絵本づくりについて毎日新聞で取りあげられました

本日のネットニュースで

現在進めている

絵本づくりクラウドファンディング

について取りあげられました。

 

記事はコチラ

 

この記事を読まれて

ご連絡下さった方が

数名いらっしゃいました。

 

県外の方で

ご協力をお申し出下さった方も

いらっしゃいまして

とてもありがたく感謝しております。

 

普賢院では

絵本づくりにご支援いただける方を

令和3年10月30日まで

募集しております。

 

当プロジェクトに

ご賛同いただける方

いらっしゃいましたら

ご協力の程

何卒よろしくお願いいたします。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

絵本づくりクラウドファンディング詳細はコチラ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

ご案内画像を作ってみました〜絵本づくりクラウドファンディング〜

誇れる郷土の伝説を

語り継ぎたいとの思いから始まった

絵本『龍になったおしょうさま』

を作るプロジェクト。

 

クラウドファンディングで

支援を募らせていただいての

達成を目指しています。

 

▼詳細はコチラをご参照ください。

絵本づくりクラウドファンディングの詳細

 

実は当初

クラウドファンディング専用の

大手サイトを使用しの実施を

予定しておりました。

 

しかし企画審査の段階で

当プロジェクトが希望する形での実施は

規約上難しいとのことだったので

独自で行うこととしました。

 

例えば

当山での寺子屋活動では

参加費(協賛費)の一部を

利他の具体的な実践として

国際協力活動に寄付してきたので

当プロジェクトでも

その形を踏襲する形で

企画した所

それは規約上出来ないとの

ことでした。

 

その他にも色々と

修正をお願いされた所が

あったのですが

全てを踏まえてしまうと

伝説の持つ意味だったり

当山が取り組みにおいて

込めている所の思いを

伝えることが難しいと

判断しまして

独自で行うこととしたのです。

 

この点については

後日あらためて

ブログに書き留めたいと思います。

 

プロジェクトの内容や意味あいを

少しでも分かりやすく

お伝えすべく

画像資料を徐々に

増やしていきたいと思います。

 

とりあえず

用意した分を

本稿に添付して

まとめておきたいと思います。

 

それぞれについては

今後改めて

説明を加えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

お力添えお願いいたします〜絵本づくりクラウドファンディング〜

当山では

十和田湖伝説の絵本をつくる

絵本づくりクラウドファンディングを

行っており

ご支援いただける方を

募集しております。

 

▼プロジェクト詳細はコチラです

絵本づくりクラウドファンディングの詳細

 

当初はお盆に

ご案内する予定でしたが

パンフレット等の

準備が間に合わず

今月よりお声がけを

本格化しております。

 

現時点でご支援の

お申し込み下さった皆様は

主にSNSでつながっている方でして

ご連絡いただいた時は

とても嬉しく感じられたとともに

ありがたく感じました。

 

 

当山有縁の皆様には

堂内掲示であったり

参詣された方にお渡しする

冊子と一緒にパンフレットも

お渡しするなどして

お知らせさせていただきたいと

思います。

 

ご支援の募集は

本年10月30日までとなります。

 

制作する絵本は

一般頒布の予定はありません。

 

プロジェクトに

ご支援下さった方に

お渡しさせていただくものになります。

 

ご協力いただける方

いらっしゃいましたら

お力添えの程

何卒よろしくお願いいたします。

 

クラウドファンディングでの

製本を目指している絵本

『龍になったおしょうさま』

製本に先立って

昨年末に動画を作成しました。

 

 

動画を先行して制作したのは

絵本づくりの打ち合わせが

コロナ禍により

出来なくなったことと

深く関係しています。

 

リモートでの

打ち合わせをする中で

動画を先に作ろうという

流れになりまして

作られたのが

昨年末にアップした

えほん動画です。

 

最初は

絵本と全く同じ絵で

動画を作ってみたのですが

動画特有の間合いがあるように

思われたので

何枚か絵を追加したり

絵に動きが感じられるよう

編集するなどして

えほん動画を作りました。

 

この絵本は

当山に伝わる写本『十和田山神教記』を

もとに作られています。

 

