2/14お寺の上映会にいらっしゃいませんか?

2/14は午前10時より

お寺の上映会『天鹿之路(ししかみのみち)』

が開催されます。

 

平成最後のバレンタインは

法話と映画と

民族楽器演奏と精進カレーという

盛り沢山のひとときを

ご一緒しませんか?

 

上映する映画は

民族楽器奏者として

日本内外各所にてご活躍の

奈良裕之(ゆうじ)さんの

ドキュメンタリー映画です。

 

法話に耳を傾けて頂いて

映画を鑑賞して頂いて

民族楽器の演奏に浸って頂いて

奈良さんお手製の名物カレーに

舌鼓をお打ち頂き

心もお腹も満たして頂ける

時間になるかと思います。

 

どなた様でも

ご参加頂けますので

お気軽にお問い合わせ下さい。

 

詳細は下記をご参照下さいませ。

 

▼『天鹿之路(ししかみのみち)』予告編

https://www.youtube.com/watch?v=LSC7eqaSvPk&t=44s

 

▼お寺の上映会詳細

https://fugenin643.com/blog/214お寺の上映会『天鹿乃路(ししかみのみち)』/

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奈良裕之 天鹿乃路

 

いのちをてらすともしび

一昨年「クロストーク八戸」

という催事で

ご一緒させて頂いた

杉浦恵一さんから

ご連絡を頂いたことを契機として

当山では杉浦さんが手がけられる

東日本大震災復興のための

プロジェクトの1つである

「命灯会(みょうとうえ)」に

携わらせて頂くことにしました。

 

※「クロストーク八戸」ほか▼

https://fugenin643.com/blog/未来を描く%E3%80%80クロストーク八戸/

https://fugenin643.com/blog/約束を交わして/

 

命灯会は

気仙沼の工房で作られたロウソクに

ともされた明かりを

復興への輝き

追悼のまごころとして

祈りを捧げるひとときであると

捉えております。

 

命灯会は3月に

何かしらの会と抱き合わせて開催し

震災物故者供養並びに復興祈願の

ひとときを作りたいと思います。

 

命灯会に用いるロウソクが

気仙沼から届けられました。

 

様々なおもいが込められ作られたもので

青みがかった爽やかな色をしています。

 

当山では寺子屋活動に取り組んでおりますが

その際にもこのローソクを使わせて頂き

尊い光を有縁の方に

届けさせて頂きたいと思います。

 

また2月21日に行われる

護摩法要でも使わせて頂き

ご参列の皆様にも

お話させて頂きたいと思います。

 

▼2/21の護摩法要について

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

▼杉浦恵一さんについて

https://localletter.jp/articles/miyagi-kesennuma-tomoshibi/

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▼杉浦恵一さん(中央、2017年7月)

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▼クロストークにて(2017年7月)

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稀代の古刹 七崎観音⑦

当山本堂内の観音堂本尊として

祀られる聖観音は

七崎観音(ならさきかんのん)と呼ばれ

その起源は平安初期にまで

さかのぼるとされます。

 

七崎観音は普段は秘仏ですが

年に一度旧暦1月17日に御開帳し

御宝前にて護摩法要が厳修されます。

 

本年は2月21日が御開帳となります。

▼護摩法要の詳細はコチラ

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

七崎観音は明治になるまで

現在の七崎神社の地にあった

観音堂(以下、旧・観音堂)に

お祀りされておりました。

 

旧・観音堂には

七崎山 徳楽寺(ならさきさん とくらくじ)

という寺号(じごう)がありました。

 

補足ですが

諸尊格のお堂に寺号(じごう)が

用いられる例は他所にも見られます。

 

「毛馬内 三大日」といわれた

毛馬内の三つの大日堂は

それぞれ寺号が用いられており

小豆沢村大日堂は養老山 喜徳寺

長牛村大日堂は長牛山 仁両寺

毛馬内村大日堂は福生山 中台寺

という寺号が用いられております。

 

毛馬内でいえば

不動院が別当をつとめた

舘神宮は玉崎山 金光寺の寺号が

用いられております。

 

