備が進められていました。

 

仁王門は

以前と同等の大きさですが

使用される木材は

とても良質なものが用いられるので

立派に感じられると思います。

 

そこに

装い新たな仁王像が

ご安置されるわけですので

完成がとても楽しみです。

 

〈仁王像〉

▼修繕前

 

▼修繕後

 

〈愛染明王像〉

▼修繕前

 

▼修繕中(令和3年6月13日の様子)

 

▼修繕後

 

〈普賢菩薩像〉

▼修繕前

 

▼修繕後

 

〈本 七崎観音像〉

▼修繕前(向かって左の聖観音像)

 

▼修繕中(令和3年6月13日の様子)

 

▼修繕後(仏像本体は古式仕上げ)

観音堂の仏像配置を再考中です

旧本堂の観音堂の建具を

再利用する関係で

未定であった観音堂の内殿の

寸法が決められまして

祭壇スペースが

一気に形作られました。

 

スペースの大きさが

決まったことに伴い

観音堂内殿に安置する

お仏像の配置を

再考しております。

 

内殿の祭壇位置が

旧本堂よりかなり髙いうえ

奥行きがあるため

秘仏・現七崎観音を

中央の奥にご安置すると

ご開帳する際に

内殿に入り込まないといけないですし

もともと現七崎観音は

ご本体仏の本七崎観音の

御前立ちだったわけなので

内殿奥側に本七崎観音をお祀りして

その前に現七崎観音をお祀りすれば

ご開帳に際する懸念も解消されます。

 

そうした場合

中央に本七崎観音と現七崎観音が

縦に安置されることになり

向かって右側スペースが空くので

そこに学秀仏・千手観音坐像を

ご安置すればどうだろうかなどと

考えめぐらせております。

 

あくまでも思案段階です。

 

観音扉や飾り柱が設置されてから

安置スペースを実際に

確認してからの決定となるので

最終判断は

お仏像を配置してみてからとなります。

 

この類の決定は

今後の慣習に影響するものゆえ

責任重大です。

 

住職でしか

決定することの出来ないことなので

慎重に検討したいと思います。

 

絵本刊行イベントの動画を用意しました

4/10に八戸ブックセンターで開催された

絵本『龍になったおしょうさま』

刊行記念イベント

「十和田湖伝説と南祖法師」の

様子をお伝えする動画を用意しました。

 

ご覧いただき

当地に伝わる伝説と

ご縁を深めていただけると幸いです。

 

種市佳子さんによる

素晴らしい

絵本読み聞かせに始まり

絵本の原本である写本の紹介や

クラウドファンディングでの絵本づくり

にまつわるエピソード

さらに絵本づくりに込めた

メッセージについて

絵本の文と編集をご担当いただいた

こつひつじや小松美央さんと

お伝えさせていただきました。

 

三湖伝説をモチーフにした龍王・龍女像が奉納されます

拙僧泰峻の弟子である

太陽坊こと中野太陽さんの発願が結ばれ

今春当山に

龍王像と龍女像が

新たに奉納されることになりました。

 

お納めいただく龍王像と龍女像は

当山に祀られる

南祖法師(なんそほっし)尊像の

脇侍(わきじ)としてお祀りされます。

 

本年秋に完成する新本堂では

観音堂の脇堂に

南祖法師を中心にお祀りする

南祖堂というお堂を設けられます。

 

太陽さんの浄行により

十和田湖伝説のみならず

八郎潟と田沢湖にて語られるものを含む

三湖伝説へ思いを馳せられる場所が

当山に用意されることは

とてもありがたいことと感じます。

 

絵本の刊行記念イベントが行われます

昨年クラウドファンディングで

作成した絵本

『龍になったおしょうさま』の

刊行記念イベントが

令和4年4月10日に

八戸ブックセンターで

行われることになりました。

 

「十和田湖伝説と南祖法師」

というタイトルで

開催いたします。

 

感染症対策のため

定員は10名となっております。

 

詳細は

下記サイトよりご確認いただき

参加お申し込み先に

ご連絡下さいますよう

お願いいたします。

 

