撒銭撒餅の準備

上棟式で

行う「餅まき」のことを

撒銭撒餅(さんせんさんぺい)

とも言います。

 

字のごとく上棟式では

鋳銭と餅を撒(ま)かせていただきます。

 

「銭をまく」といっても

今回はお金をそのまま投じるわけではなく

縁起物として相応しいように

手作業で紅白の紐を通して

祝札を同封した形で

上棟銭を撒かせていただきます。

 

餅は

いつもお世話になっている

地元の有縁の皆様にお手伝いいただき

手作りしていただきます。

 

餅に加えて

お菓子も撒かせていただきます。

 

撒くお菓子の相談のため

本日は住職夫婦で

坂下商店さんを訪ねました。

 

坂下さんは大正12年(1923)創業の

お菓子卸センターです。

 

社長さんが

ご丁寧に対応下さいました。

 

これでお菓子の手配はバッチリです。

 

上棟式でお手伝いいただく

御寺院様方への連絡や

役員の皆様へのご案内をしたりと

バタバタしているうちに

気がつけば日が暮れておりました。

 

ここ数日は

2月末締切の原稿や

来月初頭の研修会での発表の準備に

全く手が届いていないのが

とても気がかりではありますが

何百年に一度ともいえる本堂上棟式の

準備は着々と進んでおります。

 

ただいま本堂建替中の動画を更新しました

本堂の建設の進捗状況をお伝えする

動画「ただいま本堂建設中」を

更新したので

ご覧いただきご確認いただけると幸いです。

 

上棟式当日まで

2週間程となり

急ピッチで準備を進めています。

 

本日は

市内是川の福善寺副住職

横地倫明師においでいただき

上棟式の打ち合わせと

今後予定されている

前住職本葬・現住職晋山式と

新本堂落慶式についての

打ち合わせを行いました。

 

どれも大がかりな儀式となるので

有縁の御寺院様方に

ご助力いただくことになります。

 

当山においては

今後しばらく行われることのない

尊いひとときですので

精一杯努めさせていただきたいと思います。

 

迫力ある太鼓の響き

先日行われた

七崎観音おこもり法要での

観音経(かんのんぎょう)

というお経の読経シーンの

動画をアップしました。

 

太鼓つきの迫力ある

法要の様子をご覧いただけると幸いです。

 

おこもり法要という

一年に一度の行事を終えて

少し一休みしたいところですが

3月6日の上棟式(じょうとうしき)の

準備を本格的に始めました。

 

細々とした所を詰めている段階ですが

とても良いひとときに

なるように思います。

 

なかなかない機会なので

多くの方にご一緒いただき

お祝いの儀式に

臨ませていただきたいと思います。

 

 

▼上棟式のご案内動画

令和4年おこもり法要の動画をアップしました

昨日行われた

おこもり法要の動画を用意しました。

 

令和3年と4年は

仮本堂での開催ということで

通常の形式とは異なる法要でしたが

とても厳かなものだったと感じます。

 

動画で法要の様子を

ぜひご覧いただければと思います。

 

本年ご助法いただいた

善養寺(東京都小岩)住職の名取玄喜師と

地福寺(東京都足立区)副住職の石井文教師は

拙僧泰峻と修行をともにした

頼もしき「法友」です。

 

名取師は研究者

石井師は事相家と

両師とも日々励まれていらっしゃいます。

 

もうお一人

浄明院(愛媛県松山市)副住職の森脇宥海師も

いらっしゃる予定だったのですが

臨床仏教師として

病院に出入りされることが多いため

県をまたいでの移動は

懸念されることが多いということで

今回はご欠席となりました。

 

各師ともお会いする度に

頼もしさに磨きが

かけられているように思います。

 

本年12月11日の

前住職本葬・現住職晋山式と

翌12日の

本堂落慶式にも

このお三方には

職衆(しきしゅう)として

お勤めいただきます。

 

余談ですが

本葬・晋山式と落慶式には

東北有縁の御寺院様に加え

拙僧泰峻有縁の御寺院様に

お集まりいただきます。

 

どの儀式も

この先しばらく行われることのない

尊い儀式となります。

 

殊に落慶式では

文化7年(1811)以降

当山では行うことの出来なかった

大般若(だいはんにゃ)という

法要を行う予定でおります。

 

これから

様々な準備や

御寺院様方との打ち合わせを

詰めていきますが

悔いのない形で行ないたいと思います。

 

年に一度のひととき

本日は旧暦1月17日大安にあたります。

 

毎年この日は

秘仏の七崎観音(ならさきかんのん)を

ご開帳して

法要が執り行われます。

 

この行事は

「おこもり」と呼ばれます。

 

昨年と本年は

仮本堂での厳修となりました。

 

ご一緒下さった皆様が

捧げられた願いが

結ばれることを

祈念申し上げます。

 

 

差し入れに一息

いつも親しくさせていただいている

元副総代長の奥様が

ありがたい差し入れを

お持ち下さいました。

 

階上の道の駅で売られている

味噌の入った

おやきのようなものなのですが

これがまたとても美味しいのです。

 

以前も

いただいたことがありまして

とても美味しかった旨

お伝えした所

階上のご実家に

お寄りになられた足で

調達して下さったとのことでした。

 

最近色々と大変だったので

より一層美味しく

感じられました。

 

気がつけば

本日は涅槃会(ねはんえ)という

お釈迦様を追慕し

自身と改めて向き合う日ですし

明後日2月17日は

当山の秘仏・七崎観音の

ご開帳です。

 

あれよあれよと

時間が過ぎていく中でも

大切な行事は

丁寧にお勤めさせて

いただきたいと思います。

 

もうすぐ秘仏ご開帳です

 