田子でも観音堂に

蟹沢山 宣王寺の寺号が

用いられておりますし

こういった例は他にも多く見られます。

 

当山は古くから

七崎観音の別当をになっております。

 

当山を開創した

圓鏡(えんきょう)大和尚は

弘仁8年(817)5月15日に

御遷化(ごせんげ、高僧の逝去の意)

と過去帳に記されますので

かなり古い時代から当山と七崎観音は

深く関わっているのだと思います。

 

当地である豊崎町は

かつて七崎(ならさき)と呼ばれました。

 

現在でも「永福寺」と「七崎」の

地名が残っており

地域とともに歴史が紡がれてきたことを

今に伝えているように感じます。

 

地名でいうと

「南宗(祖)坊」(なんそのぼう)

という地名も豊崎には

残っております。

 

南祖坊とは

十和田湖伝説に登場する僧侶で

当山に弟子入りして

全国を巡った末に

十和田湖に入定(にゅうじょう)し

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)

という龍神になったとされる方です。

 

「南宗(祖)坊」には

南祖坊という坊舎(お寺)が

あったのではないかとも

いわれております。

 

「南宗(祖)坊」は

当山と滝谷(たきや)地区の

ほぼ中間に位置する場所です。

 

滝谷には天満宮がありますが

かつては十和田山参詣の際には

滝谷の天満様に立ち寄ってから

十和田山へ向かったそうです。

 

豊崎町は現在の町名が示す如くに

「豊かな土のふるさと」

(豊崎小学校校歌の一節でもあります)

であると共に伝承・伝説に彩られた

とても由緒ある素晴らしい

地域であると拙僧(副住職)は

誇りに思っております。

 

全国各所に赴かせて頂くことが

多い拙僧(副住職)からしても

当地はどこにも引けを取らない

魅力にあふれていると

胸を張って言うことが出来ます。

 

さて今回は近世の史料を一助とし

旧・観音堂(七崎観音)を含めた

かつての七崎について

見ていきたいと思います。

 

宝暦13年(1763)のもので

盛岡南部藩領の社堂についての

調査書である

『御領分社堂』という書物があります。

 

『御領分社堂』は

宝暦9年(1759)の幕府の御触(おふれ)

により開始された調査が

広範囲にわたり丁寧に

なされたということが

伝わってくるような書物です。

 

七崎についても

当時の主な社堂が

旧・観音堂(現・七崎神社)を含め

同書に以下のように

記載されております。

 


寺院持社堂 五戸御代官所七崎

一 観音堂 四間四面萱葺(かやぶき)

古来縁起不相知

萬治元年(1658)重直公御再興被遊

貞享四年(1687)重信公御再興被遊候

何(いずれ)も棟札(むなふだ)有

 

一 大日堂

一 不動堂

一 愛染堂

一 大黒天社

一 毘沙門堂

一 薬師堂

一 虚空蔵堂

一 天神社

一 明神社

一 稲荷社

一 白山社

右十一社堂は観音堂御造営之節

依御立願何も御再興被遊候

小社之事故棟札も無之

只今大破社地斗に罷成候

一 月山堂 壱間四面板ふき

 

一 観音堂 右ニ同

右両社共に観音堂御造営之節

重直公御再興也

 

善行院(ぜんぎょういん)

当圓坊(とうえんぼう)

覚圓坊(かくえんぼう)

覚善坊(かくぜんぼう)

右四人之修験は本山派にて

拙寺(永福寺)知行所所附之者共御座候

古来より拙寺(永福寺)拝地之内

三石宛(ずつ)遣置

掃除法楽為致置候


 

とても多く神仏が

お祀りされていたことが

分かると思います。

 

大日如来と

不動・愛染の両明王が

お祀りされる小社(お堂)が

あったと記されますが

拙僧(副住職)からすると

この部分には深秘(じんぴ)な

意味を感じます。

 

『御領分社堂』では

七崎の観音堂が

2つ紹介されております。

 

1つは旧・観音堂のことですが

もう1つは当山所蔵の

棟札等を踏まえると

千手千眼観音観堂(以下、千手観音堂)

