合葬墓と斗南藩の供養碑を考える

当山では本堂裏手墓地に

合葬墓(がっそうぼ)の建立を

考えております。

 

当山には多くの御寺院さまのように

一般分譲してお使い頂くような

境内墓地はありません。

 

当山にある境内墓地は

歴代住職の墓所と

現住職家関係の墓所と

有縁の方のお墓が2基あるだけで

檀信徒の皆様の墓地は

各地域の共同墓地か

各地霊園にございます。

 

当山の境内墓地は

スペースに限りがあるので

大きなものは建立出来ませんが

有縁の方にご安心頂けるように

出来る形で合葬墓を

建立したいと考えております。

 

まだ公な話ではないのですが

現実的な話として

建立するとすれば現在

斗南藩の方々の墓石が並べられている

場所への建立となろうかと思われます。

 

斗南藩の方々の墓石に関しては

本堂建替事業に際して

隣接地を境内地として取得する

手続きを進めているので

少し広がる境内地の部分に

墓石を移させて頂き

そちらに供養碑を建立しようという

考えを持っております。

 

斗南藩の歴史は

後世に伝えるべきものであると思いますし

ご縁があって当山で弔われた方々の

ご供養をきちんとした形で

行いたいと考えております。

 

合葬墓に関してですが

当山本堂入口脇の不動明王像を

合葬墓の本尊として

計画を進めたいと思っております。

 

こちらの不動明王像は

拙僧(副住職)の弟が

洪水で亡くなったことを契機とし

父である当山住職が

三界萬霊供養(すべての方のご供養)の

ために切実な思いを託して

造立したものです。

 

拙僧(副住職)の弟は

大雨による浅水川の洪水で

平成11年10月28日お昼頃に

濁流にのみこまれ遭難しました。

 

28日は

不動明王の御縁日でもあります。

 

そういったことも踏まえ

拙僧(副住職)の弟の

ご供養と萬霊供養のために

造立されたのが

本堂入口脇にあります

不動明王像です。

 

合葬墓の本尊として

この不動明王に

有縁の方々をお守り頂きたいとの

思いを住職も拙僧(副住職)も

現在抱いております。

 

本堂建替もあわせて

総合的な見地から

まだまだ

詰めなければならないことが

山積みですが

多くの方のお心に寄り添える形を

整えたいと切願しております。

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1人1人に思いをはせる

当山にお祀りされる

16基の墓石と

過去帳に記される

斗南藩(となみはん)の方の

お名前は二十数名にものぼります。

 

この中には

大まかな足跡を

辿れる方もいらっしゃいますが

大部分の方は

どのようなご生涯を歩まれたのか

当山では全く把握出来ません。

 

そのことについて先日

八戸の斗南藩歴史研究会の方に

おいで頂きお話をお伺いしましたが

結論からいえば

細かに足跡を辿ることは

難しいとのことでした。

 

この点については

本年夏に会津若松市から頂いた

お便りの内容が

とても具体的なものだったので

機会を見て

会津若松市に赴いて

お話を伺ってみたいと思います。

 

斗南藩の歴史を

後世に伝えるべく

色々と尋ねていく中で

様々なご縁を感じます。

 

八戸の斗南藩歴史研究会では

当山にて斗南藩の歴史を

お話して下さっても良いと

おっしゃって下さいました。

 

このようなご縁は

とてもありがたいと

つくづく感じさせられます。

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壮大な伝説と歴史

午前中は地元の小学校

3・4年生の皆さんが

お寺の見学にいらっしゃいました。

 

当山の歴史は地元の歴史や

伝承・伝説と

大きく関わっているため

色々と活発に

生徒の皆さんから

ご質問を頂きました。

 

また本日は

斗南藩歴史研究会の方にも

おいで頂きまして

当山の斗南藩の墓石にまつわる

お話をお伺いさせて頂きました。

 

当山には

南祖坊伝説や七崎姫伝説などの

伝承や伝説が伝えられます。

 