十和田湖伝説関係でいうと

本年5月に

南祖法師和讃という御詠歌を

創作奉納いたしました。

 

絵本は

「語り継ぐ」一助としていただき

御詠歌は

「歌い継ぐ」一助としていただければ

と願っています。

 

絵本づくりのパンフレットが出来ました

誇れる郷土の伝説を

未来に語り継ぎたい

との思いから始まった

普賢院かたり部(ぶ)。

 

十和田湖伝説の絵本

龍になったおしょうさま

を製本すべく

クラウドファンディングを

行います。

 

詳細をお知らせする書類等の

準備がお盆に間に合わなかったため

9月から本格的に

ご協力のお声がけを

させていただきます。

 

プロジェクトの詳細は

下記をページを

ご参照下さい。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

絵本づくりの詳細はコチラ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

郷土の誇れる伝説を伝える

絵本づくりを

ご一緒しませんか?

 

クラウドファンディングの

パンフレットは

本日より堂内各所に

置かせていただきます。

 

なお

秋彼岸にお参りされる

当山有縁の皆様には

宗派の冊子『光明』&寺報『おてら通信』

と一緒にお渡しいたします。

 

多くの方と一緒に

形にしたいと思いますので

ご協力の程

何卒よろしくお願いいたします。

 

絵本づくりにご協力いただけませんか?

絵本を作るべく

クラウドファンディングを

実施させていただきます。

 

目標金額は

670,000円です。

 

目標金額に到達せずとも

お申し込みいただいた分の

絵本を作成し

リターン(返礼品)と共に

ご支援いただいた方に

お届けいたします。

 

今回はそのことについて

お知らせさせていただくと共に

ご支援のお願いを

させていただきます。

 

普賢院は

十和田湖伝説ゆかりのお寺です。

 

地域に伝わる伝説を

未来へかたり継ぎたいとの思いから

ご支援を募らせていただき

絵本を作りたいと思います。

 

以下に

詳細を掲載いたします。

 

ご協力いただける方

いらっしゃいましたら

お力添えの程

何卒よろしくお願いいたします。

 


タイトル

【絵本 龍になったおしょうさま】誇れる郷土の伝説を、未来へかたり継ぎたい

 

概要

郷土に語り継がれる龍神伝説を、親しみやすい絵本として現代に伝え、未来へ託すプロジェクトです。

 

お寺には様々な伝説が残り、中でも十和田湖伝説は

北東北を中心に広く知られ親しまれてきました。

 

十和田湖伝説とは、南祖法師(南祖坊)という僧侶が

修行の果てに十和田湖の龍神になったという物語です。

 

この南祖法師は普賢院第2世・月法律師の弟子とされ、

普賢院には南祖法師の御像である南祖法師尊像が祀られるとともに、

伝説を今に伝える写本のひとつ『十和田山神教記』が残されています。

 

このプロジェクトで実現したいこと

この『十和田山神教記』に記される伝説を

現代に、そして未来へと語り継いでいきたいという想いから

始まったプロジェクトが、絵本「龍になったおしょうさま」です。

 

十和田湖伝説はバリエーション豊かな物語で、

数々の写本が作られ、やがて浄瑠璃やねぶたの題材もなり、

様々に伝えられてきました。

 

その中で普賢院に伝わる『十和田山神教記』は、

人間味あふれるものであると同時に、深いお諭しが重ねられており、

読む者を引きつける魅力を持っています。

 

この素敵な物語を、

絵本という形でより多くの方に知っていただき、

さらには地域の歴史に関心を持っていただければと思います。

 

プロジェクト背景 『十和田山神教記』について

南祖法師は、十和田湖で八頭龍「八郎太郎」との戦いに勝ち、

龍神に姿を変えて湖の主になったと言い伝えられます。

 

バリエーション豊かな十和田湖伝説の多くを特徴づけるのは、

この戦いのシーンのダイナミックな描写と勇ましい南祖法師の姿です。

 

しかし普賢院に伝わる『十和田山神教記』では、

南祖法師は、超人的なヒーローというよりは、

私たちも思わず共感してしまう生身の人間として描かれています。

 

