南祖法師(なんそほっし)尊像

南祖法師(なんそほっし)とは

南祖坊(なんそのぼう)のことです。

 

法師とは

仏道に長けた方への尊称です。

 

南祖坊(なんそのぼう)は

十和田湖伝説に登場する僧侶で

当山にて修行したとされます。

 

その南祖坊の御尊像が

当山にてお祀りされていた

ということが

本年8月初旬に“発見”されました。

 

これまで数十年間

お地蔵様と“勘違い”され

観音堂脇の八体仏(はったいぶつ)と

共に安置されておりました。

 

副住職が仏像の

御身拭い(おみぬぐい)がてら

尊容(そんよう)を観察した際

お地蔵様ではないことが判明したのです。

 

頭に頭襟(ときん)を戴くなど

修験者(しゅげんしゃ)の

装束(しょうぞく)を

まとったお姿の御像です。

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当山の歴史を踏まえ検証した結果

これは南祖坊であるという

結論に至りました。

 

いつの時代に作られたものかは

定かではありませんが

中々の古さであろうと思われます。

 

また

ご縁がありまして

(株)山村総本店の

社長であられる

山村雅雄様ご夫妻に

厨子(ずし)を御奉納頂きました。

 

山村ご夫妻には

衷心より感謝申し上げます。

 

この御像は

「南祖法師(なんそほっし)尊像」として

改めて当山観音堂にて

お祀りされております。

 

当山にお越しの際は

どうぞお参り下さいませ。

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火災の記憶

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当山の観音堂には

不動明王も

お祀りされております。

 

これらの不動明王像は

焼けこげており

部分的修繕が

施されております。

 

当山の本堂は

江戸時代に

火災に見舞われております。

 

火災直後の

文化8年(1811年)に

建立された本堂が

現在の本堂です。

 

焼けこげた不動明王像が

当山の火災の歴史を

生々しく

今に伝えております。

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南祖坊 生誕の地

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糠部(ぬかべ)三十三観音霊場

第16番札所である

斗賀 霊現堂(とが りょうげんどう)

 

明治まではお寺でしたが

現在は斗賀神社という

神社となっております。

 

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)

こちらで生まれたとされます。

 

斗賀神社の裏手には

十和田神社があり

南祖坊が祀られております。

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田村麿公への祈りに触れる

征夷大将軍

坂上田村麿(さかのうえの たむらまろ)公。

 

田村麿公の伝説は

東北各地にございます。

 

当山にも

田村麿公の伝説が

伝えられます。

 

普賢院の前身である

永福寺(えいふくじ)は

延暦19年(西暦800年)に

奥州六観音の1つとして

現在の当山の地に

楢崎観音(ならざきかんのん)として

坂上田村麿公により

建立されたと伝えられております。

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6/27に奥州市、一関市を訪れた際

平泉にございます

達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわや びしゃもんどう)

にも立ち寄らせて頂きました。

 

こちらは国指定史跡であり

延暦20年(西暦801年)に

田村麿公が創建した名刹です。

 

たまたま訪れた所

金堂(こんどう)にて

大将軍会(だいしょうぐんえ)

という田村麿公の法要が

営まれておりました。

 

毎年旧暦5月23日に

厳修されている

1年に1度の法要だそうです。

 

偶然とはいえ

光栄にも尊い法要に

立ち会わせて頂きました。

 

平泉は

仏教文化が荘厳に花開き

国土安寧の願いが

託された地でもあります。

 

歴史を今に伝える

平泉の地にて

受け継がれ祈り継がれた

“色あせぬ風土”を観させて頂きました。


▼達谷窟毘沙門堂

http://www.iwayabetto.com/mysite1/bisyamondou.html

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法量のイチョウ

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)は

当山にて

修行されたと伝えられます。

 

十和田市には

「法量(ほうりょう)のイチョウ」

という国の天然記念物の巨木があります。

 

樹齢1100年とも伝えられる

法量のイチョウは

南祖坊が手植えしたとされます。

 

力強くそびえるイチョウに

“伝説のロマン”が

感じられます。

 

▼青森県観光情報サイト

http://www.aptinet.jp/Detail_display_00002568.html

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総本山 長谷寺(はせでら)

当山の本山は

奈良県桜井市の

長谷寺(はせでら)です。

 

長谷寺は

真言宗豊山派(ぶざんは)の

総本山です。

 

「花の御寺(みてら)」と

いわれるように

四季折々の花々に

彩られます。

 

創建は

神亀(じんき)4年(西暦729年)。

 

大自然そのものが

境内である

長谷寺に赴くと

まるで“タイムスリップ”したかのような

心持ちになります。

 