また斗南藩の墓石があり

今の世に激動の歴史を伝えます。

 

歴史でいえば

南部藩との関わりや

湯殿山大日坊(だいにちぼう)

との関係があるお寺です。

 

ついでながらですが

当山の本山である

奈良県桜井市の長谷寺と

十和田湖伝説にも

接点があります。

 

接点があるというよりは

接点を見出すことが出来ます。

 

12月に拙僧(副住職)は

現代教化研究所という部署にて

研究発表を控えておりまして

資料作成の合間に

何となしに

江戸時代の探検家である

菅江真澄(すがえ ますみ)が

記した『十曲湖』に目を通していた所

南祖坊についての説明の中にある

 

いつまても

ながらふ命ありて

慈尊の御世に

あひ奉らまく

泊瀬寺にこもり云々

 

との文言が目にとまりました。

 

長谷寺は

隠国(こもりく)

泊瀬(はつせ)

初瀬(はつせ)

とも記されており

泊瀬の文字は古事記にも登場します。

 

伝説は口承伝承に依る所が

大きいものではありますが

本山とのご縁を以てして

十和田湖伝説を紐解くと

より一層深みが増します。

 

長谷寺は観音信仰では

日本屈指の霊山です。

 

長谷寺のみならず

十和田湖伝説であるとされる

三国伝記所蔵の文書に登場する

書冩山(しょしゃざん)という所も

分かる者からすれば

その三文字からだけでも

壮大なストーリーを感じさせられます。

 

そういった話も

機会があれば

お伝えしたいと思います。

 

書かれてある内容以上に

南祖坊伝説は壮大なものです。

 

伝説にしろ歴史にしろ

点と点を「面」として

壮大なスケールを以て

躍動的にお伝え出来るよう

精進させて頂きます。

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会津若松市より連絡を頂きました

当山境内には

斗南藩(となみはん)の方のお墓が

16基お祀りされております。

 

昨年そのことについて

会津若松市へ問い合わせた所

会津若松市文化課より

回答を頂戴しました。

 

そこには

会津若松市史研究会よりの

お返事も添えられており

当山の斗南藩の墓石は

会津藩士とその家族のものであり

貴重な歴史資料であると

記されておりました。

 

まだまだ勉強不足ですが

学びを重ねながら

しっかりと斗南藩の歴史を

後世へ伝えなければと

改めて感じさせられました。

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開拓の精神に触れる

新渡戸稲造が創設した

新渡戸記念館では

三本木開拓の歴史や

新渡戸稲造の足跡に

触れることが出来ます。

 

新渡戸稲造の祖父にあたる

盛岡藩士・新渡戸傳(つとう)は

“不毛の地”に川を作り町を作りました。

 

それが現在の十和田市です。

 

斗南藩について学びを進めていた所

旧会津藩である斗南藩の方も

開拓について尋ねるべく

新渡戸傳(つとう)を訪ねたと

記録がありまして

新渡戸記念館を訪ねさせて頂きました。

 

新渡戸記念館は

拙僧(副住職)が小学生の頃

社会科見学で訪れた記憶があります。

 

新渡戸記念館の訪問はそれ以来なので

三十年まではいかなくとも

二十数年ぶりに訪れたことになります。

 

新渡戸記念館の新渡戸さんと

学芸員の角田さんには

懇切丁寧にお話を伺わせて頂き

貴重な史料を拝見させて頂きました。

 

当山には斗南藩の方の墓石が16基

本堂裏手に並んでおり

激動の時代を今に伝えております。

 

当山では二百数年ぶりに

本堂を建替えるに当たり

歴史や伝説などの整理をしており

斗南藩の歴史も見直している所です。

 

また十和田と当山のご縁でいうと

十和田湖伝説の南祖坊は

当山にて修行されたと伝えられます。

 

本堂建替は色々な意味で

大切な機会であると考えております。

 

歴史や伝承・伝説に

改めて向き合う機会でもあると捉え

後世に伝えていくためにも

出来ることは全力を注ぎたいと思います。

 