のことだと思われます。

 

史料によれば

一間四方のお堂だったようです。

 

現在の当山本堂は

文化8年(1811)に再建されており

その当時は覚宥(かくゆう)大和尚が

普賢院を担っておりました。

 

当山に残る

千手観音堂再興の棟札(むなふだ)には

この覚宥大和尚の名が記されているので

江戸期までは千手観音堂が

再建を繰り返しながら

維持されていたことが分かります。

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千手観音堂にどの仏像が

納められていたかは分かりませんが

当山に祀られる千手観音の1体を

紹介させて頂きます。

 

以下がその写真となります。

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ご覧の通り

とても古い仏像で

お顔の上にも多くのお顔があり

仏像両側面には

千手観音の腕が

差し込まれていたと考えられる

無数の穴があります。

 

この千手観音は

田子出身の高僧である

奇峯学秀(きほうがくしゅう)

彫ったものであることが

つい先日判明いたしました。

 

千手観音に加え

不動明王像の中にも

奇峯学秀作のものがあることが

判明いたしました▼

https://fugenin643.com/blog/奇峯学秀(きほうがくしゅう)の仏像が発見/

 

ついでになりますが

当山観音堂には

八体仏(はったいぶつ)という

十二支の守護尊がお祀りされ

その中にも千手観音が

入っておりまして

この八体仏は

弘化年間(1844〜1848)に

作られております。

 

先の引用文には

修験についても紹介されているので

最後にこのことにも触れたいと思います。

 

『御領分社堂』では

四人の修験者が記され

「本山派」であるとされます。

 

『七崎神社誌』では

七崎の修験は「真言宗なり」とあり

記述に矛盾を感じられる方が

いらっしゃるかと思いますが

ここに現代とは異なる

かつての“宗派性”を

読み解くことが出来ると思います。

 

修験者としての認可を

本山派(天台系修験)で授かり

作法などは当山派(真言系修験)の

伝授が出来る寺院

あるいは阿闍梨に授かるといったことは

決して珍しいことではありません。

 

参考までにですが

当山の本山である

奈良県の長谷寺は

学山(がくさん)として非常に栄え

宗派を問わず多くの学僧が

各地より集ったお山でした。

 

七崎(現在の豊崎)も

垣根をこえて

様々な方が各所より集われた

魅力ある地域だったと思います。

 

▼当山より南方方向

 ※当山と七崎山のその先には

   名久井岳が位置します。

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▼観音橋上空から見た南方

※当山と七崎山の奥に見える

   大きな山が名久井岳です。

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▼当山より真東方向

 ※その先には海が広がり

  蕪島(かぶしま)が位置します。

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▼当山より西方

 ※ずっと先には戸来(へらい)岳や

   十和田湖があります。

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▼当山より北方

 ※ずっと先には小川原湖があります。

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十和田湖自然ガイドクラブの皆様においで頂きました

十和田湖自然ガイドクラブの皆様が

当山においで下さいました。

 

今回は拙僧(副住職)から

皆様にお願いがあり

お声がけさせて頂き

ご足労頂きました。

 

当山は十和田湖伝説の

南祖坊(なんそのぼう)が修行したと

伝えられるお寺でもあり

南祖坊の御像もお祀りされております。

 

そのご縁もあって数年前より

十和田湖自然ガイドクラブの

皆様とは親しくさせて頂いております。

 

十和田湖伝説を

十和田湖でガイドとして

お伝えされている

いわば“現代の語り部”の皆様です。

 

今回お呼び立てしたのは

本堂建替に伴う記念事業と

諸儀式に関することや

今後の取り組みなどについて

様々相談させて頂きたいことが

あったためです。

 

十和田湖では現在

「十和田湖冬物語」という冬の行事が

開催されている期間で

皆様お忙しいにも関わらず

親身に相談に乗って下さり

ありがたい限りでした。

 

おかげさまで

とても有意義な時間となりました。

 

▼十和田湖自然ガイドクラブ

https://www.aptinet.jp/Detail_display_00000573.html

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▼十和田湖(2017年秋の写真)