在宅不在のリモートワーク

本日午後は

オンラインでの

研究会と会議があり

昼過ぎから夕方まで

寺務室で出席しておりました。

 

ここ2年で

リモートワークが

すっかり定着したようにも思います。

 

まだまだ慣れない部分や

技術的な課題もあるのですが

前向きに

向き合っております。

 

リモートワークの普及に伴い

お寺にはいるのですが

来客や電話への対応が

出来ない「在宅不在」が

増えており

大変申し訳なく思っています。

 

わざわざご相談においで下さっても

リモートで取り込み中ですと

途中退席出来ない場合もあるので

大変申し訳なく感じています。

 

何か相談事でご足労いただく際は

可能であれば事前に

日時を調整させていただいた方が

そういったご不便は

減るものと思います。

 

これもひとつの

ニューノーマルに

なりうることかもしれません。

 

そんなことを

思いめぐらせた一日でした。

 

上棟式の段取りが大方決まりました

日曜日ということもあり

法事→法事→会議→葬儀と

立て込んだ一日となりました。

 

明日はリモートで

研究会があり

来月行われる研修会の

登壇者の一人としての

プレ発表があるのですが

その準備に手が回らず

明日の早朝から

仕上げようと目論んでおります。

 

時間に限りがあるのは

誰もが同じ条件です。

 

ここ2年で一気に定着した

オンラインという方法に

随分助けられているようにも思います。

 

本日午後に開催された会議は

本堂建替の施工部会でした。

 

工事のことについてや

来月の上棟式についての

話し合いをいたしました。

 

上棟式の

段取りが決まり

これから準備していくことになります。

 

本年2月17日は

七崎観音のご開帳の行事がり

それが終わるまでは

そちらに注力しなければらないのですが

上棟式まではまだ少し時間があるので

細かなことを詰めていければと思います。

 

昭和の最困難期

普賢院61世である

長峻和尚は

現在の住職の曽祖父にあたります。

 

近現代の“巨星”ともいえる

長峻和尚の住職在位20年は

当山はもちろんのこと

携わった関係寺院の

興隆期となりました。

 

長峻和尚は行年60で

ご遷化されるのですが

その当時

次代となる晃雄和尚は

また14歳でした。

 

そのため

晃雄和尚が晋山されるまでの間は

代務住職により

法務がなされています。

 

晃雄和尚の晋山式は

昭和19年(1944)に行われました。

 

この晋山式は

晃雄和尚の出征にあたる

送別のひとときでもありました。

 

晋山式を終えて程なくして

晃雄和尚は出征し入隊されます。

 

晃雄和尚の弟である高明氏もまた

同年6月15日に出征しました。

 

住職と弟が不在となった普賢院。

 

晃雄和尚と高明氏の

姉と妹が

法務(葬儀や法事など)も担い

お寺を守ることになります。

 

拙僧泰峻からみると

大叔母と祖母にあたります。

 

63世となる

裕教和尚を迎えるまでの約4年間。

 

大変な苦労があったのは

いうまでもありません。

 

当時東京の親戚にあてた手紙によると

泥棒に入られたこともあるそうです。

 

昔を知る総代さんのお話ですと

馬鹿にされたこともあったそうです。

 

そういったことを乗り越えて

今があるということは

忘れてはならないと

心にとめております。

 

 

 

 

 

  • 大正5年(1916)10月 普賢院61世長峻和尚 住職就任
  • 大正7年(1918)8月8日 長女 道子誕生
  • 大正10年(1921)8月10日 長男 晃雄誕生
  • 大正12年(1923)6月5日 次男 高明誕生
  • 大正14年(1925)8月18日 次女 誕生
  • 昭和2年(1927)八太郎の蓮沼で「聖観音」と刻された石が発見される
  • 昭和4年(1929)旧8月17日に蓮沼に「北沼観音」のお社を建立
  • 昭和6年(1931)観音堂(内御堂)と仁王門を改築
  • 昭和6年(1931)子安地蔵堂建立
  • 昭和9年(1934)本堂と庫裏を修繕(当時、累年の凶作で経済的に大変な時代)
  • 昭和9年(1934)8月 弘法大師1100年御遠忌を厳修
  • 昭和10年(1935)5月 長峻和尚 山形県湯殿山の大日坊88世住職兼任(大日坊での住職名は慈念海上人忍光上人)
  • 昭和11年(1936)3月3日(旧2月10日)長峻和尚ご遷化(行年60)
  • 昭和17年(1942)3月28日 晃雄和尚四度加行成満(阿闍梨 神林隆淨僧正/慈光山道場にて)
  • 昭和17年(1942)10月12日 晃雄和尚灌頂(東京の護国寺にて)
  • 昭和18年(1943)晃雄和尚の割切袈裟一領(年月と晃雄と墨書きあり)
  • 昭和19年(1944)晃雄和尚晋山・出征(2月28日頃出発、3月1日弘前野砲隊へ入隊)
  • 昭和19年(1944)6月5日 長峻和尚後妻ツネ逝去(行年61/明治17年(1884)9月15日生まれ/出身地は現在の岩手県沼宮内の柴田家/60世宥精師[大正5年(1916)5月24日 行年35でご遷化]の妻で、長峻師とは再婚)
  • 昭和19年(1944)6月15日 高明氏出征(前日に送別会が行われ、その時の写真が残っている)
  • 昭和20年(1945)4月8日 高明氏戦死(フィリピンルソン島マウテル州バキオ付近にて/陸軍伍長/命日は過去帳による)
  • 昭和20年(1945)7月30日 晃雄和尚戦死(フィリピンルソン島ダラカン州にて戦死/陸軍伍長/命日は過去帳による)
  • 昭和22年(1947)本堂屋根葺替の木札に当時の様子が記述され、その中に「晃雄住職の生死不明」とある。