ぬくもりある祈りの慣習が残る山形

連日ブログにて

紐解き七崎観音シリーズを

投稿したので

毎日1本ずつ書いていると

思われるかもしれませんが

実は②〜⑥は

ここ最近続いた出張の

新幹線車中にて事前に

書いていたものです。

 

今月は出張が多い月でして

ひとつきに3回上京・1回山形

(うち1回上京・1回山形は終えました)

というスケジュールです。

 

新幹線車中は

会議資料・報告書

所内先生方へのメール作成

普賢院の庶務といった

事務作業のほか

研究に関連する作業をして

過ごしております。

 

出張に関するもので

出張に関わる時間に

終えることが出来るものは

なるべく終えないと

普賢院の法務(葬儀や法事や行事など)に

支障が出てしまいかねないので

このような形で奮闘しています。

 

ここまでが前置きで

ここからが本題です。

 

研究調査のため

昨日2/13は山形に日帰りで

行ってまいりました。

 

この調査は前から決まっていたものではなく

不思議と色々なご縁がつながって

実施に至ったものでした。

 

現在、拙僧泰峻は

所属する研究機関にて

いくつか研究テーマを持っており

そのうちの一つが

供養習俗に関するものです。

 

年度末の報告書提出や

研究発表に向けて

準備を進めていく中で

山形の村山地方に見られる

供養習俗について

当事者の方に取材させていただき

習俗の中心である寺院にも

赴かせていただきたいと思い

旧暦元日である2/10に

思い切って連絡をしてみた所

あれこれスムーズに整いまして

2/13に実現いたしました。

 

旧地の中である

東根の白雄寺(浄土宗)住職・村田圭信師に

お世話いただきながら

各所へ赴かせていただき

とても有意義な研究調査に

することが出来ました。

 

この調査結果を

しっかりと研究に

活かしたいと思います。

 

ぬくもりある

素晴らしい慣習が残る山形は

当山ゆかりの地でもあります。

 

拙僧の泰峻という法名は

曽祖父の長峻の一字をいただいているのですが

長峻和尚は湯殿山大日坊の住職も

兼任された傑僧でした。

 

長峻和尚が

湯殿山から灌頂された大黒天は

今でも大切に祀られております。

 

大日坊は真如海上人の即身仏が

祀られる古刹であり

当地はじめ南部藩領においても

湯殿山行者は活発に活動していることが

当山系統の関連寺院の歴史を紐解くと

そのことが鮮明に伺い知られます。

 

これまで

あまり深く紹介する機会は

ありませんでしたが

湯殿山を含む出羽三山の信仰は

当地にも深く根ざしており

その影響力は大きいものと

いうことが出来ます。

 

今回、山形での調査で

お世話いただいた村田上人は

研究者でもあり

地元の郷土史にも明るい方です。

 

村田上人から

東北の熊野信仰は

日本海を経由して出雲から

伝わったものの影響が大きいのではとの

とても興味深いお話を伺いました。

 

村田上人は

熊野信仰についても

調べられているのですが

どうやら紀州の流れでない

流れのものが想定されており

出雲と紀州それぞれの熊野信仰が

山形と宮城のあたりで

習合しているとの仮説を

現時点でお持ちのようでした。

 

熊野信仰は

中世において

まず貴族を中心に広まり

次第に民衆にまで広がり

室町中期に最盛期を迎えますが

その後は停滞し

徐々に衰退してしまいます。

 

全国各所の行者が

熊野先達なる役を務め

信者を従えて

熊野御師のもとへ伺い

熊野に参詣するという形で

なされていたものが

時代の変化とともに維持困難となり

さらには熊野先達を担っていた

各所在地の行者の

各所での立場や役割にも

変質をもたらしていきます。

 

熊野信仰についてのお話も

これまで触れる機会が

なかったと記憶してますが

神話とも西国三十三観音霊場とも

様々に関連する要素なので

機会があればその時に

紹介させていただければと思います。

 

山形のお話から

別の話に深入りしかけましたが

山形での調査で赴かせていただいた各所には

宗派や宗教といった

枠では収めることの出来ない

尊い祈りのあり方を

垣間見させていただきましたし

感じさせていただきました。

 

以前からブログでも

時折強調しているのですが

昭和以降の法律により

一宗派一本山という形にて

行政上規定された現代の宗派感覚と

明治以前の宗派感覚は全く異なり

宗派間の交流は活発なものでした。

 

そういったことに通じた文書はさておき

行政的文書の多くには

そういった実態が踏まえられていないので

記述により限定的な照射に

留まらざるを得ないような

近世文書は沢山ありますし

そういったものだけに

立脚してしまうと

生半可な内容になりかねないと感じます。

 

文書の背景を見ようとすること

行間を読もうとすることには

多分野にまたがる膨大な情報把握を

積み重ねる必要があると

個人的には感じており

そう感じるからこそ

時々にでもブログで関連事項に触れつつ

書きためております。

 

拙僧が還暦になる頃(20年後)に

何かしらの形に出来れば良いな位の

プランで悠長に進めている

気まぐれ探究ではありますが

出来ることを出来る形で

しっかりやることが大切であることを

改めて感じた山形出張でした。

 

▼若松観音

 

▼月山をのぞむ

 

▼山寺