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奇峯学秀(きほうがくしゅう)の仏像が“発見”されました

本堂建替にあたり

当山の文書や仏像の

研究調査と整理を行っております。

 

以前から気になっていた

独特の風貌の仏像が

田子町出身の高僧

奇峯学秀(きほうがくしゅう)

作った仏像と非常に似ていることに

気が付きまして

有縁の方を介して

専門家の方々においで頂き

ご確認頂きました。

 

間違いなく学秀仏(奇峯学秀作の

仏像の意)であるとのことです。

 

奇峯学秀は生涯において

千体仏を三度も作成された方で

その他にも数百体の仏像を

彫られた方です。

 

もともとお祀りされていたものですが

仏像の“忘れられた歴史”が

現在において“思い出された”ことに

喜びを感じております。

 

▼学秀仏と判明した仏像2体

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▼千手観音像

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▼不動明王像

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再び空から眺める

当山から真東方面に伸びる道は

高い位置から眺めると

実に素晴らしいものがあります。

 

ちょうど真東には蕪島が位置します。

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他の方角についても

空撮してみたので

紹介させて頂きます。


 

当山上空から西方向です。

 

その先には十和田湖が位置します。

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当山南方向には

七崎神社(旧観音堂)が位置します。

 

 

当山と七崎神社を結ぶ線の先には

名久井岳が位置します。

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上空から見た七崎神社(旧観音堂)です。

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当山上空からみた北方向です。

 

その先には

小川原湖が位置します。

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空から眺める

当山本堂は近い将来

建替のために取り壊される予定です。

 

ということは

雪景色における本堂の景観は

本年が最後かもしれないということで

ドローンでの空撮の

ご協力を仰がせて頂いたところ

お二方がご協力下さることになり

空撮して頂けることになりました。

 

本日は強風のため

飛行時間にかなり制限があったものの

一回目の撮影をして頂き

短い動画を作成しました。

 

空から見た景色は

実に壮観です。

 

動画は下記にて

ご覧いただけますので

是非ご覧下さいませ。

 

▼冬の普賢院(youtube)

https://www.youtube.com/watch?v=a57uJMKNqq8&fbclid=IwAR0c7wucGLorlSxLID7IjMFSWzBtguyYSoGp3w5zkATTCfgfYt-Gb5dykwM

 

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稀代の古刹 七崎観音⑥

当山本堂にお祀りされる

聖(正)観音(しょうかんのん)は

七崎観音(ならさきかんのん)と

通称され親しまれてきました。

 

当山は前身である永福寺時代より

七崎観音の別当をつとめております。

 

七崎観音は秘仏で一年に一度

旧暦1月17日にのみ

御開帳され御宝前にて

護摩法要(ごまほうよう)が

厳修されます。

 

その行事は「おこもり」と呼ばれ

平成31年は2月21日に行われます。

※詳細はコチラです▼

https://fugenin643.com/blog/wp-content/uploads/2019/01/H31おこもり広告.pdf

 

今回は

七崎姫(ならさきひめ)伝説

について紹介いたします。

 

当山の仁王門の裏手に

北沼観音(きたぬまかんのん)

と呼ばれる観音様が

お祀りされております。

 

こちらの観音様は元々

八戸市八太郎(はったろう)の

蓮沼(はすぬま)という所に

お祀りされていたものです。

 

この石殿中央に

埋め込まれている黄色の石が

蓮沼から発見され

現在の様な形に

設えられたそうです。

 

石殿の台座には

以下のように記されます。

 


 

昭和二年八月十一日発見につき建設

発起人

小田 山道留之助

 

七崎

品田長峻 中村巳之松 小泉善太

田中長一 中村甚エ門 嶋森丑松

久保杉卯之 小泉長太 田中弘戒

永田竹松 田村次郎 中村弥吉

坂本徳松 中村金松 夏堀市太郎

夏堀福次郎 田中石松 小泉大八

 

昭和四年末旧八月十七日 建立

 

細工人 小田 仲道千之助

手伝人

日斗 早狩操

小田 川村清次郎 

 