【アカデミック・トーク】『龍になったおしょうさま』刊行記念 「十和田湖伝説と南祖法師」

上棟式がつつがなく厳修されました

本堂の上棟式を

無事に厳修することが出来ました。

 

携わって下さった皆様

おいで下さった皆様

大変ありがとうございました。

 

天候が心配されましたが

本日午前中は天候に恵まれ

つつがなく上棟式の典儀を

挙げることが出来ました。

 

上棟式は

青空のもとで開催されました。

 

上棟式が結ばれて程なくして

八戸では雪が舞い降りました。

 

本日の天候のあり方は

今後の瑞兆と捉えたいと思います。

 

上棟式の様子を伝える動画を

用意したので

ご覧いただけると幸いです。

 

おこもり法要の記事が新聞に掲載されました

本日のデーリー東北(朝刊)に

本年のおこもり法要の記事が

掲載されました。

 

令和3年と令和4年の

おこもり法要(毎年旧暦1月17日)は

仮本堂での開催だったため

通常とは形式を変えて

法要をお勤めいたしました。

 

令和5年からは

新本堂での開催となります。

 

火の修法である

護摩法要をお勤めいたしますが

これまでの形式の護摩法要とは異なり

来年以降は大般若(だいはんにゃ)という

修法を取り入れた形式で

一層厳かに厳修いたします。

 

大般若というのは

つぶさには

大般若波羅蜜多経という経典で

600巻にも及ぶものです。

 

当山では

文化8年(1811)の火災の際に

大般若を焼失しているのですが

本堂建替という歴史的節目にあたり

新調することが叶いました。

 

大般若経典は

転読(てんどく)という作法により

力強く祈りを捧げる

「法具」ともいえます。

 

普賢院は

供養をになう菩提寺であると同時に

祈願をになう祈願寺でもあった

という歴史的経緯をもっています。

 

祈願本尊であったのが

七崎観音(ならさきかんのん)で

明治時代になるまでは

現在の七崎神社がある地にあった

七崎観音堂に祀られ

当山は七崎観音別当として

祭祀を主管してまいりました。

 

当山が所蔵する

江戸期の七崎観音堂の

棟札(むなふだ)の記述を踏まえるに

観音堂は15世紀頃に徳楽寺という

寺号(じごう、お寺の名前の意)が

用いられていると考えられます。

 

七崎観音堂は

明治に廃止され

境内地も分離することとなり

仏像仏具は別当寺普賢院に

移されました。

 

普賢院住職は

七崎観音別当という

役職も代々になっております。

 

遷座当初は

突貫工事的に設えた祭壇に

諸仏を置いただけといった

状態だったそうですが

明治以降の住職方の

すさまじいご尽力により

内御堂(うちみどう)として

七崎観音堂は再興されていきます。

 

特に61世長峻大和尚の時代と

前住職である64世泰永大和尚の時代に

観音堂の整備は大きく進められ

素晴らしく荘厳な空間となりました。

 

その志を受け継ぎ

拙僧泰峻も現七崎観音別当として

今後も努力してまいります。

 

大般若の話に戻りますが

200年以上の時を経て

再び用意された大般若経典なので

七崎観音堂での法要においても

使わせていただきたいと思います。

 

本年12月の本堂落慶式でも

大般若法要を行う予定です。

 

落慶式で大般若を行うわけですが

当山では200有余年ぶりに行われる

大般若法要となります。

 

他宗においても

大般若法要は行われますが

真言宗の法式は

当地の方はご覧になったことが

ない方が大部分かと思います。

 

しかも

落慶式では十数名の住職方に

おいでいただき厳修するので

とても迫力ある法要になるかと思います。

 

落慶式以降は

おこもり法要はじめ

伝統ある祈りの形式の1つである

大般若法要のひとときに

有縁の皆様に触れていただけるよう

色々と考えたいと思います。

 

 

 

▼当日の法要の様子

 

▼令和3年(2021)の様子

 

▼令和2年(2020)の様子

 

▼平成31年(2019)の様子

 

▼平成30年(2018)の様子

 