古き時代の

お寺のたたずまいを

今に伝えております。

 

京都・奈良を

訪れの際は

是非お立ち寄り下さい。


▼総本山 長谷寺ホームページ

http://www.hasedera.or.jp

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今に伝えられる南祖坊伝説

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青森県の

景勝地のひとつ

十和田湖。

 

十和田湖には

伝説が伝えられます。

 

十和田湖伝説に登場する

南祖坊(なんそのぼう)は

幼少期に当山にて

修行されたとされます。

 

南祖坊は

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)

という名の神仏として

十和田神社の奥の院に

お祀りされております。

 

当山はかつて

永福寺(えいふくじ)というお寺でした。

 

南部氏が拠点を盛岡に移す際

永福寺も盛岡に改められました。

 

永福寺は現在も盛岡にございます。

永福寺にも南祖坊の碑が建立されております。

 

石碑正面に

「十和田山青龍大権現」

と刻まれております。

 

両側面には

「十和田山南祖坊大菩薩」

「十和田山観世音菩薩」

と刻まれております。

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▼十和田神社について

http://towadako.or.jp/rekishi-densetsu/towada-jinja/

▼十和田湖伝説について(紙芝居動画)

http://towadako.or.jp/rekishi-densetsu/towadako-densetsu/

 

南部氏の祈願寺 永福寺

当山はかつて

永福寺というお寺で

南部氏の祈願寺(祈願所)

として重宝されました。

 

南部氏が

盛岡に拠点を移す際に

永福寺も

盛岡の地に改められます。

 

永福寺は

真言宗の「惣録(そうろく)」(統括寺院)であり

寺領800石の大寺でした。

 

南部氏には

流れがあります。

 

当山は

南部氏宗家である

三戸南部氏と

深く関わった

お寺です。

 

三戸南部氏が

盛岡に拠点を移した後も

永福寺は

祈願寺として大切にされました。

 

『邦内郷村志(ほうないごうそんし)』

という古文書の中に

永福寺について

以下のように書かれております。

※以下、抜粋です。

 

重信公貞享三年 御造営成

慶長元和之頃 従三戸御移

真言宗歴代祈願所

寺領八百石 是為邦内諸刹之冠成

故寺格無出其右

最多末山

 

「寺領800石」と

聞いても中々ピンとは

きませんが

南部藩領において

2番目に大きな石高だそうです。

 

現在、永福寺は

盛岡市下斗内に

構えられております。

 

 

▼『邦内郷村志』はイーハトーブ岩手電子図書館でご覧頂けます。

http://www.library.pref.iwate.jp/ihatov/index/sakuin.html

 

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▲「根城の広場」(八戸市)の案内板

 

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▲現在の永福寺(盛岡市下斗内)

南祖坊修行のお寺

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当山には

南祖坊伝説が

伝えられます。

 

南祖坊(なんそのぼう)とは

十和田湖伝説に

登場する僧侶です。

 

当山には

『十和田山神教記(とわださん じんきょうき)』

という書物の写本がございます。

 

その他にも

伝説が記される書物がいくつかあり

一説によれば

南祖坊(なんそのぼう)は

当山の月体(がったい)和尚の下で

修行されたとされます。

 

“七日七晩の死闘”の末

十和田湖の主であった

八郎太郎に代わり

十和田湖の主となったとも伝えられます。

 

南祖坊は今もなお

青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)として

多くの方に親しまれております。

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斗南藩のお墓に思う

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普賢院の本堂裏に

斗南藩(となみはん)の方々の

お墓があります。

 

当山位牌堂には

斗南藩の方々の

戒名がしたためられた

お位牌も祀られております。

 

激動の時代を

今に伝えております。

 

斗南藩は

旧会津藩の方々が

北の地にて

再興された藩です。

 

下北地方と

当時の二戸、三戸郡に

その藩領がありました。

 

戊辰戦争に敗れ

会津藩はお家断絶となり

後に斗南藩として再興が許され

会津よりはるか北へと移住し

様々な困難と

向き合われた方々が

大勢いらっしゃいます。

 

三沢市に

斗南藩記念観光村

という観光施設があります。

 

そちらでは

斗南藩の方々の

新天地における

生活を垣間みることが出来ます。

 

当山に並ぶ

十数基の墓石は

会津を故郷とする

斗南藩の方のものです。

 

ご縁あって

当山にて弔われた

斗南藩の方のものです。

 

斗南藩の歴史を

当山なりに

しっかりと伝えて行く

ということも

当山にて

弔われた斗南藩の方への

ご供養の形かと思います。

 

歴史を伝える方法は

様々かと思いますが

出来ることを

続けていきたいと思います。

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