また、悪役の八郎太郎も人間ならではの妬みや恨みに苦しんで

龍に変化してしまったとされています。

 

そして、物語は戦いで終わらずに、

南祖法師が八郎太郎を慈悲の力で救うのです。

 

ヒーローが悪者をこらしめる話ではなく、

人々の苦しみに寄り添い、他者を思いやる優しい物語。

 

それは、現代を生きる私たちの心にも寄り添ってくれるように感じます。

 

私たちの古い古いご先祖さまたちが、

長い年月をかけてこの伝説を書き換えてきたように、

私たちも現代的に解釈しなおし

「人が生きるために必要な物語」をお届けしたいと考えています。

 

 

「かたり部」に、かたりませんか?

プロジェクトを主催する「かたり部」は

地域に伝わる伝説を後世に伝えたいとの思いから、

有志で結成されたチームです。

 

現代の「語り部(べ)」という意味と、

有志による集いを意味する「部(ぶ)」を踏まえ、

チーム名を「かたり部(ぶ)」としました。

 

また、「かたる(かだる)」とは、

この地方に古くから伝わる言葉で

「仲間になる」「集う」「共に行動する」といった意味を持っています。

 

プロジェクト主催メンバーのみならず、

この本に関わってくださるすべての皆さまが、

古からのメッセージを未来へと語り継いでいく仲間、

「かたり部」の一員として無くてはならない存在です。

 

一人ひとりのおもいが「かたる」ことで、

長い時を経て語り継がれてきた伝説を未来に託すことができます。

多くの皆さまにかたっていただけることを願っています。

 

これまでの活動

平成30年(2018)に、有志が集い、

十和田湖伝説の絵本制作をスタートしました。

 

令和2年(2020)には、

世界が新型コロナ禍に見舞われ、ステイホームの時間が増える中、

不安な心に寄り添える物語を届けたい、

学校が休みの子どもたちに楽しいまなびの時間を持ってほしい、

という願いのもと、

絵本動画「龍になったおしょうさま」制作に着手します。

 

「いま出来ることで形にしよう」と、

オンラインでの打ち合わせを重ね、

製本に先立ち12月に動画を公開しました。

 

資金の使い道

ご支援頂いた資金は、

絵本及びリターンの制作費、また配送時の送料に充てさせていただくとともに、

一部は、アーユス仏教国際協力ネットワークへの寄付を通じて

国際協力活動(国内も含む)に役立てられます。

 

アーユス仏教国際協力ネットワークのホームページ http://ngo-ayus.jp/

このプロジェクトを含む普賢院の様々な活動は

「自利利他(じりりた)」という仏道の言葉を大切な理念としています。

 

自利とは己を高めること、

利他とは他者のためとなることを意味し、

仏道ではこれらが一体となった行いが尊いとされます。

自分のために、そして他の誰かのために。

 

この小さな絵本を手にした皆さまが、

優しい物語を通して、実りある時間を過ごされること、

それがそのまま、誰かの幸せにつながります。

 

リターンについて

絵本「龍になったおしょうさま」

書家 在家渓静氏による美しい題字と心温まる挿絵が物語を彩ります。

 

公開されている動画と併せて読み聞かせを楽しむこともでき、

また視覚のみ、聴覚のみでも楽しむことができます。

 

巻末にご芳名掲載

巻末には、かたり部に「かたって」くださった皆さま

全員のお名前を掲載します。

 

御札

「龍になったおしょうさま」の主人公、南祖法師のお札です。

コースに応じて、紙製・木製(小)・木製(大)の3種ご用意しています。

 

かたり部部員証バッジ

古からのメッセージを未来へと語り継いでいく仲間、

「かたり部」の一員の証を、かわいらしいバッジにしました。

 

かたり部特製じゆうちょう

かたり部のロゴをあしらった手作りのノートです。

南祖法師ゆかりの御朱印帖に、日記帳に、お子さまやペットのアルバムに…

世界に一冊の、自分だけの絵本を描いてください。

 

実施スケジュール

8月 クラウドファンディングスタート

10月 クラウドファンディング終了

12月 リターンを順次お届け開始

※リターンのお届け時期は、ご協力者数などにより変動する可能性がございます。

何卒、ご理解の程宜しくお願いいたします。

 