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後世に託すべく

今月初頭に当山有縁の方の

50回忌と先祖供養の

ご法事をご一緒させて頂きました。

 

その方は

斗南藩(となみはん)の

末裔にあたります。

 

ご法事がてら

斗南藩のお墓について

少しばかり拙僧(副住職)の

考えを伝えさせて頂きました。

 

当山境内には

斗南藩の方のお墓が16基ございます。

 

時代の経過とともに

徐々に劣化が見られております。

 

また、現在当山では

6年計画で本堂建替という

歴史的大事業を進めております。

 

この大きな機会に当たり

当山の歴史や伝承などの

見直しや整理も行い

後世に伝える用意をしております。

 

斗南藩の歴史も

きちんとした形で

整えさせて頂き

後世にしっかりと伝えたいと

切に考えております。

 

境内の斗南藩墓地については

供養塔を建立し

現存の墓石を周囲に

配置するような形で

整備したいと思索中です。

 

本堂建替事業の中で取り掛かるか

別事業として進めるのかは

まだ未定ですが

激動の時代を確かに歩まれた

斗南藩の方々の歴史を

当山の出来る形で

しっかりと伝えられればと思います。

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▼本堂建替事業について

https://fugenin643.com/blog/新たな歴史を紡ぐ/

 

かんのんまいり〜悟真寺〜

糠部三十三観音霊場

第25番札所

悟真寺(ごしんじ)

 

三戸町同心町のお寺です。

 

門を入り右手側に

札所の観音様が祀られる

観音堂がございます。

 

こちらのお寺には

会津藩士戊辰殉難者招魂碑が

建立されております。

 

三戸の旧会津藩士の方々が

会津有縁者の慰霊のために

建立したものです。

 

会津藩は再興を許され

北の地に斗南藩を立藩しました。

 

始めは五戸に藩庁が置かれ

後に下北の円通寺に

藩庁が移されます。

 

斗南藩の方々は

見知らぬ北の地に移られ

大変なご苦労を強いられたと

伝えられております。

 

 

悟真寺観音をお参りの際は

招魂碑にもお手を合わせて頂き

激動の時代におもいを

馳せられてみてはいかがでしょうか。

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斗南藩を学ぶ

学びを深めるべく

斗南(となみ)藩に関する

書籍を用意しました。

 

斗南藩の歴史は

わずか1年8ヶ月しかありません。

 

資料も決して多い訳ではありません。

 

当山境内には

斗南藩の方々の墓石が

16基ございます。

 

その歴史について

後世に伝えるためにも

学びを整えていきたいと思います。

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斗南藩士上陸の地 むつ市大湊

3/28は下北半島の

むつ市大湊へ赴きました。

 

大湊にございます

同宗派の常楽寺にて

厳修された涅槃会(ねはんえ)

というお釈迦様の法要に

出仕して参りました。

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むつ市は

斗南藩(となみはん)

ゆかりの地でもあります。

 

斗南藩とは

旧会津藩の方々が

明治時代初頭

北の地に再興した藩です。

 

当山墓地には

斗南藩の方々の墓石が

十数基残っております。

 

下北むつの地にも

斗南藩の方は海路により

入られました。

 

大湊にございます

斗南藩士上陸の地。

 

斗南藩の藩庁が置かれた円通寺。

 

その他、斗南藩ゆかりの場所に

立ち寄らせて頂きながら

歴史におもいを馳せた

1日となりました。

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斗南藩の“記憶”

斗南藩(となみはん)の

子孫にあたる方が

お参りにいらっしゃいました。

 

当山には

斗南藩の方々の墓石や

お位牌がお祀りされます。

 

そういったご縁で

年間に何名かの有縁の方が

お参りにいらっしゃいます。

 

斗南藩の方々は

日本が大きく舵を切った

激動の時代に生きた方々です。

 

激動の時代の下

苦難と向き合い

力強く生き抜かれた方々の

歴史を改めて感じさせて頂きました。

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