 

品田長峻(ちょうしゅん)は

当山の第61世住職で

南部町の恵光院住職と

山形県の湯殿山大日坊住職も

兼任された方で

拙僧(副住職)の曽祖父にあたります。

 

蓮沼は現在

地名のみが残り

沼は埋められ

八太郎海岸には

工場が建てられております。

 

その工事の際に北沼観音は

当山へ遷座(せんざ)されました。

 

七崎姫伝説によれば

この八太郎の沼には

大蛇が住んでいたと伝えられます。

 

毎年少女を一人

人身御供(ひとみごくう)として

大蛇へ捧げなければならず

ある年に七崎(現・豊崎)の

長者の娘がご指名を受けます。

 

都から七崎に来ていた

公卿の娘である七崎姫は

この話を聞いて

自身が身代わりとなることを決めます。

 

七崎姫は御輿(みこし)に乗り

八太郎の沼へ送られます。

 

七崎姫は法華経を携えており

沼の大蛇が現れると

観音経(かんのんぎょう、法華経の普門品)

を唱えます。

 

すると経文の一文字一文字が

剣となって大蛇に突き刺さります。

 

補足ですが仏道において

剣は智恵(ちえ)の象徴で

こういった“象徴物”を

三昧耶形(さまやぎょう)といいます。

 

観音経(かんのんぎょう)の

功力(くりき)の助けを得て

七崎姫は大蛇を“改心”させます。

 

伝説ですので

諸説ありまして

七崎姫は命を落としたため

村人が七崎姫菩提(ぼだい)のために

七崎観音として祀ったというお話や

七崎姫は七崎観音の加護により

八太郎大蛇を解脱へと

導くことが出来たというお話など

バリエーションは様々です。

 

明治以前は

七崎から八太郎へ

行列を組み御輿を担いで

北沼観音へ赴く“お浜入り”(御浜出)が

行われておりました。

※七崎観音の祭事についての詳細はコチラ▼

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/十和田湖南祖坊について/稀代の古刹七崎観音弐/

 

この祭事は

ある説によると七崎姫が

蓮沼の大蛇が再び悪さをしていないか

確認するためだとのお話が

添えられております。

 

八太郎は十和田湖伝説の

八郎(八郎太郎、八の太郎)伝説が

伝わる地域でもあります。

 

十和田湖伝説とは

十和田湖の主である龍神の物語で

南祖坊(なんそのぼう)という僧侶と

八郎(はちろう)というマタギが

登場します。

 

南祖坊は当山2世の月法律師の

弟子として修行されたとされ

全国を練行した後に

十和田湖に結縁し入定され

青龍大権現という龍神となった

というのが伝説の大筋です。

 

南祖坊が十和田湖にたどり着く以前に

“十和田湖の主”であったのが

八郎であると伝えられます。

 

これも伝説なので

様々なバリエーションがありますが

 

七崎はとても深く関わっております。

 

蓮沼への御輿(みこし)のお浜入りは

明治になって行われなくなりましたが

先にも触れたように

蓮沼で「聖観音の石」が発見され

新たな形で観音祭事が

行われることになりました。

 

拙僧(副住職)の祖父にあたる

当山63世の裕教(ゆうきょう)大和尚が

若かりし頃の

北沼観音祭事の写真が

当山に残っております。

 

「海方面」といえば

当山は八戸市の白銀にも

別当をつとめた観音堂がありました。

 

白銀の清水観音は

当山が別当をつとめた観音様で

七崎観音とのご縁は

とても深いものがあります。

※清水観音についてはコチラ▼

https://fugenin643.com/ふげんいん探訪/かんのんまいり-清水観音/

 

今回は七崎姫の伝説をメインに

七崎観音について見てきましたが

“海ともつながる七崎観音”を

感じて頂けたでしょうか。

 

▼現在の北沼観音(普賢院)

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▼中央に「聖観音」と刻まれております

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▼蓮沼(八太郎)時代の様子

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▼現在の蓮沼神社

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▼蓮沼神社前から見た海岸方面

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▼白銀の清水観音堂

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