最後に

最後までご覧いただき有難うございます。

 

南祖法師の伝説は、

長い年月をかけて書きかえられ、

その中で時々を生きる人々の

様々な祈りや願いが託されてきました。

 

絵本「龍になったおしょうさま」を通じて、

時代を越えてこの土地に生きた人々の「おもい」を伝えるとともに、

今だからこそ必要なメッセージを、

今を生きる人に伝えていきたいと考えています。

どうぞお力添えをお願いします。

 

リターン(3種類あります)

①ご支援3000円の場合

・ 「龍になったおしょうさま」絵本(ご芳名掲載)
・ かたり部 部員証バッジ
・ 御札(紙製)

 

②ご支援5000円の場合

・ 「龍になったおしょうさま」絵本(ご芳名掲載)
・ かたり部 部員証バッジ
・ 御札(木製・小)※写真向かって左のサイズ

 

③ご支援10000円の場合

・ 「龍になったおしょうさま」絵本(ご芳名掲載)
・ かたり部 部員証バッジ
・ 御札(木製・大)※写真向かって右のサイズ
・ かたり部特製じゆうちょう


ご支援の方法について

今回は

クラウドファンディング専用サイトを

使用しないことにいたしました。

 

ご支援の申し込み方法について

次のような2つの方法を

基本としたいと思います。

 

申し込み方法①

申込用紙に必要事項を

ご記入のうえ

浄財を添えて普賢院に

ご提出。

※申込用紙は普賢院にあります。

 

申し込み方法②

メール(fugenin643@gmail.com)

でのお申し込みにも

対応させていただきます。

 

ご支援の旨メールで

ご連絡いただけましたら

お申し込みにあたり

お聞きしたい項目や

支援金のお振り込みについてなど

お伝えいたします。

 

以上のように

2通りの申し込み方法を

基本とさせていただきます。

 

あくまでも基本方針なので

上記2種以外の方法にも

対応させていただきます。

 

ご不明な点等ございましたら

お気軽にお問い合わせ下さい。

 

郷土の誇れる伝説を

つたえる取り組みを

ご一緒いただけると

大変ありがたく存じます。

 

当取り組みへの

ご理解ご協力の程

何卒よろしくお願い申し上げます。

南祖法師生立の地でもある霊現堂

糠部三十三観音第16番札所

斗賀霊現堂は

当山と関わりの深い

札所の一つです。

 

十和田湖伝説に登場する

南祖法師(坊)の

生誕の地とも伝えられます。

 

伝説を伝える江戸末の

『十和田山神教記』は

斗賀で著されたとされます。

 

伝説が残されているとともに

貴重な歴史を伝える

宝物(ほうもつ)も所蔵される

尊い札所といえるでしょう。

 

5月にお参りした際の

様子を短い動画にしたので

ご覧いただけると幸いです。

 

「お寺の歴史と伝説探訪with豊崎小4年生の皆さん」の動画をUPしました

本年6月22日に

お寺の歴史や伝説を探るべく

豊崎小学校4年生の皆さんが

普賢院に来て下さいました。

 

その際の様子を編集した動画を

アップいたしました。

 

お寺にまつわる

歴史の基礎的な部分であったり

伝説についてのお話した部分を

中心に編集しているので

ご覧いただいて

当山とのご縁を

深めていただければ幸いです。

 

三戸大神宮を訪ねました

南部町、田子町の当山関連地を

回っていたときに

たまたま立ち寄った三戸大神宮。

 

境内は掃き清められており

すがすがしい気持ちで

お参りさせていただきました。

 

こちらは会津斗南藩

ゆかりの地でもあります。

 

当山にも

斗南藩縁故者の墓石が16基あり

そのようなことから

足を運ばせていただきました。

 

すると

こちらの祖霊社がある所が

明治に廃寺となった

当山有縁の正智院というお寺の

跡地であることを知りました。

 

当山先師の中には

正智院住職を歴任された方が

いらっしゃいます。

 