▼平成29年(2017)の様子

この年は前住職泰永僧正が導師を勤めました。

これが泰永僧正の生前最後の護摩法要でした。

昭和の最困難期

普賢院61世である

長峻和尚は

現在の住職の曽祖父にあたります。

 

近現代の“巨星”ともいえる

長峻和尚の住職在位20年は

当山はもちろんのこと

携わった関係寺院の

興隆期となりました。

 

長峻和尚は行年60で

ご遷化されるのですが

その当時

次代となる晃雄和尚は

また14歳でした。

 

そのため

晃雄和尚が晋山されるまでの間は

代務住職により

法務がなされています。

 

晃雄和尚の晋山式は

昭和19年(1944)に行われました。

 

この晋山式は

晃雄和尚の出征にあたる

送別のひとときでもありました。

 

晋山式を終えて程なくして

晃雄和尚は出征し入隊されます。

 

晃雄和尚の弟である高明氏もまた

同年6月15日に出征しました。

 

住職と弟が不在となった普賢院。

 

晃雄和尚と高明氏の

姉と妹が

法務(葬儀や法事など)も担い

お寺を守ることになります。

 

拙僧泰峻からみると

大叔母と祖母にあたります。

 

63世となる

裕教和尚を迎えるまでの約4年間。

 

大変な苦労があったのは

いうまでもありません。

 

当時東京の親戚にあてた手紙によると

泥棒に入られたこともあるそうです。

 

昔を知る総代さんのお話ですと

馬鹿にされたこともあったそうです。

 

そういったことを乗り越えて

今があるということは

忘れてはならないと

心にとめております。

 

 

 

 

 

  • 大正5年(1916)10月 普賢院61世長峻和尚 住職就任
  • 大正7年(1918)8月8日 長女 道子誕生
  • 大正10年(1921)8月10日 長男 晃雄誕生
  • 大正12年(1923)6月5日 次男 高明誕生
  • 大正14年(1925)8月18日 次女 誕生
  • 昭和2年(1927)八太郎の蓮沼で「聖観音」と刻された石が発見される
  • 昭和4年(1929)旧8月17日に蓮沼に「北沼観音」のお社を建立
  • 昭和6年(1931)観音堂(内御堂)と仁王門を改築
  • 昭和6年(1931)子安地蔵堂建立
  • 昭和9年(1934)本堂と庫裏を修繕(当時、累年の凶作で経済的に大変な時代)
  • 昭和9年(1934)8月 弘法大師1100年御遠忌を厳修
  • 昭和10年(1935)5月 長峻和尚 山形県湯殿山の大日坊88世住職兼任(大日坊での住職名は慈念海上人忍光上人)
  • 昭和11年(1936)3月3日(旧2月10日)長峻和尚ご遷化(行年60)
  • 昭和17年(1942)3月28日 晃雄和尚四度加行成満(阿闍梨 神林隆淨僧正/慈光山道場にて)
  • 昭和17年(1942)10月12日 晃雄和尚灌頂(東京の護国寺にて)
  • 昭和18年(1943)晃雄和尚の割切袈裟一領(年月と晃雄と墨書きあり)
  • 昭和19年(1944)晃雄和尚晋山・出征(2月28日頃出発、3月1日弘前野砲隊へ入隊)
  • 昭和19年(1944)6月5日 長峻和尚後妻ツネ逝去(行年61/明治17年(1884)9月15日生まれ/出身地は現在の岩手県沼宮内の柴田家/60世宥精師[大正5年(1916)5月24日 行年35でご遷化]の妻で、長峻師とは再婚)
  • 昭和19年(1944)6月15日 高明氏出征(前日に送別会が行われ、その時の写真が残っている)
  • 昭和20年(1945)4月8日 高明氏戦死(フィリピンルソン島マウテル州バキオ付近にて/陸軍伍長/命日は過去帳による)
  • 昭和20年(1945)7月30日 晃雄和尚戦死(フィリピンルソン島ダラカン州にて戦死/陸軍伍長/命日は過去帳による)
  • 昭和22年(1947)本堂屋根葺替の木札に当時の様子が記述され、その中に「晃雄住職の生死不明」とある。