当山先師には

正智院以外にも

現在は廃寺となっている

お寺の住職をつとめた方が

何人も見られるのですが

これは貴重な歴史を

今に伝えているように思います。

 

三戸大神宮ですが

突然の訪問にも関わらず

宮司さんが丁寧にご案内下さいました。

 

趣向を凝らした

取り組みをされていらっしゃり

地域の皆様に

親しまれている神社ということが

伝わってまいりました。

 

早稲田観音〜三戸永福寺と七崎永福寺(普賢院)〜

普賢院の住所は

「永福寺(えいふくじ)」

となっていますが

これはかつての寺院名が

永福寺であったことを

今に伝えています。

 

当山は鎌倉〜江戸時代初期に

永福寺という寺号(お寺の名前)が

主に用いられていました。

 

寺号ついでにいえば

本堂建替に伴う

所蔵物の整理・調査の中で

古い聖観音御影版木の山号寺号が

「七崎山普賢院」となっている

ものを発見しました。

 

これまで

「七崎山」という山号は

当山が長く別当を担っていた

旧観音堂の寺号「徳楽寺」

と“セット”のものとして

当然のように捉えられてきました。

 

「七崎山普賢院」と

刻される版木の発見は

その“定説”を再考する余地が

大いにあることを示すといえます。

 

確認ですが

旧観音堂は明治まで

現在の七崎神社の地にありましたが

明治になって廃寺となり

跡地は七崎神社に改められました。

 

棟札等を踏まえるに

徳楽寺という寺号は

15世紀半ば頃〜後半に

用いられ始めたと推定しています。

 

江戸時代になり

檀家制度が成立し

お寺の本末関係も

“行政的に”明確にすることが

幕府により企図されます。

 

本末関係が確認され

本寺が最も権威があると

されたものの

史料を見る限り

本寺に「絶対的権力」が

あったわけではないようで

末寺の方が経済的に

豊かになっていった

というケースは

珍しくありません。

 

東北地方は

飢饉が頻発した歴史があり

いくら藩の手厚い支援を

受けていたからといって

本寺が盤石な体制を敷いていた

わけではないようです。

 

話が大分脇道にそれましたが

「お寺の運営・経営」という側面が

歴史に大いに関わっている

ということをお伝えしたいのです。

 

普賢院が鎌倉〜江戸初期に

用いていた永福寺という寺号は

鎌倉二階堂にあった永福寺(ようふくじ)

という大寺院に由来します。

 

鎌倉の永福寺(ようふくじ)は

源頼朝が奥州戦乱の戦没者供養のため

平泉の大長寿院二階大堂を模して

鎌倉に建立した大寺院です。

 

その鎌倉永福寺の僧・宥玄が

南部氏より恩賞として

三戸沖田面(現南部町)に

永福寺が建立されます。

 

それに加え

七崎も与えられ

当山も所管することに

なったとされます。

 

永福寺の僧侶が入ったことから

当山も次第に永福寺と

呼ばれるようになったと

伝えられます。

 

永福寺は

江戸初期になると

本坊が盛岡に建てられ

七崎永福寺(普賢院)と

三戸永福寺(嶺松院)は

自坊と位置づけられます。

 

これまで

指摘されてきませんでしたが

この点については

永福寺の“運営・経営的側面”も

大きく関係していると思われます。

 

お寺とひとことでいっても

菩提所と祈願所という

違いをはじめとして

細かな違いがあるのですが

それらを踏まえてみると

いろいろなことが

浮かび上がってまいります。

 

これ以上記すと

ボリュームが凄いことになるので

この辺にしておきます。

 

七崎永福寺(普賢院)

三戸永福寺(嶺松院)

盛岡永福寺

という3つの永福寺。

 

七崎永福寺を残し

明治になり

他の永福寺は廃寺となりました。

 

盛岡永福寺については

昭和17年(1942)3月に

再興許可がおり

新たなスタートが切られました。

 

糠部三十三観音第23番札所の

早稲田観音は

今はなき三戸永福寺(嶺松院)の

歴史をとどめる札所といえます。

 

早稲田観音について

動画で紹介していますので

ご覧いただき

当山とのご縁も

深めていただければ幸いです。